第24話 大樹

 翌日、彼らはぐるりと周囲を探索した。地図通りであれば、中央部はそんなに広くはないはずだ。


 魔獣除けの木を横にして、ぐるりと一周をする。一周をするのにおよそ一時間は必要がない。では、内側へ、と彼らはさらに中央部にと入っていく。どこまでも木が生い茂り、獣道すらない。だが、不思議と「なんとなく歩ける」と思う。


「ねえ、ねえ、あれ……!」


「……!」


 そこは、本当に森の中央部。巨大な木が葉を広げていた。


「これが……」


 森の大樹。その木は、その言葉に相応しいものだった。

 どっしりとした太い幹。空に伸びる枝は大きく広がっているものの、日差しを遮り切らずに美しい木漏れ日を地面に落とす。根の一部は土から出ていたが、しっかりと張っているのが見える。四方八方に根を伸ばしており、それらは一本一本が太い。簡単に掘り返すことは出来なさそうに見える。


 ただの木だ。しかし、ただの木であって、そうではない。見た者はみな、感嘆の声をあげるだろうと思う。それだけの「何か」をその木は持っていた。


「これ……どう見ても……大樹……」


 ぼんやりとユリアーナは呟く。探していたものなのに、いざそれが目の前に現れると、それを飲み込むことが難しい。それほどの存在感がその木にはあった。それは、ヘルムートも同じようだった。


「……言葉に、ならない」


 でかいとか。凄いとか。そういった単純な言葉しか出てこない、とヘルムートは思う。だが、その言葉達も、どれもこれも「そうではない」気がする。


 荘厳だとか、静寂だとか、多くの言葉が脳内にぐるぐると湧き上がるが、それを口にすることは意味がない。そう思うほどの存在。


「ねぇ、ヘルムート」


「うん?」


「魔獣の気配が、まったくしない。動物も、害をなしそうなものは、今のところまったく」


「そうだな」


ユリアーナは、木に近づいてそっと手を触れた。当たり前の木の肌。何も他の木と変わりはない。枝を折ろうとすれば、ゆるりとたわみ、十分な水分を含んでいることがわかる。


「これが、大樹……」


「だと思うか?」


「うん。ヘルムートだってそう思うでしょ? 違うの?」


「そうだな。これは、間違いないな……」


 圧倒的な存在感に、ヘルムートは溜息に近い息を吐きだす。だが、この木をみつけたからといって何がどうなるというわけでもなさそうだ。


(森の大樹に……)


 ユリアーナは、遠い記憶を思い出す。自分の、昔の記憶。自分ではないユリアーナの記憶だ。薄れゆく母親の記憶。


――わたしたち『ラーレン』が本当に困ったときには、森の大樹にお祈りをするの――


――声が届けば、森の大樹はわたしたちを助けてくれる――


(祈る? でも)


 でも、自分はまだラーレンではない。それに、今祈ることはない。いや、あるとはいえ、それらは雑然としていて、祈りと言う形に昇華出来ない気がする。あえて言うなら「助けてください」になるのだが、それはあまりに漠然としている。


(でも、祈ってみようかな……)


 ユリアーナは両手を胸元に組み合わせて、うつむいた。


(助けて……助けてください……!)


 生きていたい。死にたくない。なんだったら、ラーレンになりたくない。ラーレンを助けてくれると言われている大樹に、ラーレンになりたくないなんていう祈りをするなんて本末転倒だ。


 ヘルムートはユリアーナのその様子を見下ろして、いささか冷たい声音で尋ねる。


「何をしている?」


「祈ってるの」


「何を」


「えーーっと……よくわかんないけど……なんとなく! なんていうの? こういうの、ご神木……?」


「ゴシンボク?」


 違う。その言葉も転生前の知識のものだ、とハッとなったが、曖昧にユリアーナは「何か、神様がいそうな気がして。なんとなく」と言ってへらりと笑った。


 ヘルムートは大樹を見上げながら「なんとなく、か」と呟いた。


「よくわからんが……この木に祈れば、何か叶えてくれるのか?」


「さあね」


 ユリアーナはそう言って肩を竦めた。そもそも、ヘルムートがこの大樹を探してどうしたいのかはよくわかっていない。むしろこっちが聞きたいのだが……と思う。


(わたしが、まだラーレンじゃないから駄目なのかもしれないな……)


