第二話 お題②[黒白の行方]



 登り始めた太陽が、たなびく雲海よりその顔をのぞかせると、雲より高いその山のいただきに覆い被さっていた夜の残滓ざんしが、ようやくのこと吹き払われていった。


 現れた山頂にわずかに存在する開けた平地には、二人の人間がいた。


 白い髪が特徴的な、その男の名は白虎バイフー

 その背丈は、平均的な大人に比べれば若干低い。しかし、その体を構成する筋肉は、まるで猫科の動物を彷彿とさせるしなやかさを備えており、非常によく鍛えられていた。

 彼の肌は髪と同じくらいに白く、中性的な顔立ちの中に異彩を放っている紅い瞳と合わせて、どこか神秘的な雰囲気をまとった青年だった。


 その白虎に対峙するもう一人、彼とは対照的な黒い髪を持つ、こちらの男の名は黒龍ヘイロン

 高い背丈にがっしりとした体つき。その上で、全身の筋肉は一分の隙もなく鍛え上げられている。

 まだ若い白虎と同世代でありながら、実績に裏打ちされた自信をまとう彼は、すでに一角ひとかどの武人としての貫禄を備えていた。


 白虎は黒龍をこの場に呼び出していた。——ある重要な話をするために。

 それは——自分と、そして相手のこれから先の未来を決める、とても大切な話だった。


 先に口を開いたのは黒龍だった。


「……まさか、この場所に呼び出されるとはな。——それで、話とはなんだ、白虎。なにやら大事な話とのことだが……実は俺も、明日は非常に大事な用があってな。他ならぬお前の頼みであったから、ここまでやってきたが……準備もあるから、出来れば早く済ませてもらいたいのだが」


 どことなくそわそわしながら、黒龍はそう言った。


「この場所を覚えているか、黒龍」


 しかし、そんな彼の様子にまるで構わず、白虎は周囲を見渡しながらそう言った。

 その、本題とは違う話から入りそうな白虎の様子に、黒龍は若干苛立いらだった。

 しかし、相手の気持ちもなんとなく察したので、すぐに苛立ちを収めると、感慨深げに答えた。


「もちろん……忘れるわけがない」


 そう、この場所は、この二人にとって特別な場所だった。

 さらに黒龍にとっては、違う意味でも特別な場所だった。——なぜなら、明日の用事の際にも、この場所に来るつもりであったからだ。


「懐かしいよな。あれからどれくらい経ったか……そう、オレたちが初めてここに来た時なんて、まだほんのガキで——」

「いや、すまん、今は正直、お前と昔語りをする気分でも、そんな時間もなくてだな。悪いが、さっさと本題に入ってくれるか」

「……そうか」


 話の途中でばっさりと切られて、少しばかり落ち込んだ様子を見せる白虎。

 しかしすぐに気を取り直すと、本題に入る。


「前回の“大武闘会”では、優勝おめでとう」


 大武闘会は、この地域一帯の武人が集結し覇を競う大会だ。

 ここにいる白虎と黒龍も武人である。それどころか、二人は「西の白虎バイフー」、「東の黒龍ヘイロン」と呼ばれるほどの実力者で、若手の中では並ぶ者なしと言われていた。

 事実、二人は他のすべての参加者を圧倒し、同大会の決勝戦で相見あいまみえることとなったのである。

 実力者二人の白熱した勝負は大いに盛り上がったが……結果は僅差で黒龍が勝利したのだった。


「大会の時には言えなかったから、な……」

「ああ……ありがとう」


 そう返事をしつつも、黒龍は内心で疑問を抱えていた。

 白虎とは長い付き合いで、その内面もよく知っている。なので、白虎が自分に負けて惜しくも二位という結果に終わったからといって、ひがむような男ではないと知っていた。だから賞賛されること自体は、なにも不思議ではない。

 しかし、それを伝えるためにわざわざこの場所まで来た理由が、黒龍には分からなかった。


「あの時の戦いで、オレは理解した。お前との間にある、埋められない差というものを……。だがオレは、お前に勝たなければいけない。そうしないと、オレは先に進めないんだ……。だからオレは、お前に勝つために、手段を選ばないことにした」


 白虎バイフーの真意が分からずいぶかしんでいた黒龍ヘイロンだったが、白虎がなにやら不穏なことを言い始めたので、慌てて口を挟む。


「待て白虎、それは一体……」

「なあ、黒龍。お前、何やら明日は大事な用があるらしいな……」

「そ、そうだが」

「それは、どんな用事なんだ? オレに教えてくれないか」

「なっ……なぜだ?」


 いきなりそんな事を言われて、黒龍は動揺していた。

 だが次の白虎の言葉で、黒龍はさらに大きく動揺することになった。


「言いたくないか? ならばオレから言おうか」

「えっ」

「お前は明日、ここに彼女を連れ出すつもりでいる……そうだな?」

「なっ!?」

「彼女——小猫シャオマオを」

「なっ、なぜそれを——?!」


 ——知っているのか。

 いや、知っているはずがない。そうだ、その事は、自分と彼女の二人しか知らぬはず。

 しかし白虎は、それを知っていた。

 ということは……??!


