第39話 真実を知る聖女

 テレージアの容態は劇的によくなった。クライヴの薬のおかげだということは一目瞭然で、驚くほどの回復を見せていた。彼女には、彼女がラーレン病だったということは伏せられており、ただ、体調改善のための新薬がよく効いた、と伝えられていた。


 彼女の回復っぷりは、まるで、今までの体調不良はなんだったのか、と言いたくなるほどで、人々は「すべてラーレン病のせいだったのでは」と言い出した。だが、それは違う、とクライヴが否定をする。


 ラーレン病の薬を作る時に翼から抽出した成分。それらは、今までクライヴが見たことがあるラーレンの中でも群を抜いて多かった。そのため、ラーレン病の治癒は早かったが、問題はその先、彼女自身にあったようだ。


 彼女が持っていた、聖女の証の痣。それが、ラーレン病を治癒した後から、どんどん色濃くなって行った。一体それがどういうことなのか、人々は首を傾げるばかり。


 薬を処方して四日目。クライヴではなく主治医が彼女を見た時に「これは」と声をあげた。


「わたしだけでは、なんとも言えない。神殿から来てもらわないと」


 一体何のことを言っているのかとクライヴが聞けば、テレージアには神聖力が宿っているようだ……と言い出した。そういう話だとクライヴは門外漢だ。だが、主治医はもともと王城付近で働いており、神殿にも出入りをしていて、数は少ないが神聖力を持っている者と何度か接している。


「神聖力を持つ者は、指先から何か、こう、波紋といいますか……何かを出しています。それを感じました」


 そう言われても、クライヴもラファエルも「よくわからない」ものだし、テレージアも「わかりません」と首を横に振る。が、主治医が頑なに「神殿から人を呼びましょう」と言い張ったので、神聖力を持つ神官を呼ぶことにした。結果、主治医の見立ては正しいと立証され、面目躍如といったところだった。


「僕はよくわからないけれど」


 クライヴはテレージアの部屋の隣室で、荷物をまとめながらラファエルとカミルに話す。長くテレージアのために別荘にとどまっていたが、今日彼らは森に帰るのだ。


「神聖力で、ずっと、自分を治していたんじゃないのかな。テレージア様は」


 その推測を聞いて、ラファエルは目を丸くした。


「自分を……?」


「うん。だって、話は聞いたけどさ。痣、どんどん薄くなっていったんだろう? もしかしたら、その神聖力では治しきれなくなってさ……そもそも、治療術師でも、ラーレン病は治せないんだもんな」


 まさか、とラファエルが言おうとしたところ、カミルが「そうかもしれませんね」と静かに声をあげた。


「神聖力についてはわたしも詳しくはありませんが……少なくとも、己を治癒する力にもなりえることは存じています。テレージア様が無意識でそれを使っていた可能性は否定出来ませんね」


「うん。だってさ、痣が出たのだって、なんだっけ? 発熱だか何かがきっかけだったって言うし……それを治すために、神聖力に覚醒したのかもしれないよねぇ。ま、その辺は考えても仕方ないことかもしれないけど……ラーレン病を発症したのはいつなのか正確にはわからないけれど、ラーレン病の症状が出始めたのは、まあまあ最近だ。だから、それ以前にも彼女は別の病で何度か死にかけていたんじゃないかと思う」


「となると、テレージア様のそのお力は、ご自分を治すだけ……?」


「いいや。それはわからない。この先、完治して、そこからどうなるか、かな……」


 そう言って、クライヴは鞄を閉めた。


「そんなわけで、僕は森に帰る。行こう、カミル」


「はい」


「先生……まことに、ありがとうございました」


 頭を下げるラファエル。


「いいよいいよ。僕が出来たことなんていったら、結局……ラーレンを一人犠牲にして、得た翼から薬を作るぐらいだったからね……」


 自嘲気味に言って肩を竦める。それへ、ラファエルは投げかける言葉もない。それから、ふと思い出したようにぽつりとクライヴは言う。


「……ヘルムートは、どうしたんだろうね」


「ええ、本当に……やつのことだから、きっと生きてはいるんでしょうが……」


 そして、翼を切られたラーレンは。そうクライヴは言葉を続けようと思ったが、寸でのところでやめた。彼らはわかっている。わかっていて口をつぐんでいる。少なくともクライヴはそう信じたかった。


 だが、森に帰って、ユリアーナの所在を確認する勇気が今は出ない。自分も人でなしだ、とクライヴは思う。だって、知りたくない。自分が薬を作った翼が彼女のものだったら、なんてことは。


 笑っているようで、目の奥が笑っていない。そんなクライヴをカミルはじっと心配そうに見つめていた。




 さて、それから少しして、テレージアはベッドから出て、別荘の中を自由に歩くことが出来るようになった。体力が落ちているため、それもほどほどにしておくようにと主治医に言われる。けれど、彼女は動けるようになったことが嬉しくて仕方なく、つい、あちらこちらにと足を向けてしまう。そして、疲れて歩けなくなって、ラファエルに抱えられてベッドに帰る、までがワンセットだ。


