第43話 帰宅

 リーチェの家に世話になっている間、ヘルムートは横になっているユリアーナによく話をした。勿論、彼女にねだられたからだ。


 特に何かオチがあるわけでもない、子供の頃の話。騎士見習いになった頃お話。そのどれを聞いてもユリアーナは途中で眠ってしまっていたので、話の進みは遅かった。だが、彼は二度も三度も同じ話を繰り返すことをいとわなかった。


 彼は「以前はこうやってテレージア様にもよく話をしたものだが」と言ったが、ユリアーナはそれに「そうなんだ」とだけ答えた。彼とテレージアの話は特に聞きたくない。だが、テレージアの話を止めるほどの気もなかった。ただ、この男は鈍いのだな……そう思い、少しだけおかしくなって、たまに静かに笑った。


「何を笑ってる……?」


「ううん、ううん、なんでもない」


 ユリアーナがそう言えば、彼は困ったように「何か気に障ったか」と言う。それが、あれほど自分勝手でわがままだった男かと思えば、またおかしくてユリアーナは笑う。


 しかし、彼もまた思うところはあったようで


「俺は、あまり人の心に聡くない」


と呟く。そんな彼の様子が更におかしくてユリアーナは笑い、今度は「そこで笑うのか」と彼に少しだけ怒られた。




 そこから更に一か月経過をして、ユリアーナとヘルムートはリーチェの家からようやく帰ることになった。ユリアーナの回復はリーチェが思っていたよりは早かったが「無理はするなよ」と重々口うるさく言われる。


「また来ます。えっと、ヘルムート次第だけど……」


「来なくていい、来なくていい」


 リーチェは「しっしっ」と追い払うように手を動かした。


「お前たちがいなくなったら、こっちも気が楽だ。これで、また実験に集中出来る」


 その実験は、ラーレン病を治す薬を作ることだ。リーチェはそれだけは譲れないのだと言った。ヘルムートは「俺が言うのもおこがましい話ですが……頑張ってください……」と言って頭を下げる。それを、リーチェは


「言われなくとも頑張ってんだよ!」


と一蹴したが、少しだけ表情は柔らかかった。




 久しぶりに森に出て、ユリアーナは「ああ……」と声を漏らす。長かった。たった二ヶ月と言えばたった二ヶ月だったが、リーチェの家の中で寝てばかりの二ヶ月が終わったのだ。太陽は高く、木漏れ日は柔らかく、風は優しい。最後にこの森で感じていたのは、雨と泥。それだけだった。そう思えば、死ななくても済んだことがことさらに嬉しい。


「あ~、空、飛びたい……」


 それへヘルムートは何も言わない。ユリアーナも彼に言葉を求めていない。そうして2人は、魔獣のエリアに入っていった。


 ユリアーナは病み上がりで、さすがに以前のように体を動かすことは難しかった。が、ヘルムートの方は、リーチェの家の中でも訓練をしていたようで遜色がない。もう諦めてヘルムートにすべてを委ねよう。それぐらいの気持ちでユリアーナは彼に頼った。それを言葉にしなくともヘルムートもわかっているようで、彼女に何も無理強いをせず、魔獣が出たら彼女の前に出て戦った。


 ようやく魔獣のエリアから抜け、2人は一旦休憩を挟んだ。ヘルムートも相当疲れている様子だったし、ユリアーナもただ歩くだけでも相当疲れていた。だが、今日のうちにユリアーナが住んでいた家にたどり着こうとは思っていたので、あまり腰を落ち着けてもいられない。彼らはあまり会話をせずに休憩を取り、あまり会話もなく立ち上がり、なんとか夜にさしかかる頃ユリアーナの家に到着した。


「帰って来た」


「ああ」


「やったぁ~! 帰って来た! やった、やった、やった、やった、やったぁ!」


 そう言ってユリアーナは嬉しそうに飛び跳ねる。とはいえ、生活に必要なもの半分ほどは、別所に持ち運んで行ってしまっている。明日にはそちらに行って確認をしなければと思う。


「とりあえず、ヘルムート、今晩泊まっていくでしょ?」


「いいだろうか」


「うん。あのねぇ、実は、別のところで野営をしていたから、いろんなものがなくなっているんだけど、まあ、今日一晩過ごすのに不自由は何もないと思うから」


 その話は初めて聞いた、とヘルムートは目を見開く。ユリアーナは肩を竦めて「そっちが先にラーレン狩りに見つかっちゃったから、意味はなかったんだけどねぇ~」と小さく笑った。




 食事は、リーチェの家に大量にあったパンやスコーンをそのまま袋に詰めて来たので、ひとまずそれを食べた。ユリアーナは湯を沸かして茶を出す。2人は、小さな部屋で食事をとって、向かい合わせでどちらともなく「はあ……」とため息をつき、それから視線を合わせる。


「ヘルムートは明日別荘に帰るんでしょ?」


「そうだな」


 二ヶ月も行方知れずになっていて今更。だが、帰らないわけにはいかない。彼には、テレージアがどうなったのかを確認する義務がある。それは、ユリアーナの翼を切ったことで発生をした義務だ。


 もし、万が一、テレージアが死んでいたら。彼は、この5回目最後の生でテレージアを看取ることになったら、すぐにでも死のうと考えていた。自分は役に立たなかった。5回も回数を重ねても何も出来なかった。そんな無力を思い知らされて、その後生きていけるわけがない。


