先手必勝♪とドッペルゲンガーは嘯く


「……存在証明?」


 学校に登校する、数十分前。


 いきなり姿をあらわし、自分を俺――藍田蒼汰のドッペルゲンガーだと称する少女、碧が放った言葉に、俺は困惑していた。

存在の証明などという曖昧としたものに、理解が追いつかない俺が押し黙ってしまうと、碧はくすりと笑みをこぼす。


「ごめんごめん、いきなりそんなこと言われてもピンとこないよね。ソウタは聞いたことあるかな? ドッペルゲンガーに出会った者は死ぬってさ」


「まぁ、それぐらいは。……っていうことは、俺は死ぬ、のか? お前に、殺されて……」


 ぞくりと、悪寒が背中を撫でる。反射的に身を引いて碧から距離を取ると、碧は一瞬キョトンと瞬きをしてから、ぶはっと吹きだす。


「あっははは。そう怖がらなくてたっていいよ。大丈夫、ボクがキミを殺すことはない。考えてもみなよ。キミにとってはボクがドッペルゲンガーかもしれないけど、ボクにとってはキミがドッペルゲンガーなんだよ? だからこそ、ボクが一方的にキミを殺すことはしない。あくまで、勝負をしにきたんだ」


「勝負……。それが、存在証明ってやつなのか……?」


「そっ。ルールは簡単。自分が生きる意味、存在する価値を証明すること。それが、存在証明さ」


「生きる意味……? 存在する価値だって?」


 話のスケールが壮大すぎて、いまいち要領を得ない。そんなもの、俺が知りたいくらいだ。


「だいたい、それを誰に証明するっていうんだ」


「さぁ? 俗にいう神様ってやつかもしれないし、世界ってやつかもしれない。そのへんはボクも詳しくないんだよね。存在証明の正解はボクにも分からない。とにかく、自分たちが考える証明をして、認められたほうが勝ちってことになる」


「……負けたら、どうなる?」


 相変わらず、胡散臭い笑みをたたえる碧に俺は警戒心を剥き出しにしたまま、一番に気掛かりなことを訊く。

 

 存在証明に勝ったほうが、藍田蒼汰としての人格の主導権を握る。では、負けた場合は? 単に勝利報酬の真逆のものだとしたら、そいつは消されるんじゃないのか。


 そう危惧する俺に、碧はニコニコとした笑顔を向けるだけだ。


「さぁ、どうだろうね。キミの想像通りかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ていうか、どうしたんだい? まさか、ボクに勝てる気がしないからそんなにも及び腰なの?」


「ち、違う。俺は……お前なんかに、負けるつもりはない」


「なら、気にすることないじゃん。とーぜん、ボクも負ける気はないしね」


 ま、精々いい勝負になることを願ってるよ。


 碧はくすくすという笑みとともにそう言い残して、俺の前から去っていった……わけだが。


「……速攻で先手を打ってきたってわけか」


 俺は、教室の最前列の席に座る少女――碧を睨んで、呟く。


 朝のホームルームを終え、今は一限の真っ最中だ。転校生である碧は隣の席のクラスメイトからテキストを見せてもらいながら、授業を受けている。一限の科目は数学であり、どうでもいいウンチクや講釈を垂れ、ちょっとした私語すら見逃さないことから生徒間ではもっぱら不評の教師が担当だったが、それでも碧は楽しそうに黒板を眺めている。


 一見すれば温和に映るあの笑顔の裏に、なにを隠して企んでいるのか。それを読み取ろうと注視するあまり、まったく授業に集中することはできなかった。おかげで授業が終わろうとする頃でもノートはほぼ真っ白になっていて、そのぶんの文句も含めて、碧に詰め寄ろうとしたときだった。


「ねね、なんで藍田さんは転校してきたの!?」


 クラスのなかでも随一のお調子者、神林翡翠(かんばやしひすい)に先を越される。


「わぁ!? びっくりしたぁ。えーと、キミは……」


「あっ、ごめんね! あたしは神林翡翠! ひすいって呼びづらいからみんなはみどりって呼んでる。よかったら、藍田さんもみどりって呼んで!」


「ミドリ……、へぇ、いい名前だね。じゃあ、ボクも碧でいいよ」


「ほんと!? じゃあアオちゃんって呼ぶね! ってか、アオちゃんってめっちゃ声綺麗だね! なんていうのかな、透き通ってるっていうか、透明感があるっていうか」


「えー、そうかな? あんまり言われたことないけど、でも嬉しいよ。ありがとう」


「てか、顔もめっちゃ可愛いし! マジヤバいって! ねぇ、みんな?」


 いつもハイテンションな神林ではあるが、転校生の登場によって更に拍車がかかっているようだ。ぴょんぴょんと小柄な身体で跳び上がり、トレードマークである栗色のポニーテールを揺らして呼びかける。


 すると、それがきっかけとなり、みんなが神林と碧のもとに群がりはじめる。


 転校生というレアな存在に、みんなもそれなりに碧に興味を持っているようで、矢継ぎ早に質問攻めがはじまる。


「おいおい、いきなり大人気だな」


 すっかり碧を連れ出すタイミングを逃し、呆然と突っ立つ俺の肩を、黄泉川が叩いてくる。


「まっさかウチにあんな美少女転校生がくるなんてなぁ。あの子さ、藍田の知り合いなの?」


「な、なんで」


「いや、思いっきし苗字同じだし。あと、授業中に熱烈な視線送ってたしさ」


「お、送ってないっての。大体、あいつは知り合いじゃない。あいつは、」


 俺のドッペルゲンガーだと言いかけて、はたと口を噤む。


 馬鹿正直にそれを口にしたところで、誰が信じてくれるっていうんだ。どうせ失笑されるのが関の山だし、なんて言ったらと俺が答えあぐねていると、


「つかぬことをお聞きするけどさ、アオちゃんは藍田くんとは知り合いなの? 苗字が同じなのは偶然?」

 

 ちょうど、神林が黄泉川と同じ質問を碧に投げかけていた。


 果たして、碧はなんと答えるのか。固唾を呑む俺とは対照的に、碧は涼しい顔であっさりと言ってのける。



「あぁ、ボクはソウタの従妹なんだ」と。



「……はい?」


 まったくまって事実無根な嘘に、俺は虚をつかれる。すぐさま否定しようとするが、碧が止まることはない。


「ボクの父親が仕事の都合で海外に行くことになっちゃってね。帰ってくるまでの間、ソウタのところでお世話になってるんだ」


「へぇ、そうなんだぁ」


「うん。だよね、ソウタ?」


 まるで噓をついていることをおくびにも出すことなく、碧が俺にむかって振り返る。おのずとクラスメイトの視線も殺到し、俺は息を詰まらせる。


「え、えーっと……」


 俺に従妹はいないし、なんなら叔父は子どもどころか結婚もしていないと否定したいところではあるが、ここでこいつはドッペルゲンガーだなんだと騒ぎ立てても、更に面倒なことになるだけだ。不服ではあるが、結局は俺が折れることになり、「まぁ……」と認めることになる。


「え、じゃあアオちゃんと藍田くんはひとつ屋根の下で住んでるの?」


「うん。そういうことになるね」


「ひゃ~」


「マジかよ!」


「……おいおい」


 いよいよ、収拾がつかなくなってきてないか……? 


 やっぱり碧は俺にとって厄介な存在だと俺が天を仰ぐと、パンパンと乾いた音が響いた。


 俺を含めたクラスの連中がそこを見ると、叩いた手をおろして嘆息する赤羽根の姿があった。


「みんな、すこしやり過ぎ。藍田さんも転校してきて色々大変だろうし、あんまり詰め寄っても混乱するだけよ。遠慮ってものをしなきゃ。特にみどり」


「ひゃ、ひゃいっ」


「き・を・つ・け・な・さ・い」


「……はい」


 さながら母親のように雷を落とす赤羽根に、神林がしゅんと項垂れる。それに応じて元気に揺れていたポニーテールも萎れる。……え、あれって本人とリンクでもしてんの?


「……ごめんね、アオちゃん。ついつい勢いづいちゃって」


「あっははは。いいよ、そんなの。ボクはそういうのウェルカムだしね。……でさ」


 碧の視線が、神林から赤羽根へとずらされる。ほんの一瞬、なにかを品定めするように瞳を細めてから、すぐに眼力を緩める。


「もしかして、キミがアカバネツバサさん?」


「へ?」


「え?」


 間の抜けた声は、赤羽根と俺から同時に発せられた。なんで、こいつが赤羽根のことを知っているんだと訝しんで、朝の一件を思い出す。


『……ドッペルゲンガーっていうなら、俺のことは何でも知ってるんだよな?』


 と尋ねた俺に、


『うん、もちろん! なんせ、ボクはもう一人のキミだからね』


 碧は胸を張って自信満々に即答してみせた。実際、その後に証拠をみせられているわけで、それがハッタリではないことは俺が痛感している。なら、碧が赤羽根のことを知っていてもおかしくはない。


「ど、どうしてわたしのことを?」


「えー、そりゃここに来る前にアカバネさんのことはソウタがよく話してくれたからね」


「そ、蒼汰くんが?」


「いっつも学校の話になるとアカバネさんの名前が出てきてさ。どんな子なのかなって思ってたけど、想像以上に可愛いね」


「え、あ……ありがとう」


「よければボクもアカバネさんと仲良くしたいな。あ、ツバサって呼んでもいいかな? ボクのことは碧でいいからさ」


「う、うん……構わない、けど」


 あからさまに動揺する赤羽根だったが、碧が気にすることはない。グイグイと、果敢に畳みかける。


「……碧。ちょっとお前、来い」


 さすがに、これは目に余る。


 気づけば俺は人垣を割いて腕を伸ばし、赤羽根に迫ろうとする碧の手を掴んでいた。


「え、来いってどこに? てか、もうすぐ授業が……」


「うるさい。黙って、ついてこい」


 なりふりなんて構っていられない。やはり、こいつは俺にとっての……いや、俺の周りにいる人たちの脅威になる、敵だ。


 そんな危機感に駆られた俺は、一刻もはやくに赤羽根から碧を引き剝がそうと、碧を連れて教室を出た。

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