第14話 羽根

「ユリアーナさん、こんにちは」


「あっ、カミルさん!?」


 数日後、ユリアーナの家にカミルが訪れた。初めてのことで驚くユリアーナ。


「どうしたんですか!? こちらにわざわざ来てくださるなんて。お時間かかったでしょうに」


「いえいえ、大丈夫ですよ」


 それでも、歩いて1時間はかかるのに。そう思いつつも、ユリアーナはカミルを家に入れた。


「散らかってますけど、どうぞ」


「ありがとうございます。突然来て、申し訳ありません」


 椅子に座るカミルに話しかけながら茶を淹れるユリアーナ。


「今日はお休みなんですか? クライヴ先生は?」


「ええ、今日は、先日薬を持って行ってもらった礼にと思って……」


「ええっ? そんな、大したことしてないです!」


「いいえ、労働には対価を。クッキーを焼いて来たのですが、食べていただけますでしょうか」


 柔らかく微笑んで、カミルはテーブルの上にとん、と包みを置く。


「えっ、なんでしょう」


 茶をカップに注いでカミルに勧めてから、ユリアーナはその包みを「失礼します」と言って開いた。


「わあ~! 2種類も。これ、カミルさんが焼かれたんです?」


「ええ。木の実が入っているものと、何も入っていないものと、2種類。良かったら食べてください」


「ありがとうございます。じゃあ、遠慮なくいただきますね! 一緒に食べません?」


「あっ、じゃ、1枚だけ……」


 カミルはおずおずと自分が持ってきたクッキーに手を伸ばす。ユリアーナも自分の茶を淹れてから椅子に座り、クッキーを頬張った。


「美味しい!」


「ああ、良かったです。ちょっと昨日今日と時間があったので」


「すごくさくさくしてる。窯で焼くんですか?」


「はい」


 カミルは簡単に作り方の説明をする。ユリアーナはやる気になったようで、にっこりを笑った。


「粉はあるし、明日わたしも焼いてみよう」


「是非」


「……昨日今日お時間があるって、えっと……」


 僅かに表所が曇るカミル。


「ええ……クライヴが、テレージア様のところに行っていて……昨日の午前中は外来患者が多かったので、仕方なくわたしが対応をしたんです。お昼すぎには人が来なくなったのですが……」


「泊まり込みなんですね。大変」


「最初は、週に一度の約束だったんです。だけど、昨日は急に呼ばれて。薬類も、最近は量を多く持っていくようになって……わたしも、後を追って行こうかと思ったんですが、行き違いになるといけないと思って、結局一晩待ちました」


「そうだったんですか」


「そうしたら、今朝、別荘から使者が来て。数日、クライヴは泊まり込みをするって……それで、わたしにはここにいて欲しいと言われて」


「……」


 言葉を失うユリアーナ。今生ではそこまでクライヴとカミルとやりとりをしているわけではなかったが、過去の彼女は違う。


(本当に仲が良くて……いつも、一緒にいたのに)


 クライヴは穏やかだが、少しのんびり屋すぎるきらいがある。カミルはそんな彼にあれこれと尽くして、面倒を見ていた……とユリアーナは思っていた。だから、次のカミルの言葉に、ユリアーナは驚く。


「わたし、駄目ですね。わかっているんです。クライヴの面倒を見ているつもりでしたけれど、逆にわたしにそうさせてくれていて……彼に、わたしの面倒を見てもらっているって」


「!」


「……変な話をしてしまいましたね」


「カミルさん」


「そんな、ほんの数日泊り込みをするだけで、こんなしょんぼりしてられないですよね。すみません。ただ、なんというか……」


「はい」


「何か、こう……胸騒ぎがして……何かはよくわからないんですが……何か、よくないことが起きる気がして」


 ユリアーナはカミルをじっと見る。過去のユリアーナが知っているカミルはそんな風に曖昧な、ぼんやりとした「勘」だとか「予感」を信じるような人ではなかったからだ。


 少し黙って、それからカミルは小さく溜息をついた。


「わたしの片親は、占い師でした」


「えっ」


「だからなのか、なんとなく、時々……」


 そこでカミルは言葉を切って、ユリアーナに笑いかける。


「いえ、なんでもないです。すみません。変な弱音を吐いてしまって」


「そういう時、ありますよ」


 ユリアーナの鼓動は高まる。こんなこと、過去にはなかった。まったく過去になかったことが、最近続いている。何がどうしてそうなっているのかはわからないが……。


(それが、良いことなのかどうか、わからない)


