第44話 迫る災厄

 戻ってくる、と言っていたヘルムートが、戻って来ない。ユリアーナはそれなりに動けるようになって、ガダーエの町にも行ったし、それから一度だけ野営をしていた場所にも行った。そこは、どうやら自分を追いかけていたラーレン狩りをしていた者たちが、ガダーエに帰る際に寄って、好き放題ものを使い散らかしていたようだった。食料は食べつくされていたし、寝床はぐちゃぐちゃになっていた。ユリアーナはそれを見てうんざりしたが、少しずつ片付けることにした。


 一週間、二週間。ユリアーナは、クライヴのところに行こうと心に決めた。きっと、クライヴはユリアーナの翼を使って薬を作ったに違いない。それは別に恨めしくは思っていないが、当人は気にしているだろうと思う。大丈夫だ。そのラーレンは生きている、と姿を見せてやれば、少しは彼の心も和らぐのではないのかとユリアーナは思ったのだ。


「こんにちは~」


 クライヴの家のドアをノックする。すると、中からバタバタと大きな音がして、すさまじい剣幕でバタンとドアが開いた。


「……ユリアーナさん!?」


「あっ、カミルさん。お久しぶりです」


「あ、あ、はい。お久しぶりです……」


 カミルはユリアーナを見たと思えば、意気消沈する。が、それから彼女の翼がないことに気付いて「翼はどうしたんですか!?」と驚いて問いかけて来た。


「あの、えーっと……その……実は……そのう、わたし、ラーレンになってしまって……」


「……あっ……」


 その言葉で、カミルはさあっと青ざめた。まさか。でも。翼がないということは。


「多分、わたしの翼で、そのう、クライヴ先生がお薬を作ったんじゃないかと思うんですけど」


「ああ……そう、そうだったんですね……なんてこと……痛かったでしょう……? よく、よく生きていられて……」


「本当に運よく生きることが出来ました。先生は、お留守ですか?」


 そう尋ねると、見る見るうちにカミルの瞳には涙が溢れて来た。


「それが……クライヴは王城に連れていかれて……」


「えっ?」


「ラーレン病に効く薬を作れと……ラーレンの翼がなくとも、それを作れと、無理難題を言われて……王城の兵士たちに……連れていかれてしまって……」


 そう言って、カミルはほろほろと涙を流した。ユリアーナは驚いて「ええっ!?」と声をあげる。


「王城近辺で、ラーレン病が流行りだして……今は、テレージア様も王城に呼び戻されて、ラーレン病の患者の進行を止めていると聞きます。今は、恐ろしい勢いで病は拡大していて、この辺は田舎だからまだですが……どうやら、昔以上の速さで患者が増えているようなんです」


 カミルの言葉に、ユリアーナは目を見開いた。これは、大変なことが起きている。いくらなんでも世の中を知らない彼女でも、それがどういうことなのかはわかった。




 テレージアはギフェの別荘から王城へ移り、神殿の神官と共にラーレン病の患者の病の進行を遅らせるため、神聖力を日々注いでいる。空気感染なのか何なのかわからぬまま、その昔、ラーレン病が流行った頃以上の速度で患者は増えている。


 聖女としての力を取り戻したテレージアは、潤沢な神聖力を持っていた。だが、神殿の治療術師がラーレン病を治せないように、彼女の力でも完治は出来ない。ただ、進行を遅らせることだけはなんとか出来る。しかし、進行を遅らせるにしても、既に彼女一人の手には余るほどの人数、ラーレン病にかかってしまっていた。


 そんな状況のため、多くの医師が王城に集められ、ラーレン病の特効薬を作るよう命じられた。だが、そもそもラーレン病について研究をしていた医師などそうはいない。それでもやれと言われたらやらなければいけない。そんな場所に、クライヴは連れていかれた。


 彼は、テレージアの別荘から森に戻って以降、狂ったように薬を作っていた。それは、カミルの言なのだが、本当に人が変わったように、ラーレン病に効く薬を作らなければと言い出して、朝から晩までそれにかかりっきりになっていた。


