第30話 クライヴの苦悩
テレージアの容態は悪く、クライヴは数日別荘に泊まり込むことになった。勿論カミルも一緒だ。
発熱が続き、呼吸が苦しげだ。咳き込んだりはしないが、呼吸は浅い。苦しそうなところ申し訳ないと思ったが、胸の音を聞いた。肺の様子がおかしいことはわかっていたが、それにしても、と思う。
(喘息とは違う。しかし、それと似た症状だ。それが、ここ数日どんどん酷くなっている。そして、体の半身に蕁麻疹のようなものが出ている)
それらは、複合的なものだと主治医は言う。体が弱っているため、あれもこれもと引き起こされているのだと。その見立ては悪くない。だが、クライヴはもう一つのことに気づいていた。
(彼女は、今、耳が遠くなっている)
終始苦しそうなので、彼女は受け答えが曖昧だ。ただそうなのだと思っていたが、クライヴの目は誤魔化せない。少しだけ声を張って話せば、彼女はそれなりに明瞭な返事をする。となれば、優しく語りかけている主治医の声はきちんと聞こえていないのだ。
「せんせい……?」
つい今まで眠っていたテレージアの瞳が開いた。クライヴは、普段患者に語り掛けるよりも、少しばかり声を張って返事をする。
「はい。ここにおりますよ」
「お水を……」
「はい。どうぞ。こぼさないように……」
クライヴが持つグラスに右手を伸ばしたテレージアは、突然その手を左手に変えた。
「……」
クライヴはそれを追及しない。だが、彼は見ていた。彼女の右手は震えており、うまく手を伸ばすことが出来なかったのだ。
「……ありがとう……」
水を一口飲んでから、テレージアは再び瞳を閉じた。荒い呼吸であったが、やがて規則正しい寝息をたてる。それを見て、クライヴは目を細めた。
(間違いない。これは……『ラーレン病』だ……)
ラーレン病にはいくつか亜種がある。そのうちの一つ、病例がほとんどなかったが、手指に痺れが発生するものがあった。それは、クライヴが見たことがある患者の症状だった。きっと、他の医師ならば、その症状とラーレン病を結び付けないだろうと思う。
(きっと、主治医に『手先の痺れが出ている』と言っても、ラーレン病だとは思わないだろう。それほど、症例として有名ではない)
クライヴが昔見た患者は、手先の痺れと、聴覚の衰え。本来のラーレン病に出ないその二つが揃っていた。よって、最初はその患者がラーレン病だと彼にはわからなかったのだ。彼もまた、テレージアの主治医のように「複合的なもの」だと診断をした。熱が下がれば、蕁麻疹も落ち着くだろう。手指の痺れ、聴覚の衰えはストレスのようなものだろう。そう考えていた。
しかし、彼の患者はそこから何一つ回復をしなかった。当時の彼は、藁にも縋る思いで「ラーレン病に効く」と売られた薬――実際の成分を彼は調べたのでそれは間違いがないとはわかっていた――を試しに飲ませてみた。すると、それが効いたのだ。
残念ながら、その薬の数は少なかった。だが、その薬を飲ませている間、患者はわずかに回復をしていった。しかし、ラーレン一人の翼から抽出される薬としては、あまりに数が足りず、その患者の命を救うことは出来なかったのだ。
(どうしたらいい……? 一国の王女がラーレン病だとわかれば、ラーレン狩りが始まる……)
それは、医師という立場からは、許容が出来ない。一人の命を救うために、誰か一人を犠牲にするなんて。
(薬を探させる……? 今や、ラーレン病の薬は闇取引でもなかなか手に入らないとされている。国をあげてのラーレン狩りは回避を出来ないだろう……)
実際、ラーレンは今ほとんど生き残っていない。噂では、王城付近にラーレンの研究所が昔はあったと聞くが、今はどうなっているのかわからない。いや、もし、そこにラーレンがいたとしても、研究対象のラーレンを……
(違う。研究対象として、捕獲していること自体が、本当は)
問題だ。だからこそ「昔はあったと聞く」というぼんやりとした存在なのだ。きっと、本当はあるのだろう。そして、今でもそこにラーレンはいるに違いない。言えば、そこから一体分の翼が手に入るだろうか。しかし、翼を切られたラーレンは死んでしまう。結局、一人を救うために……
(王族の命の方が重いと、そう思うしかないのだろうか)
それに。