 黒龍の頭の中は、もはや混乱状態におちいっていた。

 そんな黒龍を追い詰めるように、白虎は畳みかける。


「どうして彼女とここに来る必要があるんだ? なあ、黒龍」

「し、知ってどうする? ——というか、俺が彼女と会う約束を、なぜお前が知っている?! いや、そもそも、お前も小猫のことを知っていたのか……? お、お前は、小猫と一体どういう関係だ!?」

「……知りたいか?」

「っ——」


 そう言われて、思わず息をのむ黒龍。


「教えてやっても、いいぞ」

「っ! 本当かっ?!」

「ああ。——ただし、教えるのは、さっきのオレの質問に、先にお前が答えてからだ」

「なっ……」

「そうしたら教えてやる」

「ぬぅ……」


 黒龍は逡巡しゅんじゅんする——できることなら、言いたくなかった。

 だがそれでも、知りたいという気持ちが上回った。


「……分かった、言おう。彼女——小猫とここに来たかった、その理由は……」

「理由は……?」

「……彼女に、俺の想いを伝えるためだ」


 そう、黒龍ヘイロンは、小猫シャオマオという少女に恋をしていた。

 そして明日、他でもないこの場所で、ついにその秘めた想いを、彼女に伝えるつもりだった。


「やはり……そうか」

「……それで、お前はなぜ、彼女の事を知っている?」

「……黒龍、オレはどんな手段を使っても、お前に勝利する……」

「……なにを言っている? おい、白虎、ちゃんと答えろっ——」

「そう——例えそれが、恋愛という名の勝負であっても、勝ちは勝ちだ……」

「な、に……? ——ま、まさかっ?!」


 その時、黒龍の脳内に、気づきという名の衝撃が走り抜けた。


「白虎、まさかお前、——いや、、なのかっ……!?」


 そうだ……。


「お前も、小猫シャオマオのことを……! お前も彼女に懸想けそうしているのかっ——!?」


 だとすると……。


「白虎、貴様……っ! よもや、彼女の愛を勝ち取った者が勝者だと……これはそういう勝負だと、そう言いたいのか……っ!?」


 もはや悲鳴のような声で、黒龍はそう叫んだ。


 まさか、一世一代の告白の前に、そんな障害が立ちはだかるとは……。

 女性へ想いを告げるなど、黒龍にとっては今回が生まれて初めての経験だった。

 普通に告白するだけでもいっぱいいっぱいなのに、その上さらに恋敵こいがたきまで現れようとは——一体どうすれば……?!

 黒龍の頭の中は、もはや混乱の極地にあった。


 しかしそこで、その混乱すら吹き飛ばすような出来事が起きた。

 黒龍の目の前で、おもむろに白虎が服を脱ぎ始めたのである。


「…………えっ?」


 思わず疑問の声を漏らす黒龍。

 しかし白虎は構うことなく服を脱いでいき、ついに下着だけになった。


「えっ、えっ……な、なんしよん、お前……???」


 そう問いかけるも、白虎は答えない。

 服をすべて脱いだ白虎は、続いて脱いだ服とは別の服を取り出して、そちらに着替えていく。

 着替えが終わると、そこには——女装した白虎が立っていたのだった。


 ——??????


