2

 寒いな。

 4本目の街灯の下に僕は立っている。息が白い。一応着込んで来たけれど、彼女は大丈夫だろうか。コートのポケットに冷えた両手を突っ込む。

 子どもの頃、転ぶと危ないからポケットに手を入れてはいけない、と大人たちは言っていたけれど。それは大人にだって言えることで。だけど、ただ歩いているだけで転ぶようなことはそう起こらない。

 子どもが転んでしまうのは、バランス感覚のようなものが未発達だからだろうか。それとも、大人より歩き回ったり走り回ったりすることが多いからだろうか。何にせよ僕は誰にはばかることもなく、ポケットに手を入れる。


「こんばんは」

「はい、こんばんは」

「何を考えてたの?」

「えっと。走る時に手をポケットに入れたままだったら、走りにくいよね」

「うん。そんなこと考えてたの」

「おそらく。あとは、愛とか」

「愛」

「うん」

「行こうか」

「うん。行きたいところがあるの。芝生のある公園に行きたいの。この辺で、心当たりない?」

「うーん。ない、ことも、ない」

「二人で寝っ転がれる大きなベンチのある公園でも可」

「……行こう」

「あるの。さすが路地裏ハンター」

「うん。どうも、路地裏ハンターです」

「私は……なんだろ」

「えーっと……。あ」

「なに」

「駄目だ。一瞬よぎったんだけど逃げられた」

「そっか。じゃあまた機会があれば」

「うん」


 街灯の上の辺りで、小さなこうもりが飛んでいる。


「ありがとう」

「うん? 散歩?」

「そう。ずっと、夜中の3時に誰かと散歩をするのが夢だったの」

「ふむ」

「夢が叶っちゃったなぁ」

「歩いてるだけでいいの?」

「うん」

「じゃんけんとか」

「しなくていいよ」

 彼女は、少し笑っている。

「……静かだね」

「うん」

「……眠くない?」

「うーん。どうかな。どうだろう。よく分からない」

「ありがとう」

「ううん、いいよ、もうお礼は」

「夜中にひとりでいると」

「うん」

「やっぱいいや」

「え」

「カッコ悪いから」

「そんなことあるかな」

「うん。うちの母親がさ」

「うん」

「人生は恥かいてなんぼ、ってよく言うんだよね」

「ふむ」

「あなたもそれを習得しなさいって」

「うん」

「だけどやっぱり駄目だな。いくつになっても、私は人が怖い」

「うん……」


 僕は、どうだろう。人に何を思われてもいいって考えていたら、確かになんでもできそうな気はする。


「僕は、そんなに人の目を気にして動くほうじゃないと思うけど、でも恥かかないで済むならそっちのほうがいいんじゃないかなぁ」

「そうかな。そんなふうに考えていいのかな。恥をかくことで、成長できることもあるんじゃないかなって。それなのに、逃げてるんじゃないかなって、罪悪感みたいなものがあるの」

「んー。そうだなぁ……」


 赤信号。立ち止まった僕らの息は、相変わらず白い。まばらとはいえ、こんな時間でも走っている車がある。それに乗っている人たちには、一人一人にそれぞれの人生があるのだろう。そんな当たり前のことが頭をかすめる。


「えっと、成長する方法って、きっとひとつじゃないよね。嫌なことを我慢したら成長できる、ってわけでも無いと思うし。人が怖くても、恥をかかないように頑張っても、それはそれでアリじゃないのかな、と僕は思うよ」

「うーん……。そうかもしれない。生きていることに、罪悪感があって……。でもあなたはそういうところ、安定していると思う。私も、そんなふうになれたらいいんだけど……」

 生きていることに、罪悪感があるというのは……。

 うまく想像できないけれど、つらいな。

 僕は、

「僕は、自分のり方がいいものかどうかは、よく分からない。でも、もし君が不安定なら、それが本当なら。君自身が変わるというのもひとつの手かもしれないけど、いつでも僕を利用すればいいんじゃないかな」

「どういうこと?」

「えっと、だから、君の代わりに僕が安定しているから、不安定な時は、僕に寄りかかっていいよ」

「えっ」

「僕じゃ力不足かなぁ」

「あ、ううん、そうじゃなくて。そんなことしていいのかなって」

「あなたに悪いっていうのもあるけど、そんなことしたら、自分が成長できないんじゃないかな」

「じゃあ、成長を目指しつつ、それでもできない時は寄りかかる。保険というか」

「そんなことしていいのかしら」

「えっと……誰の目を気にしているの?」

「……」


「自分かなぁ。自分に対して一番厳しい見方をしているのは、自分のような気がするから」

「うん」

 彼女は、本当に自分に厳しいな、と僕は思う。そういう思考の型を、彼女はいつどこで身に付けてしまったのだろう。

「あのさ」

「うん」

「僕は夜中に起きると、独りだなって思う。世界は静かで、自分はちっぽけで、この先、自分は大丈夫かなって。ずっと独りだったらどうしよう、って」

「……うん」

「不思議なもので。そういうこと考えるのって、夜だけなんだよね。寝て、起きたら、そんな考えは浮かばなくて」

「うん、分かる」

「昼間はそういうこと考える余裕がないだけかな」

「いや。夜は、そういうこと考えやすい雰囲気? があるよね」

「そうだよね。うん。そういう時に、誰かが一緒にいてくれたら」


 こんなふうに一緒に歩いてくれる人がいてくれたら。


「きっと、生きるのがやさしくなるんじゃないかな」

「うん……。やっぱり……。やっぱり、ありがとう」

「ううん、僕もだから。僕も、ありがとう。これは、そういう話」

「うん」

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