第四話 お題①[天使のくれたギフト]



 最近、どうもスランプ気味だ。

 先の展開を考えても、どうにも行き詰まってしまう。

 こういう時は、外を散歩するに限る。


 思い立ったらすぐ実行。

 私は素早く準備をすると、家から外に出た。


 ウチからすぐの所にある並木道は、春休み中のこの季節には、桜のピンクで一色に染まる。

 私は考えに没頭しながら、そぞろ歩きに道沿いを進んでいく。

 周囲には風に舞う桜の花びらがひらひらと綺麗な光景が広がっていたけれど、これだけ家から近いと感動も薄れてしまい、私にとってはすでに見慣れた風景の一部になってしまっていた。

 何より今の私には、散歩中に景色を楽しむような余裕はない。そもそも、桜を楽しむためにここを歩いているのではないのだし。


 そう、この散歩の目的はあくまで、今書いている小説のネタ出しだ。桜なんてのは二の次。

 新学期が始まる前に、出来るだけ書き溜めてストックを作っておきたかったのに……最近はどうにも筆の進みが悪い。


 私は小説を書く時、かなりメンタルに左右される方だった。

 調子のいい時はサラサラ書けるが、気分が良くない時はそもそも書く気にもなれない。

 あまりにもムラがあるもんだから、どうにかしたいとは自分でも思っているのだけれど……どうにも上手くいっていないのが現状だった。


 そうして書けない日が続くと、そのこと自体がプレッシャーとなって気分が落ち込み、さらに書けなくなるという悪循環。

 俗にいう、スランプ状態。

 今までも、軽く筆が止まることは何度かあった。だけど、それがここまで長く続くのは、私にも初めての体験だった。

 とはいえ、小説を書き始めたの自体が最近のことだし、それに私は、元々小説を書こうとこころざしてからもなかなか書けなかった人間だから……あるいはこれは、元の状態に戻ったと言うべきなのかもしれない。