 では、ラーレンになったら真っ先に来れば良いのか。しかし、それは難しいと思う。魔獣が出るエリアを一人で越えてくるのは、自分の腕では少し厳しい。正直なところ、ヘルムートかそれ以上に強い誰かと一緒でないと、いまひとつ自信がない。


「何にせよ、大樹はあったってことね」


「そうだな」


 風がさわさわと枝葉を揺らす。木漏れ日が曇って来る。


「特に他に、何もありはしないな」


 ヘルムートは辺りをぐるりと見回し、それから木に触れ、上を見上げて呟く。空に向かって伸びる枝の先には、葉しかない。何も。何もありやしないのだ。


「見つけたけど、見つけただけだね。何も、ありはしない」


 そうユリアーナも言いながら、ずっと上に伸びている枝葉を見上げる。


「ヘルムートの、その、知り合いっていうのは、この大樹を探してどうしろって?」


「いや……どうしろ、とは、言っていなかった。ただ、探せと」


 そして、探して、みつかった。だが、その先のことは何もなかった。そして、ここで実際に見つけても、何も起きやしない。


「ただ、ここには何かがあるわよね。魔獣の気配がしないんだもの。きっと、わたしたちにはよくわからない『何か』があるんだよ」


「それが何なのかはわからないがな……」


「ね、葉っぱに、何か、あるとかは?」


「葉……」


「あれかも。ラーレン病のさ、えっと、お薬になるとか」


 そう言いつつ「まさか」とユリアーナは思う。そんな馬鹿なことがあるか、とも思う。


 そもそも、ラーレン病の薬の元となる成分が植物に含まれるなんてことがあるのだろうか。貝は軟体生物だ。そして、ラーレンは人間型だ。それらが持っている成分を、葉が……?


「なるほど。それは、あるかもしれないな。持っていって調べよう」


 ヘルムートはそう言って、枝に手折った。鞄の外側のポケットに差し込み、ベルトで固定をする。落ちた葉を数枚拾って、それも鞄の中にしまった。


「他には特に何もないか」


 しばらく風に吹かれて立っている二人。さわさわと柔らかな風が、大樹の枝葉を揺らし、二人の髪を揺らした。やがて、ユリアーナは大樹の根元に腰をかける。


「はあ~、なんかわからないけど、ここからまた魔獣のエリアを通って帰らなくちゃいけないから、少し休んでいこう」


「そうだな」


 二人は並んで座った。けれど、どちらもそれ以上の会話はなく、ただ風に吹かれてぼんやりとしていた。魔獣のエリアを抜けるまでの疲れがどっと体に出たようで、しばらくその場に留まった。


「ね、気持ちいいわね」


 小さくユリアーナは笑った。ヘルムートはその笑みを見て、わずかに口の端を緩めて「ああ」と同意をする。


 大樹は見つけた。何も起こらなったが、見つけることは出来た。後は帰るだけ。自分たちの、短い旅はもうすぐ終わるのだ。彼らは並んで座って、どちらもそう考えていた。


 大樹はただ風に吹かれるだけで、決してそれ以上の何も彼らに与えなかった。




 大樹がある中央のエリアを抜け、再度魔獣の出現エリアに行き、そこを強引に突破した。行きは死骸をあまり出さないようにと思っていたが、帰りは別段気にせずに、ただひたすらに早く帰ろうと2人は出会う魔獣を切り捨てて行った。


