第53話 終息に近づく
それからは怒涛のような日々だった。軽症の者にしか効かない薬のため、重症になった者には従来のもの、実験の途中に「失敗作」という扱いになったものを飲ませ、死に向かう時間を緩やかにする以外の方法はなかった。だが、新しい薬を作りながらも、重症の者に効く薬をどうにか作れないかと医師たちは変わらず朝から晩まで、寝る間も惜しんで研究をし続けた。彼らはとっくに限界を迎えていたが、わずかな光が見えた今、止まることは出来なかった。ここに来て、彼らは団結を再度固めて、一丸となって薬の開発に取り組んだ。
一方で、神殿の外では暴動が起きていた。跳ね橋が下りない王城を囲んでの暴動、王の臣下たちが集まっている図書館への暴動と絶え間ない。特に、王城を囲んで「聖女を返せ!」と訴える者たちが多かった。だが、ある日、王城からの跳ね橋が下りて、中から騎士団が一気に人々を蹴散らしに出て来た。人々を散らして戻ろうとした騎士団に追いすがった者たちは、最後には跳ね橋をあげられ、そこから次々に水路に落とされた。
リーチェはユリアーナを連れて毎日リーチェの家に移動をした。そこで、毒の木が生えている場所まで行って、樹液を採取する容器を取り付ける。ただただひたすら、黙々とそれをするだけだ。ガートンもそれを手伝っている間、リーチェはといえば寝てばかり。だが、彼には彼の考えがあって、魔力を限界まで回復をしようとしていたのだ。
「おっし、そろそろ行けるかな」
「行ける? どこにですか?」
「王城」
「え?」
「テレージアだよ、テレージア。テレージアを連れて帰らないとだろ」
リーチェは嫌そうな表情をユリアーナに向けた。
「ラファエルに頼まれてんだよ。一日に二度移動魔法使うの、本当は僕の身が危ないからやりたくないんだけど仕方がない。だって、放っといたら国王は結局そのままラーレン病が進行して死んじまうだろう。そうしたらテレージアがどうなるかわからないしな」
それは確かにそうだと思う。反面、王城内部で他にラーレン病になるかもしれないから、ということでテレージアの身柄はそれなりの待遇になっている可能性も考えたが。ただ、何にせよ、彼女は王族だけを助ける聖女になりたいわけではないのだ、とユリアーナは思う。
「それに、そろそろヘルムートたちが帰って来てもおかしくないからな。悪いが、ヘルムートが帰ってきたら、そこで僕の仕事は終わりにする。薬の調合はクライヴに任せてあるし、ヘルムートには継続的に森の外側の毒の木から樹液をとる仕組みを作ってもらって。後の薬の流通だとかそういうのは、僕には関係がない。症状が進んだ者については申し訳ないが」
リーチェはそう言ってため息をついた。
「働きすぎた。魔力も使いすぎた。こんなに魔力を継続して使うのは、お前の治療以外じゃもう15年ぶりって感じだ。これじゃ、早死にしちまう」
「もうずいぶん長寿ですけどね。でも、長生きしてください」
「おう。そのつもりだ。ガートンがそのうち寿命で死んで、ラーレン病もなくなって誰もここにいなくなってから、大樹が枯れるまで生きられるといいなぁ~。もう余生はのんびりしよう」
それは、何十年後の話だろうか、と思うユリアーナ。もしかしたら100年後かもしれないし、もしかしたら10年20年程度後のことかもしれない。
リーチェが予言をした通り、翌日ヘルムートたちが神殿に戻って来た。樹液を入れた容器を大量に持ち帰り、離れにすべて運び込む。こうしている間にも、ガダーエの町で雇った者たちが樹液を神殿付近まで運んでくれる手はずになっているらしい。
「その代わりに、彼らには薬を渡してあげて欲しい。この近くまで来てもらうことでラーレン病になる可能性が高いし。それが、彼らへの報酬の一部です」
「わかったよ。何人来るんだい?」
クライヴはヘルムートに言われた人数分の薬を渡す。また、同じく薬の調合に必要なものが届いた、と神官がやって来た。
「先生~、運んじゃってもいい?」
「ああ、ユリアーナ、頼むよ。その、背中、痛まない程度で」
「これぐらい大丈夫……あっ、ヘルムートお帰りなさい!」
「ああ、ただいま」
そう言ってヘルムートはまたユリアーナの頭をポンポンと軽く叩いた。ユリアーナはなんだか照れくさくなって「へへ」と小さく笑う。
「リーチェ様は?」
「今、ラファエルと一緒に王城に行ってるところ。テレージア様を助けてくるって言っていた」
「そうか」
