第15話 夜の訪問客
さて、数日後の夜。ユリアーナは早めに眠りに入り、それから一刻。
「……!」
びくり、と反応をしてベッドから起き上がる。
(誰かが、来た)
外に張っていたトラップが反応をしている。風が吹いていないのに、ガタン、ガタン、と音が立っている。
(わたしを、殺した人? でも、それは早い気がする……わたしの羽根が白くなって、完全にラーレンになってからくるはず……)
とはいえ、夜にやってくる者を歓迎するわけにはいかない、とユリアーナはベッドから降りて、腰にすぐに剣をつけた。
(窓から? それとも)
耳を澄ます。人の足音が、わずかに聞こえる。ラーレンは聴力もヒュームより少し高い。きっと、その足音はヒュームならば聞き取れない程度なのだろうと思う。
(扉には鍵をかけている。窓しかないけど、そんな大きな窓はない。そのまま厨房に……)
カタン、と小さな音がした。普通に入口から入ろうとしているのか。しかし、入口には閂が
してある。
コン、コン
扉を叩く音。普通に用事があってやってきたのだろうか、とユリアーナは思う。だが、こんな真夜中に……と警戒は緩めない。
(足音からして、一人)
ユリアーナは、じりじりと入口に向かう。灯りはつけない。夜目は慣れている。
コン、コン
「夜分遅く、失礼する」
男性の声。しばらく放置していると、訪問客――客と呼べるのかどうかはわからないが――は、どうやらぐるりと厨房側に回っていくようだ。サクサクと草を踏みしめる音がする。ノックをした時点で、何かユリアーナに、あるいはこの森にいる誰かに用事があることは間違いはなかったが、どうにも彼女はひっかかってすぐに出ていけない。
(トラップの音を聞けばわかる。あれは、三つ目だ。一つ目と二つ目にはひっかからなかったんだ。こっちが来訪者を警戒していることをわかっているくせに、こんな時間にノックをするなんて)
じりじりと家の中で厨房側に動いていくユリアーナ。剣の柄に手を触れたまま、厨房の扉をじっと見る。厨房の扉もまた閂がしてあるものの、それは外からでも外せる程度に隙間がある。それを見ていると、男の指が隙間から差し込まれて閂があげられた。
閂が外され、ごとりと床に落ちる。静かに開く扉。息を潜めてその様子を厨房の内扉に隠れてみているユリアーナ。
(……あ……)
ぬるりと姿を見せたのは。陰になって顔が見えないが、そのシルエットには見覚えがあった。
(わたしを、殺した、あの男……!!)
ばくん、ばくん、と鼓動が高鳴る。ユリアーナは剣を構えて、だん、と床を蹴った。
(殺らないと、殺られる!)
逃げるという選択肢があったはずなのに、それをかなぐり捨ててユリアーナは攻撃に出た。相手はそれに気づいて、慌てて扉からそのまま後退し、ユリアーナの一太刀をぎりぎり躱した。だが、服の布地が切り裂かれる。
「ちっ!」
躱された、とわかったユリアーナは、そのまま男を追いかけるように外に出た。もう一度切りつけようとすると、男が叫ぶ。
「待て! ユリアーナ!」
「!?」
「こちらは、危害を加える気はない!」
「は!?」
ぴたりと足を止めて、月明かりに照らされる男の姿を見る。
「ええ……テレージア様の護衛騎士……?」
「ああ。ヘルムートと言う」
「ヘルムート……」
「悪かった。夜、やってきたのは不躾だった……」
本当に困った表情を見て、ユリアーナは一瞬気が逸れる。だが、逸れてる場合ではない。
(やっば。顔がいいからって、ちょっと許しそうになった)
間抜けか、と自分を叱責する。これでは、ラファエルのことを好きになって色ボケをしていた9回目のユリアーナと変わりがない、と思ったからだ。
「そうよ。不躾もくそもないわ。どうして、勝手に人の家に侵入したの? トラップが鳴ったのもわかったでしょ?」
「ああ。わかっていた。それで、少し驚いて……ああ、悪い。本当に、君に害を与える気はない」
そう言ってヘルムートは両手をあげる。ユリアーナは冷たい視線でヘルムートに剣を突きつける。
「入口をノックしたが出て来なかったので、仕方なく裏を回ったんだ。確認したいことがあって来た」
「確認したいこと? それは、夜、忍び込んででもってこと? 何の言い訳もできないわよ」
「トラップに一つ引っかかったが、こちらには敵意がないから許してもらえるのではないかと思って……ここに君が住んでいるのかを、確認したかった」
「はあ? 人の家の閂を外してでも?」
何を言っているのだ、とユリアーナは眉間に皺を寄せる。言っていることが雑すぎる、と呆れつつ、また、過去のことを必死に思い出そうとする。
「だから、それは悪かった。ノックをしても返事がなかったから、入口が入口ではないのかと思ってこちらに回ったんだ」
「ええ~……? 閂を外してでも入ろうとするそっちの方が」
おかしい、と言おうとしたが、一瞬ユリアーナは躊躇した。正直なところ、この世界についての知識も乏しいどころか、ユリアーナは9回この森からほとんど出ていない。となれば、彼が言うこともおかしくないのかも、と思ったからだ。
