第28話 ラーレン研究所
「よし。腹をくくった、ぞ!」
その日、ユリアーナは朝から姿見に自分の翼を映して、まだ白くなっていないことを確認した。
(ラーレンになる前に、思い切って住居を移す)
と言っても時間がない。時間はないが、まあどうにかなるんじゃないかとユリアーナは思う。
(魔獣のエリアを迂回して、森の反対側あたりに住処を作ろう……そっちに行くまで、丸一日かかるけど……)
家を作る、というとかなり大仰な話になってしまう。そもそも、この家ももとは廃墟のようになっていて、先人が残していっただけのものだった。いちから家を作ろうなんて、いくらなんでも簡単にいくはずがない。
だが、ここ数日野営をしてわかった。野営でなんとか生きていけそうだ。いや、さすがにベッドは欲しいが、一か月二か月はどうにかなると思った。その間に、住居ではなく「住処」を作ろうと考えた。雨をはじく布と縄、そして木があればどうにかなるのではないかと思う。
そういう意味では、大樹を探しに行くことを提案したヘルムートには感謝をしなければいけない。彼のおかげで、ユリアーナは家を捨てることを決められたのだし。
(とはいえ、そこで一生を送るのか……)
そう思うと、その一生に何か意味はあるのだろうか、とも思う。しかし、何にせよ、ヘルムートやほかのラーレン狩り、要するに「テレージアのためにラーレンを狩る」人々から、一時的にでも逃げなければいけない。それさえ成功をすれば、と今は思う。その先のことは、またその先だ。行き当たりばったりだと言われようと、今はとにかく「これまで死んでいた」ポイントをクリアすることが先決だ。
居を移しながら、ヘルムートからの話を待つ。もちろん、それは大樹の葉の成分のことだ。そこにラーレン病を救う成分でも入っていれば、隠れる必要はなくなるかもしれない。だが、そうではなかったら、そこから用意を始めても時間が足りないのではないかと思う。
「とにかく、テレージア様を……」
そこまで考えて、はた、と思う。
当たり前のことだが、自分が逃げること、それは「テレージアを殺す」ことになる。いや、それは大前提でどうにもならないことだ。けれども、自分は生きたいのだ。
(だって、仕方がない……)
死にたくない。だったら、見殺しにするしかない。いや、自分が姿を隠して、どうにかやり過ごしたら、また未来が変わるのではないか……そんな安直なことを考える。
「わたしが生きるなら、テレージア様は死ぬし、テレージア様が生きるなら、わたしは死ぬ」
言葉に出せば、残酷な話だと思う。しかし、ふと「いや、そうじゃない」と思う。
過去に自分が9回死んで。だが、そのあとにテレージアが生きていたためしがあったのだろうか。いや、それはわからない。わからないが、少なくともヘルムートの言いぐさを見るに、彼が繰り返した何回――その回数はわからないが――では、テレージアは救われていないのだ。
だったら、自分が死んでも、テレージアが生きるわけではない。ならば、自分の死はみな無駄死にだったのではないかと思う。
(だったら、生きた方がいい)
そう思って、ぷるぷると首を左右に振る。考えてはいけない。テレージアのことを。
何にせよ、一日でも早い方がよい。心を決めた。
その日から、ユリアーナの移住計画は始まった。一日かけて森の反対側に行き、場所を見繕う。その場で野営をして、翌日にはまず木と木の間に布を張った。雨が降った時に重さでたわまないように、うまく斜めにするのに時間がかかったが、何にせよ、翼で空を飛べることが功を奏してうまく張ることが出来た。
人が一人で生きていくのになんとかなるぐらいの大きさだったが、屋根が出来たことで大分ユリアーナはほっとした。少なくとも雨はしのげる。ただ、物を持ち込むには手狭だったので、そこが難点だ。
「もう一つ、屋根を作るかな……」
ありがたいことに、この森に暮らして暴風雨が発生したためしはない。だが、少しの雨風を凌ぐためには、壁がわりになるものが必要だと考える。
(仕方ないな。布と縄だけ、買いに行こう……)
ガダーエの町に行って、買い出しをしようと決めた。また一日をかけて家に戻ると、デニスがやって来た。どうやら行商から戻って来たようだった。
