第42話 最初で最後の1回目

 ユリアーナは、ふと目が覚める。いや、目が覚めたと一瞬思ったが、うまく体が動かないし、動かそうとも今は思えない。背中がじんじんと痛む。そのたび、自分の背中から翼が失われたことがわかる。いや、なんだろう。それは翼だけではない気がする。


 時々目が覚めると「どうして生きているんだろう」と思う。だって、飛べなければ生きている意味がない……そんな風に思ってしまう。ああ、ラーレンは、そういう生き物なのか。いや、ラーレンに限らず、有翼人はそういうものなのかもしれない。


(でも、わたし、以前は飛べなかったもの……)


 記憶はない。既に、転生前の記憶は消えている。それでも、空は飛んでいなかったと思う。そもそも有翼人なんて人種はいなかったような気がする。とはいえ、空を飛んだ時の解放感を知らないわけではない。空を飛ぶのは気持ちがいい。自分は自由なのだと感じることが出来る。


 だからといって、生きている意味がないなんて。そんなことは考えたくない。空を飛ばなくたって、ようやく自分は自由になれるのだ。それは、なんて嬉しいことなんだろう……そんな風にぼんやりと思う。目を開けて動けるほど元気ではなかったけれど、眠りに入るまでのうとうととした感じが続いているだけで、考えがまとまらない。


(ヘルムート、テレージア様のところにいかなかったんだ……)


 ぼんやりと覚えている。大樹のところに彼は自分を連れてきてくれて。そして、祈れと言ってくれた。それに対して自分が何を言ったかは覚えていないが、多分、自分は祈ったのだろうと思う。その辺については次に元気になった時に聞こうと思う。


 要するに、彼が翼を切って、そして彼が大樹に連れてきてくれて助けてくれた。そういうことなのだろう。それに、感謝をするべきなのかどうなのかが、ユリアーナにはよくわからない。自分を連れてきてくれたことは感謝をすべきかもしれないが、こうやって一命をとりとめたのは本当に「運」のような「賭け」のようなものだ。あそこで、自分の意識が戻って祈らなければ、きっと死んでいたに違いない。


 そう思うと、ヘルムートを許せない。とはいえ……


(でも。ここに連れてきてくれて、一緒にいてくれるんだ)


 体がよろける自分に腕を差し伸べて。倒れそうな自分を抱きとめて。今どうも自由が利かないのでそれに甘えているが、それら全部を彼は何も言わずに受け止めてくれている。


(罪滅ぼしみたいな気持ちなのかな)


 ああ、本当は話がしたいのだ。彼と。自分は10回目だけのユリアーナだけれど、彼は一人で5回を繰り返したのだと彼女は知っている。その話もしたいし……。


(でも、それで彼を許すことは出来ない……だって、彼は……)


 じわりとユリアーナの瞳に涙が浮かんできた。そうだ。彼はテレージアを選んだのだ。わかっていた。最初からそういうつもりだと思っていた。だけど。


(うう、やだ……まるで……まるで、わたしのことを選んでほしかったみたいじゃない……! 死にたくなかったとか、そういうことじゃなくて……)


 だが、その反面。彼がテレージアを選ばない、彼がテレージアのために自分の翼を切らない、そんな姿を見たくないとも思った。ないものねだりだ。わかっている。だから、これで良かったのだろうとユリアーナは思う。


(きっと、彼も)


 苦しんだのだ。それは伝わっている。そうでなければ、雨の中、剣を交える時間はもっと短かったはずだ。あれは、彼が心を決めるための時間だったのだろうと思う。それに付き合わされたこっちはたまらないが……。


「ほんと……自分のことばっかりなんだから……」


 ユリアーナはそう呟いて、ようやくしっかりと瞳を開けた。




 ベッドの横で、ヘルムートが椅子に座って眠っている姿が見える。手に持った書物は開いたままで、静かに彼は舟を漕いでいた。


 最初からまあまあ気に入っていた彼の顔。顔はいいけど、自分勝手なんだよなぁと思う。だが、今までの彼の自分勝手は、みなテレージアを救うための焦りによるものだった気もする。


 テレージアが助かったのかどうか、彼はわからないといっていた。助かってくれないと困る、とユリアーナは言ったが、本当はそれもどうでもよかった。ただ、テレージアが死んだら彼が悲しむのだと思った。それは、少し見たくない。


(わたしの方が自分勝手だわ……)


