第29話 白き光の神~ユリアーナの1回目~
ユリアーナは家と新しい住処を三日ごとに行き来した。正直なところ、まだ新しい住処で過ごす心構えは出来ていなかった。それに、なんだかんだヘルムートやカミルがやって来ているのではないかとも思ったからだ。
新しい住処は少しずつ出来上がっていた。木々の間に張った布はちょっとした雨にはまったく問題がなかったし、横に垂れ下がるように張った布は、細長いものをいくつも並べ、風が吹けば抵抗なく逃がす仕組みだ。結果、荷物はみな木箱のようなものに入れるしかなかったが、言うほど荷物はない。食料品と、数枚の衣類。本当にそれ以外のものを彼女は持ち出さなかった。
動物を避けるために、聖水は大量に購入をした。正直なところ、あまり火を使いたくもないからだ。何にせよ、彼女にとってここは「自分が死ぬ時期をずらす」ためのものだ。その先のことはわからない。ひとまず、テレージアがラーレン病だとわかったら。その時にでも、ここで身をひそめていようと考えた。その先のことは、今は考えないことにした。
(勝負は、三か月)
前述のとおり、デニスが言う「三か月後」に銀線細工を渡した記憶も、それを作ろうとした記憶も彼女にはない。そして。
(翼に、少し、白が混じって来た)
ついに彼女の黒い翼には、白い部分が見え隠れしてきた。今は、広げないとわからない内側だけだ。だが、それでもよろしくない、と翼を隠すようにショールを羽織る。コーカでも、女性は翼をそうやって隠す習性があるのでおかしくはないはずだ。
残念ながら、新しい住処に姿見は運び込んでいない。しかし、ここ最近、家に戻れば毎日のようにチェックをしているので、気づくのも早かった。
(ヘルムートが殺しに来るんだろうか……わたしを……)
それを思うと、心の奥が痛い。その時に自分がいなかったら。彼はどうするんだろうか。そして。
(テレージア様がもし死んだら、その後には)
とてもではないが、ヘルムートに会うわけにはいかない。もともと彼は、自分がラーレンではないかと疑って接触してきたわけだし、きっと森には来ないだろう。けれど。
(その後ででも、わたしを見つけて殺そうとするのかな……)
その可能性はあった。ならば、やはり家には戻れない。後は。
(大樹に、もう一度行こう。翼が白くなったら。そうしたら、何かが起きるかもしれないし)
ヘルムートがいない状態で一人で行くには。どうにも、一人で魔獣のエリアを横断するのは厳しいと思えた。だが、やらなければいけないと思う。いくらか傷を負ってでも、その心づもりは出来た。
ありがたいことに、魔獣のエリアにいる魔獣のほとんどの種類には対峙をした。だから、例の3体で狩りをする魔獣にさえ会わなければ、どうにかなるのではないかと思う。
「そうだ。ヘルムート……」
彼の肩の傷は、大丈夫だったのだろうか。ユリアーナはふと思う。あれ以来、彼は自分に会いに来ていない。いや、少なくとも自分が家にいる日には。三日ぶりに戻って、周囲に馬のひづめの跡がないかを確認するが、それもなかった。だから、彼は来ていないのだと思う。ならば、大樹の葉からラーレン病に効く成分は取り出せなかったのだろう、と思う。
(ああ……息苦しい)
ユリアーナは胸をぎゅっと手で抑えた。物理的に息が苦しいわけではない。ただ、この世界が生きていくことが出来なさそうな予感。それに日々押しつぶされそうになっている。おかげで、夜、睡眠に入るにも時間がかかる。そして、目が開いた瞬間から、神経をとがらせて周囲をうかがう。日中もずっとそうだ。常に彼女は息苦しさを抱えている。こんな日がずっと続くのだろうか。これは生きていると言えるのだろうか。そんなことまでを、最近は考えるようになってしまった。
神様に呪いの言葉を発したい……そう思った時。
「あっ」
不意に、思い出す。
「そうだ。えっと……」
あの、神様。白い空間にいる、自分を転生させた白い神リューディガー。救いを求めればあの空間に行けるのだと、すっかり頭からそれが抜け落ちていたと思う。
「……」
今だろうか。残り3回だと言ってた。ならば。過去9回で死に直面をするまでのカウントダウンは始まっている。それならば、今、あの神の元に行くのは悪くないと思う。
(だけど、何を聞けばいいんだろうか)
この、局地的な引っ越しが正しいかどうか? それとも、大樹のこと? それとも。
(考えなしで行ったら、あっという間に時間が終わってしまう)
以前、つい口から出てしまって、あの空間に引きずり込まれてしまった。それはおまけの一回だと言われたが、次はそうはいかない。あの時はそれなりに時間を与えられたが、本来はそうではないということも彼女は知っている。
聞くことを紙に書いておかなければ。そして、次々に読み上げよう。そう考えて、ユリアーナは、手持ちの紙――それの枚数ももう少なかったが――に箇条書きで書き上げる。
「他には」
ないだろうか、と思ったが、それ以上の問いかけは無理だとも思う。ユリアーナは「落ち着こう」と何度か深呼吸をした。バタバタとして、うまくいかず慌てて、あっという間に過ぎてしまっては元も子もない。
(よし)
覚悟は出来た、と思う。
『白き光の神よ、助けてください』
彼女がそう言い放つと、白い光に包まれた。
『今回は、3回のうちの1回です』
「うん」
『何を問いますか』
話が早くて助かると思うユリアーナ。手にした紙の一番上の項目を読み上げる。
