第19話 始まる駆け引き
(どうして、そんなことを思い出したんだろう)
話は遡る。倒れたユリアーナをベッドに寝かせて、これを機に、と彼女の家のあちらこちらを調べるヘルムート。何か、怪しいものはどこかにないのか。二人目の誰か、ラーレンであるはずの女性の存在を匂わせる何かはないか。
(盗賊と同じだな……俺は……)
チェストの引き出しを一つずつ開ける。その中の一つに、何かを書いてある紙と、羽根が一枚入っていた。ばくん、と鼓動が高鳴る。
(白と黒が……混じっている羽根……)
それと共に入っていた紙を見たが、そこに書かれた文字はヘルムートには読めなかった。きっと、ユリアーナが書いたものなのだろう。
(公用語ではない。しかし、俺が知っているどんな文字でもないな……)
一体、彼女はどこでその文字を習ったのだろうか。それに、この羽根は……。
ヘルムートは、チェストの他の引き出しも一通り開けた。だが、何も他には見当たらない。それから、他の部屋に足を運んだ。
(誰かが、住んでいた?)
そこは、少し埃っぽく、長年使われていないように見えた。
(ベッドと、少しの衣類と)
ユリアーナの母親が使っていた部屋だったが、そこには何もない。悲しいまでに、何も。最初は、いつ母親が戻って来ても良いようにとユリアーナは日々掃除をしていたが、やがて、それももう「ない」のだと思い、ほとんど扉も開けない部屋になっていた。だから、少しばかり埃っぽく、窓も完全に閉ざされていた。
(ラーレンが、いたのだろうか? それとも)
そのラーレンが、戻って来るのだろうか。しかし、ラーレンとコーカが共に住んでいたと考えるのは不自然だ。いや、そもそもこの部屋の元の持ち主がラーレンだったとは限らない。コーカかもしれない。では、ラーレンはどこにいるのだ……。
(白と黒が混ざった羽根……)
まさか、と思う。ヘルムートはユリアーナが倒れている部屋に戻る。ベッドに横たわってこちら側に出ている黒い翼を、じいっと見た。
(黒い。間違いなくコーカだ。けれども……)
翼は閉じている。広がったらどうなるのか、内側にしまわれている羽根を見たい。そっと翼に触れれば「うう……」とうめき声があがる。
(駄目か)
いや、だが。無理矢理翼を広げさせて、ユリアーナが起きてでも、それは確認をすべきではないかと思った。
その時、眠っているユリアーナは、苦し気に呟いた。
「どうして……? お母さん……」
お母さん。ああ、やはりあの部屋は、母親が使っていたのだな、とヘルムートは思う。
(母親は死んだのか。それとも、失踪か何かをしたのか)
それから、一人残されて、ここに住んでいるのか。
(もし……もし、この女が、本当はラーレンだったとして……)
自分は、彼女の翼を切れるのかとヘルムートは静かにユリアーナを見る。
(切れる。いや、違う……切らなければ、いけない)
そうだ。あの時、あのラーレンを切ったように。自分には、他の選択肢がないのだから。ほんの少しだけ会話を交わしただけだ、他に何も自分とユリアーナの間には何もない……そう思おうとする。
(そうだ。白い神に聞こう。俺に残されたのは今生だけだし、神に伺いを立てられるのはあと3回。そのうちの1回を捨てることになっても、これは仕方がない)
ヘルムートがそう考えていると、ユリアーナの瞳が開いた。
何故か、ヘルムートはあっさりとユリアーナの家から出て行った。ユリアーナは、それから家の中をぐるりと見まわす。彼が家の中をあれこれ探し回ったのではないかと思ったからだ。
「と言ったって、そんな尻尾を出すようなもんじゃないわよねぇ……」
特に、何も変わりがない。少なくともユリアーナの目にはそう見えた。仕方がない。まさか、自分が倒れるなんて夢にも思っていなかったのだし。
買ってきた麻袋の口は縛ってあった。それは「自分の縛り方」だと間違いなく確信が出来る。少なくともその中身を彼は見ていない。それだけはわかった。
(まあ、それだけでも良いということにするか……)
だが。彼は明らかに自分を疑っている。自分、あるいは自分の母親を。
(それから、テレージア様が、ラーレン病を発症すると……)
それは、前回もヘルムートの口から聞いていた。そして、ラーレン狩りを「するかもしれないし、しないかもしれない」とも言っていた。しかし、過去の彼が自分を「狩った」のは事実だ。
(だから、今回もわたしを狩れるのかどうかを確認しているんだろう)
頭痛が完全には収まらず、頭を押さえて呻く。過去の9回分が切れ切れで、どうにもはっきりしない、と思う。
(これ、よくないな。逃げてる時とかに、頭痛になったら……)
そうだ。もう、逃げるしかない、という思いが湧き上がっている。たとえば、今後本当にテレージアがラーレン病になったら。ヘルムートは自分の翼を切りに来るだろう。もしかしたら、黒く染まっていても「君はラーレンだったはずだ」と言って切る可能性もある。
「ああ、そうだ……あの、羽根で……」
染料で、染める実験をしなければ。黒く染まれば、クライヴとカミルに頼んで、翼を染めてもらって……。
(でも……クライヴ先生が、ラーレン病の診断をするのでは……?)
