第18話 ヘルムートとテレージアとの出会い
「それにしても、翼があるから重いのかと思ったら、そんなでもないんだな」
「えっ、そう?」
「ああ。軽かった」
そう言われると照れくさい。が、反面「筋肉をつけても軽いのか」とも思うユリアーナ。実際、ラーレンやコーカという種族は空を飛ぶため脂肪が薄く、筋力はあるが何故か軽いという性質を持っているのだが、それを彼らはよくわかっていない。
「なんにせよ……その、ベッドに運んでくれてありがとう」
「ああ。仕方がなかったし」
「感じ悪いなぁ~」
そう言われてもヘルムートはなんとも思わないようで、眉間に皺を寄せてユリアーナを見る。
「わざわざ来て、何もないまま帰るわけにはいかない。最後に、さっさと俺の質問に答えて欲しいんだが?」
「え~っと……なんだっけ?」
「君がいつからこの家に住んでいるのか。あと、この先、家を空ける予定はあるか」
「あぁ……」
また頭が別意味で痛い、と思うユリアーナ。ベッドから起き上がると、椅子にかけていたショールを肩にかける。翼もついでに覆って。
「ちょっと冷えて」
「ああ」
それは嘘だ。ヘルムートにあまり翼を見せたくなかったからだ。だが、家の中は少しひんやりとしていたので、ヘルムートはそれを疑わなかったのか何も言わない。
「わたしがここに暮らしだしたのは、8年ぐらい前かなぁ。小さい頃。お母さんと一緒だったんだけど、数年前にお母さんがいなくなっちゃったの。それから、この先家を空ける予定は、特にはないけど、でも、まあ、そのうちあるかも? そんなの、わからないよ」
「……母親は、コーカだった?」
「はあ? ねぇ、ラーレンを探しているんでしょ? ここでわたしと話をしている暇があったら、こう、よくないことやってる商人探して、薬を調達した方がいいよ」
「よくないことをやってる商人……」
「ラーレン狩りして、薬を持ってるかもしれないじゃない」
「そういうやつらが持っている薬は、信用できない」
「あ~……」
それはそうか、と思うユリアーナ。確かに、ラーレン病の薬だと言われて買って、飲ませて効かなかったら。そういう話もあるのかもしれない。
「だから、この手でラーレンを狩って、薬を作った方が良いと思ったのだ」
「ねぇ、護衛騎士なんでしょ……? 騎士が、そう簡単に人に手をあげて、大丈夫なの? それとも、テレージア様がラーレン病だって……大々的に発表されて、本当にラーレン狩りでも始まってるの?」
後者ではないことはわかっていたが、確認をしたかった。そもそも、先日それはヘルムートから聞いていた。テレージアがラーレン病の亜種かもしれない、今後発症するかも、と。
(やっぱり、ヘルムートは……)
自分と同じなのだ。これほど、ラーレンに執着をして、テレージアのためにラーレンを殺すと言っている彼は、過去に「ここに住んでいたラーレンを殺した」のだろう。要するに、転生何度目か。
「さあ。どうなるんだろうな……わからないが……罰されるにせよ、俺は、テレージア様が助かってくだされば、それで良いんだ……」
あれは、遠い日のことだ。騎士候補生となったヘルムートは、先輩騎士から疎まれていた。ほとんどの騎士は、貴族の令息だ。だが、ヘルムートは私生児だったため、それを理由に言いがかりをつけられ、日々、いちいち突っかかられていた。
気にせず無視をしていても、わざわざ行く先に現れて嫌がらせをする先輩騎士たちは、騎士の腕前はそう大したことがなかった。彼らは、行き場がなかったから騎士団にやってきただけの者たちだ。何かしらの志がある者は、ヘルムートに構ったり、平民あがりの騎士を虐めるようなことはしない。その程度のことはヘルムートもわかっていた。
ある日、そんな彼にテレージアの護衛騎士候補になれ、と命令が下った。テレージアと言えば、体が弱くてほとんど王城の外にも出ない、引きこもりの第三王女。護衛騎士とはいえ、どこに出かけるわけもなく、ただ彼女の部屋の前で待機をしているだけだと言われている。