 それはまさに、私が小説を書き始めた当初から、常に頭の片隅にあり、そしてもっとも恐れていたことだった。


 いまだに自分でも、どうやって小説を書いているのか分からない。


 ずっと、書こうと思っても書けなかった。

 自分の思い描く物語を書こうとして——設定や、キャラクター、世界観なんかを妄想して、それらをメモに書き出して……そこまではいくらでもできる。

 だけど……そこから先、いざ本文を書こうとしてみると——これがどうしたことか、さっぱり筆が進まない。

 さっぱりもさっぱり、マジで、最初の一文、いわんや一文字すら書けない。

 適当な文字をスマホを使い打ち出してみても、それもすぐに消すことになる。


 だから私はずっと、小説を、物語を書きたいと熱望しながらも、自分には小説を書く才能がないのだと思って、半分以上その夢を諦めかけていた。

 きっと……世にいる小説を書いている人には、みんな私と違い、小説を書くための才能が備わっているんだ。

 だけど私には、その神からの贈り物ギフトはもらえなかったんだ……。

 そんな風にいじけて、言い訳して、諦めようとして……。


 ……だけどやっぱり諦めきれなくて、思いつきをメモに書くという行為をやめられず、いじいじと続けていた——そんなある日。

 そう、本当にある日突然に、私は小説を書くことができた。書けるようになった。


 それがなぜなのかは……自分でも分からない。

 物語以前に文章を書く練習として毎日続けていた日記——あるいは、それが確かな経験値になっていたのか。

 もしくは、グダグダと書き連ねていたメモの山が、ついに実を結んだのか。

 それとも、書くためにはまず読むことだと手当たり次第に読書していた成果が、とうとう現れたのか。

 もちろん、その辺りの努力と呼んでいいのか分からないような足掻きの効果もたぶんゼロではない。

 だけど一番の理由はやっぱり……“彼女”と出会ったことだろう。


 その出会いのきっかけは、一冊の本だった。

 とても面白いファンタジー小説で、読み終わって興奮していた私は、内容を頭の中で反芻しながらも、その妄想はすぐに自分の作品のことに移り変わっていった。


 その小説は、ある日突然、女子高生が異世界に飛ばされて、苦労しながらもほとんど自分一人で困難に立ち向かいつつ身を立てていく、といった話だった。

 ——異世界と聞くと、最近流行りのWEB小説の系列かと思われるかもだけど、それは割と昔の紙の書籍だ。

 この小説を読み終わった私は、すぐに妄想に没頭し始める。——これはもはや、私にとって癖のようなもので、面白い小説を読んだ後の私はだいたいそうなる。


 ああ、私もこんな風な話を書いてみたいなぁ——だとか。

 さて、自分だったら、同じような展開で始まったら、その後は一体どんな風にストーリーを展開していくのだろう——とか。

 あるいは、もっとこうしたら、別の面白さが生まれるんじゃないか——なんて。

 そう考えた私に、その時、電撃のようにひらめきが舞い降りてきた。


 ——今思えば、あるいはあれこそが私にとって、神様からの贈り物ギフトだったのかもしれない。


 この主人公の女子高生、やたらと喋り方とか考え方とか堅いなぁ。いかにも気難しい性格って感じ。

 じゃあ、これをさ、逆にめちゃくちゃ軽い性格にしたら、全然違うタイプの話になるんじゃない?

 そう、それこそ——。


 ギャルとか。


 それが私にとって、“彼女”との出会い。

 その思いつきはいかにも面白くて、私の頭の中には次々にアイデアが生まれていった。

 そして居ても立っても居られなくなった私は、スマホを手にとって文章を打ち込んでいった。

 一番最初に書き始めたのは——キャラ設定でも、ストーリーの覚え書きでも、世界観の概要でも、思いつきのメモでもなく——一話目の本文だった。


 なにより自分自身が驚いていた。

 私が小説を——その本文を、ちゃんと書けている、という事実に。

 世界観も、諸々の設定も、ストーリーも、メインキャラクターの性格すら、まだ何もかも、書いてる自分自身ですら分かっていないのに。

 それでも書けた。

 それはひとえに、“彼女”のお陰だった。


 私の中のギャルのイメージ、ただそれだけを元に生まれた“彼女”は、私がギャルに抱くイメージ通りの性格をしていた。

 ノリと勢いで生きていて、細かいことは何も気にしないで、ひたすらマイペースに我が道を進む。

 そんな彼女に引きづられて——気づけば私は、タイトルも何もかもがまだ未定であるその小説の、第一話を書き終えていたのだった。


 私に必要なものを、“彼女”は与えてくれていた。

 すなわち、一歩踏み出す勇気。

 それまでの私は——プロットを最後まで綿密に組んで、世界観も細部まで作り込んで、メインキャラクターの性格をバッチリ把握して……と、そこまでしないと小説は書けないのだと思っていた。

 あるいは、最低限それくらいは出来ていないと書き始めてはいけないのだと、そう思い込んでいた。


 だけど、そんなことは全然なかった。まるで見当違いもはなはだしい。そんなものは見苦しい言い訳……。

 自分が小説を書けないことの、最初の一歩を踏み出す勇気がないことの、それは免罪符だった。

 まだ作り込みが足りないから、設定が煮詰まってないから、何かが足りないから……だから、書き始めることができないんだと。


 ……違う。

 足りないのは“始める勇気”、ただそれだけ。


 その時まで私にそれが出来なかったのは、確かめるのをずっと恐れていたから。

 いざ実際に本気で書き始めようとして、それでも全然書けなかったら?

 なんとか書いてみたとして、それが死ぬほどつまらない文章にしかならなかったら?

 自分には小説を書く才能がまるでないのだと、心底理解してしまったら……?

 私は、自分の夢を諦めることになる……。


 そんな私を、“彼女”はグイグイとそのパーソナリティで引っ張っていってくれたのだ。

 

 “いやいや、そんなんまずはやってみてからっしょ”

 “設定? 世界観? ……よー分からんケド、そんなん書いてから考えればよくね?”

 “てかさー、どーしてやる前から出来ないって決めつけてんの? 諦めたらそこで試合終了ですケド??”


 ……や、これ最後のはギャルじゃなくて安西先生だわ。


 ギャルのメンタリティは恐ろしいほどに強力で、私はこの主人公に導かれるままに、小説を書き綴っていった。

 そうして気がついたころには、すでに10万字を超える文章を書いてしまっていた。

 初めて書いた小説だし、勢い任せに何も考えずに書いていたから、諸々の設定もめちゃくちゃで、完成度も酷いものだったと思う。

 だけど私にとってそれは、とても大事な経験であり、成功体験だった。


 自分にも小説が書けた……!


 その結果以上に、私を呪縛から解き放つ事実はなかった。

 だって書けたのだから。

 もう書けない私じゃないんだ。


 それからは、ギャル主人公以外の作品にも挑戦して、そちらもちゃんと書き進めることができた。

 いよいよ私は、自分が小説を書ける人間なんだと実感できるようになった。

 書き始めた最初期の頃こそ、——明日になれば急にまた書けなくなるかもしれない……と思って、毎日寝るたびに戦々恐々としていたけれど。

 今ではそれもすっかり、書けるという自負で上書きされていった。



 ……されたと、思っていたのに。


 スランプが、私に恐怖を蘇らせてきた。

 また、書けない自分に、あの頃に戻ってしまうのではないかと。

 嫌だ、そんなのは嫌だ!

 私は小説が書きたいんだ! 他に何をするよりも、それに生きがいを感じてるんだ!

 私からそれを取り上げたら、私にはもう、何も残らないんだ……っ!


 だけど今の私は、すっかり負のスパイラルにとらわれてしまっている。

 一体どうやってこの悪循環から抜け出せばいいのかと……考え続けても、答えは見つからない。


 ぐるぐると、歩き続ける。

 思考もいつの間にかループしているみたいに、ずっと同じことを考え続けている。

 ——やっぱり私には、才能なんてなかったんだろうか?

 ——小説が書けたと思ったのはただの偶然で、これまでがたまたま上手くいっていただけだった……?

 ——なけなしの才能を、すでに使い切ってしまったのかも……。


 一度マイナス思考におちいると、どんどん負の考えが頭を埋め尽くしていく……。

 “元から才能なんてなかったのさ”

 “小説を書けるのは、一部の選ばれた人間だけさ”

 “小説なんてもんを書いて、一体どうするつもりなんだ? そんなこと、なんの意味もないってのに”

 “プロになれれば、ってか? おいおい、現実を見ろよ”

 “小説家志望の中でプロになれるのは一体どれくらいだと思う? だいたい、プロの中でも小説家一本で食っていけるのは、ほんの一握りしかいないってのに”

 “そもそも、まだろくな作品も書けてないようなヤツが、プロとか言うのはお笑いだぜ”

 まるで悪魔のささやきのように、私の中の“ソイツ”は、私を負のどん底に突き落とそうとする……。


 “いいや、オレはお前の本音を代弁しているだけさ”

 “すべてお前が、心の中ではうすうす思っていることよ”

 “オレはそれを、浮き彫りにしているだけ”

 “本当はお前自身が、誰より分かっているんだろう……?”

 “何もない自分が、認められたくて小説なんか書き始めて……それがそもそもの間違いさ”

 “最初から持ってるやつが書くんだよ、小説ってのはな。持たざる者は何も書けねぇし、書いたって面白くねぇんだよ”

 ——黙れ……黙れ……!

 “そんなヤツの書いた小説なんて、誰も読まないし、評価もされない。——ぜーんぶ無駄なんだよ”

 ——黙ッれぇ……ッ!!


 何もないなんて……そんなの自分が一番よく分かってるんだよ……!

 だけど、それでも……! 誇れるものが欲しくて、変わりたいと思って、小説が書きたいと思ったから、それが私の夢だと信じてたから……ここまでやってきたんだよ……!