 テレージアの別荘にいた時期が長かったため、町からやってくる患者は減った。時々今でもいるが、その患者はカミルが診察をして、彼女がどうにも出来ないときだけクライヴが処置をする。そんな感じで日々を過ごしていたのだと言う。




「すまない、遅くなった」


 その日の午後、ヘルムートがついに戻って来た。彼は切羽詰まった表情をしており、呑気にここで暮らす、なんてことは言えない様子だった。


「護衛騎士の任を解いてもらうのに時間がかかってしまって……別荘はすでにもうもぬけの殻になっていて、そのままもう戻ってきてもよかったんだが、どうも王城付近で……」


「ラーレン病が流行っているんですってね」


 そのユリアーナの言葉でヘルムートは驚いた表情を見せた。


「君も知っていたのか? この辺にまで広がっているのか?」


「ううん、カミルさんから聞いたの。クライヴ先生が、王城に連れていかれたって」


「そうか。それでなんだが……リーチェ様の力を、お借り出来ないかと思って……」


 見れば、ヘルムートはそのままもう一度森の奥に行くための装備をしている。とはいえ、大樹まで行っても、ラーレンがいなければリーチェのところに行くことは出来ない。


「情報を仕入れてから戻ろうと思ってな……本当に待たせてすまなかった」


「そうだよ」


 ユリアーナはそう言って唇を軽く尖らせた。ヘルムートはぱちぱちと瞬きをして


「待っていたのか。俺を」


「うん」


「申し訳ない」


「うん」


 ユリアーナは頬を紅潮させて、うつむいた。どうしよう、泣きそうだ、と思う。戻って来ると彼は言っていたが、もしかしたら戻って来ないのかもしれない……とここ数日思っていた。だから、今日こうやって彼が戻ってきてくれたことが、予想以上に嬉しかったようだ。


 そもそも、戻って来ると言ったって、彼が本当にいるべきところはここではない。それぐらいわかっている。彼が9回目までのラファエルのように、戻って来なくたって仕方がないと、ユリアーナはこの数日落胆していた。その反面「自分は、彼が戻って来ることをそんなに期待をしていたんだ」と思って、少し衝撃的でもあった。


「悪かった」


 すると、ヘルムートは手のひらで、ぽんぽんとユリアーナの頭を叩く。撫でるではなく、叩く。それを、ユリアーナは嫌だとは思わなかった。


「うん」


 ユリアーナが顔をあげると、ヘルムートは手を引いた。が、ユリアーナは自分の頭を彼の引いた手に向けて突き出して


「ん!」


 と言う。なんだ、なんだ、とわけがわからずその頭を見ていたヘルムートは、合っているのかどうかよくわからなかったが、もう一度彼女の頭をポンポンと叩いた。


「うん、許す!」


 そう言ってユリアーナは小さく笑って見せた。ヘルムートはあからさまにほっとしたような表情になる。彼の表情がそうやって不意に変わる時。気が緩む時が好きだ、とユリアーナは思った。


(以前は、終始難しい顔しかしていなかったのになぁ)


 その「以前」は案外と最近のことだ。だが、とても昔のことのように思う。そうだ。翼があった時のことが、何故かあまりに昔のことのように思えてしまう。


「君が同行をしてくれないと、リーチェ様にはお会い出来ないと思うんだが……どうだろうか」


「うん、行く。待ってて。準備してくるから」


「頼む」




 ユリアーナはバタバタと自分の部屋に戻って、あれこれと道具袋やリュックに詰めだした。彼女が準備をしている間、ヘルムートは居間のように使っている小さな部屋の椅子に座って、そっと自分の手のひらを見ていた。


(触れてしまった。無意識で)


 気づいた時には、怒られると思ったのに。


――ん!――


 彼の手を追いかけて頭を出すユリアーナを思い出して、彼はわずかに唇を緩めた。彼は、手のひらをぎゅっと握りしめる。


 自分は、翼を切り落とした彼女には許されない。それでいい。だが、今日の小さな許しは、彼の心をほっとさせたのだ。




「わあ……」


 リーチェの家を訪れると、今の彼はちょうど「健啖家」の時期だったらしく、大量の食糧に囲まれていた。もぐもぐと魔獣の肉を口の中に放り込み、果実酒でそれを流し込む。それから果物を二つほど食べた、と思ったら焼いた肉を包んだ葉物を口に入れる。