 だが、今は。ヘルムートは黙ったままユリアーナを見た。その視線に気づいて、ユリアーナは「何?」と尋ねるが、彼は無言だ。


(いいや、違う。テレージア様が生きていようが生きていまいが)


 自分は、ユリアーナの翼を切ってしまった。まだ彼女は以前のように活発に動くことが出来ない。リーチェに一か月分の薬を貰ってきたし、そのひと月分ぐらいは……


「ねぇ、何か言いたいことあるんじゃないの」


「戻ってくる」


「え?」


「別荘に一度行って……二ヶ月も行方不明であれば、むしろ俺はもう必要ないだろうし、護衛騎士の任を解いていただいて、戻ってくる」


「え? 戻ってきて、どうするの……?」


「君の……」


 助けに。そう言おうとして、ヘルムートは唇を引き結んだ。その言葉は傲慢な言葉のような気がしたからだ。君の助けに。君の力に。君に付き合って。何と言おうとしても、どうもよろしくない。


「君にまだ不自由なことがあるだろうから……俺が、何かできればと」


「……別に、そんなの、いいけど……」


 いいけど。ユリアーナはそう言って言葉を切った。それから、少ししてから照れくさそうに「ちょっとは、ありがたい」と続ける。


「うん」


 ヘルムートがそう頷くと、ユリアーナは立ち上がって「ヘルムートが眠る場所、ちょっと作ってくるね」と言って部屋を出て行った。


 ヘルムートはぐるりと部屋を見渡す。ああ、確かに、何がなくなっているのか一つ一つはわからないが、物が減っているのはわかるな……そう思って、小さくため息をついた。


 ユリアーナはこの家から出て行こうとしていたのだ。多くは聞かないが、きっと、彼女はこの家を完全に捨てることも決意したのだろう。どんな形でも、彼女が帰ってこられて良かった、と彼は思う。それが自己満足であることは知りながら、今だけは「良かった」と静かに呟いた。




 ヘルムートにはユリアーナの母親の部屋を使うようにと告げた。ベッドはその部屋とユリアーナの部屋にしかないからだ。床で眠るかと思っていた、と言いながらヘルムートは礼を言って、部屋へと入っていった。これで、ようやくユリアーナは一人になれる。自分の部屋に入って、ごろりとベッドに横たわる。


「あぁ~……久しぶりの自分のベッド……」


 戻って来られたんだ、と実感をしながら声を出す。背中の傷がまだ時折痛むので、仰向けになることが出来ない。だが、きっとそのうち、気にせずに仰向けになれる日が来てしまうのだろうとユリアーナは思った。


(ヘルムートが戻ってくるのは、罪悪感からなんだろうな……)


 自分の翼を切ったから。とはいえ、もしかしたら彼は「誰かに従う」気質があるのかもしれない、なんて思う。あるいは「誰かを助ける」と言えば良いのか。自分のためではなく、勿論世界のためでもなく、テレージアのために5回生きたのだし。


(でも)


 それでも良い、と思えた。正直なところ、今一人になるのはなんとなく不安だ。彼が戻ってきてくれるなら、それに越したことはない。


(わたし、人がいることに慣れてしまったんだわ……)


 リーチェがいて、ガートンがいて、ヘルムートがいて。毎日誰かと会話をして。それがずっと続いて、まるで当たり前のようになってしまっていた。それに。


 テレージアを殺してしまっていた9回目のユリアーナが抱えていた孤独が、なんとなくわかる気がする。今まで、自分は「ラーレン狩りを生き延びる」という計画を立てて、そこに向かって生きて来たし、自分が死ぬかもしれないという焦りが大きかったのでそうでもなかったが、ふと気づけばずっと一人だった。


 一人でいることは、特に悪くない。そう寂しくもない。いや、悪くなかったし、寂しくもなかった。だが、翼を切られて、ようやく人並みに歩けるようになったぐらいの今、一人になるのは少しだけ怖い。


(早く、帰ってきて欲しいな……)


 ふとそんなことを思う。まだ別れてもいないのに。明日目覚めたら、おはようと言えるのに。それでも、ユリアーナはぼんやりと「早く帰ってきて」と思いながら、眠りについた。




 翌朝、ヘルムートはユリアーナと別れた。ユリアーナは、自分の家に戻ってくるまでの疲れが溜まっていたようで、ヘルムートを見送った後再び眠りについた。リーチェからもらった薬だけはきちんと飲んで、もう一度毛布の中に潜り込む。


(とりあえず、食料はあと二日分あるし、起きたらちょっと茸とか採ってこよう……)


 それぐらいなら、動けるだろうと思う。


(ああ……生きてる……わたし、生きてるんだ……)


 何度噛み締めてもそれは喜ばしい。翼がないことはとても悲しいが、今となってはもう彼女はヒューム族と同じように生きるしかない。そうだ。服も買わなければ。翼を出すため、背中が開いた服を着ていたが、今それを着たら傷口を見せびらかすようになってしまう。それから……。


 再び彼女は眠りについた。世界の滅びが近づいていることなぞ、これっぽっちも気づかず、ひとときの幸せに浸りながら。

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