第38話 わずかな会話

 ヘルムートは気が付けばベッドで眠っていた。目覚めて毛布を跳ねのける。ベッドに入った記憶はない。きっと、ガートンが彼を運んでくれたに違いない。


「う、う……」


 体の節々が痛む。熱を出したのだな、と思ったが、ひとまずベッドから下りて部屋を出た。一体どれぐらい自分が眠っていたのか、ユリアーナはどうなったのか、いや、そもそもガートンは言われた通り樹液を採取出来たのか……。


「なんだ、起きたのか、お前」


 一つの部屋から、リーチェが出てくる。そこは、ユリアーナの処置をした場所でもなんでもない。きっと、彼の私室なのだろう。


「リーチェ師」


「僕はお前の師じゃない。リーチェ様、と呼べ」


「リーチェ様」


 ヘルムートは素直にそう呼んだ。リーチェはまんざらでもないように、にやりと笑う。


「お前の恋人は、どうにも手間がかかる。まだまだだ。一晩経過したが、治療はまったく終わらん。お前は面倒だから、あと何日か勝手に眠っていろ」


「手間がかかる、とは……」


 肩を竦めて見せるリーチェ。


「そもそも、背中の手当ては、まだ平行線だ。死なないが、回復をするわけじゃない。平行線。その上、太ももやら何やらにも傷を負っていてそっちもどうにかしなくちゃいけないし、まあ、惜しむらくは背中の傷が美しいことだけが救いだが、今のままではまだ死ぬかもしれん。相当立派な翼だったんだろうな。となると、翼に含まれていた成分を補充するにも時間がかかる。こっちも一晩つきっきりで、さすがに二日ぶっ通しは無理なので、ちょっと仮眠をしたところだ」


「そう、なんですか」


「おう。そうなんだ。なのでな。お前も熱を出しているようだし、さっさと寝ていろ。元気になったらここから追い出したいところだが、お前だけを追い出したら、大樹はお前の声では反応しないから、中に入れなくなるしな……仕方がないからお前の面倒も見てやる。ありがたく思え。とにかく、今のところまだあのラーレンは危うい……ま、治療術師なんて、そんな程度のもんだ」


 そう自分勝手に言うと、彼はバタバタと走っていく。が、ぴたりと途中で止まると振り返った。


「飯は、あれだ。適当にだ。そっち側に厨房がある。あるものは勝手に食え。パンがテーブルに乗っているが、二つは残しておけよ。ガートンはついさっき眠ったから、当分起きない。あれも片翼になったせいなのか、一度眠るとやたら睡眠時間が長い」


「わかりました」


「おう」


 そう言うと、リーチェは今度こそ姿を消した。きっと、ユリアーナを助けるためにこれからまた一晩中つきっきりになるのだろう、とヘルムートは思う。ガートンが先ほど寝たばかり、とリーチェが発言したこと、既にリーチェは一晩ユリアーナについていたということを考えて、どうやら自分は一晩、更には丸一日眠っていたのか、とヘルムートは思う。


(ああ、しかし、数回確かに目覚めて……その度に、すぐにまた寝ていたな……)


 リーチェが言う通り、ここで彼が出ていけば、再度この大樹の中――中というのは語弊があるが――には来られないだろう。だから、彼も腹を括った。テレージアのことは心配だが、もうこれ以上自分に何が出来るのかと思う。


 ヘルムートは厨房に向かった。確かにパンがテーブルの上に載っていたが、15,6個積みあがっている。2個は残しておけと言われたものの、それどころの騒ぎではない、と思う。


(どれだけ俺が食べると思われたのか……いや、違うな。治療が始まったら、何日もこのままなんだ、きっと)


 テーブルの上にはパンが山積み、その横にはスコーンが山積み。その横にはクッキーが山積みだ。肉や野菜はないのか……と思ったが、何にせよわがままは言うまい、と思う。


 足元の木箱に大量の果物が詰まっていたので、それを一つ。それからパンを一つだけ口に入れ、水を飲む。ヘルムートはようやくそこで人心地を取り戻して「はあ……」と息を吐き出した。


「背中の傷が、美しい、か……」


 皮肉なものだ、と思う。仲間に翼を引っ張ってもらって、一撃で切れるようにと力を込めた。手は震えていたが、正直なところうまく切れたと思う。


 前回、彼女の翼を切った時は、何度も剣を入れた。彼女の叫び声を彼は忘れていなかった。何度も夢を見て、あの声を聞いていた。だから、言われずとも、今回は一撃で、と思っていた。思っていたが……。


(本人に、言われるなんて)


 彼女が、憶えていたなんて。彼女が知っていたなんて。ならば、彼女は自分が彼女を殺すことをわかっていて、大樹探しに共に来てくれたのか、と思う。


(ラーレンに『なる』ことを彼女はわかっていたんだな……)


 ヘルムートは彼女との会話をあれこれと思い出す。一体いつからわかっていたのか。逃げようとは思わなかったのか。ああ、けれど、ラーレンならば逃げられないことも……。


「……くそっ……」


 今更だ。今更、彼女が何をどう考えていたのかと考えようが、意味がない。彼女を切って、一度は見捨てたことに変わりはない。たとえ、一命をとりとめたとしても、彼女から自分は空を奪ったのだ。それが、どういうことかなんて考えたこともなかった。


 だが。今はただ、彼女が無事であるようにと、彼は祈るしかないのだ。冷たいと言われるかもしれないが、彼はすでにテレージアのことを考えず、ユリアーナのことばかりを考えていた。




 翌日、ユリアーナはようやく目を覚ました。二日間意識を取り戻さなかった彼女は、一体自分がどこで何をしているのかをまったく把握出来ていなかった。長い時間うつぶせで寝ていたため、顔に枕のしわがついているが、それにも気づかない。


「……んあっ!」


 起き上がろうとして、背中の激痛に声があがる。痛い。どうにも痛い。苦し気に、両腕を使って体を起こす。


「ぐ、ぐう……っ」


「だーーーーめーーーーー!!!!!」


「えっ、えっ……」


 突然の大声にびくりとなる。すると、廊下をドタバタと誰かが走って来た。リーチェだ。


「まだうつ伏せで寝ていろ! まだだから! まだ! 死ぬぞ!」


「えっ、あっ、は、はい……」


「いいかい、お前は翼を切り落とされたんだ。ぱっくりと傷が開いたままで、ふさがったかと思ったら開く。力を入れちゃだめだ。あー、あ、あー、あ、ほら、また血が出てきちゃった。翼を切り落とされては、そう簡単に傷がふさがらないんだよ。そこはもともと皮膚じゃないからな。まったく、駄目だろう!」


「ご、ごめん、なさい……でも、体中痛くて……」


「それで、太ももは表側に傷がついていたから、手当はしたけどうつ伏せにしているとこすっちまうからな。だから、ほら、こっちに足出して、太ももだけ宙に浮かせたんだ」


 何を言っているのかよくわからないが、ユリアーナは黙ってそれを聞いて「はい」とだけ答えた。


「あっ、僕の名前はリーチェだ。そうだ、それから、君の恋人は熱出して寝込んでいるから。まったく、ここは病人だらけだな!」


「恋人?」


「違うのか? お前を連れて来た、なんかちょっと、こう、眉を寄せて怖い顔した男。しまった。僕はあれの名前を聞いていないぞ」


 眉を寄せて怖い顔をした男。一体誰のことだ、と思ったが、すぐに答えが出てユリアーナはつい笑ってしまう。が、笑った途端背中に激痛が走った。


「ふはっ……ううっ!? 痛い……痛い……うう……」


「ほら、寝ろ!」


「はい……」


 ほんの少しの間だけだったが、ユリアーナは「すごく疲れた」と思う。ベッドで再びうつ伏せになって、腕をだらりと下げる。だが、下げた腕があまりにも重く感じてしまい、仕方なくベッドに乗せ直す。


「ああ……体が重たい……」


 そう呟いた次の瞬間、彼女の耳に聞き慣れた声が響いた。


「ユリアーナ」


「……?」


 それへはリーチェが先に返事をする。


「なんだ、お前元気になったのか? 駄目だよ、彼女はまた眠ってもらうから。言っとくけど、まだぜんっぜん治療は終わってないんだからな。今日も夜通しだ。このままではゆっくりと死んでいく」


 うつ伏せになりながら、ユリアーナは横を向く。入口からヘルムートが近づいてきて、それから彼は床に膝をつき、ユリアーナと目線を合わせた。自分の髪が邪魔で彼の姿がしっかり見えず「ああ、髪はほどいているのか」と気付く。それへ、彼は手を伸ばして彼女の髪を軽くかきあげた。


「ユリアーナ、聞こえているか」


「ん……」


 ヘルムートを見たユリアーナは、ぼんやりと「凄く好みの顔だなぁ」なんて思う。恨む気持ちが出てこないほど、翼を切られたことに現実味がない。まるで夢を見ていたようだ。しかし、それはきっと自分の気力が不足しているからだろう……そう思う。何もかもがけだるく、何もかもがどうでも良い気がする。どうしてここにいるのかとか、リーチェは何者なんだとか、聞きたいようで、その反面すべてがどうでもいい。


「リーチェ様の言う通りにするといい。君の願いを大樹は聞き届けてくれた」


「よくわからないけど……ねぇ……まだ、わたしは生きているっていうこと?」


「そうだ。だが、治療は続けてもらう。まだ今は予断を許さない状況らしい」


「そっか。でも、少しよかった……」


 ユリアーナはそう言うと、堰を切ったように涙を流した。表情は笑っているが、ぼろぼろと大粒の涙が絶え間なく流れる。


「わたし、まだ生きているのね……よかったぁ……」


 ヘルムートはハンカチも何も持っていなかったので、自分の袖口――借りている服ではあるが――で、ユリアーナの涙を拭く。しばらくすると、ユリアーナはぱちぱちと瞬きをして


「なんだ……あなた、優しいとこあるのね……」


 と言ってから、ゆっくりと瞼を閉じて、あっという間に眠りに入った。それを聞いたリーチェが


「おいおいおい、涙拭いてやっただけで優しいところがあるって、どういうことだ? お前、どんだけ普段ひどいことしているわけ?」


と声を荒げたが、ヘルムートはそれに答えなかった。言えるわけがない。彼女の翼を切るほど酷いことをしました、なんてことを。

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