第55話 森に帰る

 翌日、リーチェは追いすがる医師たちをどうにか振り払って、神殿の方にやって来た。テレージアはまだ疲労で眠っているらしい。「いいよ、起こさなくても」とリーチェは言って、神官その他大勢に「いい、いい、なんだ、迎えもいなかったんだから、送りもいらねぇよ」と言って、彼らの解散を命じた。命じてそれを受け入れられるのは、彼の功績と、でかい態度のせいどちらもあってのことだろう。


「リーチェ様、わたし、もう少しここに滞在して、帰りはヘルムートと旅をしながら森に戻ります」


「そうか。わかった。まあ、来たくなったらまた魔獣倒して顔を見せてもいいぞ。許してやる。つっても、当分5日に一日ぐらいはここに様子を見に来るから、気が変わればその時声かけろ」


「はい」


 リーチェはたったそれだけを伝えると、特に何を言う必要もない、と「またな」と人々に行って移動魔法を行使した。白い光が足元からあがったと思えば、あっという間に彼の姿は消えてしまう。


「あっさりしてるなぁ~」


 とユリアーナが言えば、ヘルムートは笑って「良い方だ」と言った。ユリアーナにはそれを否定する気持ちはないが、だからといって思いきり肯定も出来ないな……と困惑の、曖昧な笑みを浮かべる。


 さて、王城からは「薬を王城によこせ」という通達が来た。第一騎士団がまたやって来たが、テレージアの護衛騎士と、神殿を手伝う人々に阻まれる。そのまま返すのも、第一騎士団の面子というものがあるだろうから、とクライヴが3人分の薬を持たせた。これでどうにかならないか、と相談をすると、第一騎士団も「ひとまずはこれを持ち帰ってみる」と引いてくれた。


 その2日後に王城の跳ね橋が下りて、臣下たちに王城に帰るように通達が出た。だが、臣下たちは王城に戻らず、逆に今回の王城のやり方を非難する民衆たちが暴動を起こし、跳ね橋を通って王城の入口までやって来てしまった。第一騎士団が彼らを散らそうとしたが、王城から追い出されてしまった他の騎士団が民衆の味方についた。そして、既にラーレン病から快方した者たちが先頭になって、王城に押し入ったとかなんとか言う。


 そして、テレージアはと言うと……


「わたしの治癒術とお薬の併用で、重症の方も完治出来るようです……!」


 その発見に人々は狂喜した。とはいえ、一人ずつの治療になるので、すべての人々を救えるかどうかはわからない。だが、それでも「まったく出来ない」よりは余程いい。


「それでは、大変申し訳ないのですが、テレージア様には重症の患者の手当てをしていただけますでしょうか」


「勿論です」


 神殿に集まる民衆はまだまだ後を絶たない。だが、列に並んで待てるほど元気な者には薬を与え、並んだものの病の進行が進んでいる者は聖堂に入って、投薬とテレージアの術を施す、という流れになった。みるみるうちに、聖女テレージアの名と神殿で作る薬の噂は広がった。また、薬で元気になった者たちに頼んで、王城から離れた町の調査も行い、そちらに薬を送る手配もゆっくりではあったが少しずつ対応が進んでいった。


 リーチェは彼の宣言通り5日に一回やって来て、その帰りにテレージアを連れていく。夕方から翌日の午前までテレージアを預かって、翌日もう一度送って来る。テレージアはリーチェの家にも随分慣れて「ずっとここにいたいぐらい」と困ったことを言い出して、リーチェに「とんでもない。早くラーレン病が全部収まって、来ないでもらえると助かるんだが!」と本気で怒られたらしい。




「じゃあ、クライヴ先生、先に森に戻りますね」


「ああ、悪いが、カミルによろしく伝えてくれ、僕も、まあ数ヶ月以内には帰れるって。本当は今すぐにでも帰りたいんだけど……こればかりはね」


「はい」


 クライヴとカミルは、森から樹液を運ぶ者たちに手紙を預けることにしたらしく、どうやら文通が成立したらしい。離れにいた医師が言うには「手紙が届いた日のクライヴ先生は尋常じゃない」と言う浮かれっぷりだと言うから、彼も相当疲れているのだろうと思う。