「それは、風が吹いてバタバタ扉が動くのを抑えるためだけの閂だろう? それは外して中に入っても良いものだが……他にも錠があれば、もちろん諦めるつもりだったが」
と、彼は当たり前のように言う。そのあたりの判断は出来なかったが、なるほど、やたら隙間が大きくて、閂を外から外せる雑なつくりだと思っていたらそういうことだったのか……とユリアーナは腑に落ちた。
(この人は、ラーレンのわたしを殺したけれど……ラーレン狩りだったのか、何だったのか、よくわからない……)
「夜の訪問については謝る。少し時刻が遅すぎたかもしれないな。申し訳ない」
そう言われて、ユリアーナは「そういや、今日は少し早めに眠ったんだった」と思う。だが、それでもやはり彼が言うように遅すぎだと思う。
「誰がここに住んでいるのかを確認したかったんだ。君だとは思っていたんだが……君は、コーカだな?」
「そうだって、何度も言ってるでしょう。一人暮らしで寝てるところをたたき起こされて、ちょっと機嫌が悪いんだけど」
剣をつきつけている距離では、どう見えるだろうか。鏡に映して確認をしたから大丈夫だろうか、と思いながら、ユリアーナはわざと背の翼を広げて威嚇をした。黒い翼を見て、ヘルムートは
「すまない。森は夜が来るのが早いものな……君はコーカだな?」
と、もう一度念を押す。
「コーカじゃなかったら何だと思うの」
「君はラーレンではないのか……と思って」
「ラーレン? 何言ってるの」
平静を装う。我ながらうまく出来たとユリアーナは思う。
「うん。本当に、何を言ってるのか、という話だな。悪かった。君は間違いなくコーカだし、一人でここに住んでいるんだな……すまなかった」
「それを確認したかったの? そしたら、昼に来てくれればよかったのに」
「昼は仕事があって、なかなか」
「武器屋にいたのも、お仕事?」
「そうだ」
そうヘルムートは言うが、ユリアーナは納得しない。彼が、過去の人生で自分を殺した男なのは間違いがない。そして、彼は、自分が「ラーレンだと知っている」のではないかと思う。だから、夜に忍び込んででもそれを確認したかったのだ。
「それにしても、なかなかの剣術の腕だな。服を切られないぐらいは、避けたはずだったんだが」
そう言ってヘルムートは口の端を歪める。ユリアーナは「あっ、そう」と冷たくあしらった。
「大体、わたしがラーレンだったらどうする気だったの」
「さあな」
「変なの」
ユリアーナは剣を収め、翼をぎゅっと畳んだ。ヘルムートも手を下げて、ようやく「ほっ」と息をつく。
「馬で来たの?」
「ああ、少し離れた場所に止めてある」
「ラーレンを探しているの? ラーレン狩りでもしてるの?」
「いや。今は」
ヘルムートは首を横に振った。
「しかし、そのうち、する可能性はないわけではない……」
ユリアーナは驚きの表情で「誰か、ラーレン病なの?」と尋ねる。
「そうなる可能性もあれば、そうではない可能性もある、というだけだ」
なるほど、とユリアーナは思う。彼の言い草はなんだかおかしかったが、きっと、自分が過去に殺されたのは、テレージアがラーレン病だからだったのだろう、と思う。
(ということは、やっぱりわたしがラーレンだと彼にバレてはいけないんだわ……)
「テレージア様がそうじゃないことを祈っておくわ」
ヘルムートは、ラーレン病になるだろう人間がテレージアだとは言っていなかったので、ぴくりと彼は眉を動かした。だが、確かに誤魔化しても無理な話だ。ユリアーナがテレージアの護衛騎士であることを知られている以上、その答えにたどり着くのは当然と言えた。
「そうしてくれ……本当に、夜遅く申し訳なかった」
「服切ったことは、怒らないでくれる?」
「ああ。これは、こちらが迂闊だった。では」
ヘルムートはそう言って頭を下げると、背を向けて去っていった。
「あの男、まじでヤバいわ……人の家に、夜中に入り込んで、謝っときゃいいとでも思ってるのかしら」
彼は入口側にいって、近くに待たせておいているのだろう馬に乗って去っていく。それを、そっと見送ってから彼が引っかかったトラップを見に行くユリアーナ。
三重にしていたはずだが、その三重めでひっかかっている。ヘルムートはそれまでのトラップを、まるで「知っている」ように回避をしていた。それを見て、彼女はすっと表情を失くす。
「……まさか、ね……」
とりあえず、今日のところは大丈夫……と、トラップを仕掛け直して、ベッドに戻る。ラーレンだとバレたらどうしよう。そう思って、胸騒ぎが落ち着かなかったが、それは今考えても仕方がない、朝になってからにしよう……そう言い聞かせて。
馬に乗って、ヘルムートはテレージアの別荘へと戻っていく。薄暗い森を抜けるのにもそれなりに時間がかかるため、月は頭上に上っていた。
(ユリアーナは、あそこに住んでいて……ラーレンではなかった……)
