めずらしくもない地獄

 少年が黙り込んでいる間に、先程までの話に聞いた異世界人さんのことを整理してみる。

 性別は女性、年齢は現状では不明、日本人で出身は川崎。

 左手薬指が欠損しており、また背中には大きな火傷があった。

 小柄で体型は痩せていて……と、ここまで考えて、ふと思った。

「すみません、紙とペン……何か字を書けるものを貸していただけないでしょうか……情報の整理をしたくて……」

「……あ? ほらよ」

 少年が指先を軽く振ると、どういう原理なのかノートとボールペンが出没した。

「おお……この世界にもボールペンがあるんですね」

「ああ。……ってかそれ、今から百年くらい前にあの部屋に流れ着いた漂流物を参考にして作ったらしい」

「あの部屋……って、わたしが最初に……」

「そ。あの部屋はどうも異世界と繋がりやすい空間らしくてな。ちょいちょい異世界のものが流れ着くの。……とはいっても基本的には物だけ、生き物が流れてきたのはアレがはじめてで、お前は二番目」

「はあ……なるほど」

 ノートを開いて少年から聞いた異世界人さんの特徴を書き連ねていく。

 字だけだとどうにもわかりにくくなりそうだったので、簡単に少年の話から聞いた異世界人さんの想像図も描いてみる。

「……なんだそのヘンテコな文字」

「わたしの国で使われてる文字ですよ。……ああ、そっか、異世界の人には読めないか……とはいっても自分の整理用だし……まあいいか」

「へえ……お前んところの世界随分変な字使ってんのね……」

 そんな会話をして、違和感。

「あれ、待ってください。これ、読めないんですよね? なんで日本語通じて……」

「あ? ニホンゴ? なにそれ?」

「わたしが使ってる言葉……ええ、文字が違うのに口語が一致してるとかそんなことってある……?」

「ん? あー、ひょっとしてお前、異世界人のお前とオレがなんで普通に喋れてるか疑問に思ってる感じ?」

「ええ……」

「なら答えは簡単。うちの国全域に翻訳魔法かかってるからだよ。文字みたいな視覚情報は今んところ無理なんだけど、声ってか音声は勝手に自分が知ってる言葉に聞こえるようになってる。……うちの国の変態魔法使いの発明なんだ、オレも前術式みたけど高度すぎてわけわかんなかったんだよなー」

「翻訳魔法……でも、異世界の言語をどういう仕組みで翻訳して……」

 確かに言われてみると彼の口の動きが言っていることがずれているような気がする。

 けれどなんで翻訳できるんだろう、物語だとそういうものかと思うけど、よくよく考えるとそんなに簡単にできるようなことではないと思う。

「その辺は知らない。けどまあなんか上手いことやってるらしいよ」

「そ、そうですか……」

 原住民でもよくわからないのなら仕方がない。

 というかその変態魔法使いさんの翻訳魔法がなかったら、この世界では一切言葉が伝わらず、まともなコミュニケーションをとてなかった可能性が高いのか、と少しだけ冷や汗をかいた。

「ていうかそこに描いてあるのってひょっとしてアレ? もっと不細工だよ、目とかクマで真っ黒で、唇もカッサカサで、あと髪はもうちょい長いくてもっとボサっとしてる」

「そうですか……ならそれはちょっと手直しして……あ、そういえば異世界人さんって当時何歳くらいだったんですか?」

「んー、報告聞いた時に同い年だと思った覚えがあるから、多分十四」

「十四歳、ですか……」

 今のわたしよりも幼い子が、この世界で受けたであろう仕打ちを考える。

 この世界に流れ着いた異世界の人間であるわたし、二番目のわたしでさえ、あんな仕打ちを受けた。

 じゃあ、一番目の彼女は、一体どんな仕打ちを受けた?

 少年は彼女のことをとにかく嫌な奴だと思っているようだけど、もしもこの世界で非道な目に遭って、そのせいで何もかもに敵意を向けざるを得なかったとすれば?

