第45話 神殿
移動魔法を使う、とリーチェが言ってから一時間。リーチェの家の一角に、それ専用の部屋があると、ヘルムートとユリアーナは初めて知った。その部屋の床に、何やら記号のような、何かを描くリーチェ。円を描いた内側に何やらを細かく描いている。それを見て、ユリアーナは「魔方陣?」と尋ね、リーチェに「お前、よくそんなことを知っているな? 大昔の術なのに」と言われる。尋ねたユリアーナはユリアーナで「ほんと、なんで知っていたんだろう」と頬を赤くした。きっと、転生前の知識だか何だかに違いない。
また、ガートンはリーチェの指示通り、彼の研究成果を貯めていた部屋から薬を大量に持ち出し、麻の袋に詰め込んだ。とりあえず、ヘルムートが抱えられるぐらいの量を持っていくことになる。
「こんなかなぁ~、知らない土地に行くの、20年ぶりぐらいだから不安なんだよなぁ~」
「リーチェ様、どちらに……?」
おずおずとヘルムートが尋ねれば、リーチェは当たり前のように答える。
「神殿だよ、神殿。王城の近くにある神殿だろ? そこにテレージア様がいらっしゃるんだろうよ」
「そ、そうですが」
「任せておけ。王城付近には昔3回ぐらい行ったことがある。だから、まあ、おおよそ……ううん、おおよそ、多分、大丈夫……とりあえず飛んでみるか」
リーチェは自分の研究道具を大量にリュックに詰め込んで、ユリアーナに渡して自分は手荷物を持たない。が、それも仕方がないとヘルムートとユリアーナは思う。何故ならば、リーチェはそれこそ筋金入りの「引きこもり」だ。病み上がりのユリアーナに荷物を持たせるほどの。
「よーし、行くぞ……二人とも、この床の上に載ってくれ。じゃ、ガートン、暫く留守にする」
「はい。いってらっしゃい」
「うん……『空間を歪めて遠き地に繋がる許可を得るため、リーチェ・ルー・リラの名をもって問う』」
そう言うと、次の瞬間リーチェは自分の腕にナイフを突き立てた。突然のことで、ユリアーナとヘルムートはびくりと体を竦めた。流れる血を魔方陣に落とす。すると、その血が落ちた場所から、描かれた文字はぱあっと白く光り始めた。全体が光るまで少しばかり時間がかかる。
「ひっ……」
「おいおい、お前たち、これでびびっていたら、最後まで付き合えないぞ~」
うそでしょ、とユリアーナはヘルムートを見た。ヘルムートは唇を噛み締めて、リーチェの次の行動を見つめるだけだ。
「よしよし、許可が出たな。『空間を歪めて遠き地に繋がる許可を得た。リーチェ・ルー・リラの名をもって門を開き、遠き地へと旅立たん』」
その後に更にリーチェが唱えた魔法は、言葉としてユリアーナたちの耳には届かなった。何かを言っている。だが、何を言っているのかはわからない。異国の歌を聞いているようだった。だが、その歌を語りながら、リーチェは更にナイフを腕に突き立て、血を大量に流す。
これが、魔法か。ヘルムートはぞくりとした。彼が知っている魔法と、リーチェが使う魔法はまったく違うものだった。なるほど、こうやって何かしらを捧げることで、大きな力を使えるようになるというのか。魔女と呼ばれるものたちがいなくなったのもわかる、と思う。
どれぐらい時間が経過しただろうか。やがて、足元の白い光は強くなって、彼らの膝ぐらいまでを照らすほどの明かりになる。と、思った瞬間、ドン、と何か大きな音がして、彼らは移動魔法を使って王城方面に移動をしたのだった。
「大当たりじゃないか? なあ、僕、凄いだろう?」
「す、す、すごい、です……」
あんぐりと口を開けるユリアーナ。周囲を見ると、そこは「多分神殿」と言えるような建物の中だった。清潔な空間。空気まで違うように感じる。冷たい白い柱が多く並んで渡り廊下が続いている。そこに彼らは突如現れた。
「そ、その前に、血、血を、止めないと……あれ?」
「血はとっくに止めた。基本的に治療術師なもんでな。で、どうだ? 神殿ってここでいいんだろう?」
リーチェのその言葉にうなずくヘルムート。すると渡り廊下の向こうから数名の人々がこちらに向かってやってくる姿が見えた。彼らは三人を見るとぎょっとした形相になる。
