第49話 リーチェの警告

 聖堂では、大量の患者が毛布をかけられて椅子の上やら床の上で横たわっていた。聖堂は人々が集って座って、神官の話を聞いたり儀式を行う場所だ。よって、重たい長椅子が大量に並んでいる。椅子の上は体があまり大きくない者、床の上は椅子で眠れないほどの体の大きさの者、とわかれているようだ。ここに収容されても身動きが取れず、みな窮屈そうだ。


 その中、ぱっと見て20人ほどの男女が患者に一人ずつ声をかけて、薬を飲ませている姿が見えた。勿論、その中にヘルムートも含まれている。


「ヘルムート」


「ああ、起きたか」


「うん。わたしも、手伝うよ」


「そうか。一人、一粒ずつだ。あそこにリーチェ様が作ってくださった薬がある。それから、そっちに水があるので、汲んで使ってくれ」


「わかった」


 ユリアーナがそう言った時、聖堂の入口をドンドンと叩く者がいた。神官たちは聖堂奥にある通路から出入りをするが、入口は今は閉鎖している。驚いて出入口近くの女性がおずおずと向かうと、怒鳴り声が外から響いた。


「開けろ! ラーレン病に効く薬作ってるって聞いたぞ! 今すぐよこせ!」


「今すぐよこせ!」


 一人二人ではない。相当な数の人々が聖堂に押し寄せている。そのすぐ脇では、テレージアに術を施してもらおうと人々が列を成しているのに無茶苦茶だ。


「大丈夫だ。開けるな」


 ヘルムートがそう言うと、出入口近くまで行った女性は「はい」と青ざめた顔で頷いた。やがて、外でがやがやと争う音が聞こえた。テレージアの護衛騎士たちが、騒いでいる者たちをどうにか退けたようだ。


(こんな騒ぎは、まだ可愛い方だ……下手したら、テレージア様を攫うような頭がおかしいやつらが出てきてもおかしくないし……)


 そして、この先それはどんどん増えていくのだろうと思う。ユリアーナはぞっとしながら、ひとまずはヘルムートたちと同じように、患者に薬をどんどん飲ませていくのだった。




「みんな、ありがとう。一休みをしてください」


 夕方、テレージアは離れにいる医師チームのところへ顔を出した。人々は、疲れた顔で頭を下げて「はい」と言ったが、きっとそうもしていられないだろうと思う。


「お前がテレージアか」


「え……」


 そんな風にテレージアに声をかける者は、同じ王族で、立場が上のものしかいない。テレージアは目を丸くして、声の主を見た。リーチェだ。少年のような見た目なのに、言いぐさがひどい。


「あなたは?」


「昨日、ヘルムートに連れて来られた。リーチェと言う。お前、そのまま続けていたら、死ぬぞ」


「えっ……」


「結界を張りながら治療だなんて、馬鹿げてる。お前、そんな状態で、突然自分の神聖力がなくなったらどうなるのか、考えたことがあるのか。今のお前は紙一重だ。いいか。今日からもっとちゃんと寝て、僕の薬を信じて、明日も明後日も、しあさっても、午前中は休んでおけ。お前が大丈夫といっても、お前の中の神聖力がお前の魂を食いつぶす。やりすぎて、払えなくなった負債を魂に求めて、どんどんお前の体を侵食する」


 テレージアだけでなく、周囲の医師たちもリーチェのその真実を含んだ暴言に驚きの表情を見せた。


「そうすると、眠って回復する神聖力も、最初からお前の魂に負債を求め始めて、あっという間にお前は死んでしまう。いいか、寝ろ。回復しろ。神聖力が尽きてないと思っていても、それは気のせいだ。お前のは、なんだ、あれだ。えっと……初心者ハイってやつだ」


「初心者はい……?」


「神聖力を使うのに、まだお前は初心者だろう。それで、あれもこれも出来るから、って今、こう、気分が高揚して、それで、浮かれてなくても浮かれてるような状況だ。神聖力ってのはまるで神様に祝福されたような名前だが、それは勝手に人間たちがつけた名前だ。本当は、何にでもデメリットがある。神聖力は、それを振るえない負債があれば、術者の魂を喰らうんだ。喰らって、まるで神聖力が尽きていない顔をする。だが、魂はいつかは尽きる。いいな。僕は忠告したからな」


 お前は、テレージア様に何を……と、テレージアの護衛騎士や医師たちからリーチェは非難を浴びる。だが、クライヴはテレージアに


「多分リーチェが言うことは間違っていないのだと思います。テレージア様、お体を休めてください。その、神聖力が回復するとかそういうことは僕らにはわかりませんが……僕らも、精一杯の努力をしますから、テレージア様も『休む』努力をしてください」


 と言った。その言葉を聞いたテレージアは、みるみるうちに両眼に涙を浮かべて、はらはらと頬からそれをこぼした。みなはぎょっとして「テレージア様」と口々に言ったが、テレージアは「大丈夫、大丈夫です……」と手を振る。


「わかりました。心に止めておきましょう。お言葉通り、明日以降も午前中は休ませていただきます……」


 それへ、誰よりも早くリーチェが返事をする。


「それがいい。お前は、ラーレン病から回復して自分がとても元気になったと思っているだろうが、それでも器はそう丈夫じゃない。ある日突然破綻が来る。いいか、絶対死ぬなよ。お前の命はユリアーナの翼で救われた。ラーレンから空を奪った代償は大きい。たとえ、そのラーレンが生きていてもだ。お前の命は、お前のものであるが、お前のために翼を切られたラーレンのものでもある」