 ヘルム―トの不在については「体調を崩して休んでいる」と言われていた。彼女はそれを鵜呑みにしたわけではなかったが、それ以上を問わなかった。ただ、きっと彼はいつかきちんと戻ってくるのだろうと、それだけを信じているようだった。


「姫様、お待ちください。今日は日差しが強いですから、帽子を持ってまいります」


 別荘にもそう大きくはないが庭園がある。少し邸内を歩いたテレージアは「庭園に行きたい」と口にした。女中と護衛騎士、一人ずつが彼女についていたが、そう言って女中はぱたぱたと帽子を取りに行く。それを見送ってから、テレージアは「あっ」と声をあげた。


「そうだわ。テセウス、レーリィを追いかけて、靴も用意してもらっても良いかしら。今履いている靴は汚したくないの。お願い」


「しかし、姫様をおひとりにするわけには」


「大丈夫よ、わたし、ここで座っているわ」


 そう言ってテレージアは、なんだかよくわからない彫像が載っている台座に腰をかけた。テセウスと呼ばれた護衛騎士は「絶対に動かないでくださいね!」と言って、女中を追いかけた。


 もう少し歩けば庭園に出られる。こんなに回復をするなんて、自分でも不思議だとテレージアは思う。すると、ちょうど庭園の方向から人が歩いてくる様子が見えた。2人の護衛騎士だ。


(あ、そうだわ。もしかして、もう交代の時間だったのかもしれない)


 テレージアは二人を驚かせようかと、彫像の台座の裏にそっと隠れた。すると、二人の会話が聞こえる。


「それにしてもヘルムートは本当にどうなってんだ?」


「あの日、ラーレンの翼を俺たちに預けて、それっきりだろう? あのラーレン、あいつの知り合いだったんだよな?」


 ラーレンの翼? ヘルムートの知り合い? 突然耳に飛び込んできたその会話に、テレージアの鼓動はどくんと強く打ち始める。息をひそめて耳を傾ける。


「ああ。ちょっとよくはわからなかったが話はしていたな……ラーレンは翼を切られたら死ぬんだろう? どこかに弔いにいったのかな……」


 翼を切られて? 翼を預けて? 護衛騎士に? それは、一体どういうことなのか。テレージアはずっと体は弱かったものの、第三王女としての教育はそれなりに受けていた。勿論、彼女はラーレン病というものがこの世にあって、それの特効薬がラーレンの翼から抽出をした成分でつくられることも知っている。


 そして。彼が言うように、翼を切られたら、ラーレンが死んでしまうことも。


「それにしたって、長すぎるだろう。もうあれから二週間以上経過しているんだ」


「魔獣のエリアを抜けたところまで、あの後すぐに捜索をしたが見つからなかったんだろう? 魔獣のエリアでやられているってことはなさそうだったが……あっ……」


「うん? えっ……テレージア様!?」


 護衛騎士たちは、ぎょっとして立ち止まった。彫像の台座の裏からよろりと出てきたテレージアは青ざめている。


「どういうこと……どういうことなの……? ヘルムートが、ラーレンの翼を……? それは……そのラーレンの翼は……」


「あっ、あの……」


「それは……」


 二人は焦って口ごもる。


「わたしは、ラーレン病だったの……? わたしが治ったのは……ラーレンの翼から作った薬を飲んだから……? ねえ、教えて、そのラーレンはどうしたの……?」


 何度もテレージアはそう言って2人に尋ねる。そうだ、と言うしかないのだが、それは彼らには難しい。とはいえ、そうではない、とも言えない。テレージアが「ねえ、黙っていないで、答えて!」と叫んでも、2人はどちらも困惑の表情で「落ち着いてください」となだめるばかり。


しかし、そんな彼らに救いが現れた。


「そうです。姫様は、ラーレン病だったのですよ」


「フェルナンド先生!」


 帽子を取りに行ったレーリィと護衛騎士のテセウスが、主治医と共にそこにやって来た。どうやらたまたま彼らは出会って、一緒に来たようだった。テレージアは呆然と主治医を見る。


「なので、クライヴ先生に特効薬を作っていただき、それを飲んでもらいました」


「だ、だって、ラーレン病の薬は……」


 テレージアが何を言おうとしているかを主治医は理解をして先回りをした。


「仕方がないことなのです。姫様の命には代えることが出来ません」


「で、でも……」


 それはそうだ。ラーレン病は死ぬ病気だとテレージアだって理解をしている。そして、自分は王城からここに追いやられてしまったけれど、それでも王族の端くれだ。テレージアはみるみるうちにしょげ返って、目を伏せ、唇を噛み締めた。誰もが彼女にそれ以上言葉をかけることが出来ない。主治医はもう一度「仕方がなかったのです。ご理解ください」と告げた。


 しばらくテレージアは何かを言いたげにしていたが、結局彼女はそれ以上何も彼らに告げることは出来なかった。


「ごめんなさい……ちょっと、疲れました。部屋に戻ります……」


 そう言うと、テレージアの体がふらりと傾きながら動く。女中が慌てて支えると「ありがとう」と消えそうな声で言って、女中の腕を借りて彼女は自室に戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る