暗い穴におちて

 ノートに書かれた少女の想像図、左手の指が欠け、全体的に見窄らしい見た目になってしまった女の子の顔を、ただ見つめる。

 今はまだ彼女の人生、その人生で負った傷を幾つか知っただけ。

 たったそれだけなのに、出口のない真っ暗で閉じた空間を彷徨っているかのような気分になっている。

「なあ、親に指切られたってだけで、そんなに酷い話か?」

「ええ……ええ。平和ボケしたわたしからすると、信じたくないくらい酷い話です。……母親の、異世界人さんの母親の悪意が、きっつい……」

 ノートに矢印と説明を書き足す『指は母親にハサミで切られた』『背中も親にやられた可能性が高い』。

 全体的に、と書いたところでペンが止まる、なんて書けばいいんだろうか?

 見窄らしい、ボロボロ、貧相、酷い見た目、そんな言葉が浮かんでどの言葉も使いたくなくて『全体的に』を二重線で消し、『こんな感じになったのは虐待のせい?』と書き直した。

「……実は、一つずつ聞こうと思ってたんですけど、やめました。彼女の身体、この世界に流れてきてから明確に『悪く』なったところってありましたか? ……例えばわたしはこの世界に流れ着いた後、まともなご飯を一度も食べさせてもらえなかったので結構痩せました。あとあんまり寝れてないので目のクマがちょっと酷くなってきました。それと、身体中いじくりまわされたストレスで髪の毛抜けました、あんまり言いたくなかったんですけど、この辺……わかりにくい場所ではありますけど、十円ハゲ……ええと、ちょっとだけハゲました、あと推定安物のシャンプーしか使わせてもらってないので髪のキューティクルがお亡くなりになりかけてます。あとストレスと寝不足と栄養不足でお肌が大ピンチ。こういう感じに……この世界に来たからこそ悪くなったことって、ありましたか?」

 あってほしいと思った、なければいいとも思った。

 どちらにしてもこの女の子が虐げられていたことは本当のことで、それが日本で受けたものであってもこの世界で受けたものであっても、きっと大した差異はないのだろう。

 それでもどちらがよりマシなのか考えられずにいられない、考えてもきっと無駄なのに。

「えー……ってか、お前そんなに弱ってんの? うわっ……本当にハゲてる……かわいそ……けど髪とか肌はまだ綺麗な方じゃない? あと痩せたっつっても、そんなに? 結構肉残ってる方だと思うけどな」

「……デブだと言いたいのですか?」

「いや? 多分オレらの痩せてるの基準がズレてるだけ。オレにとって痩せてるってもっとこう肉がほとんどついてないような状態だから」

「そうですか……それで、どうだったんです?」

「んー……割とどうでもよかったからなあ、あんましちゃんと報告聞いてなくて……オレが最初にアレを見たのも、ほとんどアレに関する調査が終わった後だったし……兄弟は自分が斬ったことない未知のヒトが気になってたらしくてオレが見に行くよりも前に何度か見に行ってたらしいからなんか知ってたかもだけど……」

「知っている方にお話を伺うことは? 例えばその……調査をした方、とか。そういう人に会うのが難しくても、調査結果みたいなものが見られたりできないんですか?」

「あー、それは多分無理、ってかめんどい。まじでなんもめぼしいもんが出てこなかったらしくて、多分まともなデータほとんど残ってないと思う。マジで『無価値』だったんだよな、アレ。身体は純人と全く一緒、魔力が一切ない上に魔力感知すらできないのは珍しいっちゃ珍しいけど、この世界にも多少はいる。脳の中の記憶を漁ってもめぼしい情報は一切なし、何かしらの価値を見出すとするのであれば、異世界にもヒトがいること、その証明ができたっていうことくらいだったらしくて」

「……それでも、いくら無価値だと断定されていたとしても、それでも関わりのあった人はいたのでしょう? 三年前の話なら、記録が残ってなくても記憶は残って」

「あー、それがだな……アレの調査に関わった奴ら、全員死んでるんだよ」

「な、なんで……」

「それがよくわかってなくてさあ……調査が終わった後、バカンスだーっていって国外れのちっさい孤島に研究チーム全員で旅行行ったんだけどー、その島がなんか大爆発して」

「だいばくはつ」

 非現実的な言葉を思わず鸚鵡返ししてしまった。

 なんだって島が爆発するんだ、この世界、物騒すぎやしないだろうか?

「それで、島ごと全員この世から消えちまった」

「なんで、どうして? なんでしまがだいばくはつ……」

「さあなぁ、どうも人為的に起こされた爆発だってところまではわかってんだけど、犯人が全くわかんなくてさー、あの島リゾート地として開発してる最中だったのにさあ、全部無駄になった。オレもリゾート楽しみにしてたから犯人捜査に手ぇ貸したんだけど、手がかり一個も見つからなかったんだよね。まあ……あの時あの研究チームだけじゃなくてちょっといろんな方向から恨みを買ってる一行が居合わせてたから、犯人の動機は多分その辺りなんじゃないかとはいわれてるけど」