「!」


 リーチェの言葉にテレージアは目を見開いた。


「僕は、正直な話をすると、ヒュームのことが嫌いだ。ヒュームと関係を持ちたくなくて、普段は引きこもっている。だが、薬は作る。絶対に」


 そう言うと、リーチェはテレージアの前から去って、部屋の奥で作業をさっさと再開した。が、彼は「はっ」と後ろを振り返って


「クライヴ、お前、僕のことを呼び捨てにしたな!? 様をつけろって言っただろう!?」


 と叫び、クライヴは「面倒だなぁ~……」と苦笑いを見せた。テレージアはそれへ、涙がまだ残るままわずかに微笑み、その場をあとにした。



「そっか。ラーレン病でこの世界が滅びるんだ……」


 その夜、ヘルムートの部屋でユリアーナとヘルムートは会話をしていた。ほかの誰にも聞かれない場所となると、そこしかない。


 それから、ラーレン病を完治させる薬を作れる「可能性はある」こと、それから、テレージアの力ではラーレン病は退けることが出来ないこと、そして、彼を大樹に導いたことについて「お前は本当によくやってくれている」という発言を「神」がしたという話をヘルムートは告げた。

 

「薬の出来はどうなんだろうね」


「そもそも、ここ最近ラーレン病の特効薬についてはほとんど誰も研究をしていないんだ。王城の医師が二人ほど取り組んではいたが、言っても彼らはラーレン病の患者を診たことがないし、本業の片手間だったからな。下火になってかなり年数が経過をしていたし、いざとなったら研究所のラーレンを使えばいいと陛下はお考えになっていて……だが、研究所はとっくに場所を移していて、王城からの費用も打ち切られている状態だった。それを、どうも陛下はお忘れになっていた様子だ」


「ええ~、そんなことあるの……」


「表向きはな。裏では、繋がってる可能性はあるが……それは、眉唾な話だ。それほど、もうラーレン病は一般的ではなかったんだ」


 なるほど。ユリアーナからすれば、ラーレン狩りに怯えてずっと生きていたものの、実際のヒューム側から見れば「ほとんどかからない」ぐらいにはなっていたのか、と思う。


「だが、クライヴ先生が、この二ヶ月近く絶えず研究をしていらしたようで……」


「あっ、そうだったって聞いた」


「ああ……持ち込まれたラーレンの翼を見て……もしかして、君の翼だったんじゃないかと想像をして。だが、怖くて、君の家に確認に行けなかったんだそうだ。その、君の家に行かない理由を作るため、というのも込みで、それからずっとラーレン病の特効薬を作ろうとしていたらしい」


「ええ……?」


「そもそも、ラーレンの翼を使って薬を作れる力量がある時点で、クライヴ先生はラーレン病について相当詳しい。その自覚はおありになっていて、以前から手が空いた時にはちょこちょこと研究はしていたらしい」


 そこまでは知らなかった。ユリアーナは口を半開きにして「へぇ~!」と驚くばかりだ。 ヘルムートの話によると、今はリーチェとクライヴの二人がメインとなって医師チームを動かしているという。とは言っても、リーチェは自分勝手なことばかりしているので、半ばみなに放っておかれているようだ。ただ、彼の知識や技術については誰もが一目を置いている。


「わたしたち、凄い先生と出会っていたのね」


「そうだな。本当に。それで、研究所なんだが……」


「あっ、うん」


 ラーレン研究所。その存在をユリアーナはうっすらとは思い出した。記憶の彼方で、そこで自分が生まれたとか、そこで幼少期育ったということは、ほぼ「後で考えたら」そうだったかもしれない、という程度の理解だ。


 昔と違って王城の手から離れた研究所は、場所を移動して細々と研究が続けられていたのだと言う。それは、そこから逃げて来たというコーカに運よく出会って聞き出すことが出来たらしい。


「この流行りの初期に研究者がラーレン病にかかったのか、生き残っていたラーレンの翼を切って全部殺してしまったらしい。だが、そこのラーレンの翼からでは、何故か十分な薬を作れなかったようで、研究員同士で薬を奪い合って殺し合いが起きていた。もう完全に研究所は解体だ。数体コーカもいたが、その者たちは外に出した。それから、子供のコーカ……多分、ラーレンに産ませていたのだろうが……その子たちは、みな弱っていて死んでいた。生き残っていた研究員は、今もラーレン病で倒れている」


「そんなことが……」


 恐ろしい。ユリアーナはぞくりと震えた。だが、薬の奪い合いに近いことがそのうち起こる。今日まさに、聖堂に人々が集まって薬を要求していた。護衛騎士が今日はどうにかしてくれたが、明日は、明後日は、と思うと呑気にしていられない。だが、自分に出来ることは何もないのだ……。


「今はまだ、ヒューム族だけだ。だが、そのうち、他の一族にも流行りだす。そして、動物たちにも」


「ヘルムート……ヘルムートは、ヒューム族だよね?」


「そうだな」


「……」


 かからないで。そう言いたかったが、言えない。そんなことはわからない。いや、このままでは「そのうち罹患する」に決まっているのだ。ヘルムートも、自分も。


「俺もまあ、いつまで無事かはわからないが、生きている限りは何かしなければな……」


 その彼の言葉に、ユリアーナは頷いた。


「翼を切られた君だって、いつかかるかはわからない。だが、きっとヒュームの俺の方が先だろうな」


 それへ、ユリアーナはうまく言葉を返せなかった。そんな彼女に、ヘルムートは手を伸ばし、頭をぽんぽんと叩く。じわりと目元に涙が浮かんできたが、ユリアーナはそれをぐいと手でぬぐった。

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