第54話 告白//白き神~ユリアーナの2回目
夜、ヘルムートがユリアーナの部屋にやってきた。なんだろうと思えば「リーチェ様が明日帰ると聞いたんだが」という話だった。
「うん。そうみたい。それで……わたしはどうするのかって聞かれた」
「そうか。君はどうしたい? 正直な話をすると、薬は安定供給にはまだほど遠い。それに、神殿の手伝いはまだまだ必要だ。だが、君が帰りたいというなら、俺は君に従う」
「……わたしと、一緒に、帰ってくれるの?」
「君にとって迷惑でなければ」
まるで当たり前のようにヘルムートは言う。ユリアーナは「勘違いをしてしまいそうになる」とぎゅっと歯をかみ合わせて力を入れた。
「わたし……悩んでいて……その、カミルさんが一人でクライヴ先生を待っているの。状況もわからないままこちらに連れてこられてしまって……だから、カミルさんに、クライヴ先生がこっちで問題なく働いているって話をしてあげたい。でも……神殿の手伝いも、もう少ししたい気持ちがあって」
「なんだ。それなら、次に樹液を持ってくる傭兵に頼むといいじゃないか。彼らは毒の木の樹液をとるために、何往復もすることになる。森に出入りするということだ。薬を作っているところ申し訳ないが、クライヴ先生に手紙でも書いてもらって、渡してもらおう」
「そ、そっか。確かに!」
それは盲点だった。ユリアーナは少し明るい表情になった。それへ、ヘルムートは言葉を続ける。
「それで、一つ、俺から提案があるんだが」
「提案?」
「もうしばらくここに滞在をして……それから、一緒に森まで、旅をしないか」
「え?」
「街道を行く範囲にはなるが、人々の様子を見て薬を配りながら、森までゆっくり帰る。君は、生まれてから、いや、違うな。なんだ。生き返った時点から、ずっと森にいて、そう外にも多くは出られなかっただろう?」
そのヘルムートの提案にユリアーナは目を見開いた。
「ほんと……本当に? 旅……旅、わたしに出来る、のかな?」
「出来る。君は馬に乗れないだろうから、ここに滞在している間に馬に乗る練習をしよう。毎日練習をしていれば、大体の人間は三か月ぐらいで乗れるようになるが、君は多分筋が良い。ひとつきあれば馬をそれなりに扱えるようになるだろう。最低でも、歩かせることが出来ればそれで良い」
「本当に? 嬉しい……!」
嬉しそうにユリアーナが笑うと、ヘルムートも少しはにかんで、ポンポン、と彼女の頭を叩いた。最近それが多いな、とユリアーナが思っていると、彼女の頭を叩いた手が、するりと下がって、そっと彼女の頬に触れる。それに驚いて、ユリアーナの体はいささか硬直した。
「ヘルムート?」
「……押し付けるつもりはまったくないが。俺は、君のことが好きだ」
「えっ」
突然ヘルムートの表情が真面目になる。手をそっと引いて、彼はまっすぐユリアーナを見た。どうしてよいかわからず、ユリアーナは体をこわばらせる。
「だが、君の翼を切ったのも自分だし、それは償い切れないことだとも思っている。だから、君が助けを必要としなくなるまでだけでいい。一緒にいることを許してもらえないか」
「……」
ユリアーナは、突然のことにかあっと頬を紅潮させ、ヘルムートから目を逸らした。彼の顔を見ていられない。鼓動がどくんどくんと高鳴る音が耳障りだとすら思う。
「それを……許さないって言ったらどうするの……」
「それは仕方がない、と……そうだな。どうするだろうか。ただ、君と一緒に行かないだけだな」
「そっ、それに、そんなこと言って、わたしが困ったらどうするつもりだったの。そのっ……す、好き、とか言われたら、意識しちゃうじゃない……」
「押し付けるつもりはない。ただ俺がそうだ、というだけだ」
「そんなこと言ったって……」
「この気持ちを黙ったまま、君といるのは、ずるいんじゃないかと思った」
ヘルムートの声は落ち着いていた。これが、あの不愛想で、自分勝手な男なのかと思うほど、彼の声は静かに、穏やかに室内に響く。彼の言葉は最後まではっきりとしており、独り言のように消えていかない。
「俺は、君の翼を切った償いをすると言って、いくらでも君に付きまとうことが出来る。勿論、償いたいと言う気持ちに嘘はない。だが、それとは別で、君のことが好きだ。そして、それを君は気にしなくていい。とはいえ……もしも君が気にするというなら……どちらに転ぶかはわからないが、それは大いに気にしてくれ」
「!」
彼の最後の言葉はユリアーナには意外で、驚いて目を見開いた。彼は真剣な視線でユリアーナを見ている。
頬を紅潮させることもなく、淡々と落ち着いて。まるで、自分のことを「好き」と言ったことすら、仕事か何かだとでも思っているようだとユリアーナは思う。
(でも、違う。これは)
浮ついたところを見せたくない、という彼の意思はユリアーナに伝わった。彼は、自分がユリアーナを好きだという気持ちよりも、償いを優先しようとしている。本当のところはどうなのかはわからない。だが、彼は理性的にそういう優先順位にしている、というだけだ。だから、心は伝えるが、思いをそう多く外には出さない。言葉にしても、気持ちは心の中にしまい込んでいるのだろう。
ユリアーナは困ったように目を逸らして
「わたしだって……許せないのに好きだから困ってるのに、ずるいじゃない……」
と呟いた。それを聞いて、ヘルムートは「そうか……」とため息を吐く。一体、それはどういう意味なのだろうか。自分が告白を返したというのに、そんな反応だけでは困る。ちらりとユリアーナが視線を戻せば、彼は片手で顔を覆っていた。余計、意味がわからずに彼女は驚く。
「何……? どうしたの、ヘルムート」
「いや、何でもない」
「何でもなくないでしょ……ちょっと」
ユリアーナは手を伸ばして、顔を覆っている彼の片手を無理矢理顔から離した。ヘルムートは最初それを拒んでいたが観念したようだ。彼女に掴まれた手をゆっくりと離しつつ、困惑したように目を逸らす。
「っ……くそ」
「あ……」
「君が、悪い」
ヘルムートの頬は驚くほど真っ赤になっていた。そんな彼を見たことはない。ユリアーナが驚いて彼を見れば、渋々と彼の視線がユリアーナに戻っていく。そして、ユリアーナが掴んでいた彼の手がするりと拘束を逃れ、そのまま彼女の手に大きな彼の手が絡んだ。指と指が絡む様子に、ユリアーナは手を引こうとした。が、それを彼は許さない。
「もう一度、言ってくれ。許せないのに、何だって……?」
「やだ。言わない」
「言ってくれ」
「ヘルムートが……ヘルムートがもう一度先に言ってくれたら……言ってもいい……」
「君が好きだ」
そう言うと、ヘルムートは自分の指を絡ませたユリアーナの手を口元に持っていき、指と指の間から彼女の甲に口づける。
「君が好きだ」
口づけながら、目線はユリアーナに向けるヘルムート。ユリアーナは、口をぱくぱくとさせて、うまく言葉を出すことが出来ない。
「どうした。君の番だ」
「う、うう、う……」
ユリアーナは、慌ててヘルムートの手から自分の手を引いた。体がかあっと熱くなる。ヘルムートは彼女の手を追わずに静かな眼差しで見るだけだ。彼が口づけた甲をもう片方の手で覆うと、必死に言葉を紡ぐ。
「……わ、たし、も」
「うん」
「す……好き……」
消え入りそうな声でそう言うと、ユリアーナはソファの上にぎゅっと両足をあげ、そこで膝を抱えるように座って頭を埋めた。恥ずかしい。嬉しさと恥ずかしさでユリアーナは混乱して、今すぐ穴があったら入りたい気持ちになる。ばくばくと心臓はうるさく鳴り響き、このまま自分が死んでしまうのではないかと不安になる。
「もう一度」
「やだよ」
「顔をあげなくていいから、もう一度」
「……ヘルムートが好き」
消えそうな声でそう言えば、ヘルムートは「そうか。ありがとう」と言って、彼女の頭に手を伸ばした。ポンポン、と数回叩いた後、そのまま彼女の頭を撫でた。数回撫でて離れていく手に「もっと」と彼女は強請って自分の頭を押し付けた。ユリアーナの鼓動が収まるまで、彼の大きな手は彼女の髪を何度も何度も撫でたのだった。