はたとそれに気づき、立ち尽くすユリアーナ。
(もし、その時にわたしがラーレンだと知っていたら、先生はどうするんだろう)
それでも、言うのだろうか。テレージア様がラーレン病だと。それとも、黙って見過ごすのだろうか。いや、それは、出来ないだろう。彼は医者だ。みすみす、やり過ごすわけがない。
(言わないでいてくれたら)
良いとは思う。しかし、それは無理な話だ。いや、それ以前に彼を苦しめてしまうのかもしれないという可能性に気づいて、ユリアーナは悲しい気持ちになった。それでも、彼は医者として、きっと言うに違いない。そして、ラーレン狩りが発生するのだろう。テレージアは第三王女だ。一国の王女を救うために、という名目がそこにはある。
ラーレンは、生物としては強者であるはずだが、今はもう弱者の立場だ。ヒューム族の割合が高いこの世界では、彼らが声をあげればラーレンはあっさりと狩られて、命を落とす。どうしてだろう。一人と一人。一人が誰かのために死ぬなんて。どうして、誰もラーレンのために戦ってくれなかったのだろうか。
だが、その憤りは長くは続かない。だって、誰も助けてくれないのだ、と思う。じんわりと瞳に涙が溢れてくる。これは、ユリアーナの涙なのか「自分」の涙なのか、最早彼女にはわからなかった。自分は転生をしてユリアーナになったけれど、過去の記憶はほとんどない。けれど、今、ようやく自分の立場に対して怒りを感じている。それは、ユリアーナのものではなく、やっと自分が「ユリアーナになった」からなのかもしれない。
ユリアーナは、買って来た染料を取り出した。それから、チェストにしまっておいた羽根を出す。器を用意して、染料を水で溶いて、それを羽根に塗る。
「!」
すると、羽根の表面で水が弾かれる。そうだ。そういえば、雨の時もしばらくの間は翼が水を弾いていたと思う。何度も何度も溶いた水を塗り直す。しかし、それはずっと弾いて、まったく染まる気配がない。
少し時間を置こう、と染料に羽根をつけたまま放置をした。しかし、30分ほど経過をしても、まったく白い部分は染まっていなかった。
「お願い……お願い……」
いつの間にか、彼女は口から祈るようにその言葉を絞り出していた。それから、油を混ぜたらどうだろうかと思った。その発想は、転生前からのものだが、その意識は彼女にはない。
「えっと、えっと、油……」
剣を手入れする時に使おうと買っていた油を、空の器に入れて染料と練り合わせる。そして、それを羽根に塗った。しかし、何度塗ってもまったく色が定着しない。
「これじゃ、この染料じゃ、駄目なんだ……そっか……」
呆然とする。ここまで色がつかないなんて。汚れもつかないのかと思えば、汚れは着く。一体どうしてなのか……ユリアーナは愕然として、肩を落とした。
(他の染料を探す……?)
だが、それを自分の翼すべてに色づけるには、相当難儀だということがこれでわかった。ああ、なんだか、疲れた……そう思ってユリアーナはがっくりと椅子に座って、ぼうっと宙を見る。
「どうしたらいいんだろ……なんか、色々頑張ったけど……どれも、あまり意味がなかったのかな……逃げようか……ねぇ、逃げてどうするの? 森の外に出て……どうするの? どうしてわたし、ラーレンなの……?」
どうしてわたしはラーレンなの。それは、母親がラーレンだったからだ。他の理由は何もない。そして、何故母親は消えたんだろう。
(もし、ラーレン狩りにあったとしても……一人のラーレンが見つかったら、仲間がいるかどうか、探さないのかしら……?)
不意に湧いて来る疑問。そして、次に不意に湧いて来たのは母親の言葉。
――森の大樹に、祈るのよ――
「!」
森の大樹。そうだ。その話を、母親がしていた。それを今、ようやくはっきりと思いだす。
(森の大樹って、一体何のことを言っているの? それに、わたしはまだラーレンじゃないけれど……ラーレンになってから探した方がいいのかしら……?)
ユリアーナは眉根を寄せて、苦しそうに息を吐き出した。
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