 ヘルムートは騎士団から除名をされ、今はもう何の立場でもない。私生児だった彼は、これを機に一族から離れようと親元に一度顔を出したが、気が向けばいつでも帰って来いと言われたらしい。彼は家族へのわだかまりもあったようだがそれは幼少期の話で、今はそんなにないのだと言う。だが、今は帰る気にならないと小さく笑った。


 そんなわけで、ヘルムートも森に戻るため、すっかり旅人として軽装の出で立ちだ。ユリアーナもまた、それなりに旅人らしい恰好で――翼が無くなったことでヒューム族の服を着られるようになったし――髪を高い位置で結んでフードがついた外套を着ている。


 ヘルムートに教わって、ユリアーナもそれなりに馬に乗れるようにはなった。あくまでも「それなり」ではあったが、共に旅をするならば支障はなさそうだ。神殿を出るにあたって、彼女の体格にあった馬をラファエルが用意をしてくれた。彼曰く「命を助けてくれた礼にタルトだけというのは、少し物足りないので」とのことだったので、それはありがたく受け取る。


 神殿を出てクライヴに見送られながら馬に乗ろうとした彼らは、入口を出てバタバタと走って来る人影に気付いた。ラファエルとテレージアだ。


「待って、待ってください……!」


「テレージア様は、走らないでください!」


「だ、だって……」


 重症の患者を治療しているはずのテレージアが、ラファエルに言い訳をしつつ、よろめきながら走る。


「待ちますから、落ち着いて」


 仕方ない、とばかりにヘルムートがそう言うと、テレージアは途中で足を止めてはぁはぁと荒い呼吸を繰り返した。クライヴに「テレージア様、無理はよくないですよ」とたしなめられつつ、ラファエルと共にテレージアは二人の元に辿り着いた。


「はぁっ、はぁ……行ってしまうのですね」


「はい。長い間、ありがとうございました。あなたに仕えることが出来て、幸せでした」


 穏やかなヘルムートの言葉。ユリアーナはそれを「本当なんだろうな」と思う。テレージアを生かそうと思っていた時の彼は、少しばかり病的なところがあって、そればかりに囚われていた。だが、彼にとってテレージアと共に過ごした日々は、間違いなく幸せだったのだろう。たとえ、苦しい「5回」だったとしても、それは嘘ではない。


「わたしの方こそ。ありがとうございました。何かあれば、すぐにでも神殿に知らせてください。わたしは当分王城ではなくこちらにいますので」


「わかりました。ラファエル、テレージア様を頼んだぞ」


「ああ。勿論だ……その、ユリアーナは……」


 どうしても、今でも彼女の翼をヘルムートが切ったことについて、彼はどうしたら良いのかわからず、結果、彼女に対しての接し方も困惑している。が、そんな彼にユリアーナの方から笑顔で「お世話になりました」と頭を下げた。


 それから、テレージアと視線が合う。テレージアもまた、困惑したように「あの……」と声をかけては、言葉を失ってしまう。


「テレージア様」


 ユリアーナから言葉をかける。テレージアは、何故か背筋をぴんと伸ばした。


「はい」


「リーチェ様の言うことを聞いて、あの家で回復をしながら頑張ってください。それから、きちんと寝て……長く生きてくださいね。誰かを生かすために、自分を犠牲にしないでください」