ユリアーナは、部屋に戻ってから深呼吸を数回して、それから水を飲む。ヘルムートと思いが通じ合ったことに心は少し浮かれていたが、彼女にはやるべきことがあった。
『白き光の神よ。助けてください』
周囲の光景が一瞬で変わる。白い光に包まれた部屋。そこに流れる空気は、なんとなく大樹の周辺に流れている空気に似ていると思う。
『ユリアーナ、今生では二度目になりますね』
「うん。久しぶり」
『ありがとうございます。あなたたちのおかげで、世界の滅びは回避されました』
聞きたかった言葉が白い神から放たれた。あちらから言われるとは思わなかったユリアーナは、一瞬きょとんとして、それから「やっぱりこれでよかったんだ」と言う。
「わたしが、切られて、翼をとられる必要があったんだね」
『はい』
「それで、ヘルムートに助けてもらう必要もあった」
『そのようです』
「だから、大樹がどこにあるかを知らなければいけなかった。そして、リーチェ様に会って。それから、テレージア様が助かる必要もあったのね」
『そのようです。他の未来があったかもしれませんが、少なくとも今回あなたたちのおかげで、我々は助かりました。ありがとうございます』
もう一度リューディガーはそう言った。何度もありがとうと言われるな、とユリアーナは苦笑いを浮かべる。
「そしたら、もうあなたには会えないの?」
『いいえ。あなたの人生で、あと一度ここに来ることが出来ます』
「あっ、そうなんだ」
『それが、いつになるかはわかりませんが、わたしが必要だと思えば、その最後の一度を使ってください』
「……うん。わかった。大事にとっておく」
ユリアーナはそう言った後、少しばかりもじもじとした。
『何か問いますか』
「あのう……その……わたし、ヘルムートが好きなんだけど……」
『はい』
「許せるようになるのかな……わたしの翼を切ったことを……」
『まだ、時間が必要なようですね』
リューディガーは穏やかに告げる。
『ですが、あなたの心のしこりは、それ以上大きくなることはありません。緩やかに、いつか小さくなっていくことでしょう。時間が必要ですが……』
リューディガーはそこで言葉を切って、それから優しく付け加えた。
『彼は、きっと、あなたに優しい』
彼は、きっと、あなたに優しい。その言葉はユリアーナの心の中でじんわりと広がった。そんなことはわかっていた。不器用で、ぶっきらぼうで、ただテレージアのことだけを思っていた彼が、自分を切ることに躊躇して。犯した罪は消えないけれど、罪を犯してからようやく彼は解き放たれたのだ。だって、彼は本当に優しい。相変わらずぶっきらぼうだけれど。
「うん。そうなの。ヘルムートは優しいの。困ったことに」
『困っているのですか』
「ううーん。そう……」
困っている。甘やかされて。そんなことを言うことが出来ず、ユリアーナは恥ずかしそうに言った。すると、白い霧の形で、リューディガーが「微笑んだ」ように彼女は感じる。
『残念な話ではありますが……あなたが困っても、彼はきっとあなたに優しいです』
「……うう……」
『ですが、彼に優しくされようがされまいが、簡単に許せることではない』
「そうなのよ」
『時間が必要ですし、そもそも許せなくても良い』
「え……」
『今だって、許せなくても彼を好きなのでしょうから。ああ、時間ですね……』
「でも、許したい……」
許したいのだ。そう言おうとして、ユリアーナは言葉に詰まった。いや、違う。許したいのではない。許したくないのだ。自分ではなくテレージアを選んだことにも変わりがないし、自分の翼を切ったことには変わりがない。そして、それらはそもそも許せることではないのだ。
許せないのに好きだなんて。そう思っていたけれど、そんな恋があっても良いのではないか。なんとなくそう思って、ユリアーナは呟いた。
「許せなくても……いいのかな」
『それでは、いつか、またあなたに会えることを楽しみにしていますよ』
ユリアーナの呟きにリューディガーは答えず、彼女の2回目は終わったのだった。
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