「久しぶりだな」
「おかえりなさい!」
「ああ。預かった銀線細工、全部売れたぜ」
「えっ、本当!?」
「うん。これがユリアーナの分な。提示されていた金額から、3割はこっちで引かせてもらってる」
「うん。もちろんだよ」
受け取った布袋から銀貨を出して数える。思っていた以上の売れ行きに大満足だ。
「すごい。本当に全部売れたんだ」
「おう。お前の銀線細工はセンスがあるってよく言われる。また三か月後に行商に出るからさ。それまでにまた作っておいてくれよ」
「あ~……そうだね。うん」
そこで、ユリアーナはデニスに家を捨てることを言おうかどうしようかと悩んだ。だが、彼女は曖昧にうなずく。
じゃあな、とデニスはあっさりとユリアーナの家から出て行った。その数か月あとの行商のことをユリアーナは考える。
(その三か月後に、銀線細工を預けた記憶がない)
となれば。その数か月が勝負なのだろう。
(急がなくちゃ。必要なものを町で買ってこよう。翼がきっと、そろそろ白くなる)
とにかく、住処を作る。そのことに集中をしようと思う。それをしている間は、自分の死について向かい合わなくてもいい。いや、向かい合っていることにはなるのだが、恐怖を少しだけ忘れることが出来る、と思った。
「昨日、オリエが死んだ」
「えっ!? あれか。10年近く前に、娘を連れて逃げたラーレンだろ? 昨日? 俺が休んでいる間に死んだのか」
「そうだ」
ラーレン研究所の一室で会話をしている二人の人物がいた。どちらも齢四十程度の男性だ。ここではラーレンの繁殖を行っているが、既に残されたラーレンは数人となっており、正直なところ八方ふさがりになっていた。
数は減ってはいるとはいえ、ラーレン病はまだ現存する。それを回避するために、薬が必要だ。要するに、ラーレンが必要だ。研究所のラーレンは一人ずつ犠牲になって、金は手に入る。しかし、肝心のラーレンの繁殖がうまくいかない。
当然ながら、どこから支援をされているわけでもない。ここに勤めている者たちは、みな気がおかしい研究者ばかりだ。遠い昔、ラーレン病が流行したときに最初に「貝の成分を抽出する」ことに成功をした機関で、当時は王城からの支援も手厚く、公的な機関だった。だが、その対象が「貝」ではなく「ラーレン」になってから、非人道的な研究が行われはじめ、その存在は気づけば「そんなものはない」と言われるようになった。
それでも、細々とラーレンに関する研究は続けられていた。いくらか残っている気狂いの研究員たちが、日々ラーレンの繁殖を行っている。支援も今は打ち切られており、繁殖をしたラーレンの翼を、あるいは翼からラーレン病に効く成分を抽出して作った薬を売って、それでなんとか生計を立てているのだ。また、表立っての支援はされていないが、ヒュームの王族がラーレン病になったら……と、裏では金が動いているとかなんとか。
「数年前にハーランドの町で再び捕獲して、それからあんたが担当になっていたんだろう? まあ、だいぶ衰えていたから、そろそろだとは思ってたけど……」
「ああ。それでな。オリエは、娘は死んだと言っていたが」
「うん」
「どうも、そうではないようだ」
「どういうことだ?」
一人は怪訝そうに眼を細める。
10年前に逃げたラーレン。それは彼の担当だったから覚えている。コーカとの間に子供を作らせたら、黒い翼をもつコーカが生まれ、彼は大いに失望をした。
逃げてから数年経過をしてから、ハーランドという町で捕獲をした。そのあとは、今会話をしている研究員が担当になっていたはずだ、と思う。
「ダガーエの町の近くにある森に、娘が住んでいる」
「へえ。なんでそんなことがわかったんだ?」
「薬を使って、死ぬ間際で朦朧としている時に質問をして、誘導をした。まあ、薬を使ったせいで死期が早まったのは事実だが、遅かれ早かれ死ぬ運命だったしな……」
オリエを研究所に連れ戻して、それから再びコーカと交わらせた。生まれてくる子供は全員コーカになるのか、それを知りたかったからだ。ここ数年で無理やり2人を生ませたが、誰もが黒い翼を持って生まれた。