 黒龍の頭の中は、もはや疑問で埋め尽くされていた。

 だが、すぐにとんでもない事実に気がつく。

 白虎が着ている服は確かに女物の服だった。しかし、ただの女物の服ではなかった。それは、黒龍にとって女物の服だった。

 というより、それは——。


「——小猫シャオマオ、の、服……?」

「よく見ておけ、黒龍ヘイロン。——これが答えだ」


 そう言って白虎バイフーは、何かを口に含むような動作をした。

 するとすぐに、白虎の体がなにやら発光し始める……。

 そして光が晴れると、そこにいたのは、白虎よりも一回り小さい、華奢きゃしゃで可憐な少女だった。


 それは、黒龍のよく知る少女だった。

 髪や瞳の色が、自分の知っているそれと違う色をしていたが、その愛らしい顔立ちと、なによりその身にまとう雰囲気は、間違いなく自分が想いを寄せている少女のものであった。


シャオマオ……」

「これが“答え”だよ、黒龍ヘイロン



 ——————

 ————

 ——


 ◇


 大武闘会で黒龍ヘイロンに負けた白虎バイフーは、思い悩んでいた。

 敗北の悔しさよりも彼をさいなんだのは、黒龍に——自分のかけがえのない好敵手親友に、このままでは置いていかれるのではないかという焦燥だった。


 僅差だった。黒龍も周囲も、決勝での戦いをそう評価した。

 しかし、他でもない、戦った本人である白虎には分かっていた。

 その僅差の内には、埋められない大きなへだたりがあるのだと。


 あるいはこれは、始まりなのだと。

 ここから先、黒龍との実力差は開くばかりで、これから一生、追い抜くことはおろか、隣に並び立つことすらできない。

 それは白虎にとって、何より大きな絶望を与える未来予想だった。


 大会の後、白虎はひたすら苦悩した。

 思考はかげり、技は鈍り、集中を欠く——悪循環だった。

 もはや、自分ではどうしようもない……。


 そう思うほど追い詰められた、そんな白虎の前に、一人の人物が現れた。


 ◇


「袋小路か、お若いの」


 山奥で一人、修行に打ち込んでいた白虎は、かけられた声にハッと周囲を確認した。


 ——誰も、いない……?


「教えてやろうか? おぬしの苦悩を断ち切る、その方法を」


 その声は、すぐ後ろから聞こえた。

 バッ——と振り返る。

 しかし白虎の後ろには、誰もいない……。


「簡単なことじゃよ。勝てぬことに苦悩するなら、一度勝ってしまえばいい」


 ——また、後ろっ……!

 振り返る視線はしかし、声の主の影すら捉えられない。


「お前はまず、の者への歪んだ執着を捨てねばならん。だが、それが簡単に出来ぬゆえに苦悩していることも、分かっている……」

「知ったような口を! そもそも貴様は誰だ! どこにいる!?」

「ならばやはり、執着の元を解消するしかない。お前の心に巣食うその“敗北感”を消すには……もはや、勝利する以外に道はない」


 そんなことは、言われなくても分かっていた。

 だが、それが出来ないから苦悩しているのだ。

 だからもう、どうしようも……。


「重要なのは勝つこと。その結果であり、過程はどうでもよい。さらにいえば、勝負の内容もまた、重要ではない。重要なのは、お前が相手に『勝った』と思えるだけの結果を得ることであり——その過程、取りうる方法は問題ではないのじゃ」


 方法は問題ではない……?


「武を競う以外の方法で勝利するのじゃ、白虎。さすればお前は、自分を苦しめるその執着より解放され、そしてその時こそ、お前は真に歩むべき自分自身の正道を歩めるようになることじゃろう」


 それは、目からうろこの提案だった。

 ずっと武で競ってきた。だから武で勝たないといけないと思っていた。そして、それは不可能だと、他でもない自分自身がすでに諦め始めていた。

 だが、それ以外の方法でいいとなれば、方法は、ある……?

 いや、しかし——。


「……武を競う以外に、何がある? 一体なにでまされば、ヤツに——黒龍ヘイロンに勝ったと、オレ自身、思うことができる……?」


 そう、白虎バイフー黒龍ヘイロンも武人なのだ。ならば当然、競うべきはおのれの武術であり、それ以外はありえない。

 お互いに武を極めることに人生を賭ける求道の士なのだ。他に勝利と呼べるものなど、あるわけが——。


「——いいや、ある」


 ——っ、あるのか?!

 ——……いや待て、オレは今、口に出していたか……?


「これで勝れば、確実に“勝利した”と思える分野が、武を競う以外にも、一つだけある……」

「そ、それは……?」

「それはな……恋愛じゃ」

「え?」

「ほれ、よく言うじゃろう? 『恋愛は惚れた方が負け』とか、なんとか」

「いや、まあ、うん」

「つまり、そういうことじゃ」


 恋愛の分野で勝負する……。

 それは……どうやって??