 だけど、やっぱり私は……しょせんは何者にもなれない、アマチュア小説家未満の、クソザコ高校生だってのか……。

 才能があると思いたかった。自分の進むべき道はこれだと信じたかった。

 私にも、物語を生み出すという“奇跡”が使えるんだと、そう……信じたかった。

 そんなのは……私のただの思い込みでしかなかったのか……。


 足が、止まった。

 私の頭の中に、「諦める」という三文字が浮かんだ。

 ……もう一度、私の中の“彼女”に、その言葉を否定してほしかった。

 だけど……いくら待っても、私の頭の中に、あの元気のいいギャルの声が響くことはなかった。

 それが何よりの、終わりの証明——。


 ふと視界に動くものが映り、目で追うと、猫が道路の方に進んでいた。

 同時に見えたのは、そこに向かってくる乗用車。


 普段の私ならそんなことはしない。だけど、今の私は何者でもない自分が何よりも嫌だったから。

 ——物語の主人公ならきっと、ここで猫を助ける。


 私は車道に飛び出した。


 そして——。






 ゴシャ——という音が、自分の頭の中から聞こえたような気がした。



 ◇


 ◇


 ◇



 気がついたら私は、半透明になって宙に浮いていた。


 目の前の道路には、頭から血を流した高校生くらいの少女が地面に倒れ伏していた。

 見覚えのある服に、帽子に、靴に、肩掛け鞄……。

 それは私だった。


 体の感覚はないが、頭の中はやけにクリアだった。

 不思議と混乱することもなく、すぐに理解した。

 私は猫を助けようとして車道に飛び出して、車にかれた。

 ——そうだ、猫は……?


 周囲を見渡すと、猫はすぐに見つかった。——無事だ。

 私はとりあえず、ホッと胸を撫でおろす。

 あの猫も犠牲になっていたら、本当に、何のためにこんな無謀な行動をしたのかが分からなくなる。

 ……ん、でもおかしいな、さっきからあの猫、全然動かないんだけど……?


 すると、猫に注目する私の——その視界の中に、舞い落ちる桜の花びらが映った。

 しかし、その花びらは空中でその場にピタリと静止しており、微動だにしなかった。

 ——これは……。


 意識してみると、空気の流れがまったくないことに私は気がついた。完全なる無風状態。

 音も一切しない。完全なる無音だ。

 いや、そもそも今の私は体が無いから、それらを感じることができないのか?

 いや、だとしても、これは……。


「まあ、体も無いけれど、というより、時間が止まっているんだよ」


 急に後ろから声をかけられて、私は驚いてそちらに振り向く。


「——より正確にいえば、止まっているというより、元よりこの次元空間には時の流れというものが存在しない、というか……。まあ、説明しても君には理解が難しいたぐいの話なんだけれどね」


 そこには私と同じように、男の子が宙に浮いていた。

 しかし男の子は私と違い、半透明ではなかった。

 だけどその男の子にも、普通の人間とは大きく違う部分があった。

 なぜなら、——頭の上に光る輪っかがあって、背中から純白の翼を生やしていたから。


 そこにいたのは一見して、ザ・天使って感じの子だった。


 私は瞬時に悟った。

 ——お迎えが来た……。

 不思議と私は、自分が死んだということを納得していたというか、取り乱すことはなかった。

 それはまるで——生への執着は、それを宿した肉体ごと、地面に横たわる私の方に置き去りにしてきたかのようだと……ふと、そんな風に思った。


 とはいえ色々と疑問がないわけではないので、私は天使っぽい彼に対して、矢継ぎ早に質問などをしようとしたが——。


「ああごめん、話すなら、まずは座って落ち着いてからにしませんか?」


 そうなだめられて、私は彼の導きに従い、道路を挟んだ向こうにあったカフェテラスに腰を落ち着けた。

 彼も私の向かいに座り、そして何やら虚空に向かって指をひらひらさせる。

 ややあって彼は、


「とりあえず、ピザをデリバリーしました。——すぐ来ますので」


 と言った。

 すると本当に、よく見るデリバリーの箱入りのピザがこの場まで運ばれてきた。

 ……箱に生やした翼で、自分で空を飛ぶことによって。


 「さて、きたきた」天使くんはさっそく箱を開けて1ピースを手に取ってから「あなたもどうぞ、お好きなものを取っていいですからね」と私に言ってきた。

 ピザはどうやら、色々な種類のものが一枚に合わさったミックスピザのようだった。

 ——美味しそう、だけど……。


 なんでいきなりピザを頼んだんだろう……? と疑問に思いつつ、天使くんに勧められてもなお手をつけようとしない私に、彼は続けて言う。


「遠慮しないでいいですよ、僕が一番好きなのは最初に取ったので」

「あ、いえ、そうじゃなくて……。これって、食べたらあの世に定着しちゃうやつというか……、いわゆる、『よもつへぐい』ってやつなんですよね……?」


 私がそう言うと、天使くんは意外そうな顔をした。

 

「おや、若いのによく知ってますね、そんな知識」

「い、いえ……。私、こう見えて一応、物書きの端くれなんで、なんて……へへへ」


 すると天使くんは興味をひかれた様子で、話に乗ってきてくれる。


「へぇ、そうなんですか。どんなものを書いているんですか?」

「気になりますか? あ、なら、読んでみますか……?」

「いいんですか? じゃあ読みたいです」


 私はその言葉にはやる気持ちを制御して、鞄からスマホを取り出す——と、


「——うわ、画面バキバキだ……」


 スマホの画面は完全に割れており、本体にもひび割れが広がっていた。

 そこで天使くんが、私の手元のスマホを見ながら聞いてくる。


「その機械で読めるんですか?」

「あ、はい。でもこれ、壊れちゃってる……」

「ちょっと貸してください」


 そう言われたので、私は天使くんにスマホを渡した。

 彼はスマホを、その小さな手で包むようになぞった。すると——彼にひと撫でされたスマホは、まるで新品のように綺麗に直っていた。

 ——ッ!?


「よし、直った。——じゃあさっそく、読ませてもらいますね」


 私が驚きから立ち直る前に、すでに天使くんは私のスマホを操作して小説投稿サイトのアプリを開いて、私が初めて書いたギャル(が主人公の)小説を読み始めていた。


「あらすじは……と。へぇ、最近流行りの異世界転生——いや、転移ですか。しかしどうも、主人公がかなり特殊みたいですねぇ……面白い」


 実は私は、目の前で誰かに自分の小説を直接読んでもらうのはこれが初めてだった。

 もちろん天使と会うことも初めてだったし、臨死体験をするのも初めてだったけれど、私にとってはそれらの事項よりもこっちの方がだんぜん重要な事柄だった。

 なので私は緊張のあまり、口からはよく分からない質問を発してしまう。


「そ、そういえば、異世界転生って本当にあるんですか……?」


 私の問いに、天使くんはピザを食べつつ画面を眺めながら、「ありまふよ」そこでピザを飲み込んで「っぅん——まあ、チートで無双とかはほとんどないですけどね。あくまで輪廻転生の一環ですわ。前世の記憶も普通は無くなりますし」とか言っていた。


「そ、それで……読んでみた感想は、ど、どうですか……?」


 私が意を決してそう聞いたら、彼はちょうど笑いどころを読んでいたのか、クスッと笑ってから、


「んふ、そうですね、こんな語り口の一人称は初めて見ましたよ。——ウケる」


 と言って、また笑った。


 天使くんはそれから、もの凄い勢いで私の小説を読んでいった。

 途中途中で、彼が独り言のようにこぼす感想に——「うーん、この剣くん、いいなぁ、いい相棒だわ。いや、剣だから愛剣か」「ろくな人間がいないなぁ、コイツら全員ぶっ殺しちゃえばいいのに」「このネズミもいいキャラしてるよ。——ちょっとこの辺長いけど、でもギャグはいい」「お、いよいよ主人公の本領発揮か。やっぱ無双シーンは見てて楽しいね」「この販売員やり手だなぁ。あーしちゃんまんまと買わされてら」「怪しすぎるだろ、この占い師。絶対後で裏切るよね?」「てか名前www」「おいおい、のっけからめっちゃ飛ばしていくね、この章。一気にキャラ出過ぎじゃね?」「うーん、今んとこあーしちゃんの出番があんま無いけど、この精鋭冒険者たちもなかなかやるよ」「そろそろ無双シーンくるか……?」「へー、コイツそーやって倒すんだ。魔法ってやつは便利だな……。それで、この子が仲間になる子かな?」「やっぱメンタル強いなこの主人公」「この技は……! 僕知ってるぞ、DBドラゴンボールだ!」「——ちょっ、この銀髪って……」「え、仲間になるのってコイツなの……?」「おいおいおいおいおいおいおい、死んじゃったぞ……???」「……ほう、そうきたか」「いや名前wwwww」「——結局死んだのはアイツだけか。いやでも、復活フラグは立ってるよね? これ復活くるよね? ね?」「……終わりか。ふぅ……面白かった」——私も毎回独り言のように相槌を打ちながら、彼が読み終わるまでの様子を見守っていた。


 読み終わって、スマホから顔を上げた天使くんは、


「で、続きは?」


 と言った。


「えっと、まだ書けてなくて……」

「頭の中にはあるんですか?」

「まあ……」

「ふむ……そうか」


 そこで彼は何やら、考え込むような様子で視線をあらぬ方に——というより、道路に横たわる私の肉体の方に——向けていた。


 そのまましばらく待っていたけど、天使くんは考え込んだままだったので、私はとうとう耐えきれなくなって彼に話しかける。


「あ、あのっ! そ、それで、どうでしたか? 面白かったですか……?」

「面白かったか、ですって……?」


 ごくり——、私は唾を飲み込んだ。——霊体だけど。


「——そりゃあもちろん、めちゃくちゃ面白かったですよ! 最高です!」

「あ、ありがとうございますっ!」


 う、めっちゃ嬉しい……!


