第50話 魔女の家

「おい! ユリアーナ!」


「わあ!」


 翌日、また聖堂で薬を患者に飲ませている時にリーチェが突然入って来た。


「リーチェ様、患者の前でそんな大声で……」


「大樹の樹液を取りに戻るぞ」


「えっ、それにわたしが付き合うんですか……?」


 と不満そうなユリアーナ。その表情を見て、リーチェはむっとした顔をする。しまった、彼の機嫌を損ねたか、とユリアーナは思ったが、一応聖堂の患者に配慮してか、彼は声を潜めてユリアーナに告げた。


「いっぱい、いっぱい必要なんだ。いっぱい」


「いっぱいって、どれぐらいですか」


「とにかくいっぱい。あればあるほうがいい」


「樹液が大樹から出るのにそれなりに時間がかかるんじゃないですか……?」


「わかってんだよ、そんなことは!」


 そう言って結局うるさく地団駄を踏むリーチェ。これは相当フラストレーションがたまっているな、とユリアーナが困っていると、ヘルムートが近づいてくる。


「リーチェ様、お静かに。樹液を取りに行くんですか」


「そうだ。あと、あれだ。テレージアも連れていく」


「え……」


 ユリアーナは驚いてヘルムートを見た。ヘルムートも初耳だったようで、眉根をひそめてリーチェに「何故ですか」と尋ねる。


「あれはよろしくない。神聖力が枯渇し始めている」


「!」


「毎日毎日病人相手にしているからだ。だから、半日でもここから離して、森で休ませてやらないと、テレージアが死んじまう」


「ええ……? 森で休むと何かあるんですか……?」


「ああ? 馬鹿だな。あそこは力の回復が早いのさ。さすが『魔女の家』ってやつだ」


 馬鹿だな、と言われても、魔法を使えないユリアーナとヘルムートにはそんなことはこれっぽっちもわからない。とはいえ、彼が言う「魔女の家」について、ヘルムートは心当たりがある。


「あなたがおっしゃるのは、おとぎばなしの『魔女の家』の話ですよね?」


「そうだ。いや、おとぎ話には書かれていなかったかな? あの家にいると、魔力の回復が早い。魔女が作ったからそうなのか、そうだったからあそこに魔女が作ったのかはさておき、ってやつだ」


 魔力というものについて、彼らはよくわかっていない。だが、リーチェが言うならばそうなのだろう、と思う。


「僕があそこから離れられないのもそれ。要するに、あそこにいたからユリアーナに治癒を施し続けられただけで、そこから出てここに来たら、そんなに力が持たないんだよ。そんで、魔力が枯渇してる間にユリアーナは死んでたかもな。その上、あの空間にはそう多くの人間は入れない。入れて5,6人ってとこじゃないかな……」


 何にせよ、いつまであの空間があるかはわからないけどな、と言ってリーチェは肩を竦めた。大昔の魔女が作り上げた空間。そこに一人で――今はガートンがいるが――住んでいる長寿の一族の末裔。彼は「僕は世界の終わりを見るために長生きしたわけじゃない」と言って


「ユリアーナを借りていくぞ」


 とヘルムートに言うと、彼女の手を握ってさっさと歩きだした。傍から見れば、子供が大人を連れて行っているように見えるが、ヘルムートの目には頑固なおじいさんがぷんぷん怒りながらユリアーナを連れていくように見え、少し笑えた。




「わあ、もう用意してある」


 神殿の一角の床に、あれこれとまた魔方陣が描かれていた。だが、来た時より規模は小さい。


「ありゃあ、よくわからんところに飛ぶためのものだったからな。今回は家に帰るんだ。そう大した移動魔法じゃないし、僕の血も必要ない」


 と説明をされても、ユリアーナは「ふーん」としか相づちを打てなかった。それからほどなく、テレージアとラファエルがやってくる。


「ラファエルも行くんですか」


「テレージア様をお一人にはさせられないので」


「そっか。確かにそうですね」


 そこで会話は終わる。ユリアーナは、ぱちぱちと瞬きをして、ちらりともう一度ラファエルを見た。彼と会話をしても心が動かない、と思う。胸の奥に感じるものがない。それは、もしかしたら「ラーレン狩りから生き残れた後」の世界を9回までのユリアーナは知らないからかもしれない。


(そういえば、最近は頭痛すっかりしなくなったんだよな……)


