第五話 お題②[なんの話だと思う?]
その日、僕は青春っぽいとかいう理由で、お昼休みに校舎の屋上に向かっていた。別に、ぼっちだからではない。
鍵がかかっているかと思ったけど、扉はあっさりと開いた。
屋上には先客がいた。
扉を開けるのと同時に吹き抜けた風に舞い上がる黒髪は、まるでアニメの初登場のワンシーンかのよう。
扉を開ける音に振り向いた彼女は、うっかり一目惚れするかと思うくらいに美しかった。
——うわ、マジか、こっから僕の青春が始まるってことかい?!
とか、誰にともなく心の中で僕は叫んだ。
彼女になんて話しかけよう——そう逡巡していた僕の方に向けて、彼女は先んじて声を発した。
「お呼びじゃないんだよ、失せろ、ゴミムシ」
それは、これ以上ないくらいに
僕はチラリと後ろを振り返りながら、彼女に近寄っていく。
「あの、なんかまだゴミムシさん来てないみたいなので、どうでしょう、よかったらその人が来るまで、僕とお話ししませんか?」
「いやお前に言ってるんだけど……えぇ怖、なにアンタ……」
これが彼女と僕のファーストコンタクトだった。
ちなみに、なぜ彼女が初対面の僕に怖いと言ったのかは、今でもよく分かってないんだよね笑。
僕は初対面の人とは普通に話せるタイプの人間なので、彼女とはそれから少し話した。
共通の話題とか無かったから、天気のことか、それかこの場所のことくらいしか思いつかなかったので、僕は彼女にどうして屋上にいるのか尋ねた。
すると彼女は、
「死のうと思ったから。飛び降りるつもりでここに来たの」
と言った。
いっけね、二択を間違えたわ……って思ったけど、いまさら天気の話に戻すのもどうかと思ったので、僕はなんとか話を続けた。
「そうかい。確かに、死ぬにはいい天気の日だね」
無理だった。
でもしょうがない、その日はマジですごくいい天気で、雲ひとつない快晴だったから。
やばい、話題を使い果たしちゃったぞ……と僕は思っていたけど、そこではたと気がついた。
待てよ、さっきの彼女の言葉、あれを掘り下げればいいんだ。
そう気がついた僕は、すでになんと形容すればいいのかよく分からない——だけど少なくとも、好意的な感情は微塵も感じられない——表情を浮かべている彼女に向けて、世間話の続きのように気さくな調子で語りかけた。
「えっと、それで……ああ、そうそう、死ぬんだったね。でも、なんで死のうと思ったの? こんなにいい天気なのに」
そこ触れる? ——って感じの顔をしながら、それでも彼女は答えてくれた。
「別に……なんとなく、死にたくなったから、死ぬの」
「いやそれじゃ困るよ」
「は?」
「なんとなくとか……そういうのが一番困るんだよね。——だって会話がそこで終わっちゃうじゃん。気まずい気まずい。そこはさ、もうちょい会話が続けられそうな感じの返しをしてくれないと……僕らお互い初対面なんだよ? その辺、もうちょい考えてからコミュニケーションしよ?」
「お前にだけは言われたくないんだけど?」
それからも、僕と彼女は適当に色々話した。
最初、彼女は僕と話したくなさそうな素振りだったけれど、僕が話すのを決してやめるつもりがないということが向こうに伝わってからは、諦めたように会話に付き合ってくれた。
結局、昼休みの終わりを告げるチャイムがなるまで僕たちはそこにいた。
チャイムが鳴って僕が切り上げようとしたら、彼女は明らかにホッとしたような顔をした。
僕は、「レディーファーストだよ、ほら、お先にどうぞ」と、屋上の出口の扉を指し示す。
彼女は何か言いたそうな顔をしていたけれど、結局は僕の言葉に従って屋上から飛び降りずに戻っていったのだった。
よかった……。と、僕は思った。
飛び降りとかあったら絶対屋上封鎖されるだろうし、これで明日もここに来れるぞ。
次の日、僕はまたまた屋上にやって来た。
すると再び、先客がいた。
昨日の女子とは違うけど、また女子生徒だ。——それも、これまたかなりの美人の。
僕は昨日のことを思い出して——初対面の女子と話すのも案外簡単なもんだぜって自信を胸に、彼女に話しかけた。
「やあ、いい天気だね」
「死ね」
これにはさすがの僕も参ったよ。
「分かった。じゃあ僕死ぬわ」
なのでそのまま間髪入れずダッシュで屋上のフェンスに向かうと、その勢いのまま飛びついて登っていく。
「えっ、え——ちょ、ちょちょちょ、ま、まっ、待っちなさいよっ——!」
すぐに——何やら意味不明な言葉を発しながら——初対面で僕に死ねと言ってきた彼女が追いかけてきて、僕に取り付いてきた。
「はっなっせっ! 僕は死ぬンだ!」
「待って待って待って! なんで! なんで死ぬの!」
「なんでだと? 君が僕に死ねって言ったんだろうが!」
「ごめんごめんごめん! やめて!? 死ぬのやめて!」
「死ねと言ったりやめろと言ったり! 僕はっ、僕はどうすればいいンだァぁぁぁ!!! うわぁぁぁぁぁぁ!!!」
