第16話 魔女の呪い

 発熱が続いてすっかりベッドの住民となっていたテレージアだが、ようやくそれも落ち着いて来た。


 朝から一週間ぶりの湯浴みを終え、たったそれだけでも疲れてぐったりとカウチで横になる。大きなクッションを枕がわりにしてぼんやりしていると、食事が運ばれて来た。


「テレージア様、昼食です」


「ううん……」


 そんなに、食べたくない。そう言おうとしたが、それはよくない、と口を閉じる。


「少しずつ、一口だけ食べるだけに、なるかもしれないけれど」


「よろしゅうございますよ」


 女中がそう言って、銀のワゴンからあれこれと皿をテーブルに置く。ちょうど、その頃、ラファエルが「失礼します」と一礼をして入って来た。


「ラファエル」


「テレージア様。花をお持ちしました」


 庭園から花を摘むのは、すっかりラファエルの役目になっていた。王女と護衛騎士の間では、護衛騎士が何か物を差し出すことが出来ない。だが、花ならば。部屋にただ置くだけだと言ってラファエルは摘んでくる。そして、それをテレージアは心底喜ぶ。他の護衛騎士も、テレージアとラファエルの間柄にはあえて口を突っ込まず、それを見守っている。


「嬉しい。ありがとう」


「失礼しますね」


 部屋と、隣あっている寝室、どちらにも花を入れた花瓶を置くラファエル。その姿を見ながら、テレージアはスープとパンに口をつけた。


(やっぱり、そんなにお腹は減ってない……ううん、減ってないように感じているだけで、きっと体は栄養が欲しいのだろうけれど……)


 スープを二口飲んで、手が止まる。パンも、一口ちぎって食べただけで十分だ。そんなテレージアの様子を見て、ラファエルは困ったように笑う。


「テレージア様。もう一口だけ頑張れますか」


「そう、そうね……」


 その一口が難しい。だが、スープを薬だと思って、なんとかもう一口飲むことが出来て、それで食事は終わった。


「ごめんなさい。これしか食べられなかったわ」


「次は、もう一口、その次は更にもう一口。そうしたら、そのうち全部飲めますよ」


 そう言ってラファエルが笑えば、テレージアは頬を染めて「ありがとう」と返す。女中がワゴンに皿を乗せて、一礼をして部屋から出ていく。


「そのうち、食事の間に行ければいいのだけれど……」


「そうですね。まあ、テレージア様がおっしゃってくだされば、抱きかかえて食事の間にお連れすることもできますが」


「まあ!」


 頬を染めるテレージア。ラファエルは冗談ではなく本気でいっているようだ。それがわかり、更に照れくさくなる。


「ここは王城ではありませんし、テレージア様をお守りする者たちだけに囲まれていますし。それもいいんじゃないでしょうか」


「そういうわけにはいかないわ……」


「そうですか。残念です」


 そう言って笑うラファエルに、テレージアもふわりと微笑んだ。


「でも、そうね。ここは王城ではないから……だいぶ、気が楽なのは確かだわ」


「って話も、王城では出来なかったでしょうしね。良いことですよ」


「戻りたくなくなってしまうわ」


 そう言いつつ、テレージアの表情が曇る。


 そもそも、自分はこの別荘に療養に来たが、本当によくなって王城に戻れるのだろうか。それは難しいように思う。


(肺は、少し楽になったけれど……よくわからない倦怠感が凄いし、何より、発熱をする回数が増えてしまった……)


 自分の体はどうなっているのかと思う。病名は特に特定されず、ただ、体が弱い、何か不調を抱えている、としかどの医師も言わない。治癒術師に見てもらっても、治癒はしているのだが体が受け付けないのだと不思議なことを言う。


「魔女の呪いだと……噂をされていたしね」


 つい、口にしてテレージアははっとなる。いけない。言葉にはしないと思っていたのに、ぽろりと本音がこぼれてしまう。


 遠い昔。もっともっと魔法を使える人間が多かった頃。その中でも優れた魔法の使い手を、男性は賢者と呼び、女性は魔女と呼んでいたという。その呼び名はなんだか公平ではないような気がするが、特にこれといった意味はない。