「誰だ、君たちは。今ここに入るには許可が必要だ。どこから入って来た!」
困ったな、とユリアーナがちらりとヘルムートを見ると、ヘルムートはユリアーナとリーチェの前に進んで頭を下げた。
「突然の無礼を許されたい。わたしは第二騎士団のヘルムート・オーディールだ」
そう言って、何かの証を彼ら神官に見せるヘルムート。彼の言葉に、ユリアーナは「えっ」と声をあげた。
「護衛騎士じゃなくなるって……」
「そうだ。護衛騎士ではなくなったので、王城直属になってしまっていて……今、辞職手続き中だ。あちらも現在俺は休職扱いになっており、あとひと月俺の行方がわからなければ除籍手続きをする予定だとは言っていたのだが」
「そうなのね」
やって来た人々は神官服を着ている。ユリアーナはこの世界の信仰についてはよくわかっていなかったが、それはともかく彼らがおろおろとしていることだけはわかった。
「騎士団員が何用か」
「テレージア様にお目通りを願いたい。以前、テレージア様の護衛騎士をしていた者だ。実は、ラーレン病の進行を遅らせる薬を入手してきた。ラーレン病の薬を作っているのは、こちらではないとは思ったが、必要な患者はこちらにいるのだろう?」
「何だって? 薬であれば、一度その成分を確認しなければいけない。この神殿の離れに医師たちが集まって薬の調合を行っている。そちらで確認をしてからでなければ薬を飲ませることは出来ないな」
「わかった」
「もう夕刻にはなるが、ひとまずテレージア様にお会いすると良い。その間に、薬とやらを調べてもらうように依頼をしよう」
それにリーチェが口を挟む。
「薬は、いろんな種類があるんだ。それを調べてもらっていたら、何日あっても足りない。さっさと飲ませちまえ」
「何だと!?」
声を荒げられ「あなたは何者だ」だとか「一体それは」だとか口々にリーチェに何かを言っていたが、それらを無視してリーチェはヘルムートに手をひらひらと振った。
「とりあえず、僕は薬を持っていく。おい、お前、これを持って、その薬を作っているところに連れていけ。ヘルムートはテレージア様んところに行くんだろう? 僕とユリアーナは、薬作ってるところに先に行ってるから」
そう言って一人の神官に、ヘルムートが持っていた薬の袋を無理矢理持たせるリーチェ。
「あ、あなたはどなたなのですか!」
慌てて神官が言えば、リーチェはようやく返事を返す。
「ラーレン病に効く薬を作りに来た。時間が惜しい。早くしてくれ。そうこうしている間に、死者が増える。急げ」
そう言った彼の目は据わっており、慌ててヘルムートは「リーチェ様」と声をかけた。すると、いつにも増してリーチェは口を歪める。彼のそんな表情は初めてのものだ。
「ヘルムート。こいつはやばい。本当に聖堂にいるラーレン病の患者の人数、凄いもんだ。僕にはわかるぞ。この神殿だけでも数百人以上いる。こりゃあ、本当にお前が言ったみたいに、えらいことだな。神殿の外にも大量に人が並んでいるんだろう? 王城付近でこれじゃ、そのうち世界が滅んじまう」
世界が滅んじまう。そのリーチェの言葉に、ユリアーナとヘルムートの背筋に冷たいものが走る。世界が、滅ぶ。ラーレン病のせいで? しかし、ラーレン病に一度なった者は、二度目はかからないと言う。言うが……
(そんな……でも、ラーレン病になった者は、ほとんどが死んでしまうと聞いた……)
致死率が高い病。そして、特効薬が「ほぼ」ない病。それがこの国を、いや、この世界を蝕んでいくのか、とユリアーナは不安そうにヘルムートを見た。見れば、ヘルムートもわずかに眉根を寄せている。
「わかりました。申し訳ないのですが、この二人を、薬を作っているところへ案内していただけませんか」
「わかりました」
渋々と言った体で神官は頷いて、ユリアーナとリーチェを案内する。また、ヘルムートはテレージアの元へと他の神官に連れられて行った。ちらりと去っていくヘルムートの背を振り返って、ユリアーナは「まあ、そりゃしょうがないよね」と自分を律した。
神官に連れていかれた「離れ」は、とんでもないことになっていた。10人ほどの医師が血眼になってああでもないこうでもないとぶつぶつ言いながら薬の成分やら何やらを調べている。
「誰か、持ち込みの薬の成分を調べてくれないか」
神官がそう言って入っていくと、ゆらりと一人の男性が「はい」と手をあげた。
「クライヴ先生!」
「え……?」
目の下に隈が出来ていて、体も少し瘦せていたが、それはクライヴだ。ユリアーナは声をあげて、クライヴに駆け寄る。
「き、君、ユリアーナじゃないかっ……!」
「先生、お久しぶりです……あのっ、カミルさんが……」
「待って、待っておくれ。なんだい、君、翼……」
彼女の背に翼がないことを確認して、みるみるうちにクライヴの瞳に涙が湧き上がってくる。やっぱりそうだったのか、と彼は唇を噛み締めた。
「先生が、わたしの翼で薬を作ってくださったんですよね? わたし、なんとか一命をとりとめて……」
「やっぱり。やっぱりそうだったのか。君だったのか……カミルから聞いた。翼に、白いものがって……それで……」
と言いながら、クライヴは両眼にあふれた涙を袖口でぐいとぬぐった。
「生きていて、生きていてくれて、ありがっ、ありがとう……うう、う……すまない……僕は、翼が用意されていれば……もう、薬を作るしかなくて……」
「大丈夫。わかっています。大丈夫です」
と、会話をしていると、リーチェがいささかつまらなそうに
「で、薬を確認してくれないか。僕が作って来たんだが」
不貞腐れたように声をかける。クライヴは何度か目をこすって、それからリーチェを見て驚く。
「わあ、わあ、これは。シーライ族じゃあないですか。これは。まだ生きていらしたとは、驚きです。ああ、初めまして、僕はクライヴと申します」
「お前、僕の一族を知っているのか?」
「はい。以前、あなたの一族の、自分が末裔だとおっしゃっていた人を看取りました。280歳と言っていたかなぁ……褐色に金髪で、幼い風貌で。ああ、僕はクライヴと言います。失礼ですが、お名前をうかがっても?」
「リーチェ・ルー・リラだ。きっと、本当の末裔は僕だ。森の奥でずっとラーレン病について調べていた。単なる延命にしか役に立たない薬しか作れていなかったが、今はそれだけでも需要があると聞いて、ひとまず300人分ぐらいを持ってきたが、それでは足りなさそうだなぁ」
そうリーチェが言うと、他の医師たちも近寄って来る。
「300人分だって?」
「そんなにたくさんの薬を?」
「ひとまずは。ここ20年作り続けて、保存魔法をかけた瓶に入れておいた。その一部を持って来ただけだ」
保存魔法。ざわめきが起こる。ここにいる医師たちは、当然のように治療術師でもなければ、魔法に詳しい者もいない。が、クライヴだけはあっさりと答えた。
「なるほど。あなたは魔法を使われるのですね。保存魔法を使う方とは初めてお会いしましたが、それは便利そうだ」
「とはいえ、保存魔法は完全に時を止めるわけではないので、若干の劣化はあるかもしれん。それに、当然研究の途中で効果はまちまちだ。僕は完治のための薬を目指していたんだが、どうにも延命治療止まりでな……ひとまず、成分とやらを調べたりしてくれ。それから、こっちで有効だと思われている成分についても、誰か説明をしてくれ」
「わかりました。シーライ族であるあなたは、きっとここにいる誰よりも長く生きて、長く研究をしていたんでしょうね。歓迎します」
そう言ってクライヴは迅速に薬の調査を3人の医師に依頼をし、彼がリーチェに説明をすることにした。後ほどリーチェはこの時の心境を、ユリアーナに「あいつがいなかったら僕の立場はなかなか得られなかっただろうから、ちょっとだけ感謝をしている」と話したと言う。そして、更に「ちょっとだけな!」とわざわざ念を押したのだから、結構感謝をしていたのだろう、とユリアーナは心の中でにやにやと笑ったのだ。
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