「テレージアが死ぬまで、わたしは生き延びられるかな?」
『わかりません』
その「わかりません」を何故だとか、どうしてだとかは問わない、とユリアーナは心に決めていた。だが、いざそう答えられると落胆はする。
「わたしがラーレンになったら、森の大樹は何かをしてくれる?」
『ええ、あなたを助けてくれることでしょう』
「助けるって、どういうこと?」
『それは、わたしにもわかりません』
よくもそんな曖昧なのに「助けてくれる」と言い切れるな、と眉を顰める。リューディガーは『断片でしか、わたしにも見えません。ですが、ラーレンになったあなたにならば、きっと』と更に曖昧なことをいう。
「じゃあ、えっと……テレージア様は、助かる……?」
『わかりません』
「ううーん、ヘルムートはわたしを殺しに来る?」
『はい』
「……」
ああ、そうなのか……ユリアーナの表情は曇る。いや、当たり前のことだ、わかっていたことではないか。彼はラーレンを探している。そして、ユリアーナがそのラーレンではないかと疑っている。だったら、また来る。それを悲しんでも仕方がない。仕方がないと思ったが、じわりと瞳の端に涙が湧き上がって来た。
自分たちは、ただ大樹を見つけるためだけの運命共同体だった。それだけだ。そして、大樹を見つけた。それだけだったのだ。ぐい、と涙をぬぐって、ユリアーナは次の質問をした。
「ラーレン狩りは発生する?」
『する……と、思います』
「そっかぁ~……何一つ、回避出来ないのか」
もちろんそれはわかっていた。わかっていて、森から出なかった。森から出たところで、自分が生きていくための場所を見つけられるとも限らなかったし。
だが、いざはっきりと「運命は変えられない」と言いたげなリューディガーの言葉を聞くと、心が落ち込む。それに抗うために必死に力をつけたのに……と悲しくもなる。ラファエルに深入りせず、ヘルムートと仲良く――と言ってよいのかわからないが――なって。少しは、運命を変えられたのではないかと思ったのに。。
「森から出た方がいい?」
『いいえ』
それへの言葉は、はっきりとしていた。それ以上を追及するつもりはなかったが、リューディガーは言葉を続けた。
『森の大樹が、あなたを助けますから』
「じゃあ、わたしは助かるのかな?」
『わかりません』
「ええ~!? もう、めちゃくちゃじゃん!」
さすがにそれは黙っておられず、ユリアーナは叫んだ。すると、リューディガーは神でありながら、初めて彼女に謝罪をした。
『そうですね……申し訳ありません。けれど、わたしに見えるのは、本当に断片で、それが『結果』なのではなく『過程』なので、断言は出来ないのです』
「うーん、その見えることを全部わたしに話してくれないの?」
『あなたの質問を受けて、関連する未来を引き寄せ、過程を覗き見るだけなので……』
ああ、そういうことなのか、とユリアーナの腑に落ちた。神だからなんでもできるわけではない。なんでも見えるわけではない。だが、質問には答える。おおざっぱであるが。それの理由が飲み込めた。
彼らはすべてを見ることは出来ない。少なくとも時系列で物事の流れ、それこそユリアーナの未来を見るわけではないのだ。ユリアーナからの質問を受けて、未来を取得をしようとする。そして、その未来そのものの取得ではなく「過程」を取得するのだろう。
「ヘルムートは、何回目?」
そのユリアーナの言葉に、一瞬リューディガーは息を飲んだようだった。ああ、神様なのに、そんな人間のようなこともしちゃうんだ、とちょっとユリアーナはにやりと口の端をあげた。
『5回目です。今回が、彼は最後ですね』
「えっ? 10回じゃないの?」
『彼はあなたよりもさらに本質に近いため、回数の制限がされています』
「本質に近い……?」
本質。そうだ。世界が滅ぶ、ということを防ぐために何かしらの「本質」があるのだった。それが何なのかはよくわからなかったが……。
「本質って、それは……あっ、あっ、あと、大樹の葉からラーレン病に効く成分って取り出せる!?」
『そのようなものは含まれていません。時間です。あなたにはあと2回ここに来る権利が与えられています。考えて使いなさい』
その言葉が最後、白い光の部屋は消えた。
「ええ~! やっぱり含まれてないの!?」
では、何故ラーレンは大樹を探すのか。ユリアーナは肩を落とす。
本質に関する質問は間に合わなかったか、と舌打ちをするユリアーナ。実際は、紙にまだまだ質問は書いていた。居を移したのは間違いかどうか、自分が狩られるのはいつなのか、など。しまった。「過程」を話すと聞いて、気が逸れてしまったと思う。とはいえ、概ね満足はした。
(何にせよ、ラーレンになったら大樹に行こう)
そのことに変わりはない。よくわからないが、大樹が自分を助けてくれる。もしかしたら、大樹の何かしらの力で翼を黒く戻してくれるのかもしれない。もちろん、あの木にそんな力があるとは思えないが、葉にそういう成分があるかもしれない。あるいは……
(ラーレンだけが幸せに暮らせるような、そんな夢のような場所にでも、ワープ出来ちゃったりするとか)
もしそうだったら、それはどれほどありがたいことなのだろうと思う。だが、きっとそれこそ本当に夢だ。ユリアーナは、小さくため息をついた。
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