第25話 9回目の最後(1)

「わあ、これ何……? 魚?」


 ヘルムートが荷物から出した干し魚を覗き込むユリアーナ。


「そうだ。小さい魚を燻製にしたものだ。数が少ないので、最終日に食べようと思ってな」


「燻製? あっ、本当だ。燻した香りが」


 やはり、騎士となると良いものを買っているのだろう。彼が持ってきたものはみな味がそれなりによく、ユリアーナの手には入らなそうなものばかりだった。最終日とばかりに、残ったものをかなり出してもらったが、そのどれもがそうだった。


「保存食でも、いいもの食べてるんだねぇ~」


「いいもの……」


 ヘルムートはユリアーナの言葉に瞬いた。そんなことを考えたことはなかった。だが、森で過ごしている彼女ならばそうなのだろう……そう思ったが、口にはしなかった。


「別にうらやましいとかそういう話じゃないけど……やっぱり騎士ってのは違うんだなぁって。騎士って、ほとんどがあれでしょ。その、お姫様ほどの人の護衛についているのなんて、貴族の子息とかそういうやつなんでしょ」


 特に何の気もなくユリアーナがそういえば、ヘルムートは自嘲気味に笑みを漏らす。


「そうだが、これは単に町で購入しただけのものだ。それに、俺は私生児だったので、そう良い立場でもなかった」


「そうなんだ」


「貴族共には私生児と言われ、平民共にも私生児と言われていたが、そんなわたしを護衛騎士にしてくださったのが、テレージア様だ」


「……」


 ぱちぱちと焚火が爆ぜる音。じっとユリアーナはヘルムートを見て


「ヘルムートは、テレージア様のことが好きなの?」


と尋ねた。


「大切な方だ。俺は、あの方を生かして差し上げたい。その後のことは……ラファエルにあの方を幸せにしてもらえたらとは思っているが」


 ラファエル。突然出て来たその名前、つきん、とユリアーナの胸の奥が痛む。だが、それはユリアーナであってユリア―ナではない。遠い過去の感情だ。


「そっか……ふうん……テレージア様、よくなるといいね……」


 ユリアーナはそう口にして、それからハッとなる。馬鹿だ。よくなるといいね、だなんて。彼女はヘルムートの話ではラーレン病になる、あるいは既になっているのに。けれど、その気持ちはユリアーナにとってはあまりにも普通のことだった。


(はは、こんな時だけ、まるで自分がラーレンじゃないようにふるまっちゃうなんて。本当に馬鹿馬鹿しい……)


 心と体は同じ、しかし、時々違う。先程まで、心の奥で「以前のユリアーナ」が姿を見せたと思えば、今度はまるで転生前の自分が姿を見せたようにユリアーナには思える。


 転生なんてものは、きっと、そう簡単なものではないのだ。そして、9回、10回と生きることもまた。一人の体に二人の記憶、いや、9回分の記憶を持つなんて。それは、一人の人間の細胞が受け入れられるものではないのかもしれない。ぼんやりとユリアーナはそう思った。そして、ヘルムートは苦々しい笑みを浮かべて


「ああ、そうだな……」


 と答えるだけだった。




 焚火の番をヘルムートに任せて、ユリアーナは静かに眠っている。ごろりと寝返りを打てば、翼がヘルムートの視界に入った。


(ラーレンのために大樹を見つけた、とはいえ、あれが本当にそれなのか。そして、何の役にたつのか、そんなものはまったくわからなかったな……)


 黒い翼。これが本当に白くなるのだろうか。白くならなかったら、自分はどうすればよいのだろうか。


(白くなるとしたら。タイミングは『あの時』よりも少し早くなければいけない。それから、クライヴ先生に、ラーレン病であることをまずは診断を下してもらわなければいけない)


 それらが失敗したら。


(今回が最後だ。世界を救うだとかなんだとか、そんなものは俺にはよくわからない。ただ、テレージア様が治れば……)


 ふと考える。聖女の力が衰えているとテレージアは言っていた。しかし、それは病の進行と合致している。ならば、それは病が治れば復活するのではないかと。


(それが、世界を救う何かの鍵になっているのではないか……)


 本当のところはわからない。だが、自分が生き返り続けたのは「世界を救うため」なのだという。そして、彼が生き返ったすべての時間、テレージアは死んだ。そう思えば、テレージアの生死が世界の滅亡とやらをもたらすのではないかと思う。だから、彼女を生かそうとしてあがいている自分のこの行為にも、意味はきっとある……そんな風に考えたことがなかった彼は、自嘲の笑みを浮かべた。


