第10話 傭兵グリースからのアドバイス

「うん。もう十分だろう。俺が教えることはなくなったな」


「ええ~? そんなことないと思いますけど」


「いいや、なくなったよ。お前はよくやった。今後は、自分で日々の特訓を続けるといい」


「本当に? たった一年ちょっとなのに?」


 傭兵グリースはそう言うと、ユリアーナの頭を撫でた。ユリアーナは髪を後ろの高い位置で結んでいる。撫でられたことで、ポニーテールが緩んだのでは、とユリアーナは手をあげてごそごそと直した。


「剣、体術、共に、もう教えることはなくなった。ああ、本当だ。お前ほど才能があるやつに教えるのは、楽しかったぞ」


 才能がある、と言っても、剣は握ったことはなかった。しかし、どうやらユリアーナは転生前に何らかの武芸をたしなんでいるようだった。また、ラーレンゆえ、ヒュームよりも身体能力が高い。それが幸いだったのか、ユリアーナはめきめきと力を付け、あっという間にグリースの腕前とそう変わらず剣を振えるようになった。それは、ユリアーナ自身が知らなかった、彼女の才能の一つだ。


 残念ながら、彼女の魔法の才能はからっきしで、何一つグリースから教わることがなかった。それ以前の問題だとグリースは笑う。しかし、魔法がなくてもユリアーナは十分に強いと太鼓判を押した。なんにせよ、あと足りないものは経験だ。そればかりは、この短い期間では補えない。


「ただ、くれぐれも過信せずにな。俺より強いやつはいっぱいいるんだし」


 勿論、グリースよりも強い傭兵はそれなりにはいる。だが、ラーレン狩りにやってくる者たちから逃げるため、トラップのかけ方や、一人でのサバイバルも学べたし、グリースはユリアーナが欲しかった情報をかなり持っていた。今月の依頼料を払って、グリースに頭を下げる。


「ありがとうございました。これからも、自分で鍛錬を続けようと思います」


「おう」


「弓矢は……うーん、あまり得意だとは思えないので習う気はなかったんですが、ちょっと考えてみます」


「そうだな。そもそも、翼があるなし関係がない剣を選んでいるんだから、お前にもそれなりに考えがあるんだろうが……」


 ギルドに依頼を出した時に、コーカではなくヒュームの指導者を、とわざとそこは明示していた。グリースが言うように、コーカは弓矢を使う者がほとんどだ。けれども、ユリアーナは「ラーレンになったら人目につくように飛ばない」だろうし、過去、そこを襲われていたので、接近戦で強くなりたかったのだ。


「強くもなったし、ギルドの依頼をこなしながら覚えたらいいんじゃないか」


「うーん、そうですね……」


 まだ、自分がラーレンになるまで少し時間がある。森を出るにしても出ないにしても――出ないと決めてはいるが――金は少し稼いだ方が良い。


「武器も買い換えたいし、そうしようかな」


「ああ。そういや、ギフェの町に、お姫さんが来るって話、聞いたか?」


「……いいえ」


「まだ噂だけどな。なんでも、第三王女様がギフェの町の郊外の別荘だか何かに来るっていう話だ。体が弱いので、静養のためらしい」


「そうなんですね」


「王女を歓迎して、ギフェの町ではお祭り騒ぎらしいぞ。まだまだ先だってのに浮かれているようでな。だけど、武器や防具も安くなるって話だし、お前の翼ならそこそこの時間で行けるだろう? 見に行ってもいいんじゃねぇかな」


 ギフェの町とここガダーエの町は、森を挟んでいる。迂回をしていけるものの、人の足ではそれなりに時間がかかるので、冒険者や商人ぐらいしか行き来はしないのだ。だが、コーカならば翼で飛べるし、ユリアーナは森を抜けて行けるとグリースはわかっている。