「いやぁぁぁぁぁ!! 怖い怖い怖いってぇ!」
それから僕は、意味不明なことをしばらくの間叫び続けたけれど、疲れてきたら一気にスンと落ち着いたので、フェンスから降りた。
それまで僕に必死になってしがみついていた彼女は、僕を抑える必要が無くなったことに気がつくと、しばらく呆然とした後——
一気に力が抜けたのか、ペタンとその場に尻餅をついて座り込んだ。
なので僕も彼女の向かいに座る。
「さて、これでようやく落ち着いて話ができるね」
「………………え?」
それから話を聞いてみたところ、どうやら彼女も飛び降りて死ぬために屋上に来たとのことだった。
飛び降り流行ってんのかな? と僕は思いつつも、屋上が封鎖されたら困るから、僕は彼女に飛び降りをやめるように
「あの、飛び降りるの、やめてもらっていいですか?」
「……なんでアンタにそんなこと言われないといけないの?」
「ああー、そういう態度ね。——いいの? そんな態度僕に向けちゃって」
「……な、なによ、どういうこと?」
「さあね、どういうことだと思う?」
「…………怖い怖い、全然分からない怖い」
僕はニッコリと笑ってみせる。
「教えてあげようか」
「いやいい」
「じゃあ、飛び降りやめてね」
「……」
彼女は黙ってそっぽを向く。
なので僕はそっぽを向いた方に回り込む。
そして——そこで笑顔を消して真顔になった。
「やめてね」
「わ、分かったから……」
ああ良かった、分かってくれたみたい。
良いことをしたら気持ちがいいな。
やっぱり屋上はいいや、明日も来よう。
それからも僕は、毎日のように昼休みに屋上に向かった。
すると、週に一度か二度くらいの頻度で例の彼女たちも屋上に来たので、僕はそこで彼女たちと話をした。
初対面の時以降は、基本的に僕がいつも先に来ていたので、毎回彼女たちが後から扉を開けてやって来て——そして、僕が先に来ているのを見て、なんとも言えない表情を浮かべて——僕に向けてなんかの文句を言ってくる。それが始まりの合図だった。
そんなある日、初めて彼女たちが揃って屋上にやって来た日があった。
先に来ていた黒髪ファサァの方は、後から来た初対面で「死ね」と言ってきた方を見て、そして——
「あ」
「あっ」
お互いにそんな声を出した。
その反応から、僕は彼女たちがお互いに知り合いであることを敏感に察した。
「……」
「……」
二人はお互いに、無言で睨み合う。
ややあって——先に口を開いたのは、後からやって来た「死ね」の方だった。
「……なに、まさかアンタって、そんな奴と付き合ってんの? ——うわ、趣味悪っ」
「は? ……マジふざけんなよ。最大級の侮辱なんだけど。——絶対許さない」
まじコイツらよぉ……。
——絶対許さないはこっちのセリフだよぉ!
僕は息巻いて、さっそく異議申し立てをしてやろうと思ったのだけれど、二人はそれから早口で——
「てか聞いてるけど、アンタ今、クラスの中でバッチリ
「アンタこそ、クラスの全員から無視されてんでしょ。——はん。ま、過去にあんなことしてんだもんね、当然でしょ」
「はぁ? アンタがそれを言うわけ? 一年の頃にチョーシ乗ってたのはアンタの方じゃん」
「あ?」
「あーあ、それが今や、最底辺のいじめられっ子だもんねー? マジで、因果応報とはこのことじゃん」
「人のこと言えんの……? アンタこそ、自分のこと棚に上げて、よくそんな風に言えるもんだわ」
「はあ?! それだって元はといえば、アンタが私に突っかかってきたから——」
そこで二人が、ちくちく言葉の応酬をやめて僕の方を向いてきた。——というか結果的にそうなった。
口を挟めそうになかったので、僕が直接体を挟んだのだ。二人の間にある三十センチくらいの空間に向けて。勢いよく。
「——っ! はっ、はぁ?!」
「なっ、なに?! ——てか近っ!?」
「…………は? ……え、で、なんで黙ってんの??」
「…………いやマジで、てか、なんでそっち向いたまま??」
僕は——向き合う二人の間に横向きに体を挟んだ状態で、正面の誰もいないところを向いたまま、二人に語りかける。
「仲良くしなよ、二人とも……」
まずはそう僕が言うと、二人は条件反射のように僕にちくちく言葉を投げかけてきたので——
「まったく、どっちも屋上から飛び降りようとしてたくせに。——しかも、示し合わせたように同時期に。実は仲良いんじゃないの?」
しまった、最後の一言は余計だったかな。つい勢いで言っちゃったよ。
僕はあちゃーと思ってたけど、二人はどうやら、それどころじゃないようだった。
「なに、それ……」
「嘘、でしょ……」
なんて言って、お互い顔を見合わせるが——そこには僕がいる。
「邪魔……ってかアンタ! 普通それ言う!? あー言うよね! アンタはそういう奴だしね!」