「それは、つまり……黒龍が惚れた女を、オレが横取りして射止めろということか? ——そんなやり方、オレは……」白虎は顔をしかめる。「いや、そもそも、黒龍に意中の女がいるのかどうかすら——」

「違う。お前じゃ、白虎」

「は? オレ?」

「そう、お前自身が、黒龍というその男を惚れさせるのじゃ」

「……お前は何を言っている? オレは男だし、黒龍も男だぞ? もちろん、オレは男色家ではないし、……聞いたことはないが、黒龍もおそらくはそうだろう」

「そんなことは分かっておる。誰も男のまま惚れさせろとか、そんな気色悪い——んんっ——ではなく、無理難題をしろとは言っておらん」

「……? では、どうしろと?」

「簡単なことよ。白虎、お前が女になればよい」

「……は?」

「わしが手を貸してやるでな、方法なんぞについては心配せずともよい。必要なのは覚悟だけじゃ。……それで、どうする?」

「……馬鹿らしい」


 少しでも本気にした自分が馬鹿であった。

 そもそも、自分は一体誰と話しているというのか。修行に行き詰まり過ぎて、ついに幻聴まで聞こえるようになったか。

 ため息をつき、白虎は雑念を振り払うようにかぶりを振った。

 それからまばたき——白い髪に白い髭の老人の姿——一つの間に、目の前に人が立っていた。


 いきなりの出現にギョッとして——しかしすぐに、圧倒された。


 ——強い……!


 まず感じたのは、その身から放たれる圧倒的な武威。

 おのれも、黒龍ヘイロンも——いや、今まで見てきたどこの誰よりも、目の前の老人は強い。

 圧巻——まさにその一言に尽きる。


「最初から姿を見せなんだのは、余計な印象を与えずに、わしの“問いかけ”そのものに集中させたかったからじゃ。

 ——これ、この通り。わしが姿を見せれば、そなたが萎縮してしまうと分かっていたのでな。そんな状態で話しても、ろくに理解することはできぬ。

 だが、今のそなたなら理解できておるはずじゃ、わしの言っていることに間違いはないと。

 白虎よ……いま一度問うぞ。おぬしは、わしの言葉を信じて、黒龍への執着を断ち切るために、女になって黒龍を惚れさせる……その覚悟があるか?」


 正直、なにを言われているのか——いきなり現れた謎の老人の威容にのまれていた——白虎は理解できていなかった。

 だが、なにか重要な選択を迫られていることは分かった。

 そして、ずっと闇の中で苦しみもがいているかのような心境だった白虎には、これが救いの糸のように感じられた。

 なんとしてでも今の状況を変えてやりたいと思っていた白虎には——その糸を掴まないという選択肢はなかった。


 ◇


 謎の老人——老師は、最後まで正体を明かさなかった。

 しかし、その実力は白虎バイフーから見ても確かであったし、なにより——その威容に圧倒されて思わず応じてしまったとはいえ——一度やると言ったことを覆すようなことは、男としてするつもりはなかった。

 たとえその内容が、「女になること」だったとしても……。


 老師から渡された謎の丸薬を服用すると、白虎はあっさりと自身の性別を変化させることに成功した。

 背丈は一回り縮み、骨格、体つき、そして顔立ちと……諸々が女性のそれへ変わる。

 ——さらに老師は、“変化の術”により、白虎の特徴を残す、その目立つ白髪と紅眼を別の色に変えた。


「今よりお前は白虎バイフーではない。では……ふむ、そうじゃな、小猫シャオマオとでも名乗るがよい」


 これが、白虎バイフー——改め小猫シャオマオという少女が誕生した瞬間だった。



 小猫シャオマオとなった白虎が最初にやったことは、女性の体に慣れることだった。

 最終的な目標は「黒龍ヘイロンを自分に惚れさせること」だったが、そのために必要なのは、まずは自分が女性というものに“なりきる”ことである。

 なので、老師は小猫に「本物の女性にまざり、その生態を学べ」と言った。


 そのげんに従い小猫は、さっそく市井しせいに出向いた。

 最初に女物の服を買うことから始まり……。

 道ゆく女性を観察し、時に話を聞き、話しかけ、いつしか自然に話し合いに自分も混ざれるようになり……。

 そうして何人かの女友達ができた頃には、小猫はすっかり女の世界に馴染んでいた。


 短期間でそこまで出来たことに、白虎は驚きつつも、そうせざるを得なかった自分を思えば、それは納得の結果でもあった。

 ——人間、必死になれば、どんなことでも出来てしまうものだ。

 