 そんなことを考えながらペンを走らせ、今までの話で得た情報をノートに描き終わった。

 抜けはあるかもしれないけど、多分これで問題ないだろう。

「うーん、不細工度が足りないけど大体こんな感じか……お前、絵上手いんだな、オレこういうの苦手だからちょっとソンケーする」

「お褒めいただきどうも。……さて、描いているうちにいくつか疑問点が出てきたので、質問させていただいても?」

「ああ」

「まず……この左手の薬指と背中の火傷……これはこの世界で受けた傷ですか、それとも元からですか?」

「……元からだよ。異世界から流れ着いた貴重な生体サンプルだ。完全に無益だと分かるまで丁重に丁寧に扱われていたからな。傷なんてつけるものか」

「……そうですか、火傷はともかく薬指の方は実験のために切断した、とかそういう可能性もありそうだなって思ったので……ならこれは日本にいた頃の傷……事故か……? えっと、なんでこうなったのかっていう話って聞いてたりします?」

「知ら……あー、いや、待て待て、今更だけど一個思い出した……そういや言ってたなそんなこと……背中の方は知らんけど、指の方は母親にハサミで切られたらしい」

「……は?」

 ハサミで切られた、それも母親に?

 自分で描いた異世界人さんの想像図、随分と不恰好な見た目になってしまった『彼女』の姿を見て、その言葉を反芻する。

 背中には大火傷、母親に指を切られた、十四歳の女の子。

 少年曰く性格も最悪だったという女の子が、どうしてそうなってしまったのか、どうしてそう育ってしまったのか。

「……児童虐待」

「あ? なに、ジドーギャクタイ? 何それ?」

「……この世界には考え方すらなさそうですけど……親が子供に対して酷いことをすることを意味する言葉です。……これから先、わたしと彼女が元いた世界は同じ世界であるという前提で話すんですけど……親が子供に対して酷いことをする……暴力を振るったり、必要なものを与えなかったり……そういうふうに子供を虐げる行為は、わたしの世界、わたしが住んでいた国では犯罪になります……犯罪になるのに、それでも虐待を受ける子供が減らないから、それが問題になってたりします……」

「はあ……その程度で犯罪? 随分大袈裟だな」

「……あなたからすると、そうかもしれませんね。きっとあなたには理解し難いのでしょう。……けれどよく考えてください、わたしが元いた国です。わたしみたいな平和ボケした子供が『あたりまえ』の平和な国なんです……わたしみたいのが標準である世界で、彼女はきっとその標準からはずれてしまった子供だったのでしょう、だから……」

「だから、あんなに性格が悪かったって言いたい訳? その程度で……って言い捨てるのは簡単だけど、確かにムカついたもんなー、あの頃。ガキの頃の話なんだけど、多分金持ちの頭悪そうなガキを街中で見かけたことがあって、呑気に笑ってる顔見てるとなんかすっげーむかついたんだよね。……オレらの周りがああいうガキばっかりだったら多分皆殺しにしてただろうな、だってムカつくもん。ふーんそっか、そういうムカつくものばかりに囲まれて育ったんなら、ああいうふうにドブとクソ煮詰めた性格になってもまあ、妥当かも?」

 あんたも苦労してたんだなあと少年がノートに描かれた少女の想像図に向かってつぶやいた。

「……この話、弟さんも知ってたと思いますか?」

「ん? 母親に指切られたとかジドーギャクタイされてたって話? 知ってたと思うよ。だって指の話聞いたのあいつからだもん」

「そうなんですか?」

「うん、アレのこととかどーでもよかったから今まで忘れてたけど。ローウェス少将……えっと、ガキの頃からの顔見知りが結婚した時にさあ、あいつがいってたんだよね。アレがいた世界、結婚すると夫婦で結婚指輪とかいう指輪をつける風習があるらしいって。それでその時についでみたいに話してたんだよ、アレが母親に指切られたって話を。結婚指輪って左手の薬指にはめるんだろう? だからそれができないように、幸せになんてならないように切られたらしい、って」

 しばらく言葉を失った。

 自分と同じくこの世界に流された十四歳の女の子の、あんまりな過去にわたしはしばらく何も言えなかった。

 きっと元いた世界、日本でももっと酷い事がたくさん起こっているのだろうとは思う。

 それでも、そういう酷い目にあった少女の話を実際に耳にしてしまうと、びっくりするほど言葉が出てこない、何を言えばいいのか分からない。

「おーい、大丈夫か? ……ええ、めっちゃショック受けてんじゃんお前。ちょっとー、いい加減戻ってこーい」

 背中を多分尻尾でペチペチと叩かれて、それでようやく口にできたのは「どうして」の一言だけだった。

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