第23話 来ない未来の話
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃないでしょ……!」
魔獣を2体倒し、残りの1体を追い払った後、ユリアーナはヘルムートに駆け寄った。ヘルムートはユリアーナを庇って左肩の肩当を吹っ飛ばされ、さらには爪で傷をつけられたようだった。
「血、血が、出てる……!」
「これぐらい、なんてことはない」
慌ててユリアーナは鞄から動物除けの聖水を取り出して、周辺にまいた。魔獣相手にはそう効き目はないかもしれないが、安全を図るにはないよりはましだ。夜だけそれを使おうと思っていたが、今は悩んでいる暇はない。
「わ、わたし、のせいで」
「気にするな」
ヘルムートは地面に座って、鞄から包帯を出す。
「だって……」
「避けられなかった俺が悪い。避けるつもりだった」
「嘘ばっかり……」
彼の手から包帯や薬をもぎとって、ユリアーナは血が出ている肩を見た。確かに、彼が言うようにそこまで深い傷ではない。だが、数本あるうちの二本の爪に皮膚は削られ、赤い血が止まらない。
ヘルムートは少しばかり眉をひそめていたが、決して「痛い」とは言わなかった。きっと、気を使わせないようにとしているんだろう……ユリアーナはそう思う。
「すぐには血が止まらないだろうが、まあそのうち。とりあえず包帯を巻いてくれるか」
「駄目だよ。まず……」
最初に水で洗って、それから圧迫して。ユリアーナは手持ちの水筒の蓋を開けて、ヘルムートの肩に水を注いだ。
「ぐっ……!」
「ごめんね。痛いよね……」
「構わない。だから、さっさと包帯を……」
「駄目だってば。傷口抑えて血を止める。そのままにしていて」
折った布を傷口に押し当てるユリアーナ。2人はしばらく無言で、森の中で座り込んでいた。動物除けの聖水がいくらか効果があったのか、魔獣の気配は感じない。
5分経過したが、片方の傷からの血が止まらない。そこからさらにユリアーナは布をぎゅっと押し当てる。
静かな時間だった。木々から漏れてくる木漏れ日が彼らを優しく照らし、柔らかな風が吹く。まるで、ここが魔獣が出てくる場所で、ほんの少し前まで彼らが命をかけて戦っているとは思えないほどだ。
「よかった。血は止まったみたい。心臓の上だから早かったのかな?」
「心臓の上……?」
いぶかしげなヘルムート。出血が起きたら心臓より上に患部をあげた方がいい。その「当然」だと思っていた知識をヘルムートは持っていないのか、とユリアーナは気づく。
「えーっと、心臓より上にしておくと、血圧が下がって……流れる血を抑えるっていうか。だから、指とか切ったら上に高くあげるといいのよ」
「そうなのか」
「うん。心臓が血を送るからね」
「君は医師なのか?」
「えっ? そんなことはないけど……薬塗るね」
ヘルムートはおとなしくユリアーナにされるがままだ。薬を塗って、布をあてて、包帯を巻いて。そのテキパキとした動きを見て、ヘルムートはもう一度
「君は衛生兵か何かだったのか?」
と尋ねる。ユリアーナは「ううん」と首を横に振った。いや、確かに自分でも手際が良いとは思っていたが……
(転生前のこと、ほとんど覚えていないけど……そういう仕事とかしてたのかな……)
何も思い出せない。ユリアーナと「同期」が取れれば取れるほど、どんどん昔の自分は失われていってしまう気がする。そのことを思うと少しだけ悲しい。転生や生まれ変わりでもう一度命を得たのだから、それらは消え去ってもおかしくないのだと彼女は考える。だが、こうして「知識」という情報は残っている。それだけはありがたいと思いながら、ユリアーナは「はい、終わり」と包帯を止めて笑った。
「大丈夫? 動けそう?」
「左肩だし、大した動きはしない。鞄を背負っても、背負い紐に当たらないし、そう影響はなさそうだ。これなら大丈夫だろう」
「よかった」
ほっと一息ついて笑みを漏らすユリアーナ。
「それじゃ、進もうか。今日中に中央につくといいんだけど……」
「ああ。そうだな」
「あの……」
「ん?」
「さっきは……ありがとう。ごめんなさい、わたしのせいで」
俯きがちにそう言えば、ヘルムートは「うん」と素直に頷いた。それ以上彼は何も言わず、再び彼らは歩き出したのだった。
魔獣たちのエリアを抜けて、森の中央部に彼らは足を踏み入れた。大樹はみつからないが、魔獣たちのエリアを阻む毒の木を抜け、ほっとする。
だが、時刻はもう夕方近かった。今から大樹を探して、それから戻ろうとすれば夜になる。彼らは仕方なくそこで野営をすることにした。
「今日はわたしが焚火の番をするから、ヘルムートは先に寝て」
「いや。傷が痛むので、眠れなさそうだ。君が寝ろ」
「駄目だよ。そんなことばかりいって、結局昨日だってそんなに寝てないでしょ!」
それは本当のことだ。ヘルムートはむっとした表情を見せたが、すぐにそれを緩めて「わかった」と素直にユリアーナに従った。
食事はまた簡易的なものだったが、食後にユリアーナが茶を淹れた。野営にそんな茶を飲むなんてことを考えたことがなかったヘルムートは大いに驚いた表情を見せた。
「え、だって、お茶の葉って軽いし、そう大した荷物にもならないでしょ? 淹れた後のカスは肥料にもなるし」
「肥料になるのか」