 男に戻るには、また例の丸薬に頼る必要があるが、それは老師が握っている。

 そして当の老師は、小猫白虎が目標を達成するまでは、それを渡す気はないと態度で示している。

 ——事ここに至っては、もはや全力でやるより他になし。


 なりふり構わぬ必死の行動の成果によって、もはや一人の女性として違和感のない振る舞いを身につけた小猫。

 老師のお墨付きを得た彼女は、それからさっそく、本丸である黒龍の攻略に取りかかった。


 ◇


 ここで黒龍ヘイロンという男について、彼の成り立ちに関して少し触れておく。


 彼は物心ついた頃から、すでに武人として身を立てる覚悟を決めていた。

 早々に武門に入門してからは、以来ひたすら、武術の修行に打ち込んだ。

 すべては強くなるため。それ以外のあらゆることは些事である。

 そんな黒龍のひたすらにひたむきな姿勢は、着実に彼の実力を伸ばしていった。——それこそ、くだんの“大武闘会”で優勝してしまうほどに。


 しかし、その代償として、彼には足りないものがあった。——とある分野においては。


 大武闘会で優勝した黒龍は、一躍時の人となり、多くの者が彼の元に詰めかけた。

 そしてその中には、この新進気鋭の若き俊英を射止めようとする、多くの年頃の娘さんたちも含まれていた。

 しかし黒龍は、そんな彼女らにまるで取り合わなかった。

 当の娘さんたちには、そんな黒龍のそっけない態度もむしろ好ましく映ったようだが……彼にはそうする理由があった。いや、むしろ、そうせざるをえなかった。


 端的に言って、黒龍は奥手だった。

 女性に免疫がまるでなかった。

 武門の中で——つまりは周りを男たちに囲まれた中で——ひたすら修行にばかり明け暮れていた黒龍である。

 生来の性格としても、恋愛観において彼は硬派な気質であったし、さらにはそれに加えて、このような同性ばかりの環境下で長いこと過ごしたとあっては、女性への接し方が分からなくても仕方がないといえた。


 だが、しかし、しかしである、そんな黒龍にも、ついに春が訪れたのだ。

 その少女は、女性が苦手な黒龍でも、なぜだか普通に接することができた。

 それは——自分の得意分野といえる武術に関する話題が、彼女には通じたからかもしれない。

 それは——相手の少女が、まるで、彼のことをよく理解していたからかもしれない。

 あるいは……奥手な黒龍に——ともすれば、武人としての圧を知らず知らずのうちに放ってしまうこの不器用な男に——それでもめげることなく接するだけの器量実力と理由が、彼女にはあったから、なのかもしれない。


 ともかく、それまで数多あまたの女たちがどれだけ攻略しようとしても、ついに落とすことの出来なかった黒龍という牙城を、その少女は突き崩すことに成功したのである。


 黒龍ヘイロンは彼女のことを、自分の運命の相手だと思った。

 ——端的に言えば、ベタ惚れだった。

 幾度となく逢瀬を重ね、そしてつい先日——いまだ手を繋ぐことすら覚束おぼつかない有様なれど——いよいよ彼女に想いを伝える時がきたと、黒龍は思った。

 だから彼女に——小猫シャオマオに言ったのだ。「これから教える場所に、どうかついて来て欲しい」と。


 そう、その場所こそが——。

 

 ◆


 そう、今、黒龍ヘイロンが、白虎バイフー——ないしは小猫シャオマオと、相対している場所であった。


 そして黒龍は、今しがた、衝撃的な事実を知った。

 自分が想いを寄せていた相手——まさにこれから告白しようと思っていた少女、小猫。

 その正体が、自分のよく知る男——白虎であったという、信じがたい事実を。


 白虎は、小猫として、黒龍からこの場に来て欲しいと——いつになく改まった態度で——言われた時点で、その目的が告白なのではないかと、薄々勘づいていた。

 だからこそ、小猫としては「一日の猶予が欲しい」と言って、白虎として、黒龍をこの場に呼び出していた。

 他でもない、自分の——小猫の正体を明かすために。

 それを明かす前に、黒龍からの告白を受けるわけにはいかなかった。

 それではいけない……理由があった。


 小猫白虎は、呆然とした様子の黒龍ヘイロンに向け、話しかける。——普段の口調で。


ヘイくん、ヘイくんはどうして、告白に場所を選んだの……?」

猫猫マオマオ……それは、俺にとってはこの場所が、特別に思い入れのある場所だからだよ。告白すると決めた時、すぐにこの場所が浮かんだんだ。ここしかないと思った」


 ちなみに二人は、すでにあだ名で呼び合う仲なのである。

 