「てかホントなの!? コイツも飛び降りようとしてたって?! それっていつ?!」
「それはだから、君が飛び降りようとしてた、そのちょうど前の日だよ」
「……ほんとなの?」
「……そうだよ」
「……」
「……じゃあ、アンタもなの? 本当に?」
「……うん」
僕はそこで、唐突に地面にしゃがみ込んで体育座りをした。
「うわっ、いきなりしゃがむなって!」
「ちょっ、今顔見えたら気まずいでしょ!」
「僕さぁ、思うんだよね……」
「……何?」「何なの?」
「ああ……タイミング逃したなぁって」
「なに——」「——が?」
「いや……二人の名前、聞いてないからさ。適当に呼ぶにしても、『黒髪ファサァ』と『出会って二秒で「死ね」女』はあんまりかなぁって」
「お前……」「……マジでさ」
上を見上げると、美少女二人が氷点下の眼差しでこちらを見下ろしていた。
うわ、この景色、すごいインスタ映えしそう。
「……てか『出会って二秒で「死ね」女』って……んふふ」
「はぁ? 『黒髪ファサァ』に言われたくないし! ……ふふふっ」
すると、二人は氷点下から一気に南国のような明るい笑顔に変わる。
——お、さらなる絶景発見。
「……言っとくけど、私もお前の名前知らないし。頭の中ではいつも『キチガイ』って呼んでるから」
「へぇ、シンプルでいいね」
「私は『イカ太郎』。解説は要らないよね?」
「つまり——腕が八本に見えてるってコト?」
「そういうとこだよ」
それからも僕らは、屋上に集まっては話をした。
二人はやっぱり険悪だったけれど……それでも回を重ねるごとに、徐々に険が取れていっているようだった。
別に、口では何の約束もしていないけれど、それでも僕たちは毎日のように屋上に集まっていた。
雨の日も、風の日も、寒い冬の日でも——僕は毎日、屋上に行った。
そしてまた、ある日のこと——。
僕は、楽しそうに二人で話す彼女たちを横から眺めていた。
最近はもう、僕が間に入らなくても、二人はお互いに普通に話していて——そして、笑いあっていた。
そんな様子を見ていると——僕の口からは思わずこんな言葉がまろび出るのだった。
「……ふっ、僕のお陰で、二人ともずいぶんと仲良くなったよネ」
「死ね」
「殺すぞ」
「……」
僕は黙って、その場でブルブルと震え始める。
「お、おっ……な、何を……? 何を考えているのっ、コイツ——っ?!」
「ああ——怖い怖いっ、何が来るのか全然分からないのが怖いぃ……っ!」
僕は渾身のボケを放った。
「嬉しくて……嬉しくて……震える……!」
「…………え、あ、西野……かな? だっけ? ……いや古くない?」
「…………いやおもんな。てかマジ古。ガチで、さむくて震えそう」
僕はフェンスに向かって歩き出す。
「……死にたくて、死にたくて、飛び降りる」
「いやそれシャレになんないから」
「あのさ、マジやめなよ、マジで」
すると二人が、そう言いながら僕の両腕を捕まえてきた。
初めて会った時とは、まるで別人のように丸くなった彼女たち。
……まあ、これでも丸くなってるから。たぶん。
ともあれ……この様子なら、もう大丈夫そうだね。
僕が屋上に来なくても、もう二人は飛び降りたりしないだろう。
僕はこれから先のことを考えて、そして、ふっ——と笑った。
「うわコイツ、なんかいきなり笑い出したし。こわっ」
「絶対なんかとんでもないこと考えてるって。きもっ」
僕は二人に向けて、宣言した。
「受験も近いし、僕もそろそろ本格的に勉強することにするよ。だから、屋上に来るのは今日で最後だ」
「……ふーん、そう。なんだ、アンタもそういうこと考えたりするんだ。え、めっちゃ意外なんだけど」
「まあ最近はもうだいぶ寒いし、いいんじゃない? じゃあ、次は図書室とかで集まる?」
「図書室かぁ……喋れなくない? まあ、仕方ないか。勉強するにはもってこいだし、そこでいいよ。——ね?」
「なら図書室で。……いいよね?」
二人は同時にこちらを見ながら言ってきた。
僕は答える。
「え、一緒に勉強するの?」
「は? 当たり前じゃん。なに言ってんの?」
「だからおもんないって。もうボケはいいから」
「いや、ボケじゃないんだけど……」
「はいはい、——んじゃ、明日から図書室集合ね」
「オッケー。……てか喋れないからメッセでやり取りしよーよ。つーわけで、スマホ、出して? はよ?」
「……そうじゃん。てかいまだに連絡先知らんとかウケる。——おい、ぼさっとしないで、早く出せって」
「スマホ持ってな——」
「嘘言うな殺すぞ」
「おもんないねん」
僕はしぶしぶ、ポケットから電卓を取り出した。
「??? なんでポケットに電卓入れてんの???」
「……………………ふふふふ」
「お前、笑っちゃ……ふふふ」
笑ったな? 僕の勝ちだ。
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