 考えれば、自分がグリースに修行をつけてもらったことだって、過去にはないことだ。とっくの昔に、色んな事が変わっている。薬を持って別荘に言ったことも。いや、ギフェの町で、あの男、ヘルムートと会ったことだってそうだ。何もかもが「過去とは違う」のだと今更ながら思い知る。


「このお茶、美味しいですね。何が入っているんですか?」


「あっ、これはですね……」


 カミルは、もうその話はしない、と思ったのだろう。ならば、それを追及はしない、と思う。ただ、穏やかに茶を飲んで、クッキーを食べて、なんとはない会話を一時間ほど交わして過ごした。


「すみません、長々と居座ってしまって」


「いいえ。楽しかったです」


「そう言っていただけると嬉しいです。ありがとう」


「クッキー、明日焼いてみます」


「ええ」


 では、とカミルはユリアーナの家を出ようとした。と、その時。


「あ、羽根が落ちましたよ」


 ひらりとユリアーナの背中の翼から、一枚羽が落ちた。


「えっ?」

 

 ぐるりと羽根がどこに落ちたかを見ようとして、逆側を見るユリアーナ。それを見て、カミルは笑いながら「こちらです」と言って羽根を拾う。


「あれ?」


 カミルは拾った羽根を見て、驚きの声をあげる。その羽根は、黒一色ではなく、白色が混じっていたからだ。


「白い……?」


「!」


 ユリアーナは一瞬声を飲み込み、そして、無理矢理笑った。


「生えかけの羽根は、たまに白いのが混じっているやつがあるんです。その、黒く、後からなるんで……!」


 咄嗟に口からでまかせの嘘を言う。違う。そんなことはない。黒い羽根は最初から黒い。ということは。


(もう、白く色が抜け始めている……?)


「ああ、そうなんですね」


「ありがとうございます」


 カミルから羽根を受け取って、笑みを顔に貼りつかせるユリアーナ。


(どうしよう。どうしよう。ここで、カミルさんに言おうか。本当はラーレンですって、黒く染めたいですって……でも……)


 カミルはそんなユリアーナをちらりと見てから「じゃあ、また」と言って、帰った。




 全身が写る鏡を買っていてよかった、と思うユリアーナ。翼を開いて、鏡に映す。うまく見えないが、色々な角度で見れば、まだ、いや、ほぼ黒くて、白い羽根などありはしない。


(確か……全体が白くなるまで、結構時間がかかったはず)


 だから、まだ大丈夫だ。そう言い聞かせるが、鼓動がばくばくと高鳴る。


(もう、白くなり始めていたのか。でも、それを知れてよかった……)


 自分があれこれと書き綴った紙を出して、ざっと目を通す。自分の翼が白くなったのはいつ頃なのか。ラーレン狩りにあった頃はいつ頃なのか。それらを見ても、まだ早いと思う。だから、本当に色が抜けるまでは、まだ時間がある。


(でも、そろそろ腹を括らないといけない)


 森を出る選択をしなかった。それは、なんとなく森を出ると、それがまるで「ペナルティ」のように、あっという間にあっさりと殺されてしまうからだ。それは、完全に「なんとなくそう思う」程度なのだが、最後の一回であるこの生には、その「なんとなく」が大切な気がしていた。


(それを言ったら……カミルさんのなんとなくも……)


――何か、よくないことが――


 それは、もしかしたら自分のことなのかもしれない。だが、もしかしたらクライヴのことなのかもしれない。カミルの「なんとなく」が、やたらとユリアーナの心に引っかかる。


「どうしよう……どうしたら、いいんだろう……」


 何度考えても答えは決まらない。とはいえ、ラーレン狩りを回避するためには、自分の翼を染めなければいけないと思う。


「あっ、この羽根が染まるかどうか、染料を確かめられるじゃない?」


 あれこれと悩んでいたが、それを思いついて「むしろラッキーかもしれない」と思うユリアーナ。


「よし、今度、染料を買ってこよう」


 本当は、ガダーエの町でもギフェの町でもない場所。そこから更に離れた場所にある町に買いに行った方が良い。しかし、そこにいくには遠すぎる。それは「森から出る」にカウントをされるのではないかと思う。


(でも、今なら、ラーレンになってないから、まだなんとかなるかな……? 殺されずにいられるだろうか)


 よくわからない、自分を襲う驚異たち。自分を「正しい」ルートに導くためにそれらはあるのだろうか、と思う。


(でも、今回が最後。次はないのよ)


 ユリアーナは唇を引き結んで、白が混じった羽根をじっとみつめるのだった。

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