ヘルムートが持ち帰った樹液、それから調合に必要な薬草や何やらを離れに運び込む。薬が出来てから、少しだけ神殿には活気が出て来た。軽症だった者に三日薬を飲ませれば、肺が落ち着いて呼吸が楽になる。そうやって、聖堂や講堂から何人もが回復をして、家に帰宅をする者もいれば、そのまま居ついて「助けになりたいんです」と手伝ってくれる者もいたので、一時期の危機的状況からは少し脱出したように思える。
離れの医師たちは、もう何度か限界が来て荒れていたので、クライヴが「どんなに心が急いても、睡眠は5時間はとろう」と決めた。彼は案外と頑固なところがあったので、そうと自分が決めた以上は、と頑なに5時間は眠るようにした。今やリーダーになってしまった彼が5時間寝ているなら……と、他の医師も交代で最低でも5時間眠るようになったらしい。
やがて、その日の夕方にリーチェとラファエル、それからもう一人の護衛騎士がテレージアを連れて王城から移動魔法で戻って来た。が、テレージアは気を失ってラファエルが抱きかかえている。
ヘルムートは旅の疲れからちょうど眠っていたが、ユリアーナが彼らを迎え入れる。ラファエルはすぐにテレージアを彼女の部屋に連れて行った。
「どういう状態ですか」
「大丈夫だ。緊張の糸が切れたんだろう。テレージアの器はもともと強くはないからな」
「そうですか。お疲れ様です」
「いやあ、本当にな! 王城に薬をバラまいて来た。床を這って必死にそれを拾う国王を見られたから、溜飲が下がったってもんだ!」
うわあ、性格悪い……そう思ってユリアーナは顔をいささか歪めた。それを見て、リーチェは「顔に全部出てるぞ」とチクリと言う。
疲れた、と言ってリーチェは通路の床に座り込んだ。既に、ここではそれを咎める者もいない。彼は、今日2往復をしたので、相当疲れているはずなのだ。それを知っているユリアーナも、勿論彼を咎めない。
「薬は、ま、重症化した者を完治するようなやつは作れなかったが、頑張った方だと思う」
「そうですね」
「今後は、重症化する前に薬を提供できるようになると思うし……申し訳ないが、今重症化したやつには悪いとは思うけど、僕はもう手を引く」
「えっ」
「もう、十分だろ。後は勝手にやっててくれ。僕はもうこりごりだ。さっさと家に帰ってたっぷり寝たいし、誰とも話さないで過ごしたい!」
そのリーチェの言葉は真実だ。彼はラーレン病に効く薬を作りたいと言っていたが、今後、重症化する者が出なければ今のままでも確かに間に合うようになる。それに、今の状態でも、基本的に彼の手柄と言ってもいいのだし。そう思えば、もう彼がここから帰ることをユリアーナは止めることは出来なかった。
「そんなわけで、僕は明日ここから帰る。お前はどうする? 森に戻るなら一緒に行って、そこから居住区に戻ればいい。お前が発症する可能性は低いが、薬は先にもらって帰るといいな。これだけ手伝ったんだ、許される」
「ううーん、大樹から一人で居住区に戻るのは魔獣がいるから難しいと思うんですよね」
「ああ、ヘルムートは?」
「ちょっと、明日まで悩ませてもらっていいですか」
「ああ、いいぞ」
そう言ってリーチェは立ち上がって伸びをした。それから、離れの部屋にと戻っていく。それを見送って、今後はユリアーナが神殿の通路に座り込んだ。
「……ヘルムートは……」
どうするんだろう。彼は、自分の体のことを気にして付き添ってくれていた。だが、それもここ最近は別行動ばかりで共にはいない。非常時で仕方がないことだとはわかっている。
ただ、カミルのことも心配だ。帰ってクライヴのことを話してあげたい。だから、明日帰りたい気持ちはある。しかし……
(ヘルムートが来てくれなかったら、家に戻れない。そうなったら、ここから一人で旅をして帰らなくちゃいけないけど、出来るのかな……でも)
もしかしたら、彼は心変わりをしているかもしれない。だって、ここに来てからの彼は騎士として働いていた。辞職をすると言っていたが、それは本当なんだろうかと不安になる。怖い。そんなことは聞けない。自分を選んでくれるのか、なんて。
(それに、わたしは彼の罪悪感に付け込んでいるだけだ……)
ああ、胸の奥が痛い。出来るだけ考えないようにしていたけれど、もうそういうわけにはいかないのだ。この胸の痛みはやはり知っている……とユリアーナは目を伏せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます