第32話 忍び寄る気配

 その日、ここ最近珍しくテレージアの容態は安定をしていた。安定をしているというのは、過度に悪くないというだけで、実際はあまりよろしくない。だが、意識を保つ時間がそれなりにあるだけで「安定している」と言える。そんな程度だ。


「最近、ヘルムートの姿をあまり見ないのだけど、わたしが眠っている日に当番なのかしら?」


 ベッドで横たわるテレージアがそうラファエルに尋ねれば、ラファエルは「いえ、やつは大量に余らせていた有休をここ最近とっているだけです」と答える。


「そうなのね。確かにヘルムートは全然休んでいなかったもの。毎日毎日わたしの護衛ばかりで、ちっともお休みをとっていなかったと思うわ」


「そのようです。なので、まあ少し自由にさせてやろうかなと」


「ラファエルは? きちんとお休みとっている?」


「ええ、大丈夫ですよ」


「それならいいんだけど……みんな、きちんとお休みを取って頂戴。わたしなんか、毎日休んでいるようなものですもの」


 そう言ってテレージアは微笑んだ。


「何をおっしゃるやら」


 ベッドの傍に置かれた椅子にラファエルは座る。


「あなたは、毎日戦っているのに。誰よりも働き者ですよ。本当に、たまには休んでほしいと思っているんですが」


「……でも、わたしが戦っているのは、わたしのためなのよ……」


 そう言って、テレージアは恥ずかしそうに顔半分まで毛布を引っ張った。


「それはそうでしょう。みんな、自分のために働いているんだから」


「……そう……そうなの?」


「はい」


「そうなのね。あなたがわたしにこうやって話しかけてくれるのも……自分のため、なのかしら?」


「もちろん。テレージア様の容態がよければ、わたしは嬉しいので」


 そう言うと、ラファエルはテレージアの髪に触れた。彼女は、「あまり綺麗ではない……」と。もごもごと小さくそう言うと、彼は「綺麗ですよ」と返す。


「ラファエル、ねぇ、わたしの体の痣……すごく薄くなったの。もうすぐ消えるんじゃないかってぐらい。そうしたら、わたし聖女ではなくなるから……もしかしたら、誰かと結婚させられてしまうかもしれない……」


「……」


 もともと彼女には何の力もない。ただ痣を持って生まれただけの、名ばかりの聖女だと噂をされていた。体が弱いせいなのか、神聖力もなく、聖女という肩書きを神殿から与えられたものの、何一つ出来ない。


 おかげで、父王から疎まれながらも、彼女は手放されずに生きて来た。もしかしたら、いつか力を発揮するのではないか、いつか本当の聖女になるのではないかと思われてきたからだ。だが、その時を待たずして、彼女は死ぬかもしれない。


 王城で様々な医師が彼女のもとを出入りしたが、彼女の体調不良は治らず、そして神聖力も特に覚醒せずに「ただ痣があるだけ」のまま、今に至る。ついに、父王は彼女を見放し、このギフェの町の別荘に居を移すことになった。それでも、彼女に医師を探して付けてくれていることはまだ良いと言えるが……。


「体が弱くても、政略結婚に使えるって……昔、そんな話を王城で聞いたの」


「そんなことは」


 彼女の言葉は間違いではない。それらは、クライヴが懸念をしていたことそのものだった。なんとかラファエルがそう言うと、テレージアは首を横に振った。


「仕方ないのよ。わたしにみんながこうやって良くしてくれるのも、わたしが第三王女だからでしょう。その立場があることは、わたしも、忘れていないの。今までは痣があったから、特別扱いもしてもらっていたけれど……」


「……」


 それへの言葉がラファエルにはない。テレージアもそれをわかっていて口にしている。二人の間に、静かな空白の時間が流れた。


「聖女って」


「はい」


「この国の文献を読むと、いろんな聖女が過去にはいたみたいなんだけど」


「……」


「みんな、とても凄かったんですって。大きな台風を防いだり、巨大な魔獣を倒したり、呪詛で枯れた森を元に戻したり……わたしには、そんなことをする力は何もないもの……」