「それは……」


「そうして、テレージア様ご自身にいたわっていただくと、わたしの翼を使った甲斐もあるというものなので。ね」


「はい……」


 困ったように頷くと、テレージアは突然ユリアーナの手を握った。ユリアーナは驚いて手を引こうとしたが、思った以上の力で握られて手が離れない。


「あの、背中は痛むのですか」


「あー……そうですね。ちょっとだけ」


 実は、今でも毎日毎日少し痛む。腕を上にあげても大丈夫だが、そこで少し力を入れるとぴりりと痛んで、傷口が裂けたように感じる。実際は痛みだけで裂けてはいないのだが。そのうち痛みは薄れるとリーチェが言っていたものの、一体いつになるのかはわからない。ひとまずはその言葉を信じるしかない、とユリアーナは諦めている。


 と、テレージアは瞳を閉じた。すると、繋いだ手からじわりと白い光が広がっていき、やがてその光がふんわりとユリアーナの全身を包んだ。ぱちぱちと瞬きをして「何?」とユリアーナが聞けば


「わたしの自己満足です……少しでも、傷口が和らげばよいのですが」


と言って、テレージアは静かに手を離した。


「うーん? よくわからないけど……えっと……ありがとうございます」


 そう言ってから、ユリアーナはヘルムートを見た。ヘルムートは彼女に頷いてから「では」と人々に頭を下げる。そうして、2人は神殿を後にしたのだった。




 それから彼らは旅をしながらガダーエの町を目指した。行く先々でラーレン病の患者に会い、軽症の者には薬を渡し、重症の者には神殿に行くように勧めた。しばらくすると、神殿に重症の患者を運ぶための荷馬車をあちらこちらで見かけるようになった。


 国王は一命をとりとめたものの、王城に籠城をしていたことを民衆から責められて暴動が何度も起きていた。ほとぼりが冷めるまで、国王の体調は不調ということで、図書館を根城にしていた臣下の代表であるヘルマー宰相に一時的に権限を委ねることになった。これで、王城に対する暴動は少し収まったが、より面倒な状況で宰相が実権を握らされてしまって頭を抱えているらしい。


 とはいっても、宰相は仕事が出来る人間のようで、神殿と連携をとってラーレン病の対応をしつつ、国外にも薬の流通路を作る算段をしている。そして、前述のように現在国内には荷馬車をあちこちに出して、ラーレン病に罹患した重症者を神殿に連れてくるように指示をした。これについては王城から金を出してもらう形にして、王族への批判を和らげようという思惑もあり、そこはうまくやっているようだった。


「いいお湯もらっちゃった」


「湯あみまで出来る宿はなかなかないからな。ありがたい」


「ほんとよね」


 濡れた髪をタオルで乾かしながらユリアーナはベッドに腰かける。彼らは旅の途中で何度も野営を繰り返したが、今晩は久しぶりに宿に泊まることになった。


 一部屋ずつ取るよりも二人部屋を一つとった方が割安だと聞いて、ユリアーナは即決した。野営では互いが見える位置で交代をしながら眠るので、それと特に変わりがないと思ったからだ。正直なところ、旅の資金に関してはヘルムートが持っている路銀が頼りで、ユリアーナはそう多く持っていない。そんな状態では、なんとなくヘルムートにすべてを頼むのが心苦しかったということもある。


「髪乾かすの面倒だなぁ」


 いつも彼女が一時間ほど時間をかけて、タオルで必死に乾かしている様子を知っているヘルムートは、彼女の手からタオルを奪った。


「腕をあげていると、背中がつらくなるだろう。乾かしてやる」


「ねぇ、過保護じゃない……?」


「うん」


 当たり前のようにヘルムートは頷いて彼女の隣に座った。それにユリアーナは驚いて目を瞬かせる。まさか肯定をされるとは思わなかったからだ。すると、彼は穏やかに言葉を返した。


「だが、そうしたいんだ」


「そっか」


「許せ」


「しょうがないなぁ。これは許しちゃおうかしら」


 そう言って小さくユリアーナは笑った。


 そうこうしているうちに、窓に雨がぽつぽつと打って音が聞こえてくる。ああ、明日はぬかるんだ道で馬を走らせなくちゃいけないのか、とか、雨なんて久しぶりだ、とか、ユリアーナはぼんやりと考えていた。

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