 ユリアーナはテレージアと目を合わせて、ぺこりと頭を下げた。テレージアも、少し困ったようにぺこりと頭を下げる。


「よっし、行くぞ。この魔法陣の上に立ってくれ」


 三人がきちんと魔法陣の上に載ったことを確認してから、リーチェは魔法を唱えた。足元から、白い光がどんどんあがっていき、彼らは空間を移動した。




「はっ……! はあっ……、はあっ……」


 移動をした、と思った直後、ラファエルががくりと膝をついた。テレージアが「ラファエル!?」と声をあげる。


「あ~、お前、もしかして移動魔法の耐性がないな?」


「い、移動、魔法の、たいせい……?」


「うん。たまにいるんだわ。おーーーい、ガートン、こいつ、ソファに座らせといてくれ!」


 移動をしたと思えばすぐにガートンを呼びつける。ガタン、バタン、と大きな音を立てて、ガートンが「その前にただいまとか色々あるでしょうが!?」と言いながら魔方陣が設置された部屋まで歩いてくる。


「えっ」


 やってきたガートンはテレージアとラファエルを見て驚く。テレージアも、不安そうな表情でガートンを見て、それから息を飲んだ。


「ラ……ラーレン……?」


「ガートン、こいつ移動魔法の耐性がないみたいだから、ちょっと休ませてやってくれ。ニルコスの茶を飲ませとけ。それから、テレージアもラファエルの横にでもソファを持ってきて面倒見ながら、ゆっくり休んでいてくれ。僕たちは樹液を取って来る」


 リーチェはそう言うと、さっさとユリアーナを連れて外に出て行った。いつもながら、説明が足りない。ユリアーナはそう思ったが、ガートンはあっさりと「わかりました」と返す。出来た執事みたいなものだ、とユリアーナは苦笑いを浮かべた。




「リーチェ様、実はご自分の休憩も兼ねたんでしょう」


「おっ、バレてたか」


「引きこもっていらしたのに、あんなに人がたくさんいる場所にいかれたんですもの、お疲れじゃないわけがない」


「そういうこと。いや、でも樹液が必要なのは本当だ。どうにもな……僕が作っていた薬が、やっぱり一番効き目があるようでな。でも、それを大量に作るには樹液が足りない。一つ、樹液の濃度をあげて作ったんだが、それがかなりイケてたんだよ」


「えっ、本当に!?」


「うん。だが、それだけだ。そんな濃度で作ったって、10人20人程度しか救えない。それを作るとなると、他の者たちへの延命をしている薬を作る余裕もない」


「そうなんですね……」


「とりあえず、樹液をとってもっていかなきゃいけないんだが……」


 そう言って、リーチェは木の肌を剥いで傷をつける。そこから樹液を採取するために、ホースと容器をセットする。それを何か所か行う。


「さて、と」


 仕方ない、というしかめ面をして、リーチェは何らかの魔法を唱えた。だが、どうにもよろしくないようで「チッ」と舌打ちをする。


「それは、何を?」


「大樹に成長の魔法を施した。それをすると、樹液も一緒に多く排出するはずなんだ。だが、もうこの木はそんなに育たないようでな……ここにいられるのも、そう長くないかもしれないな……くそっ!」


 そう言って、リーチェは大樹の根元を蹴った。それへユリアーナは「もう! なんてことするんですか!」と怒る。まったく、大樹に対する畏怖やらこの男にはないのか、と思う。


「別にわたしが付いてこなくてもよかったですよね……?」


「あ? 馬鹿だな」


とリーチェは口の片端を吊り上げて言った。


「樹液がこの容器にたまっても、僕は持たないからな」


「ええ~!? わたしだって病み上がりですよ!?」


 ひどい、と叫ぶユリアーナ。それへ「まあいいだろう。二時間ぐらい放っておこう。その後はガートンに任せておく」と言って、リーチェはユリアーナと共に家に戻った。




「あっ……」


 家に戻って来たリーチェとユリアーナが共用部に行くと、ぐったりと眠っているラファエルの横で、テレージアがソファに座っていた。


「ああ、寝ちまったか。しょうがないよな。移動魔法に耐性がないやつは酔っちまうんだ」


「そう、なんですね」


 テレージアは少しそわそわとした様子で、リーチェを見て、ユリアーナを見て


「あの……」


 と声をあげる。が、それにかぶせるようにリーチェが「テレージア、神聖力が回復するのが、わかるんじゃないか?」と言った。


「は、はい。なんとなく、ですが……いつもは、こんなふうに感じないのですけれど……」


「いつもは、ちょっとずつしか回復しないからな。この空間なら、回復が早いので感じやすい。僕も休もう~っと。ユリアーナ、二時間経ったら起こすようにガートンに伝えてくれ」


