第26話 9回目の最後(2)

 それは、あと一度を残して、ユリアーナの心が折れてしまった、9回目の終わり。


 月も出ていない暗い夜、空を飛んでテレージアの部屋に近づいた。ヒュームの瞳には見えないほどの暗闇だが、ラーレンは夜目が効く。もちろん、今はラーレンの生態に詳しい者なぞ「研究所」にしかいないため、それを知る者はいない。


 あまりにも無防備だった別荘の警備。人数が少ないことはわかっていた。そして、テレージアの部屋がどこなのかもユリアーナはわかっており、ゆっくりと空を飛んで近づいた。彼女の翼は、既に白かった。しかし、その白さですら暗闇に飲まれてしまう、格好の夜。


 テレージアを殺そうと思ったのは、自分が助かりたかったからではない。彼女はもう、疲れ果てていた。9回生きて、それだけですり減って、何をすればよいのかがわからなくなっていった。


 繰り返される転生は、新しく健康な体を手に入れるが、脳に引き継ぐ情報その他には限りがある。それらがつぎはぎだらけに埋め込まれ、そして、何度も「死ぬかもしれない」と思いながら生きる人生は、彼女の心をすり減らしていた。


 テレージアを殺したらラファエルを手に入れられる。そんな風にも思わなかった。とにかく、彼女は疲れ果てていた。それだけだったのだ。そして、その果てに「自分がテレージア様を殺したらどうなるんだろう」と思いついた。どうせ自分もテレージアも死ぬ運命ならば、自分が殺しても良いのではないかと、そう彼女は思った。


 だから。眠っているテレージアを刺し殺しても、ユリアーナは心が動かなった。そして、心が動かない自分を「どうしてだろう」と呆然と思う。


「テレージア様!?」


 最初に異変を感じて部屋に入ってきたのは、ラファエルだった。


「!?」


 テレージアのベッドの脇に立っているユリアーナを見て、彼は驚きの表情になった。何故。何故ここに、ユリアーナが。だが、それ以上に、テレージアの安否を確認することが、何よりも優先された。


「なっ……!」


 ベッドの上で、テレージアは胸を一突きされていた。白いシーツは血に塗れていて、なぜかそれだけがやたら生々しく思える。


「どうして……一体、何故!」


「何故? 何故って?」


 答えは一つ。テレージアを殺さなければ自分が殺されるから。そう言おうとしたが、うまく声が出ない。ユリアーナはじっとラファエルを見ていた。


(それから、あなたに、会いたかったから)


 もう、無理だ。ユリアーナは思った。テレージアを殺したら自分が生きられる? そんなわけがない。自分は王族殺しの罪で裁かれる。ここで逃げても、これからは追われる立場になるだろう。それは、ラーレンとしてではなく、王族殺しの罪で。


(生きたければ、逃げなくちゃいけない)


 でも。せっかく会えたのに逃げるなんて。でも。


 その時、殺したと思ったテレージアが、ごふっと口から血を吐き出した。生きていたのか、とユリアーナはもう一度、テレージアにナイフを突き立てようとした。


 やはり、心が動かなかった。どれほど己の心が摩耗していたのかは、ユリアーナ自身にはよくわからない。ただ、生きているならばテレージアを殺さなければいけない、と、それだけを考えて彼女はナイフを――


「……あ……」


 何が起きたのか、ユリアーナにはよくわからなかった。ただ、気が付けば、手からナイフは落ち、自分の体から血が噴き出ていた。痛い気がする。そうだ。痛い。熱い。痛い。いや、寒い? よくわからずに、口から咆哮が放たれた。


「おおおおおおおおおおお……!」


 その声を聞きつけて、他の護衛騎士数名が寝室にやってきた。ユリアーナの目の前にいるラファエルは、血塗れの剣を持っていた。


「ラファエル、これは!?」


「テレージア様!」


 人々はテレージアの様子を見て驚きの声をあげる。ベッドを囲む人々を見て、ユリアーナはぼんやりと思う。


(ああ、そんな風に、いろんな人たちに守られて。そして、ラファエルにまで守られて。なんて、なんて……なんて、羨ましい)


 だって、誰もわたしのことなんて。


 ユリアーナは、ぐらりと横に倒れた。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。ただ、痛い。体が。いや、心も。そうだ。心が痛い。


「早く主治医を!」


「テレージア様!」


 人々の声がどんどん遠くなっていく。ぼんやりとした視界で見上げれば、ユリアーナをラファエルが上から見下ろしていた。その表情は怒りと悲しみがないまぜになっていたが、ユリアーナはそれすら感じ取ることが出来ない。どうして、そんな顔をしているんだろう……そう思うだけだった。


「何故だ。何故、何故、何故テレージア様を!」


「……」


 何故? その問いにユリアーナは不思議そうに瞬いた。痛い。熱い。痛い。熱い。そして、妬ましい。


 そうだ。妬ましかった。体が弱いだとかなんだとか。そんなことはどうでもいい。自分は何度もやり直しをしても、いつでも一人だった。なのに、テレージアは、いつでも誰かがそばにいた。たくさんの人々。たとえ、金で雇われているからそうしているのだとしても、その金は彼女が働いて稼いだものではない。父親の金だ。国の金だ。何もせずに、そうやって人々を周囲に侍らせて、そして、ラファエルまでも手に入れるなんて。


 世の中は不平等だ。生まれが違えば、当然差が出来る。その差を9回も彼女は味わい続けた。いつだってテレージアの周囲には人がいて、そして、自分の周囲には……。


(どうせ、自分が死ねばテレージアも死ぬ。わかっている。この9回でそれを知った。だったら、わたしが先に殺してもいい。そうでしょう……?)