騎士候補生の中には、むしろ「楽だからテレージアの護衛騎士になりたい」と思っている者もいた。しかし、体が弱いテレージアがいつまで生きられるのかもわからないし……と、基本的にあまり歓迎はされていない。勿論、それを口にする者はいなかったが、なんとなくみな「ちょっと……」と尻込みをしているのはヘルムートにもわかった。
ヘルムートは、テレージアの護衛騎士候補になれば、このどうしようもない虐めのような、言いがかりをつけられる日々から抜けられるのではと、それだけを思ってそれを受け入れた。後から聞いた話では、やはり、彼の出自を良く思わない者が、体のいい厄介払いをしようとしてテレージアの護衛騎士候補にしたらしい。
「失礼いたします。本日付けで、護衛騎士候補生となりました、ヘルムート・オーディールと申します」
そして、初めてテレージアに会った。ベッドで体を起こしていた彼女は、食事もままならず、湯浴みもあまり出来ない状態だったにも関わらず、可愛らしかった。年の頃、7,8歳に見えたが、彼女の年齢は11歳なのだと聞いた。
「ヘルムート。今日からよろしくお願いね」
「はい。よろしくお願いいたします」
形ばかりの会釈だったが、鼓動が高鳴った。彼女の微笑みは柔らかく、少し舌足らずの声は甘く、ヘルムートは「本当にこの人に仕えるのか? この人を守れるのだろうか」と不思議な気持ちになった。
「は? 聖女?」
「そうだ。テレージア様は、表立っては名乗りをあげていないが、この国の言い伝えにある聖女になるべきお方だ」
護衛騎士候補として、テレージアについての説明を先輩騎士から受けるヘルムート。その中でも、テレージアが聖女だという話に、何より驚きを隠せなかった。
「聖女と言ったら……」
「テレージア様の胸元に、聖女の証と言われる痣がある。だが、お体が弱いせいか、その痣がどんどん薄くなっていてな……10歳になったら公表をしようと国王陛下はお思いになっていたらしいのだが、痣が薄くなっていくのを見て、それも控えたのだ」
「痣が薄く……」
「逆に考えれば、聖女がいなくともこの国は大丈夫だということだろう。この国の過去の歴史から、聖女が現れる時期には、何かしらの大きな災害やら何やらが起こったしな」
あまり、国の歴史について詳しくないヘルムートでも、聖女の話はおぼろげに聞いたことがあった。
巨大な神聖力を持つ聖女。大飢饉で飢えた人々を救ったり、止まない雨のせいで起きそうだった大洪水を防いだり、歴史上で様々な働きが見られる。ラーレン病が流行った時も、聖女の力のおかげで病の進行を抑えられた。抑えられただけで、死なないわけではなかったけれど、それでも、だ。
「そもそも、テレージア様は特に神聖力をお使いになったことがない。というか、そんな力があるかどうかも眉唾ものだ。このまま痣が消えて、聖女でなくなる方が良いのかもしれない」
本当にそうなのだろうか。後天性とはいえ与えられた力を失って、聖女でなくなって。残るのは、弱い体のみではないか……ヘルムートはそう思ったが、敢えて何も言わずに黙り込んだ。
「今日より、候補生から護衛騎士にと昇格いたしました。変わらず、よろしくお願いいたします」
「ええ、よろしくね」
可愛らしくそう言ってテレージアは軽く会釈をした。
テレージアの年齢は13歳。見た目は、まだ10歳程度に見える。相も変わらず透き通る白い肌。きらきらと光る金髪。そして、美しい碧眼。食事量が少ないために痩せているはずだが、動かないからなのか、見た目はそこまで痩せこけてもいない。十分彼女は「美少女」に育っていた。
ベッドの上で読んでいた書物をサイドテーブルに置く。何を読んでいたのかと、ちらりとヘルムートが目線を動かせば、それに彼女は気付いたようだ。
「ね、ヘルムートは、魔女が昔いたって信じる?」
「魔女ですか。大昔、もっと魔法を使える人々がいた頃、より優れていた女性が魔女と呼ばれていたらしいとは書物で読みましたが」