「あっ、はい」


 ユリアーナが返事をする前に、リーチェはさっさと部屋から出て行ってしまう。入れ替わりでガートンがやってきて、ユリアーナに茶を出した。


「ガートン、リーチェ様が、二時間後に起こしてって」


「ああ、わかった。まったく、相も変わらず身勝手な方だ」


「だよねぇ。あ、ありがとう」


 ユリアーナも仕方なくソファに座って、ガートンが置いた茶に手を伸ばした。ガートンはさっさとその場から去って、自分の部屋に戻ってしまった。共用部には様々な形のソファが適当に置かれているし、茶を置くテーブルも小さいものがいくつもある。雑然とした場所ではあったが、不思議と「空気が良い」と思えた。


「テレージア様も、驚かれたでしょう? リーチェ様、ほんっと適当で身勝手な方で」


 ユリアーナはそう言ってテレージアに話しかける。テレージアは驚いた表情を見せてから答えた。


「驚きましたが……あの方は、本当の魔法使いで、色々なことをご存じなのと、決して嘘は言わない方なのだと思いましたので……」


 その言葉にユリアーナは驚いた。そうだ。確かにそうかもしれない。彼は決して嘘は言わない。本当のことばかりを口から投げつけて、相手を傷つけつつ、正しく導こうとする。


「はははっ、そうですね。嘘はおっしゃらないですよ。確かに。そっか、本当のことばかり口に出すから、痛い言葉が多いのか……」


 そう言ってユリアーナは小さく笑った。


「あの……ユリアーナさん……」


「あっ、はい?」


「その……ユリアーナさんは……ラーレンだったの、ですか……?」


「はい」


「っ……あっ、あのっ……」


 テレージアはそれ以上言葉に出来ず、葛藤をしているようだ。その様子を見たユリアーナは、肩を竦めて話を先回りした。もう既に慣れたことだった。


「わたしの翼で、テレージア様は助かったようで、よかったです」


「! ……やっぱり、やっぱり、そういう、ことだったんですね……?」


「はい。あれですよ。別にテレージア様を恨んで……うん。テレージア様のことは恨んでいないかなぁ~……なんかちょっとよくわからないけど……うーん……難しい」


 そう言ってユリアーナは苦笑いを見せる。テレージアはいくらか怯えた様子を見せていたが、落ち着こうと思ったのか、すう、と深呼吸をした。それから、ようやく気持ちが収まったようで、ユリアーナに頭を下げる。


「申し訳ありませんでした。あなたの翼を切って……きっと、きっと、わたしが想像しているよりも痛かったのでしょうし、今、そうやってお元気そうにしていらっしゃっても、きっと……大変でいらっしゃったのでしょう……申し訳ありません……」


「ううーん、その、えっと、謝罪も……そうですね。謝罪もいらないです。顔をあげてください」


 ユリアーナは、翼が切られてからのことをあまりテレージアに語りたくないと思った。だが、テレージアはテレージアで、ヘルムートがずっと行方をくらませていたことを考えて、少なくとも二ヶ月ユリアーナは回復をしなかったのだろうとわかっている。テレージアは、顔をあげたが目を伏せ、震える声で続けた。


「言い訳になるかもしれませんが、わたしは自分が治ってからラーレン病だったと知りました……知っていれば……薬は……」


「飲まなかった? それは嘘でしょう。ただ、後からラーレン病だったと気付くよりも、飲むのがしんどいだけで、多分テレージア様は飲んだんじゃないかとわたしは思いますけど」


「……」


 それは図星だ。テレージアは頬を紅潮させた。泣きそうになるのをこらえているその様子に、少しだけユリアーナは情が湧いた。


「でもまあ、知らずに薬を飲んだのでしょうし。あなたは自分でわたしを傷つけようとしたわけではないので、それもう仕方がないことなんだと思っています。ヘルムートのことは許せないけど」


「!」


「そう。困ったことに、許せないんですよね……どうしたら……どうしたら、ヘルムートを許せるようになるんでしょうね……」


 そうだ。自分はヘルムートを許せない。だが、心のどこかでは、彼を許したいとも思っているのだ。ユリアーナは「彼を許せないのは……彼が、テレージア様を選んだからだ……」と心の中で呟いた。だが、彼のそのおかげで、今この世界の崩落が食い止められている。そう思うと、自分の犠牲は確定していたのだ、と苦々しく思うばかりだ。

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