第一章 贖罪妃と四人の妃 ④
「お前には、皇后になって貰う」
数日後、姿は見せた黒曜は、開口一番そう口にした。相変わらず態度がでかい。
「はい?」
「なんだ、その道端でいかにも胡散臭げな客引きに捕まった時のような表情は?」
「至極真っ当な反応だと思いますが。とりあえずちゃんと説明して下さい」
向かいに座る黒曜に、薫香は先を即す。
「いいか? 仮に皇帝陛下へのお目通りが叶ったところで、簡単に赦しを得られると思うか?」
「……やってみないことには分かりません」
「贖罪妃のままでは駄目だ。何を言っても、軽んじられる。だからまず、お前自身が皇帝に近い権力と発言力を手に入れる。その上で、現行の仕組みを変えていく方が確実だとは思わないか?」
「つまり皇后になれと?」
「そうだ」
あくまで自信満々の黒曜だが、薫香は腑に落ちない。
「ですが、皇后は代々四王家の縁者から選出されると聞きましたが?」
黄塵国には四人の王がいる。その誕生は古く、建国の際、大きな功績上げた四人の重臣が東西南北に土地を与えられたのが始まり。北は強兵、南は穀倉、西は交易、東は儀式。それぞれの分野で、中央の皇帝と百五十年の繁栄を支えてきた。いまやその権勢は皇帝をも凌ぐ。
黄塵国の皇帝は、即位すると四王家から一人ずつ妃を娶るのが習わし。そして四人の妃の中から、皇后は選ばれる。
奇しくも先帝の崩御に伴い、二か月程前に新たな皇帝が即位したばかり。後宮は新たに四人の妃を迎え、いままさに皇后選びが行われようとしていた。
「その通りだ。皇后は四王家の妃、四妃の中からしか選ばれない。通常はな」
「仰っていることが矛盾していると、分かってみえますか? 四王家に繋がりのない私が皇后になるのは不可能です」
どこかの王家に養女として潜り込むという荒業もあるにはある。
が、薫香に関してはそれすら無理だ。
なにしろ建国時に四王が上げた最大の功績というのが、太祖亡きあと、幼い皇子を助け逆賊を討伐したこと。つまり薫香の祖先を滅ぼし、百数十年の罰を科した因縁の相手。
養女なんて話、向うも嫌がるだろうが、こちらだって願い下げだ。
そう説明してやったのに、黒曜の顔から自信の表情が消えることはない。
「話をよく聞け。通常は、と言ったはずだ。皇后は必ず四王家の妃の中から選ばれる。だが、例外がある。それが『香妃』だ」
「『香妃』ですか?」
その名は薫香も知っている。むしろ黄塵国では、知らない者はいないだろう。
『香妃』。太祖・黄龍鏡の傍には、常に一人の巫女がいた。彼女は『香』を焚き、立ち昇る煙に祈りを乗せ、天に届けた。そして神託を聞く。
彼女によってもたらされる神託が、龍鏡を建国の英雄まで押し上げたと言っても過言ではない。
伝説は語る。この巫女は神がかって鼻がよく、どんな香りにも精通していた。そしてその体からは、得も言われぬ芳香を発していたと。
ゆえに人は彼女を『香妃』と呼んだ。
この国で『香』が神聖視されるのも、『香』の知識に優れた者や鼻の利く者が慕われるのも、彼女の影響が大きい。
「いまや彼女は神格化され、国民の人気は太祖すら遥かに凌ぐほど。ゆえにいつの時代でも、その再来が望まれている。特に厳しい時代の時ほど。もし本当に『香妃』の再来が現れた時は、問答無用で皇后に選出される可能性が高い」
「本当ですか?」
「かなり古い話だが、過去に一度だけ『香妃』の再来として皇后になった者がいる」
「はあ、いたんですか」
驚きだ。『香妃』など竜や鳳凰、麒麟と同じく、あくまで伝説上の存在だと思っていた。
「その皇后になった方は、本当に『香妃』だったのでしょうか?」
薫香の素朴な疑問は、黒曜に鼻で笑われた。