「たとえテレージア様が聖女でなくとも、わたしはあなたが好きですよ」


「!」


 驚いた表情でラファエルを見るテレージア。見る見るうちに、その両眼に涙が溢れてくる。


「ごめんなさい、わたし、最近ちょっと……耳が遠くて……聞き違いかしら? それとも、本当……本当に?」


「はい。あなたが聖女でなくとも……第三王女でなくとも……」


 テレージアの頬は紅潮する。それから、彼女は両手で自分の顔をばっと覆った。


「テレージア様?」


「だ、駄目、駄目です。その……こんな顔を見せるのは恥ずかしい……それにっ……それに、ぐ、愚痴を、言ってしまったわ……」


「愚痴の一つや二つ、何も問題ないですよ」


 そう言って、ラファエルはそっとテレージアの両手首に手をかけ、彼女が顔を覆っている手を優しくどけた。


「わ、わたし、でも……でも、死……死んで、しまうかも、しれないから……」


「何をおっしゃるんですか」


「だって、ここ最近ずっと熱が続いて……」


 そう言いながら、テレージアは彼の手を振り払って、自分の胸元を手でそっと触れる。それは、肺の部分だ。


「ここが……よくなくて……それから……」


 それから。その先の言葉を彼女は口に出来なかった。だが、ラファエルは彼女にそれを要求せずに、そっと顔を覗き込む。


「けれど、あなたは頑張っていらっしゃる」


「そう……そうなの。それだけは、間違いがないの。わたし、生きたくて、だから、頑張っているの。美味しくないお薬も飲んでるし、先生に言われたことは守っているわ……わたし……」


 だけど、と言おうとして、テレージアは唇を噛み締めた。ほろほろと涙が彼女の頬を伝って落ちる。それは、先ほどラファエルに告白された時の、喜びや驚きがないまぜになった涙ではない。悲しみの涙だ。


「テレージア様」


 ラファエルは優しく声をかけ、静かに泣いている彼女の肩を軽く抱いた。テレージアはそれ以上はもう何も言わず、ただただこのまま時が止まれば良いのに、と祈りながら彼の胸元に頬を摺り寄せた。




「この町近くの森にラーレンがいるという情報を聞いたんだが」


 ラーレン研究所から雇われた者たち数人は、ガダーエの町の酒場で話をしていた。そのうちの一人が、ギルド員に声をかけて情報を収集している。


「ええ? うーんとコーカじゃないかな……グリース、あんたが以前剣を教えていた子、コーカだったよな?」


「ああ、コーカだ」


「そいつと間違えているんじゃねぇのか?」


 一人で酒を飲んでいたグリースは、彼らの問いに「自分が教えていたのはコーカだし、森では一人で住んでいると言っていたから、勘違いじゃないか」と言う。それを聞いて、人々は「そうなのか」と困惑の表情を見せる。


「とはいえ、まあ依頼を受けたからな。明日、森に入ろうと思ってはいるんだ。なあ、なんだっけ? グリース? あんたのところに来ていたそのコーカは、どの辺に住んでいるんだ?」


 そういうと、一人の男は地図を広げた。それは、森周辺の地図で、クライヴの家だけが森の中に表示されている。


「ううん、多分、この辺だった気がするが」


と、グリースはユリアーナが住んでいるあたりを指さす。それを見て


「そうか。じゃ、その辺は後にして、こっち側から確認するか」


と男たちはそこから反対側の付近を指さした。


「とりあえず、他のとこ調べて見つからなかったら、そのコーカのところに行って証拠になる羽根を一枚でももらってくるか。そんで、ラーレンはいなかった。コーカと間違えたんじゃないか、って話をしよう」


 男たちは最初から「森にラーレンなんて住んでいない」という前提で話をしている。グリースもまた、そうだと思って話を聞いていた。


「そもそも、ラーレンがいたら、とっくに話題になってるだろうしなぁ」


「そりゃそうだ」


 ユリアーナの母親が森で隠れて何年もユリアーナを育てていたことを知らない彼らは、呑気にそう言った。


 彼らは研究所から雇われていたが、探しているラーレンが「コーカからラーレンになる」存在だとは聞いていなかった。それは、研究所員のミスだったのだが、実際にユリアーナはコーカだったが、既にラーレンになっている状態だったので、ある意味正解だったと言える。


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