クライヴにはもう一つの懸念事項があった。それは、ヘルムートだ。彼が先日突然「この葉の成分を調べてくれ」と枝葉を彼に渡したのだ。
自分は研究者でもなんでもないから、そんなことを依頼されても……と逃げ腰になったのだが、それへ彼は
「ラーレン病に効く成分が含まれていないのか、それを調べることは出来るだろうか」
と言った。
結果として、その枝葉にはそんなものは含まれてはいなかった。いや、自分の知識が足りないのかもしれないが、ラーレン病に効く成分というのは、それ単体では非常にわかりやすい。検体にとある液を加えて反応があるのかどうかが、調査の第一段階だ。そこで、何も反応がなかった。
他の成分の効果で、その反応が遮断されてしまっているのではないか……そう考えても、正直なところ「普通の木の枝葉」だと彼は思う。よって、ヘルムートには「多分そういった成分は含まれていないと思う。もう少し調べてみるけれど」と答えた。
「ところで、どうしてこれがラーレン病に効くと思ったんだい?」
と尋ねれば、ヘルムートは苦々しく「なんとなく」としか言わない。彼は、何かを隠している。もしかしたら、彼はとっくにテレージアがラーレン病の亜種にかかっていることを見抜いていたのかもしれない……クライヴはその思いを強くした。
テレージアの寝室から出て、隣室に戻るクライヴ。と、待っているはずのカミルがそこにいない。
「カミル……?」
「あ、戻られたんですね? お疲れ様です」
後からドアを開けてカミルが中に入ってくる。手には、花瓶に生けた花があった。
「庭園に咲いてる花をいただいて……この部屋にでも、飾ろうかと」
その部屋は、クライヴとカミルの控室だ。寝泊りもそこでしている。最初はそんなことは決してしないとクライヴは言っていたが、ここ最近のテレージアの容態があまりに心配で、結局寝泊りをすることになってしまった。
「ああ、綺麗な花だね」
「この花、数日すると色が変わるんですって」
「え?」
ピンク色の美しい花。花瓶を窓際において、カミルは小さく微笑んだ。
「茎から切り落とすと、色が抜けて白くなるんですって。根に何かの成分があって、それを吸い上げられなくなるから、らしいんですけど」
「へえ。色が変わっていくんだ」
「変化途中は、ピンクと白が混ざった色になるらしいですよ……あ」
カミルは「そういえば」と目を見開いた。
「うん?」
「ユリアーナさんの羽根……」
突然、ユリアーナの名前が出てきて、クライヴもまた目を丸くした。
「羽根が、何か?」
「この前、ユリアーナさんのお宅にお邪魔したときに、羽根が抜けていて、それ、黒と白が混ざっていて。最初は白くても、黒くなるんですってね。たまに混じっていると聞きました」
「……」
なんの気なしに世間話のように言って、カミルはクライヴに「お腹が減っているでしょう? お食事をいただいてきますね」と笑い、厨房へと向かった。
パタン、と部屋のドアが閉まる。クライヴは、どっ、とベッドに腰かけた。その瞳は虚ろに見えた。何をも目に映していないように見えるほど、ぼんやりとしていた。が、その実、彼は脳内でぐるぐると考える。
(そんな話は聞いたことがない。コーカの翼に白が混じっている? それが黒くなる?)
体毛の色が変わる動物はいる。が、その動物は毛が「生え変わって」いるのだ。時々、毛が濃くなる動物もいる。体の体温が低い場所だけ、色が黒くなる猫などもそうだ。だが、コーカはそういう生き物ではない。コーカは子供のころから大人になるまで、翼は完全に真っ黒だと、クライヴは知っている。また、年をとって、頭髪の色が抜けて行っても、翼の色は変化しない。
「……いや、まさか……」
だからといって、白くなる途中だとか。そんなことは、まさか、あるまい……そうクライヴは思った。いや、思い込もうとした。
(そうだ。まさか)
彼は、花瓶に生けられたピンクの花から目を逸らすことが出来なかった。まさか。違う。そんなことは。そうだ、今は、とにかく、テレージアがラーレン病かもしれないと、言おうかどうか、それを悩んでいるのだ……しかし……。
彼は、深いため息をつき、肩を落とした。自分は無力だ……そう思いながら。
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