「まあ! じゃあ、それを信じているのね?」
信じているかどうかと言われれば「魔女がいたと言われている」という言葉に関して、半信半疑のヘルムートはすぐには即答出来なかった。
「最後の魔女がどこかで森を作って、そこで隠居をしたとこの書物には書いてあるの。本当かしら。それに、今は全然魔法を使える人が多くないのに、昔はたくさんいたなんて、不思議なことだわ」
テレージアは無邪気に笑った。ヘルムートは残念ながら、彼女のその言葉にうまく返事が出来ずに「そうですね」となんとか相づちをうつのが精いっぱい。
「魔女の中でも、特別な力を持った、神様から力を授かった人が昔は聖女と呼ばれていたってこの本には書いてあるけど、でも、神殿から借りた書物には、今「聖女」と呼ばれているのは、魔女とは関係がないって書いてあったわ。だから、わたしは魔女とは関係がないんだけど……うふふ、魔女の家に、行ってみたいな」
そう言って、彼女は書物を手にして笑う。タイトルはそのままで「魔女の家」。それは、昔から語り伝えられているおとぎ話のようなものだ。どこかにある魔女の家。道に迷った主人公たちのグループは、そこに入る呪文を人々はみな口々にああでもないこうでもないと唱えるが、魔女の家のドアは開かない……という話だ。
「あっ、ごめんなさい、わたしったら……」
恥ずかしそうにテレージアは小さく微笑んだ。
「でも、あのね、魔女の家じゃなくても……どこでも……どこかに……」
そう呟いてから「うふふ、なんでもない」とテレージアは笑った。ヘルムートはそんな彼女を見て「ずいぶん夢想家の少女なのだな」と思ったものだ。
その数日後、彼女は熱を出して再びベッドで静養を余儀なくされてしまった。発熱は三日続き、彼女はずっと苦しそうだった。主治医に熱さましを処方してもらっても、なかなか熱が下がらない。
「ああ、誰か……苦しい……お水を……」
女中が水差しからグラスに水を注いでテレージアに飲ませる。それから、水差しの水がなくなったので入れて来る、とヘルムートに告げてテレージアの寝室から出て行った。
「誰か……ああ、ああ……」
発熱のせいで、何か夢や幻を見ているのか。テレージアは誰かを呼び続けた。か細い声が聞こえ、慌ててヘルムートは「よろしくない」と思ったが寝室に入る。
「テレージア様」
「ヘルムート、ヘルムートなの?」
「はい。ヘルムートでございます」
「ねえ、ここにいて。誰かいて。一人は嫌」
そう言って、テレージアは泣きじゃくった。どうしてよいかわからずに、ヘルムートはベッドの横に膝をついて「はい」と答える。
「ねえ、ヘルムート。どんどん、胸の痣が消えていくの」
それまで、彼女が胸の痣について口に出したことがなかったので、ヘルムートは驚いた。熱に浮かされたように、ヘルムートを見ずに、淡々と言葉にするテレージア。ああ、これは、自分の名前を呼んでいるが、自分に話しているわけではないのだろう、とヘルムートは思う。
「それって、どうなのかしら。わたし、もともと聖女なんてものではないというか……神聖力なんて使えなかったのだけど、これがなくなれば、本当に聖女ではなくなるということなのかしら。それとも……死ぬのかしら?」
「テレージア様、それは」
「ねぇ、わたし、もっと自由に、外に行きたかったの。もっと色んなものを見たかった。お友達も欲しかった。ねぇ、どうしてわたしは生きているのかしら……みんなに、迷惑ばかりかけて……何も出来なくて……」
そう言って、テレージアは涙を流した。ヘルムートは何も出来ず、項垂れた。それが、彼女が初めて、そして最後に彼に零した泣き言だった。彼女は、苦しそうな呼吸で「ごめんなさい。忘れて」と告げ、それから眠りについた。やがて、数日後に熱は下がったが、彼女はそれから先、魔女の家の話を誰にもしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます