第二章 後宮に化け猫は香る ②

「……はっ?」


 間抜けな声が零れる。

 呆れる薫香を、黒曜は両手を上げて制す。


「まあ、落ち着けよ。そして話は最後まで聞け。これが街角や道端での話なら、確かにどうということもない。だが、ここは黄塵国の後宮だ。ここに猫が出るから事件なんだ」


 意味が分からない。ますます戸惑う薫香を、黒曜はにやにやしながら見ている。明らかに楽しんでいる。趣味が悪い。


「この後宮へは動物の持ち込みが禁止されている。特に猫は厳禁だ」

「知りませんでした。なぜです?」

「一応、衛生面に考慮して、という尤もらしい理由になっている。だが、大昔に大の猫嫌いな皇后がいて、彼女のために猫の持ち込みを禁止したというのが専らの通説だ。それが拡大解釈されて行って、いまでは犬猫はもちろん、象や駱駝にいたるまで持ち込み禁止にされている。破れば厳罰だ」

「さすがに象や駱駝を持ち込む妃はいないでしょうけどね」


 それにしても、厳罰の好きな後宮だ。


「後宮で猫を見かけるのが珍しいことは分かりました。でも、それが事件になるんですか?」

「正確に言うと、事件になりかけている、だ。ここ十日ほどの間に、目撃情報が三件。いずれも夜警の見回りをしていた宦官だ」

「夜警ということは、見かけたのは夜ですよね。見間違いではありませんか?」

「その可能性はある」


 意外にも、あっさりと認めた。拍子抜けだ。


「では、そのまま放置しておけばよいのでは?」

「そういうわけにはいかん。妙な噂が広がると困る。現にその猫は化け猫だ、と言い出す者もいて、噂になりつつある」

「化け猫?」


 眉を顰めつつ、体は前に乗り出す。その手の話、嫌いではない。


「猫嫌いの皇后よりさらに前、大の猫好きの皇后がいた。その皇后は大変な悪女で、悪逆非道の限りを尽くした結果、非業の最後を遂げている。その悪女の魂が、今回猫となって表れたのだそうだ」

「なるほど。実にありふれた怪談話ですね。それにしても猫嫌いがいたり、猫好きがいたり、悪女がいたりと賑やかな後宮ですね」

「なにしろ後宮百五十年の歴史だからな。いろんなのが揃っている」


 考えてみれば贖罪妃だって、そのいろんなのの仲間だ。薫香は堪らず苦笑する。 


「まあ、いずれにしても放っておくことです。人の噂も七十五日。そのうちぷっつりと消えてなくなります」

「ところがそう悠長に構えても居られない事情がある」


 その顔を見れば、この話が黒曜の思い描いた通りに進んでいるのが分かる。癪に障るが、期待通りの答えを返す。


「どんな事情です?」

「御前聞香に先立ち、皇帝陛下自らが各妃の元を順に訪ねておられる。先日の南貴妃さまから始まり、今後は西華妃さま、北麗妃さま、そして東蕙妃さまの順に回ることになっている」

「妃たちを呼び出すのではなく、陛下自らがお出向きになるのですか?」

「ああ。御前聞香の前に各妃と時間を持ち、人となりなどを知りたいと陛下自らがご希望されたそうだ。本来ならそのような気遣いは無用なのだが、ひとえに陛下のお優しさゆえのこと」


 相変わらず黒曜の物言いは白々しい。


「平たく言えばあいさつ回りですよね。危険だし、体裁も悪くありませんか?」

「まあ、そうなんだが……。お前も、もう少し言葉を選べ」


 呆れられてしまった。


 とある国の後宮の話。その夜の相手に指名された妃は、自室で素っ裸にされ、羽毛の布団に包まれる。それを宦官が背負い、皇帝の閨まで運んだという。

 仰々しい話だとは思うが、全ては皇帝の身を守るため。たとえ己が後宮でも、暗殺の危険がつきまとう。皇帝とはそういう存在。


 それに比べたら、うちの皇帝陛下は随分と良心的だ。


「まあ、挨拶に来いなどと言えないのが実情だ」

「どういうことです?」


 ガリガリと頭を掻きながら、黒曜は面倒臭そうに続ける。


「建国時から四王の力は大きかったのだが、昨今はますます拍車がかかっている。陛下であっても、その存在を無視するわけにはいかないのだ。四妃はいわば、その王家の代理人。陛下も強くは出られらないのさ」