 ユリアーナは手を伸ばす。彼は何を読んでいるんだろう、と思ったからだ。だが、ヘルムートはそれだけではっと反応をして目覚め、伸ばした彼女の手を、ぱしっと取った。


「目が覚めたのか」


「うん」


「……ああ、悪い。反射で」


 そう言ってヘルムートはユリアーナの手を放す。が、ユリアーナは、ベッドから手を伸ばして、彼の太ももの上に置く。


「ねえ、悪いと思ってるなら、手を握って」


「何?」


「なんか、生きてることに実感がなくて……何か刺激が欲しい……」


 ヘルムートは困惑の表情でユリアーナを見た。が、それから両手で彼女の手を包む。


「これでいいか……?」


「うん」


 小さくユリアーナは微笑んだ。本当は嘘だ。ただ、彼を困らせたかっただけだ。だが、彼は特に困った風でもなく、そっと彼女の手を包み、優しく撫でる。ああ、泣きそうだとユリアーナは思う。


「なんで、撫でるの……?」


「君が、生きていてくれて嬉しいからだ」


「自分が殺そうとしたくせに?」


「そうだ」


「ほんと、自分勝手だなぁ……」


「すまない」


 驚いたことに彼は謝った。ユリアーナは目を軽く見開き「何? 謝ったの?」と尋ねた。すると、彼は素直に「そうだ」と答える。


「だが、謝罪をしてもどうしようもないこともわかっている。ただ、今は君が生きてくれれば、それでいい……」


 彼は静かにそう言った。ユリアーナが「あなたのために生きてるわけじゃない」と言えば、彼は「わかっている」と返す。


「俺は、君を二度斬り捨てた。今回も……本当は、そのまま捨てていこうかと思っていた。だが、それがどうしても出来ずに、一人で戻った。そうは言っても一度は君を見捨てた……俺は、君を見捨てたんだ……」


「ねえ、そんなこと、わたしに話す必要あるの?」


「っ……」


「わたし、別にヘルムートの懺悔なんて聞きたくないよ。わたしの翼を切ったことは恨んでるけど、こうやって助けてくれたわけだし、そういう心のことは元気になってからしか聞きたくないな……ねぇ、何か、他の話をして?」


 それはユリアーナの本音だ。体も心もまだ彼女は弱っている。そんな中、自分があれこれと考えるだけではなく、彼の口から心情を吐露されることは正直なところ受け止めきれない。だが、元気になったら絶対に聞きたくなるだろう。それを彼女はわかっていた。


「話、か……」


「うん。あなたが、5回、どうやって生きたのかとか……ああ、そういうことじゃなくて……えっと……見習い騎士だった時の話とか、そういうのでもいいかなぁ。何かを話して、わたしがこの世界でちゃんと生きてるってわからせて……」


 そう言うとユリアーナは疲れたように息を吐いた。ヘルムートは「俺はあまり話が得意ではないが」と前置きをして、口を開いた。ユリアーナはそれを聞きながら「ああ、なんだか、以前のヘルムートより優しい声音だ」と思う。


 なんだか憑き物が落ちたように、ヘルムートは穏やかだった。彼の低くて優しい声が耳に心地いい。ああ、そうだ。落ちた「ように」ではない。落ちたのだ。彼は、テレージアを救うためにユリアーナの翼を切って、そこで目的を終えたのだ。そして、ユリアーナもまた、翼を切られて死なないようにという思いから解き放たれた。彼らはどちらも、この人生での一つの目標を越えた。だから、何かを失ったが、本当の自分が戻って来たような気がする。


(わたしの……「最初で最後の1回目」がようやく始まったんだ……)


 ユリアーナは、ヘルムートの声を聞きながら、すっと眠りについた。




 ユリアーナはそれから少しずつ目覚めている時間が増え、一か月を過ぎる頃、ようやくなんとか歩けるようになった。だが、走ることはまだ難しい。それも、この先の努力次第だとリーチェは言う。


 リーチェとガートンがどうやって生計を立てているのかを尋ねれば、リーチェは「金は一生かかっても使いきれないほどの量がある」と言って、奥まった部屋を開けた。見ればそこには大量の金貨、銀貨、銅貨やら宝石やらが詰まっている。


