第一章 贖罪妃と四人の妃 ①
黄塵国には、四人の王がいる。
それぞれに東西南北に領土を持ち、
香木の産地である東王家は儀式で、
異国との貿易路を持つ西王家は商業で、
肥沃な大地を有する南王家は農業で、
駿馬駆ける草原が広がる北王家は軍事で、それぞれ中央の皇帝と百五十年の繁栄を支えてきた。
四王との関係をより強固にするため、代々の皇帝は即位と共に四王家の妃を娶った。そして四人の妃の中から、皇后は選ばれる。
四人の妃と、一つの皇后の座。
権力に直結する皇后の座を巡る妃の争いは、さながら各王家の代理戦争。
皇帝が変わるたびに行われる、華麗で、残酷な物語が後宮の歴史を彩ってきた。
そしてまた、新たな物語が始まろうとしていた。
「実はお願いしたいことがあります」
薫香は卓子を挟んで、宦官を名乗る者と向き合っていた。先程まで気を失っていたので心配したが、いまはもう大丈夫そうだ。
あらためてその容姿に感心する。
柳のような眉に、名前通り黒曜石を思わせる瞳、鼻筋は通り、赤みを帯びた唇が固く引き結ばれていた。一つ一つの水準が高い上に、それが芸術的なまでに整っている。透き通るほどに白い肌が、また羨ましい。
(でも、暗い目をしている)
輝くような容姿の中で、唯一、その黒い瞳だけが暗く沈んでいた。
薫香は、それを残念に思う。
「あの、贖罪妃さま?」
「あっ、はいはい、何でしょうか?」
呼ばれているのが自分だと気づくのに、少し時間が掛かった。相手の容姿に見とれていたのもあるし、そんな呼び方をされるとも思っていなかったから。
もっとも、ここ十数年、薫香に話しかけるの者など、ほとんどいなかったのだが。
「頼みたいこととは、一体なんでしょう? 私が贖罪妃さまのお役に立てるとは、思えないのですが……」
やはり慣れない。
「その前に、黒曜さま」
はい、と黒曜は背筋を伸ばす。
「その呼び方は辞めて頂けませんか? 薫香とお呼び下さい」
「これは、失礼」
ただ慣れていないだけが理由なのだが、相手はそれ以上の意味をくみ取ったらしく、慇懃に頭を下げる。
勘違いなのだが、そのままにしておく。
「黒曜さまは、我が一族のことはご存知ですか? まあ、知ってますよね。ある意味、この国で一番有名ですから」
「ええ、存知ております。『英雄殺し』の一族として」
はっきり言ってくれる、と薫香は内心苦笑する。
百数十年前、薫香の祖先はある一人の男を殺した。
男の名は、
「なぜ祖先が太祖を裏切り、殺したのか、その理由は分かりません。ただその事実が、その後、我ら一族を長く苦しめてきました」
「そうでしょうね」
祖先の反乱は――それが反乱だったかも、いまは分からないが――、龍鏡の息子と残った重臣たちによって呆気なく鎮圧。祖先は断頭台の露と消える。
残った一族は、人質を差し出すこと条件に、なんとか滅亡を免れた。
「人質は女に限られ、後宮に軟禁。一生をそこで過ごすことを命じられました」
人質が亡くなると、次の人質を差し出す。それを百年以上絶えることなく繰り返すうち、その人質はこう呼ばれるようになった。
独房宮の贖罪妃。
「話は聞いていましたが、まだ続いていたとは。お目にかかった今でも、信じられません」
「半ば形骸化していますからね。ですが、我々としては止めるわけにはいかない、いいえ、止めてもらっては困るのです」
「どういうことでしょう?」
興味を持ったのか、黒曜は少しだけ身を乗り出てくる。
「私たち贖罪妃は、人質の役割以外にもう一つ、使命を託されています。それは皇帝陛下に、『英雄殺し』の罪をお赦し頂くよう嘆願すること」
『英雄殺し』の看板は、想像以上に重く、一族に圧し掛かった。
太祖はいまでも、この国で二番目に人気がある。その分、国民の怨みは消えない。
一族に連なるだけで、忌み嫌われ、虐げられた。姓を変え、故郷を追われ、素性を知られることを恐れ、ひたすら息を潜める。そんな生活を百数十年。
「もうそろそろ、赦されてもよいと思うのです」
この天下の大罪から一族を赦免できるのは、この世で皇帝ただ一人。
皇帝とは天に代わってこの世を統治する者、つまり天の代行者。全ての罪を裁く権利を持ち、同時に全ての罪を赦すことが出来る。
「陛下が罪を赦すと、広く天下に宣言して頂ければ、一族は救われる。長たちは、そう考えています」
それが一族の悲願。贖罪妃はその悲願を託されている。
「所詮、形ばかりの妃。体のいい人質であるにも関わらず、陛下にお目通りの機会があると考えているわけですか」
「はい、愚かな考えです」
無為に流れた百数十年という時間が、その結果を物語っている。
それでも、その愚かな考えにすがる以外、他に方法などない。
「私が十歳で後宮に入った時、付き添いの宦官さまは仰いました。陛下は時機をみて、必ずお越しになると。私は十年以上待った。そしてその陛下は、先頃亡くなられました」
「……」
ただの慰めの言葉。期待など最初からしてはいなかった。それでも、一縷の望みが消えた気がしたのも事実だ。
「前置きが長くなりましたね。あなたにお願いしたいこととは――」
「断る」
「まだ何も言ってませんよ?」
「陛下に会うための手助けを、この俺にしろと言いたいのだろう?」
さも嫌そうな顔で、黒曜が答える。
「察しがよくて、助かります」
ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らすや、黒曜の態度は一変する。
「繰り返し言うが、断る。手助けする理由が何処にある? お前を助けることは、危険を伴いはすれ、何の見返りもないではないか。それとも今回助けられたことを、恩に感じるとでも思ったか? 或いは悲劇の一族に同情するとでも? 愚か者が」
黒曜は冷たく笑う。
言葉遣いは横柄になり、椅子に座る姿さえ傲慢に見えてくる。どうやら本性が出て来たらしい。
薫香はほくそ笑む。
「いいえ、あなたはそんな人ではない。その事に安心しました。何しろ無償ほど、高い物はありませんから」
「帰る」
話はここまでとばかりに、黒曜は立ち上がった。足早に出て行こうとするその背に、切り札を投げつける。
「あなたへの見返りですが、秘密を黙っておく、というのはどうでしょう?」
足が止まる。
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