 それでも、相当時間は経過をしてしまったようで、人の居住エリアにたどり着いた時、とっくに森の中は真っ暗になってしまっていた。


「ああ~、もう駄目。家までもたない……」


 ユリアーナはへたりこんだ。家にヘルムートを泊めることを回避したかっただけではなく、単純に本当に彼女の体力は限界に近かった。それは、ヘルムートもまた同じだった。


「ここまで、よく戻って来たな……」


「うう……ひとまず……動物除けをしないと……」


 焚火に火をつけ、周囲に動物除けの聖水を振りまく。魔獣の血が衣類にしみこんでいる以上、聖水の効き目はそこまで過信出来ない。ヘルムートは鎧を手早く外し、インナーを脱いで火に投げ込んだ。そして、荷物に入れて来た他のインナーに着替える。下も、同じように着替えた。


(うう……いい体してる……)


 そんなものを当たり前のように見せないでほしい、とユリアーナは目を逸らす。まったく、年頃の女性の前なんだし気を使ってくれてもいいのに、と思う。すると、彼はこちらを振り返った。


「君は、着替えは持ってきていないか」


「き、きてる、けど……」


「だったら、燃やしてしまった方がいい。魔獣の血をかなり吸い込んでいる」


「う、うん」


「見ないから。さっさと着替えろ」


 そういってヘルムートは視線を逸らした。


(そんな簡単に……!)


 あっさり服を脱げと言われると、なんだか腹立たしい。だが、ヘルムートの言葉は正しい。魔獣の血を多く吸い込んだ衣類は肉食獣を呼び寄せてしまうからだ。


 ユリアーナは服を荷物の底から取り出して、着ていたものを脱ぎ捨てた。衣類にしみこんだ血は、裸体にまでついていた。脱いだ服の端で体を拭く。最中に髪を気にして触れれば、髪もあちらこちらに血が固まっている。


 着替えて、皮の胸当てをつけなおす。「もういいよ」と言って、焚火に服をくべた。


「ね、傷は? 包帯を巻き直さなくてもいいの?」


「構わない。このままで、屋敷に戻ってから後はどうにかする」


「そっか」


 ここまでで、彼の肩の傷の痛みがまだ続いていることは、ユリアーナも気づいていた。魔獣との闘いでも、肩を庇っていたし。しかし、あえてそれをどうとも言わずに過ごしていた。ユリアーナが心配をしても彼は「大丈夫だ」としか言わないし、肩を庇っていても彼の剣の腕はそう衰えてもいなかった。


「あれ?」


 突然目を丸くして呟くユリアーナを、ヘルムートはちらりと見る。


「どうした」


「毒の木……食べてる魔獣がいる」


 それは草食の、夜型魔獣だ。


「違う。食べてるんじゃなくて……?」


 木の表面を削って、その奥の何かを舐めているように見える。


「へぇ? 果実も葉も毒なのに、樹液は大丈夫なのかな? 虫とかもつくのかな……」


「ということは、魔獣たちはこちら側に出て来られるかもしれないということか。少なくともそいつはこっちに出てきているんだしな」


 とヘルムートが言う。ユリアーナはぞくりと背筋を冷やす。確かに、自分たちがエリアわけをしていたのは、毒の木があるからだ。だが、その木の何かを食べる魔獣がいるということは、その木がどれほど魔獣に有効なのかという話になる。


「ええ……やだな……あれは草食だからまだいいけど……」


「そもそも肉食だったらあの毒の木も意味がないのでは」


「!」


 それはそうか。当たり前のことを言われ、ユリアーナは「確かに……」と呟く。それはそうだ。どうしてそんなことを今まで考えなかったんだろうか。単純に毒の木だから、と思っていた自分がいささか恥ずかしい。


「あの魔獣がいるということは、あの魔獣を食べる魔獣も現れるだろう。まあ、あの魔獣は、他の魔獣……自分を食べるものが、あの木を越えてこないことをわかっていて、こちら側で食べているに違いないのだが」


「あっ、なるほど」


「何にせよ警戒をしながら寝ないといけないな」


「うん……と、とにかく何か食べよっか」


 そう言ってごそごそと荷物から乾パンを取り出すユリアーナ。ヘルムートも荷物から干し魚と乾燥させた果物を取り出した。

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