(言い訳か。テレージア様を生かそうとしている行為に言い訳が必要なのか)


 過去、そんなことは一度もなかった。彼は、テレージアを生かそうとそれだけを考え、勿論世界のことも考えてもいたが、そんな雲をもつかむような話よりも、彼女のことを優先にして生きて来た。そして、その行為を正当化する言い訳を、彼は特に欲していなかった。


 だから、ユリアーナを斬り捨てた。ラーレン一人の命でテレージアが助かるならばと思っていた。まったく、これっぽっちも、彼女の人生について思うこともなく、彼はそれをやり遂げた。


 しかし。彼が魔獣から彼女を庇ったのは「テレージア様のために生きていてもらわないと困る」からではなかった。ただ、助けたかったのだ。そこには何の感情もない。ただただ、魔獣から彼女を守りたい。それだけだった。笑わせる。殺すために守ったと言えた方が、まだましだ……そう思いながら、彼は痛む肩を反対の手で押さえた。


(頼む。大樹の葉に、ラーレン病を治す成分が含まれていることを願う……)


そうでなければ。ユリアーナには犠牲になってもらわなければいけない。それだけは、決まっているのだ。




 ユリアーナは、夢を見ていた。それは、もう一人の「9回を生きたユリアーナ」の夢だ。


(殺したら?)


 囁く声。その声は自分の声であって、自分の声ではない。映像は、ぐるぐると自分の知っている、けれど自分ではない過去が流れていく。映像に集中をしても、あまりにそれらは早く動きすぎていて、何をしているのか判断がつかない。だから、彼女は自分に語り掛けてくる声に集中をした。


「誰を?」


(テレージアを)


「どうして?」


(だって、テレージアのせいで、あなたは殺されるんだよ?)


 ああ、そうだ。確かにそうだ。だったら、さっさとテレージアを殺してしまえば……。


「何言ってるの。出来るわけないじゃない。それに、そんなことしたら、追われることになる。結局、自分の首を絞めちゃうってことでしょ」


(じゃあ、ヘルムートを殺したら?)


「え」


(あなたがラーレンなんじゃないかって、彼は疑っている。だったら、先に殺したらいいんじゃない?)


 自分が殺される前に殺す。そうすれば、自分を殺そうと思う人が、まず減る。ラーレン狩りが発生したら逃げなければいけないが、彼ほど「ここにラーレンがいる」とわかっている者はそういないだろうし……。


「違う」


 違う。そういうことではない。ユリアーナは「生きたい」とは思っていたが、そのために誰かを殺そうとは思っていなかった。ただ、生きたい。死にたくない。逃げなければ。そう考えていた。何故なら、彼女は誰かを殺したことがそれまで一度もなかったからだ。


(なんだ。結局、覚悟が足りないんじゃない。それじゃあ、死んじゃっても仕方がないよね)


 無理なのだろうか。誰かを殺さなければ、生きのびられないのだろうか。確かに、自分が手をくださなくとも、自分の翼を守ることはテレージアを殺すことと同義だ。


 この先、ヘルムートがユリアーナをまた殺しに来るだろう。その頃にはラーレンになっているだろうから、今日みつけた大樹のもとに行こうと思っていた。だが、それで何も解決しなかったら?祈りを捧げても何も起こらなかったら?


 そうしたら、ヘルムートに殺されるのだろうか。


(でも、もう遅いのに。あなたじゃないわたしが、もう、殺したのに)


「え……?」


 突然、映像が緩やかになる。意識が夢の中なのに、はっきりと覚醒をした。ユリアーナは、うっすらとしか見えなかった9回目の終わりを夢の中で見た。


「わたし……」


 ヘルムートに殺される前に。それ以前に、ユリアーナは、テレージアを殺そうと。


「え……え……」


(思い出した? あなた、既に『テレージアを殺している』のよ?)


 切れ切れの記憶が、再び走馬灯を見るかのように、いや、それ以上の速度でぐるぐると脳内を廻る。それでなくとも、整然としていない記憶を思い起こすことは難しい。ユリアーナはその「9回目の現実」を見ただけで、再び記憶は混濁していく。


「あ、あ、あ、あ、あ!」


 最後の9回目だと思っていた。ヘルムートに殺された記憶が。だが、違う。あれは、8回目だ。9回目は……。


 自分は、テレージアを殺し、そして、ラファエルに殺されたのだ。

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