 それから私は体に満ちていく興奮に身を任せて、天使くんに感想を聞いていく。

 天使くんもテンション高く、楽しそうに私の質問に答えてくれる。


 そして私は夢中になってしばらくの間、自分が書いた小説について目の前の読者ファンと語り合った。


 一通り語り終えたと思ったところで……ふと、天使くんが上を向いた。


「ああ、どうやら時間のようですね」

「時間……?」


 ……ああ、そうか、ついに私があの世に逝く時が来たのか……。


「あ、いいえ、そっちの時間じゃありませんよ。——というか、そもそもあなたは死んでいませんし」

「……えっ?」


 だ、だって、車に轢かれたし、霊体になってるし、それに、あんなに頭から血が……。


「頭の怪我は出血がひどく見えますからね。実際は、外傷はそんなにひどくないし、あとはただの脳震盪のうしんとうです。——まあ、多少の記憶障害もありますが……それも軽度ですし。それに……怪我に関しては、僕が治してあげますから」

「え? な、治す……?」


 言うが早いか、彼は道路に倒れる私に手を向けた。

 すると——その手から暖かな光が発せられて、私の肉体に降り注いでいく……。


「あなたの頭の中には、大事な大事な、“物語の続き”が入っているんですから。壊れてもらっちゃ、僕が困りますからね」


 そう言って彼は、私にとびきりのウィンクを一つ、よこしてみせた。


「自信を持ってください。あなたの書いた物語は、この天使をすら唸らせる一作ですよ」

「えっ、でっ、でも、どうし——てっ、でもっ、天使さんは、なぜここに?」

「あ、僕はただのサボりです。たまたまこの辺に来たら、あなたがいたんで、暇つぶしにカフェに誘っただけです」

「えええっ?!」

「それじゃ、さようなら、未来の作家先生。空の上から、僕もあなたの作品の続きを待ってますので」


 その頃には、私の意識はなんだか遠のいていくような感覚がしていて……お別れの時が近いことが分かった。


「て、天使さんっ! あのっ、ありがとうございました……!」

「いえいえ、これも何かの縁ですよ。——それでは」


 そこで私の意識は暗転する——。



 ◆


 ◆


 ◆



 気がつくと、私は病室らしきベッドの上に寝ていた。


 ……なんだか、とても不思議な夢を見ていたような気がする。

 私の書いた小説を、誰かに読んでもらって——それも、に読んでもらったような、そんな気がする……。


 なんだか今は、謎の自信が身体中に溢れているような、そんな感覚がする……!?


 おかしいよね、私、車に轢かれて、大怪我してここに運び込まれたはずなのに。

 ……ん、いや、状況から見れば確かにそのはずだけど、やけに冷静というか、意識もはっきりしてるし、事故の直前の記憶もバッチリ残ってる。

 まるで、、頭も痛くないし、健康そのものみたいなんだけれど……?


 私はベッドから半身を起こして、周囲を見渡す。

 するとベッドのすぐ横の机の上に、私のスマホがあった。

 すぐに手に取り、執筆アプリを起動する。


 なんだろう、今、すっごく創作意欲が湧いてきてて、止まらない……!

 まるで生まれ変わったみたいに、頭の中からとめどなくインスピレーションが湧き出てくる。

 なぜだろう? 死にかけたからだろうか。

 ——そうだ、今の私はまだなんの作品も書ききってない、何者でもないのだ。


 少なくとも『ギャル剣』を完結させるまでは、死んでも死ぬわけにはいかない!


 だって私には、待ってくれている読者ファンがいるんだから。


 もう私は迷わない。


 きっと小説を——物語を、最後まで書ききって見せる。

 

 

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