「うん。でも、そのままじゃダメだから、まあ土掘って埋めたりした方がいいのかな……」
そう言いながら、それも転生前の自分の知識なのだと気づくユリアーナ。今まではほとんど一人で生活をしていたから、何が転生前の知識で、何がこちらで手に入れた知識なのかを意識していなかった、と思う。
(ヘルムートがいるから、それがわかるのね)
ヘルムートは茶を一口飲んで
「ああ、美味いな」
と、ほっとした表情を見せた。ああ、やっぱり彼も緊張をしていたのだ。当たり前のことに気づいて(よかった)と思うユリアーナ。彼らはどちらも腹に一物を持っている。だが、こうやって同じ目的があって共に動く以上、今だけは協力しあいたいと思う。
「カミルさんがくれた茶葉なの。美味しいよね」
「ああ。クライヴ先生とは仲が良いのか?」
「ううん? 仲が悪いとか良いとかは別に……ラファエルを助けた時に一度会って、それから数回しか会ってないし。カミルさんが茶葉をくれたのは、森に住んでいる人たちは、互いに助け合うっていう風習があるからだよ。基本的には、いつも一人で過ごしているし。ガダーエの町のギルドでたまに依頼を受けるけど、基本的に一人。誰と仲がいいってこともないかな……ヘルムートは?」
「俺は……そうだな。なんだかんだ、テレージア様の護衛騎士になってからは、そう一人にはなっていないかな……」
「あっ、そうだよね。色んな人があの大きなお屋敷にいるものね? お食事とかはどうしてるの? みんなで一緒に?」
「みなではないが、まあ、数人でとっている……決まった時間に用意をしてもらって」
「へえ~」
なんとはない会話。だが、そのなんとはない会話から、普段の互いの姿をちらちらと覗き見ることが出来る。ユリアーナもヘルムートも、相手の日常にそこまで興味はなかったが、互いの口から語られる話は素直に「そうなんだ」と感じる。
「そうか。一人で生きるためには、ギルドで依頼を受けてそれで稼いでいるのか」
「うん。あとねぇ、銀線細工を作ってるの」
とはいえ、転生をして「10回目のユリアーナ」になってからは、一度も作っていない。だから、自分が本当にそれを作れるのかはユリアーナには半信半疑だった。にもかかわらず、あっさりとその言葉が口から放たれて、心の中で驚く。ああ、自分はユリアーナではないのに、こうやってどんどんユリアーナになっていくのだろうか、と不思議な気持ちになった。
「銀線細工?」
「装飾品とか……森には行商人の一家がいて、数か月に一度、売りに出るんだ。その時、持って行ってもらっている」
「君が作るのか」
「そう。あっ、これがそうなのよ」
ユリアーナはそう言って、手首に巻いたバングルを見せた。細い銀線で形をとって、その内側にもツタのような模様を銀線が描いているような、そんなデザインだ。
「あの家の前の持ち主が銀線をたくさん買い込んでいて、そのまま置いてあったんだよね。それで、生産ギルドで銀線加工をしている人に頼み込んで基本を教えてもらって……」
そう語りながら、そうか、そうだった。ユリアーナの過去はそうだった、と思う。今の自分が「それをした」感触はない。だが、「そうだった」と思いながら話すだけだ。
(今のわたしに、作れるんだろうか。銀線細工とやら……)
そう思いながら、ユリアーナの言葉は続いた。
「そんな凝ったことは出来ないから、銀線で輪郭を作って平面で仕上げるだけなんだけど、いつか立体も作れるといいな」
「うまく出来ているな」
ヘルムートはユリアーナの手首をぐいととって、自分の目の前にそれを持っていく。慌てて前傾姿勢になるユリアーナ。ヘルムートの顔と自分の顔が近づいて、ユリアーナの鼓動が少し早くなる。
「本当?」
「ああ。綺麗だ。そうか……いつか……作れるといいな」
「……うん」
いつか。そのユリアーナの言葉も、ヘルムートの言葉も「そんな『いつか』は来ない」とわかっていて口にしているものだ。
ヘルムートは一瞬顔をあげて、ユリアーナと視線を合わせて驚いた表情になった。思ったより近づいていたことにびっくりしたのだろう、とユリアーナは思う。それから、手を放して、座り直すふりをして少しだけ後ろに下がる。手を放されたユリアーナもまた、なんとなく居心地が悪そうに体を引いた。
焚火のオレンジ色に照らされた彼の頬を見ながら、ユリアーナは「嘘つきだなぁ」と心の中で呟いた。けれど、彼のその嘘をユリアーナは責めない。ああ、そうだ。本当に、いつか立体の銀線細工を作れたら。自分がたとえ出来なくとも、そうだったらいいのに、と思って、少し悲しくなる。
そして、彼女は当然知らなかったが、ヘルムートもまた、心の中で「なんて嘘つきだ。俺は……」と思っていた。
(あの家の前の持ち主が銀線をたくさん買い込んでいて……か。一体いつ、あの家に行ったのか。母親も一緒だったのか。どこから来たのか。いくらでも聞こうと思えば聞けたが……)
だが、彼は聞かなかった。なんだかこれ以上、警戒をされることを彼女に聞きたくなかった。それは、この先彼女の翼を切るため……ではなく。
(なんだか、今だけは)
喧嘩をせずに、穏やかでいたい。たとえ、嘘をついてしまっても。そう思っていたのだ。
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