残念ながら、研究所に戻ってからというものオリエの体は日々弱り、子供2人もまた、ラーレンの血を引いているにも関わらず体が弱かった。研究所内で育ててもうまくいかず、二か月前と先週、残念ながら子供たちも一人ずつ死んでしまった。そして、次々に子供を失ったオリエは半狂乱になって心が壊れた。食事をとっても吐いて、気が付けば吐血が始まった。
もう嫌だ、もう嫌だ、と叫びながら泣き、血を吐いた。それから、何度も何度も繰り返し血を吐いて。最後の三日間は幻を見ているようで、何かをぶつぶつ呟いていたのだと男は説明をした。
「ハーランドの町で捕獲されたのは、娘を守るためだ。お役目御免になって研究所から逃がした娘の父親と、彼女が一緒に暮らしていたと偽装をしてな。実際、当時我々はギフェの町近くまで探索をしていたからな。どうやら、娘を森において、そこから離れたハーランドに一人で飛んで、わざと捕まった。そして、娘は死んだと嘘の報告をした」
「と言っても、娘はコーカだろ。別に……」
「ああ、だから、おかしいと思ったんだ。どうせ生まれた娘はコーカだし、実験に必要はない。俺たちが欲しいのはラーレンだからな。オリエ一人で済む」
「だろ?」
「それで、おかしいと思って……先週死んだハーディンの遺体から翼を切って、調べたんだ」
「え? ハーディンはコーカだろ?」
「……ああ。コーカのはずだった」
男はにやりと笑った。
「えっ? どういうことだ?」
「コーカの翼のはずなのに、ラーレンの翼に入っている成分と同じものが、うっすらと混じっていた。死んで時間が経過していたので、それらは変質していて抽出は出来なかったんだが……俺たちは翼を見てコーカだと思っていたし、実際コーカだった。しかし、ラーレンから生まれたせいか、ちゃんとラーレンの翼が持つ成分も含んでいた」
「でも、あれだろ。うっすらと、って話なら、一人殺しても薬は作れる量には満たないんだろ」
「そうだな。割が合わなすぎる。けれど……」
「まだ何かあんのか」
「オリエが言うには『ラーレンになる』んだと」
「……は?」
その言葉を聞いて、もう一人の男は目を見開いた。ラーレンに「なる」んだと? と言いたげな口はぽかんと開いている。
「小さい頃に、祖母から聞いたんだと。ラーレンとコーカの間に生まれた子供は『ラーレンになる』んだそうだ。それが、どういう意味なのか俺にもわからなかったんだが……」
だが、もしかしたら。それは『コーカからラーレンになる』という意味ではないか。男はそう言って、口の右端をぐいとあげた。ゆがんだ笑みに同僚は「は、はは、まさか」と言いつつ、ごくり、と生唾を飲み込む。
「まさか」
「俺も、まさかと思った。が……娘が生きているなら、その翼を切り落として確認をしたいじゃないか?」
「……へえ……そいつはちょっと面白い話だな」
「だろう? オリエが、娘を守るために、わざわざハーランドの町にまで出向いて……ラーレンとバレては困るだろうから、夜飛んだんだろうが、まあとにかく、森から離れたってことがわかった。ってことは、やっぱり、娘はコーカだが、ラーレンに『なる』んだろう」
二人の研究者は互いの目を見た。もしそうだったら。そして、コーカからラーレンになったならば。それなら、今この研究所にいるラーレンとコーカを交わらわせて、どんどん「ラーレンになるコーカ」を増やせばいいだけのことだ。
そもそも、ラーレンは体が強いからなのか、子供ができにくい。オリエもそうだった。それを、無理やり薬漬けにして二人を生ませた。どうもそれがよくなかったようで、体が弱い個体が生まれてしまったことは反省点だが、今それを言っても仕方がない。
そのオリエが守ろうとしたならば。最初に生まれて、そしてオリエと共にこの研究所から逃げた「コーカ」の娘は。
「オリエが言うには、そろそろ娘はラーレンになっているはずだ」
「ダガーエの町近くの森か。明日にでも、傭兵を雇って様子を見てくるよう依頼をしよう」
「ああ。それがいい」
面白いことになってきた、と研究者は笑う。彼らは、ラーレンのこともコーカのことも、ただの実験用動物だと考えるだけの、気が違ったヒューム族だった。
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