「そう、なんだ」

猫猫マオマオ——、……い、いや、白虎バイフー。お前なら、分かるんじゃないのか……?」


 そう言われて、小猫白虎の脳裏に、在りし日の想い出がぎる——。


 ◇


 白虎バイフー黒龍ヘイロン、二人の出会いは、二人がまだ武門の弟子になったばかりの頃だった。


 門派の違う二人の最初の出会いは、修練を積むために野山に修行に出ていた時のことだった。

 違う門派の武人は競い合うものであり、常であればあまり仲良くなるものではないが、二人は不思議と馬があった。

 ——その頃から二人は、すでに同世代では頭ひとつ抜けた実力を持っていた。なので、年が同じで実力を競い合える相手として、お互いが貴重な存在だったということも、あるいは仲良くなれた理由の一つかもしれない。

 二人はすぐに、お互いを友として——あるいは好敵手として、認識するようになった。


 その場所——天翔山のいただきは、各々の武門に伝わる古い修行法において、ある特別な意味を持つ場所だった。

 今や廃れたその修行法では、この場所は一つの到達点とされる場所だった。

 なぜならこの場所は、武門に属する武人にとっても、極めて危険かつ到達困難な場所であったから。

 ただ登ることすら困難な切り立った山に、蔓延はびこる異形の物怪もののけたちが、ひっきりなしに襲いかかってくる。

 未熟な者はもちろん、熟練者であっても下手を打てば命を落とすとして、修行場には適さないと、いつしか忘れられた魔境——。


 そんな伝説に、二人は同時に挑んだ。

 その頃の二人は、まだお互いを倒すべき好敵手としてみていた。

 挑んだ理由も、相手に負けたくないから、売り言葉に買い言葉——そんなところだった。


 しかし険しい試練を前に、二人は追い詰められた。

 そして自然と、お互いの手を取り合い、協力しあった。

 不思議と、途中で諦めるという選択肢はなかった。なぜか、二人そろえば達成できるというという思いしかなかった。

 そして事実、二人はボロボロになりながらも、確かにいただきにたどり着くことが出来たのである。


 苦難を共に乗り越えた二人は、頂上にて義兄弟のちぎりを結び、お互いを無二の親友と認め合った。


 この友情が、はるかな山の高みへ——はては武人としての高みへ、二人を導いたのである。


 ◆


 黒龍ヘイロンが口を開いたことで、小猫白虎の意識は現実に引き戻された。


「なあ……白虎バイフー、すべて嘘だったのか? お前が小猫シャオマオとして、俺に向けたあの笑顔は、かけた言葉は、通じ合ったと思った気持ちは……すべて嘘だったのか? 俺をからかい、もてあそび、敗北感を植え付けるための……すべては、そのための演技だったのか?!」


 白虎は答えた。自分の本心を。


「いや、天地神明に誓って……お前と一緒にいる時のオレの気持ちは、いつわりなき本心だった」


 黒龍は、うつむいていた顔を上げた。


「黒龍……改めて問おう。オレの——私の正体を知ってもなお、貴方あなたの気持ちは変わらない?」


 黒龍は頷いて、答える。

 

「……たとえ中身が男であり、ましてやそれが白虎だったとしても……俺の気持ちは変わらない。——それほどまでに、俺の中の小猫シャオマオへの恋心は大きい」


 黒龍は姿勢を正すと、小猫白虎をはっきりと見据えて言った。


「好きだ、小猫シャオマオ。俺と、付き合ってほしい」

「……条件次第で、受けてもいいよ」

「えっ」

「これ……」


 小猫シャオマオが差し出したのは、丸薬だった。


「なにかは、分かるよね? これを飲んでくれるなら……いいよ」


 黒龍は、手に取ったその丸薬を、躊躇ためらうことなく口元へ——。


「っ、本当に、いいの?」

「ああ」

「……すべてを捨てることになるとしても? ——男であること、武人としての強さや栄光……それでも?」

「いいさ。俺はもう、武人である前に、一人の恋する男だから……」


 黒龍は丸薬を飲む。

 

「いや、これから、女に生まれ変わる!」


 黒龍の体が光り——収まる頃には、そこにはすらっと背の高い美女がいた。


黒龍ヘイロン……いや、小龍シャオロン。いいの? 本当に……」


 返答の代わりに、黒龍ヘイロン——改め小龍シャオロンは、小猫シャオマオを抱きしめ、その唇に、自分の唇を重ねた……。

 

 

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