「そんなこと、分かるものか。要するに夢見る馬鹿は、どこにでもいるということさ。『香妃』の真偽など問題ではない。大切なのは、前例があるということ」
そう言うと、随分と悪い顔で微笑んだ。
「なるほど。まあ、何を信じるかは人それぞれですからね」
「ちなみに『香妃』の再来として皇后になった女は、その後の行いから、黄塵国一の悪女と呼ばれている」
「身も蓋もないですね」
ははは、と声を上げて黒曜は笑った。
「ですが、もしその話が本当なら、『香妃』の再来を名乗る者が大勢出てきそうではありませんか?」
ふっと思い浮かんだ疑問を、薫香は口にする。いまの話では、『香妃』と名乗れば皇后になれるのだ。真似しようとする者が現れないとおかしい。
だが、黒曜はそれには答えず、チラリと窓の外に目を向けた。何を確認したのか、徐に立ち上がる。
「さて、時間だ。出かけるぞ」
「出掛ける? 私がですか?」
唐突もいい所だ。戸惑う薫香のことなどお構いなく、早くしろ、と急かしてくる。
「ちょ、ちょっと待って下さい。一体、どこへ行くのですか?」
少しだけ考える素振りを見せた黒曜だが、すぐさま意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「戦場、かな」
「あの~、これでも私は贖罪妃なんですよ。宮を抜け出して、外をうろうろしているところを誰かに見られでもした、いろいろ大変なんですから」
周囲の様子を伺いながら、前を歩く背に声を掛けた。ひそめた声は自然と棘を帯びる。
「安心しろ。正確に言えば、お前は呼び出された立場だ。誰も文句は言わん」
「呼び出された? 誰にです?」
「皇帝陛下、の代理だ」
「えっ?」
つい大きな声が出てしまった。黒曜がこちら振り返ったので、慌てて両手で口を押
える。だが、黒曜の関心はまったく別のこと。
「それよりどうだ、その衣装は?」
「頭が、重いです」
恥ずかしさもあって、素直な感想が口を吐く。
いま薫香の髪は、見たことがないほど高い髷に結われている。そこに無数に刺さった櫛と簪。そのため信じられないくらい頭が重い。少しでも態勢を崩しと、小柄な薫香はひっくり返ってしまいそうだ。おまけに身に着けている衣装は煌びやかだが、とにかく動きにくい。慣れない化粧も合わさって、二重三重の苦行。
外に連れ出すのには準備が必要だと言われ、着替えさせられた。
黒曜が持ち込んだ大きな箱の中には、妃の衣装が一揃い。どれも薫香が見たこともない煌びやかな物ばかり。あっという間に着古した衣を取り上げられ、その煌びやかな衣装で包まれる。そればかりか髪は結い上げられ、化粧までされた。
全てが終わった時には、ただただ茫然実質。向けられた鏡には、まったく知らない自分が映っていた。
「よく似合っている」
黒曜は殊の外満足そうに笑う。薫香を褒めてのことではない。ただの自己満足の笑み。
驚くべきことに着付けから、髪結いから、化粧まで、すべて黒曜の手によるもの。
それがまた衝撃と敗北感をもたらす。
「随分と器用なんですね」
「後宮で妃たちの信頼を得るために、一通りのことは出来るよう準備してきたからな」
渾身の皮肉にも、何でもないことのように答える。
後宮に潜り込む際、宦官に扮するか、女官に化けるか悩んだと、冗談にも本気にも思えることまで口にする。思わず女官に化けた黒曜を想像仕掛けて、慌てて止めた。これ以上の屈辱は御免だ。
「それで一体どこへ行くんです? 皇帝陛下の代理に呼び出されたとは、どういうことです? いい加減、教えて下さい」
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