「旦那が女房の尻に敷かれている方が、家庭は上手くいくと聞きましたが?」

「女房が強過ぎるのも問題だ。旦那が頼りなさ過ぎるのもだけど」


 家庭の事情は、実に様々だ。


「話が逸れてしまったが、陛下がお目見えになるというのに、怪綺談じみた噂を立てられるわけにはいかん。それに万が一、陛下の身なにかあれば一大事。そうでなくても騒ぎが大きくなれば、四妃から苦情も来る。とにかく早急に真相を突き止める必要があるわけだ」

「そしてその役を、あなたが仰せつかったのですね?」

「ああ、その通りだ。だが、実際に事件を解決するのは別の奴だ」

「誰です?」


 首を傾げる薫香を見て、再び黒曜の口角が持ち上がる。


「何を寝ぼけたことを言っている。この事件、お前が解決するんだよ」

「へっ? なんで私が?」

「神託だ」


 目を丸くする薫香に、黒曜は何でもないことのように告げる。


「神託?」

「そうだ。なんのために、俺がこんな下らない事件の担当を仰せつかったと思っている? 利用するためだ」

「はあ、利用?」

「いいか、お前が皇后になるためには、四妃に『香妃』と認めさせるしかない。その為には、彼女らが反論できない事実を突きつけることだ。手っ取り早いのは『香妃』伝説の中で、一番有名で具体的な体から漂う芳香を再現すること。お前の体からよいにおいは……、まあ無理か」

「そうでしょう、ね!」


 無神経にも鼻を近づけてくる馬鹿に、平手打ちを喰らわす。鼻が利かない黒曜なので、冗談と分かっているが。


「そもそも人間は誰しも体臭を持っている。だから、体からにおいがするのは不思議ではない。問題はそのにおいが、総じてあまりよいとは感じられないこと。そして離れた人間が気付くほど、強くはないこと。その二点において、『香妃』は確かに特異な存在だ」


 左頬を押さえながら、黒曜は続ける。


「そこで神託だ。伝説では『香妃』は神託をもたらし、太祖を建国まで導いた。それを再現する」

「どういうことです?」

「つまりお前が神託をもたらし、この事件を解決するんだよ」


 分かりの悪い子供を前にしたかのような態度で、黒曜は言い切る。薫香は唖然とするばかり。


「あの私、神託なんて聞けないですよ?」

「当り前だ。お前みたいな鼻ぺちゃチビ助に、神託など聞けるはずがないだろう?」

「ではどうするのですか、性悪木偶の坊?」


 しばらく無言で、互いの言葉を噛み締め合う。


「要するに順番を逆にするんだ。事件を解決した後、神託のお陰で解決したと言いふらすんだ」

「なるほど。神託のでっち上げですね」

「そう言うことだ。神託をもたらすお前の評判が、後宮中に広まれば、四妃と言えど『香妃』と認めざるを得なくなる」


 得意げに鼻を膨らませる黒曜。ため息を吐く薫香。


「事件解決した後に、着地点に合わせて神託をもたらせばいいんでしょ? それでは解決後、また来て下さい」

「では」


 そう言うと、黒曜は持参した衣装箱のような物を差し出す。


「何ですか、これ?」


 箱の中には、なぜか宦官の衣装が一式入っていた。


「言っただろ? この事件を解決するのは、お前だ」


 黒曜は盛大に口角を持ち上げた。

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