「そ、そんなことってあります……?」

「残念ながらあるんだな、これが。というわけでアレがこっちにきてから『悪く』なったことがあるかどうかはわからない。知ってそうなのはもう兄弟だけだと思う」

「弟さんに話を聞ければ……って、それができないから、そうなってしまったであろう理由を探してこんな話をしているんでした」

「うーん、本末転倒感……でもまあお前よりも嫌な目にはあってたと思うから、こっちに来てから弱ったところはあるとは思うけど……」

「……逆に、これでもこの世界に来た直後よりはマシだった、とかだったらどうしようって今思ってしまったのですけど」

「あー、そういう可能性もありっちゃありか。まあわからないものはわからないし、考えても仕方なくね?」

 確かに、もう知っている人に話を聞ける状態ではなく、大した記録も残っていないというのであれば、考えても無駄なのかもしれない。

 ノートの『こんな感じになったのは虐待のせい?』の下に『不明、こちらの世界で受けた仕打ちでこうなった可能性もある、逆によくなった可能性もある』と追記した。


 ノートを見返してみる。

 異世界人さんについてわかってきたこと、現状ではわからずじまいになりそうなこと、それらを記載したノートを見詰め、他に何が必要かを考える。

「今の段階でなんかわかったことある? それともまだ情報が必要?」

「何度か話したことがあるって言ってたじゃないですか、どんなことをどんな状況で話しました?」

「んー……どんなだったっけな……えーっと、そもそも何回くらい話したんだったか……最初に話したのは……あの時か、そうそう……あの部屋に異世界から人が流れてきたって報告は聞いてたんだけど、オレ、そういうの全く興味なくて……だからどうでもよかったんだけど……なんか兄弟が異世界人ってか斬ったことないヒト斬りたいっていう理由でちょいちょい様子見に行ってるらしいっていう話をローウェス少将から聞いてー……それで気になって様子見に行った時にはじめて話した……えーっと確か……」

「あの、すみません……話の途中ですが一つ全然関係ないことを聞いてもいいですか?」

「は? なに?」

「その、あなたって……ひょっとして、ものすごく偉い立場の人だったりします?」

 知り合いに少将がいるらしいし、城という国の中枢にあるあの実験室、わたしが隔離されていたあの部屋にひょっこり現れた上、わたしのことを堂々と悪びれもなく拉致したし、わたしのことも異世界人さんのことも誰かから報告を受けていた立場だったらしいし、あとなんか暗殺されたことになってるらしいし。

 彼の言動からなんとなく身分が高い人なんだろうなと思っていたけど、結局どういう人なんだろうかこの人は。

「んー……偉いっちゃ偉い……ってか好き勝手できる立場ってだけ……昔色々あって、その頃にぶんどった特権を使ってるってだけ」

「は、はあ……えーっと、確か暗殺されたことになってるってさっき言ってましたよね? それでも特権使えるってどんだけ……?」

「んー、オレもなんでこんなよくしてもらえんのかなと思ってローウェス少将に聞いてみたんだけど、そしたらひっでえの、『貴様のような世界破壊爆弾に癇癪を起こされて暴れられるくらいなら、最初からある程度好き勝手させておくほうがまだマシだ』とか言ってきやがるのあのおっさん! ヒトのことなんだと思ってんのかね?」

「世界破壊爆弾って、その、かなりお強い……?」

「まあそこそこ強いよ……わかりやすくいうと、兄弟以外のこの国の国民全員を同時に相手したとしても全部殺せる程度には強い。ってかオレらからするとオレら以外が全部ザコ」

「ひえ……ものすごく強いって事なのでは……それで兄弟以外ってことは弟さんもものすごく強い?」

「兄弟はオレと同じくらい強いよ。殺し合ったらオレが負けるしオレが死ぬだろうけど」

「同じくらい強いのに? 相打ちになるのでは?」

「はあ? オレが自分可愛さに弟を殺すような外道にみえるわけ?」

 とても不満そうな顔で彼はそう言って、こちらの背中を尻尾で思い切りべしべしと叩いてくる。

「いたいいたいいたい……ご、ごめんなさい、そういうつもりじゃなかったんです!!」

「あっそ。次同じようなこと言ったらぶっ殺すから気をつけな」

 尻尾で叩くのはやめてくれたけど、不満げな顔はそのままだった。

 身内であるはずの両親の遺体は川に落としたくせに、同じく身内であるはずの弟のことは大事に思っているのだろう。

 というか彼らの親がよくない人達であるのはなんとなくわかるから、そういう親から互いに身を守り合い、二人で生きてきたというのであれば、そうなるのも当然なのかもしれなかった。

「弟さんのことは大事なんですね」

「とーぜん。オレには兄弟しかいないし、兄弟にはオレしかいないからね」

「……そうですか。……なら話を戻しましょうか。……ええと、あなたが彼女と」

 そこで地獄の底から響いてくるような不審な音が響いた。

 どこからって、わたしのお腹から。

 ジト目で見られている、ものすごく呆れられているようだった。

 誤魔化すか開き直るか五秒程度考えて、後者を選んだ。

「あさに……こんなちっちゃな、ぱさぱさの栄養食みたいなのしか、食べてないんですよ……」

「だからってお前、そこそこ真面目に話してる途中で……」

「う、うるさい! 生理現象ですから仕方ないんです!!」

 そこでもう一度とどめのようにお腹がなる、もうやめてほしい。

「…………まあ、この先も長くなるだろうし、なんか食べる?」

 無言で首を縦に振ると、彼は小さく溜息を吐いた。

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