トラップに引っ掛かったのは誤算だった。仕方なく、入口から普通に訪問をした振りをしたが、本当は眠っている姿だけを確認しようと思ったのだ。以前「彼女を殺した時」は、トラップもあんなにはなかった。一体、どういうことだ、と思う。ユリアーナがラーレンでなければ、誰があそこに住んでいたのか。
(あの夜……顔もほとんど見ずに……翼を切り落として……)
そして、翼を持って帰った。
だが、テレージアがラーレン病だと言う診断が出なかったので、ラーレンの翼から成分を抽出をして薬を作ってもらうことは出来なかった。そもそも、主治医にその力がないと知ったのも、翼を持って行ってからのことだった。
そして、それをクライヴが出来ると知って、森にもう一度行って。そこで、クライヴはヘルムートを蔑んだ。一人のラーレンを殺したのだと、翼を見ればわかるからだ。
そのクライヴが、ユリアーナのことを知っていたかどうかをヘルムートはわからない。ただ、彼は「この薬で助かる人がいるならば」と言って、薬を作ってくれた。
彼からの蔑みを受けながらも、ヘルムートは薬を持って別荘に戻った。
しかし、彼の薬は、間に合わなかったのだ。
(それから……俺は……)
悲嘆にくれて、ヘルムートは主治医を切り捨てた。自分でも、あれはどうしようもなかった、と思う。沸点を越えた怒り。ここまで自分がしたのにという憤り。そして、また。また、テレージアを助けられなかった。その悲しみを怒りに転化をして、剣を抜いた。
そして、彼は最後には自害をした。まったく、馬鹿馬鹿しいと今ならば思う。思うが、どうにも出来なかった憤りにすべて自分は支配をされてしまっていたし、テレージアがいなくなったら、その生は最早必要ないと思ったのだ。おかげで、白い光に包まれた「神」にこっぴどく怒られた。
(助かるのだと思っていた。これで最後だと。3回も繰り返して、やっと……そう思ったのに。そして、今回も……ラファエルを使って、クライヴ先生を呼んで。これで、ラーレン病の亜種の診断が出来る人を呼べたと思った。後は、テレージア様にそれが発症したら……ラーレンの翼を……と思っていたのだが……)
まさか、ユリアーナだとは。更には、既にクライヴとユリアーナが知り合いだったとは。そして、ユリアーナが「コーカ」だなんて、一体何がどうなっているのかと思う。
(俺が殺したラーレンは、ユリアーナではなかったのかもしれない……ああ、そうかもしれない。もしかしたら、ユリアーナは誰かに家を渡して……森を出るとか……)
だが、脳内に残る、暗い部屋で横たわるラーレンの映像。あれは。
(あれは……ユリアーナ……のような、気がする……トラップだって2つ目までは『以前』と同じだったし……)
いや、もしかしたら似ている他人かもしれないし、とヘルムートは顔を歪める。自分が切り捨てた彼女の顔を覚えていない。彼女を殺さなければ、とそればかりに気分がよくない方に高揚をしていて、顔すらきちんと見ていなかった。どう思い出そうとしても、最後に自分が床にねじふせて、翼を切り落とした姿しか出てこない。
腰を踏んで、翼を引っ張って、根本から切り落として。緊張をしていたせいか、一度では切り落とせずに、何度も剣を入れた。響く悲鳴と、びくん、びくん、と跳ねる体を押さえつけて、やがて彼女は動かなくなった。翼の付け根からは、どくどくと血が流れていて「まさか、血管が繋がっていたのか」と驚いた記憶がある。もしかしたら、翼の付け根とはいえ、ぎりぎりを切ってしまったのが悪かったのかと思ったが、翼を失ったラーレンのほとんどが死ぬと聞いていたし、仕方がないと思った。
(もし、ラーレン病だったとテレージア様が知ったら。自分がこれから飲むだろう薬が、ラーレン1人の命を使ったものだと知ったら)
知らせずにいなければと思う。けれど、そもそも、その「ラーレン」はどこにいるのだろうかと、また思考は堂々巡りだ。
(ああ、駄目だ、本当によくない。これは、ユリアーナにもう一度会いに行こう。話が不十分だった)
正直、剣で切り付けられただけでも、実に彼の心臓がばくばくといって焦っていた。そうではなく振舞ったものの、予想外だったからだ。いや、ユリアーナが武器屋で剣を買っていたことはわかっていたが。
(以前のラーレンだったら、あんな風に戦わなかったし……)
それに、なんといえば良いのか。そうだ。センスがある、と思った。あの薄暗さで躊躇なく切りつけて。彼女にも言ったが、彼は本当に完全に剣を躱すつもりだったのだ。しかし、それは叶わず、剣先は服を切り裂いた。
(そもそも、ユリアーナはどこで剣を習ったんだろうか……武器屋で会った時には、そう大した剣を持っていなくて購入をしたのだし……ああ、違う、そんなことはどうでもよく……ラーレンは……)
ぐるぐると様々な思いが脳内を駆け巡る。だが、その何も、一つも彼に答えを与えてくれはしなかった。ただ、あそこにラーレンは住んでいない。そのことに彼は心底落胆をした。
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