Q1.存在証明とは?
転入生はドッペルゲンガー
新学期になってはじめての登校日は、いつにもまして活気づいていた。
やはり、久しぶりの学校はなんだかんだいって、テンションが上がるのだろう。やれ髪型を変えてイメチェンしただの、やれ夏休み中は彼氏彼女とプールに行っただのを自慢げに語る連中で教室は溢れかえっていた。
「……俺だけなのかね」
普通に夏休みが終わって悲しんでいるのは。
賑やかにはしゃぐクラスメイトを横目に、俺は机に突っ伏す。教室の雑音が耳障りだったので、ブルートゥースのイヤホンを耳に突っ込んで音楽を再生する。
ランダムに流したそれは、俺が昔から目をつけていたサブカルバンドの新譜だった。なんでも、ティックトックだかで流行ったらしく、あまり人気のなかったそのバンドは一躍時の人となり、いまでは名前を知らない人はいないほどになった。
俺としては、『自分だけが知っている掘り出し物』を世間に発掘されたのが面白くなく、一気にそのバンドへの熱は冷めていた。
「……」
わざわざ曲を変えるのも面倒だったので、とりあえず聞いてみることにする。昔は世の中への不平不満をテーマに激しくて重い曲を作っていたはずなのに、新曲は愛と希望を歌ったポップな仕上がりになっていて。くっだらなと唾棄して、すぐに別のバンドの曲にしようとしたときだった。
不意に肩を叩かれて、俺はイヤホンをとって振り返る。
「おっす、藍田。久しぶり」
そう言って手を挙げるのは、クラスメイトの黄泉川紡(よみかわつむぐ)だった。
180はゆうに超えるであろう高身長に加えて、爽やかな笑顔が似合う甘いルックスを持ち、おまけにバスケ部でエースを務める、人間を超越した超人。なぜ、そんな超人と俺のような人間が仲良さそうに会話をしているかについては、単純にして明快。出身中学校が同じであり、なおかつ黄泉川の席が俺の真後ろだからだ。
「どうしたんだよ、朝から辛気臭い顔して。夏休み、楽しくなかったのか?」
「馬鹿いえ、めちゃくちゃ楽しかったよ。学校いかずに家でダラダラ本読んだり映画と動画みたりするだけで、とんでもなく幸せだった。だから、夏休みが終わることをこんなに惜しんでるんだろ」
「あっははは、相変わらずだなぁ、藍田は」
「黄泉川は? どうせめちゃくちゃエンジョイしてたんだろ?」
「そんなことないけどな。部活で県大会に出場できたはいいけど、ベスト16で負けたし。あとは部活のメンバーとバーベキューしたり花火したりしてただけで」
「アホみたいにエンジョイしてんじゃねぇか……」
「そうか? 普通だと思うけどな。あ、でも……」
無自覚に嫌味を口にする黄泉川が、にやりと笑う。それから俺の耳元に口を近づけて、囁く。
「安心しろって。翼とは出かけてないから」
「ぶっ!」
直後、俺は息を詰まらせる。唾が気管に入り、ゴホッゴホッと噎せ込みつつ、俺は黄泉川を睨む。
「な、なんでそこで赤羽根の名前が出るんだよ……っ」
「え、いや、藍田にとってはそれが最重要事項かと思ったんだけど。余計なお世話だったか?」
「あぁ! 大いにな。大体、俺は赤羽根を――」
「わたしが、どうかした?」
悪びれる様子もない黄泉川に抗議しようとした俺を、不意に飛んできた声が遮る。俺と黄泉川が揃って声のほうを辿ると、細い首を傾げて、きょとんと目を瞬かせるクラスメイトがいた。
赤羽根翼(あかばねつばさ)。黄泉川と同じく、俺とは中学時代からの付き合いであり、そして黄泉川とは小学校時代からの幼馴染である。
「おっ、噂をすれば。おはよう、翼。いやさ、一か月くらい会わないだけで、随分久しぶりな気がするよなーって話してたとこ」
「おはよう、紡。最後に会ったのって、夏休み前だっけ? また、背伸びたでしょ?」
「まさか。ここまで伸びれば早々成長しないって」
「とかなんとかいって、それ中学の頃から言ってたでしょ? それから十センチくらい伸びてるんだから、紡のそれはあんまり信用ならないって。ねぇ? 蒼汰くん」
気を利かせたのだろうか。赤羽根はにこやかに微笑んで、俺に話を振ってくる。
「あ、あぁ……だな。黄泉川の身長詐欺には俺もうんざりしてるよ」
「詐欺って! 心外だなぁ。勝手に伸びるんだから仕方ないだろ」
「あっ、それ伸びない人には嫌味でしかないから! あと、蒼汰くんはなにかあった?」
「え、なんで?」
「うん。ちょっと元気なさそうっていうか。夏休み、不摂生せずにちゃんとご飯食べてた?」
そう言って、赤羽根が腰を屈める。椅子に座っていた俺と目線の高さが同じになって、大きな鳶色の瞳が真っ直ぐに俺を見据える。少しでも気を抜けば、うっかり吸い込まれそうになる不可思議な輝きから咄嗟に目をそむけて、俺は頷く。
「ご、ご飯は食べてたよ。……まぁ、ちょっと夜更かしはしてたけど」
「あ、ダメだよ。生活リズム崩しちゃ。……っていっても、わたしも友達と夜遅くまで電話とかしてたけどね」
「なんだよ、翼も人のこといえねぇじゃんか。大体、翼は藍田に過保護過ぎるんだよ。お母さんか、お前は」
「えー、でもやっぱり心配だし。わたしはお母さんではないけど、友達ではあるし。友達なら、それくらい普通だよね? 蒼汰くん」
「ま、まぁ……。あ、あのさ……赤羽根」
「ん?」
「変わったっていえば……赤羽根も、髪型……変えた?」
まともに視線を合わせられないまま、俺は意を決してそれを口にする。すると、赤羽根は目を丸くさせてから、あははとぎこちない笑みを浮かべる。
「わかる? すごいね、蒼汰くん。今日、学校にきてから誰にも言われてないのに」
「ぐ、偶然だって。もしかしたら、そうかなって気がして」
嘘だ。本当は最初から、気付いていたくせに。
意気地のない自分に辟易しながら、俺は赤羽根の姿を改めて見る。
整った鼻梁と大きな瞳、卵を彷彿とさせる綺麗な輪郭と瑞々しい白い肌は以前とは変わってはいない。しかし、夏休み以前は肩口ていどまで伸ばしていたボブカットは、胸元にまで達するセミロングとなっていた。
「ん、あれ本当だ。伸ばしたんだ、髪」
俺の指摘で、今更になって黄泉川も気付いたのだろう。赤羽根の柔らかそうな髪を摘まんで、さらりと指で撫でる。
「ちょ、ちょっと……気安く触らないでよ」
「は? なんで。減るもんでもないし、いいじゃん別に」
「い、いいじゃんって、わたしも一応女子だし。そういうとこ、デリカシーもって欲しいんだけど」
「なに言ってんだよ。オレと翼の間柄だからこそ、できるんだろ? ほかの子にはしないって」
「……そ、そう」
「そうそう。てか、いいじゃん。似合ってるよ。な? 藍田」
「え? あ、あぁ……」
毛先をいじりながら身を捩らせる赤羽根をまえに、俺は不明瞭な声を漏らす。それから、不安そうにこちらを窺ってくる赤羽根に、俺は笑顔を向ける。
「俺も、よく似合ってると思うよ」
途端、強張っていた赤羽根の身体から、力が抜ける。安堵したように嘆息して、
「ありがとう」と呟く。
「でも、なんで? なんかの心境の変化かなにか?」
「……そんなところ、かな。夏休みに……ちょっとね」
「ふぅん。でも、オレの言った通りだろ? 翼は絶対にロングのほうがいいって。オレの目に狂いはなかったな」
腕を組んで、満足そうに頷く黄泉川。そんな黄泉川は不意に俺の耳元まで口を寄せて、囁いてくる。
「これじゃあ、ライバル増えるかもな」
「……余計なお世話だっての」
ていうか、こいつ……マジか。なんで赤羽根が髪を伸ばしたのかも分からないのかよ……。
超人ゆえの、鈍さ。
中学時代から目の当たりにしてきたそれに嫌気を覚えつつ、黄泉川の頭を小突こうとしたときだった。朝のホームルームを告げるチャイムが鳴り響き、担任教師の紫村恵(しむらめぐみ)が教室に入ってくる。
「あ、じゃあね二人とも! またあとで」
「おう、またな」
「……また」
小さく手を振って、赤羽根が慌てて自席に戻っていく。その際、彼女の背中で揺れるセミロングの髪を眺める俺の耳に、紫村先生の声が飛び込んでくる。
「みなさん、おはようございます。そして、お久しぶりです。夏休みは楽しくやっていたでしょうか? ちなみに先生は毎日学校にきては、残業をこなしていました。おかげでお盆休みもろくにありませんでした!」
なははは、と紫村先生が楽し気に笑うが、生憎それは空虚に響くだけだ。
相変わらず、絶妙に笑いづらいとこを突いてくるよなぁ……この人。一応、若くて美しく、生徒からだけではなく、ほかの教師からも厚い信頼を寄せられる凄い人なのだが、どうにもセンスが普通の人と違うのだけが玉に瑕だ。
ウケないことを早々に察したのか、気を取り直すように紫村先生は咳払いをする。
「まぁ、充分に羽目は外したことと思います。二学期は我が彩城(さいじょう)高校の文化祭、彩城祭や修学旅行などイベントも目白押しではありますが、君たちの本分は学業です。そのことを忘れずに取り組んでください」
教師らしく、力を込めた瞳と凛々しく張った声音で空気を締める紫村先生だったが、すぐさま柔らかく破顔する。
「とまぁ、真面目なお話も済んだので、本日のメインイベントに移りたいと思います。実は今日はみなさんに、サプライズがあるんです」
「サプライズ、ですか?」
「はい。これからのみなさんの学校生活を、ともに励んでいく仲間です。どうぞ、入ってください」
思いがけない展開に、教室がざわつく。夏休みが終わったタイミングでの転校生に戸惑った様子ではあったが、すぐに膨らんだ期待が教室を包む。
いったい、どんな奴が。注目を浴びる扉がガラリと開かれて――
「……あっ」
俺は、絶句した。
なぜなら、ニコニコと弾けんばかりの笑顔を振り撒いて、鼻歌を口ずさみながら教壇に向かうそいつは――俺によく似ていたからだ。
「では、藍田さん。自己紹介をお願いします」
「はーい!」
高校生らしからぬ無邪気な返事をして、そいつはクラスメイトを一望する。そして、俺に目が留まった瞬間、僅かに邪悪な笑みを滲ませたのを俺は見逃さなかった。
「はじめまして、今日からこの学校に転校してきました。藍田碧といいます。みんな、よろしくね♪」
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