 しかし、神聖力をもって生まれた――正確に言えばテレージアの場合は後天的なものだったが――女性は魔女とは呼ばれずに聖女と呼ばれる。それは、当時から今まで変わりがない。


 やがて、魔法を使える人間は少なくなり、今となっては貴重な存在になった。しかし、当時賢者や魔女と呼ばれていた者たちほどの能力は誰も持たない。


 だが、聖女だけは変わらず、時折この世界に生まれると言われている。だから、聖女は、今はなき魔女たちからの呪いを受けるのだと囁かれている。


 しかし、ラファエルはそれを笑って


「噂は噂ですから」


 とあっさりと言い放つ。彼のそういう、さっぱりとしたところが好きだった。さっぱりとしつつ、きちんと優しい。同じ言葉をヘルムートが聞けば「誰に聞いたんですか」とテレージアは問いただされてしまっただろう。


 少なくとも、テレージアとラファエルは、とても「あって」いた。彼女は、自分の体のせいで人に迷惑をかけることが嫌だと常日頃思っていた。女中たちも護衛騎士たちもみな優しい。大丈夫ですよ、といって、笑顔でみな世話をしてくれる。その甘やかしをありがたいと思う反面、息が詰まるとも思う。自分がもっと元気になれば。自分がいなければ。そんなことを考えてしまう。


 けれども、ラファエルはそうではなかった。彼は笑顔でなんでも受け入れてくれるが「じゃあ、今度元気になったら、わたしの話を聞いてくださいね」と、たまに交換条件を出す。本当は、どんな時も彼の話を聞きたいテレージアにとって、それは何の交換条件にもならない。それでも、自分が「何かを与えられる」「何かを出来る」のだと思えて、それがテレージアには嬉しかった。


 彼の話は決して大げさではなく、ただこれまでにしてきた旅についてのもので、それなりに淡々とした内容だった。だが、テレージアにはそれが楽しかった。護衛騎士になるまで、騎士としての修行と、それを放り投げて旅に出て、それから再び戻って……彼の人生の轍を惜しみなく話してくれる。まるで、日々の日記をつけるようにテレージアに語ってくれる。


 そこには、王城の話がほとんどなかった。それが心地よかった。彼もそれをわかって、わざと王城のことは話さなかったのかもしれない。


 一度に聞ける話は、本当に少ない。すぐに、テレージアが疲れてしまうからだ。時には、話をされても朦朧としていて、内容をすっかり忘れてしまうこともある。ありがたいことに、彼はその朦朧としている時も、淡々と話を続けてくれる。その言葉の波に包まれて、眠りの世界に入ることをテレージアは好きだった。


 いつの間にか、彼女はラファエルを必要としていた。ラファエルがどう思っているかはわからなかったが、彼は惜しみなく自分を与えてくれる。それが、たまらず愛しいと思えた。言葉にはしなかったけれど。


「少し、疲れてしまったわ」


「ベッドにお戻りになりますか」


「ええ、そうね」


 カウチから体を起こし、立ち上がろうとするテレージア。すると、足元がふらついた。


「あっ……」


「大丈夫ですか」


 テレージアの体を支えるラファエルの腕。テレージアは、その腕に驚きながらも、少しだけ体を預ける。異性の、しかも、自分が好きだと心の中で思っている男性の腕。彼女は、それを「恥ずかしい」と跳ねのける感情はなかった。自分のことを浅ましいと思いながら、彼の腕から伝わる温もりに心が躍ってしまう。


「テレージア様?」


「あっ……ごめんなさい……ちょっとふらついてしまって」


「ベッドまで、お連れしても?」


「えっ?」


 テレージアの返事を待たずに、ラファエルは彼女の体を抱きかかえる。


「きゃ……!」


「お許しいただけますと、幸いです」


「……ゆ、許し、ます……」


 彼の腕の中で、テレージアは「ああ、このまま時が止まればいいのに」と思うのだった。

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