「そんで? なんだって?」


「リーチェ様に、ご協力いただけないかと思いまして」


「やだ」


 リーチェは食べながらヘルムートの話を聞き、即座に首を横に振った。


「しかし」


「僕の研究は僕のものだもん。ほかのやつらにはやらねぇ~!」


 口が悪い。それへ、ヘルムートは頭を下げた。


「そこをなんとか……このままでは、昔ラーレン病が流行った時以上の勢いで広まって、それこそ……みな、死んでしまうかもしれません。本当に、みんな」


 その彼の言葉に、ようやくリーチェはごくんと口の中に入れたものを飲み込んだ。それから、冷やした茶をごくごくと飲む。


「そこまで広がってんの?」


「はい。話によると、大陸を越えた他国でも流行っているようで……この大陸には、テレージア様がいらっしゃるので、まだなんとか王城付近にとどめておりますが……」


「凄いな。ラーレン病には治療術師の術は効かないって話なんだよね。それの進行を遅らせてるなら、テレージア様は『本物』だ」


「ええ。本物の聖女です。現在、神殿の聖堂に人々を収容していますが、それでもじわじわと増えて神殿に人々が並んでいるようです。人は、完治しなければ力がないと思うかもしれませんが、そんなことはない。そして、医者たちが集まる場所には結界を張りつつ、ご自分は一人ずつの治療をするなんてことは、本物の聖女でしかやり遂げることは出来ない」


「うん。とはいえ、限界はあるよなぁ」


 うーん、とリーチェは唸った。


「まあ、あれだ。症状の進行を遅らせることは出来るよ。それぐらいの薬は、いろんな種類、大量に作っている。それぞれがどれだけの効力があるのかは置いといて。そっちの倉庫に、そりゃ、山ほど。保存の魔法をかけてあるから、どれも新鮮なまますぐに使える。そうだなぁ~、ざっくり、8から900人ぐらいは、それで賄えると思う。一か月ぐらいはさ」


 それは、この場所で何十年もラーレン病のための薬だけを作り続けていた彼の研究成果だ。


「だが、王城付近で研究ってのは、いただけない。僕の研究では、ラーレン病に一番効くのは、この大樹の樹液の成分なんだよ。お前を治す時ももちろん使ったが、本当の効能はラーレン病そのものにこそ発揮できる。そう思っているんだけど……」


 大樹から樹液を摂取するにも限界がある、とリーチェは告げた。また、今彼が持っている「最大にラーレン病に効く」薬も、進行を遅らせるだけで完治はしないのだと言う。


「逆に言えば、大樹が枯れたら終わり。大樹が枯れれば、ここへの入り口も閉ざされる。ここはラーレンが集まっていた場所で、多くのラーレンたちに崇めたてられた大樹だ。この世界からラーレンが消えたら、もしかしたら大樹は枯れるかもしれないなぁ。ま、それは感傷的な推測だけど」


「どうして、ラーレンはこの大樹に……?」


「前にも話しただろうが、大昔、ラーレンたちは何人もこの木の枝に座って、この木の果実を食べて、日々歌を歌ったりしていたそうだよ。さすがに僕でも見たことはないけれど。翼で飛ばなければ木の枝に乗れない。そして、何人もが載ってもこの大樹は平気なほど太い。たくさんのラーレンが一斉に木々に止まる鳥のように集まることが出来る、この大樹をみなは愛していた……ってさ。ま、それは先代のじいさんに聞いた話だがね……仕方ねぇなぁ……」


 そう言うとリーチェは立ち上がった。


「移動魔法を使うぞ。おーい、ガートン! 出かけてくる! 当分帰らないから掃除でもしててくれ!」


 そんな彼に対してガートンが「掃除はこれでも毎日してます!」と遠くから叫んで近づいてくる。それへ、リーチェは「じゃあ適当に寝ててくれ!」とどうしようもないことを答えた。

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