「王族の宝物庫か……」


 とヘルムートが言うと、リーチェは真顔で「まあ、そうだ」と言った。


「大昔にここに住んでいたラーレンたちは、ここを倉庫にした。やつらは働き者であれこれと金を稼いだが、働き者の割に金を使うことを知らない。そして、なんとなく倉庫に金目のものを投げ入れていたらこんなになった。金貨やら銀貨は時を経て変わったので、その時に交換しようと外に出た。今はもう100年ぐらいは通貨が変わっていないんだよな?」


 その問いにユリアーナは答えられない。ヘルムートは少し考えて「そうかもしれないな」と答えた。


「僕はあまり森の外に出るのが得意ではないというか……移動魔法がそううまくないので、いってもガダーエの町程度だが……出来ればもっと使ってこれを減らしたいが、僕もガートンも高い買い物をしない。そんで、次に僕が助けたラーレンが、礼をしたいといって、いろんな物が増えていく。ああ、でもここ最近は全然助けたラーレンは戻ってこないな……」


 話を聞けば、以前はよく戻ってきて顔を出していたのだと言う。だが、それはおかしい。魔獣のエリアを通ってくるとなると、一人では無理だ。そうヘルムートが言うと


「は? 魔獣のエリア? なんだそりゃ」


 と驚くリーチェ。ヘルムートとユリアーナは顔を見合わせてから、魔獣のエリアの説明をした。すると、リーチェは驚いて


「そうなのか!? ああ、そうか、あそこの木が育ったとは思っていたんだ。なるほど、魔獣だけを帯状にエリアに封じてるのか……以前はさ、森の至るところに魔獣がいたわけ。でも、広いからその分そう出くわさなかったんだ。その木、60年前ぐらいには、そんなに育ってなかったんだよ。あれは。僕はただ森を抜ける時間が惜しいから、外に行くのは移動魔法を使っちゃうけど……」


 リーチェは大声でガートンを呼んだ。やってきたガートンに「お前、魔獣のところ、よく抜けてこられたな」と尋ねる。


「何を言ってるんですか……全然無事じゃなかったでしょう。血だらけでやってきたのを覚えていないんですか。この目だって魔獣と戦ってる時にやられたんですよ」


 と呆れたようにガートンが言えば「その辺で普通に魔獣に出会っただけだったのかと」と返すリーチェ。ガートンは「普通にって……途中から魔獣がやたら出てきて……」と話す。


「なるほど、なるほど、魔獣を分断するための木ねぇ……あれは、僕がここに来る前には植えられていたんだが、成長するのに時間がかかる木でな。僕が来た頃には、腰ぐらいしかなかったんだよ。そうか。最近翼を失ったラーレンがほとんど来ないのは、ほぼ絶滅しただけじゃなくて魔獣のエリアを越えられないってのもあるのか……そいつは気づかなったな……」


「誰が、何のために植えたのでしょうか」


 ヘルムートの問いに、あっさりとリーチェは言葉を返す。


「うん? それはお前たちが言った通りだろう。魔獣を封じておこうとしたんじゃないのかなぁ~。この大樹には本当に大昔はラーレンが集まっていたけど、ちょっと離れただけで魔獣に出くわして食べられていたんだよね……だから、魔獣たちを閉じ込めたかったのかもなぁ。僕が来た時にはすでにラーレン狩りの跡地になってて、わからないけど」


 そう言ったリーチェは遠い目をした。それは、長く生きている者だけが見せる、遠い遠い過去に心が飛んでいる時の目だ。


 ヘルムートとユリアーナは、彼のその長い人生は知らないけれど、繰り返し生まれ変わった自分たちの生きた年数よりも随分長く生きているのだから、底知れない生き物だ、とリーチェを見ていた。


「あの木は、この大樹の子供のようなものでな。この大樹は、今はもう何も『生らない』んだが、遠い昔は『生っていた』らしいよ。枝に座って、ラーレンたちが果実を食べていたみたいでな。しかし、その種を植えてもこう立派はならない。何が悪いのか、みな細くて違う、その毒の木になっちまう。種の生命力が強いので、何年経過しても、土に植えれば苗木が出来る。たくさん貯めていたそれを使ったんだろうなぁ……」


「なんだか、大昔のおとぎ話を聞いているみたい」


 そうユリアーナが言えば、リーチェは大きく笑った。


「まあ、そうだな。大昔の、本当にあったおとぎ話みたいなもんさ。ここは魔女の家だしな。今は僕の家だから、賢者の家だけど、賢者っていう言葉はどうにもしっくりこない。僕の家ではあるが、もともとは魔女の家だ」

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