 人々はテレージアの治療に専念をしている。床に倒れているユリアーナのことは二の次だ。ただ、ラファエルだけがそこに立って、テレージアとユリアーナ、二人を交互に見ていた。


「一体、誰の差し金だ。死ぬ前に答えろ」


 冷たい声。そりゃあそうだ。もうわたしはあなたにとって、命の恩人でもなく、テレージアを殺そうとした女だものね……そう思いつつも、ユリアーナは喜びに涙を浮かべた。ああ、ラファエルがわたしに話しかけてくれている。あなたは森に来てくれるって言っていたのに、全然会いに来てくれないんですもの。わたし、待っていたのに……。


 生まれ変わった9回分が脳内でごちゃまぜになり、そんな恨み言が出そうになったが、直後、テレージアの主治医の声でそれがかき消された。


「……お亡くなりに……なられました……」


「なんだと……!?」


 その言葉を聞いて、ラファエルはテレージアの方へと駆け寄った。何度もテレージアの名を呼ぶ声が聞こえる。


(なんて腹立たしいの。亡くなる寸前まで、そんな多くの人に囲まれて。わたしはいつだって……)


 綺麗で、可愛らしい女の子だった。わたしとは全然違う。誰に愛されてもおかしくないような容姿を持った、お姫様。体が弱い以外の苦労もなく、人々に囲まれて生きているお姫様。どれほど体が弱くて大変だとしても、人々に守られて生きるお姫様。それはなんて幸せなんだろう。


 わたしは、いつだって一人だった。一人で、逃げて、一人で、森で、部屋で、あちらこちらで殺されていた。翼を切られて、残った体はその場に放置をされて。誰もわたしが死んだことを悲しんでくれないどころか、誰もわたしが死んだことすら知らずにこの世界は回っていく。その、当たり前だけど悲しい現実に、何度も何度も直面をして。この世界はわたしを助けてくれないのだと思った。


 そんなわたしが、世界を救えるわけがない。だって、こうして一つ部屋の中で、一緒に死んでも。わたしは、いつだって、一人なのだ……。ほら、もうラファエルもわたしを見てくれない。わたしは、いつだって、一人。


 ユリアーナの意識はそこで途絶え、二度と戻ることはなかった。




「うう……夢見が最悪だ……」


 そう呟きながらユリアーナはぼんやりと起きた。見れば、焚火番をしているヘルムートがこちらを見ている。


「どうした? そんなに眠っていないぞ。もう一度寝直せ」


「変な夢見る……」


 そう言ってユリアーナはもう一度ごろりと横になる。


「ねえ、ヘルムート」


「うん?」


 わたしが、あなたを殺したら。そう言おうとして、ユリアーナは口を閉じた。


「なんだ」


 ここで、ヘルムートを殺したら。そうしたら、どうなるんだろう。そう思ったが、たとえ彼を殺したとしても、ラーレン狩りが発生をしないわけでもないと思う。


「ラーレンが見つかって、テレージア様がラーレン病だってことになったら、ヘルムートはラーレンを殺すんだよね」


「……」


 意外にも、それへヘルムートはすぐには答えない。あれ、と思うユリアーナ。


 ぱちぱちと火の爆ぜる音と、夜の鳥や虫の声。それらがやたら大きく耳に入ってきて、ユリアーナはぼうっとヘルムートを見た。火に照らされた彼の表情は苦々しく、何かを考えているように見えた。


「どうしたの……?」


「いや……そうだな。ラーレンを殺すだろうな」


「殺すってことは、自分が殺される覚悟もあるっていうこと?」


「……そう……そうだな」


「見つけたのが、強いラーレンだったらどうするの?」


 その言葉に、ヘルムートはぴくりと眉を挙げた。


「俺が殺されるかも、という話か」


「うん」


「そうだな。以前はそんなことはないと思っていたが……」


 ヘルムートは難しい表情で焚火を見ていたが、顔をあげてユリアーナを見る。


「考えなければいけないな……」


 その瞳にぞっとするユリアーナ。彼の目は、ユリアーナを見透かすように思えた。君がラーレンであることはわかっている。そう言っているようだ。


(駄目だ。やっぱり、逃げないと……)


 ヘルムートは、自分がラーレンだと確信をしている。そんな気がする。けれど、それを確かめる術はユリアーナにはない。


(大樹が見つかれば、何かが起きると思っていた。でも、それは勘違いだった。何もなかった。葉に成分が入っていなければ、結局はヘルムートと意味もなく少し距離が近くなっただけで、何一つ変わっていない。わたしがラーレンになったら、きっと、この男はわたしを殺しに来る)


 改めてその事実を考え、ユリアーナはぞっとした。先ほどまで彼の前で平気で眠りに入っていたのに、もうそれが出来ない。まだ自分はラーレンになっていないのだから、眠ってもいいはずなのに。だが、眠っている間に翼が白くなってしまったら? そんな、過去を考えてもあるはずのないことを思ってしまう。


 結局ユリアーナはうまく眠れず、ヘルムートから火の番を奪い取った。ヘルムートは多くを彼女に聞かず、素直に眠りについた。

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