「なるほど。わかりました。ありがとうございます!」


 そうか。以前は人混みが嫌で店を回ったりはしなかったが、あれだけ盛り上がっていればそれはそうか、とユリアーナはグリースに頭を下げた。


(それにしても、筋肉が太くならないんだよね……まあ、あれか。空飛ぶ鳥たちだって、そうムキムキじゃないしなぁ……)


 グリースの元から森に向かって帰る最中、ユリアーナは自分の腕や足を見る。ラーレンやコーカは空を飛ぶためか、筋肉量が多くて脂肪が少ないのだと言う。とはいえ、毎日鍛錬を積んでいても、それらは太さを増さなかった。


(胸はそれなりに育っていて、無駄な気がするなぁ。それに、あれだけ鍛錬をしても、そうムキムキな見た目にならないんだよねぇ。ヒュームとそういう、筋の細胞っていうの? 何かが違うのかな……)


 などと考える。当然答えは誰も教えてくれないが。


「よっ、と!」


 しばらく歩いてから、翼を大きく開き、それをはためかせて飛びあがる。グリースの前で飛ばないのは、少しでも有翼人だということを印象に残したくなかったからだ。勿論、それは無理だとはわかっているし、グリースだってユリアーナが有翼人だと嫌というほど知っている、


 けれど、彼と鍛錬をしている場所には時折人がやってきたし、出来るだけ飛んでいるところを見られたくなかった。翼は畳んでいても一目で有翼人だとわかってしまう。それでもだ。


 ギルドに出入りをする時は、大きなショールで翼を隠すようにしている。商人が荷物をしょっているように見えなくもない、と思うが、それも無駄な努力かもしれない。だが、ほんの少しのことで、ラーレン狩りにあう可能性が減れば、それに越したことはない。だから、出来るだけ人の目につかない場所で飛ぶ。たとえ、自分の翼が今は黒くてコーカに見えるとしても。


 そうしていれば、ラーレンになった後もショールを羽織って多少は動けるかもしれないし……と、今から予防線を張っているのだ。


「ああ~! 空飛ぶと、やっぱり気持ちがいい!」


 ぐるりと旋回をして、飛んでいく。もう、このユリアーナの体にも慣れてしまったな、と思う。最初は空を飛ぶことも少し怖くて、そう高くは飛ばなかったが、今はもう違う。そう長くは続かないが、高いところまで羽ばたく。


 ラーレンやコーカの翼では、森を上から見下ろせるほどの高度では飛べない。そこまで背が高くない木がある場所ではなんとか抜けるが、森は相当高い木が密集しているからだ。だから、森につく前に高度をあげて飛ぶ。風を切るのが気持ち良い。


(転生をしたんだって気付いた時は、ほんと、どうしようかと思ったけど)


 今でも少しばかり、体と心が別になることがある。いや、それは、体が「元のユリアーナ」の心に反応をしている、というのだろうか。


 好きじゃない食べ物を食べた時や、服の好みなど……ここ2年ほどの自分を振り返る。


(でも、飛ぶのは好きだ。これは、ユリアーナの気持ちと、寄り添っているみたい)


 だから、余計にラーレン狩りを忌々しく思う。あれがなければ、自分はまだ生きられるというのに。それから身をひそめて逃げなければいけないなんて、馬鹿げている。


 森の入口で降りて、翼を畳む。背中側を彼女は見られないが、畳んだ翼は案外とコンパクトになり、前からは一瞬翼がないように見えるほどだ。考えてみれば、鳥もそうではないか。


 森の中では、飛べるところと飛べないところがある。木が密集して暗くなっている場所では当然飛べないし、そうではない場所は飛べる。ユリアーナは町から自分の家に向かいながら「飛べる」場所を確認した。


「おっ、育ちすぎてるかな……」


 少し、枝が伸びすぎて「飛べない」場所になってしまっているところに、自分で飛んで枝を切り落とす。すべての場所でそれをするわけにはいかないが、何カ所かそうやって「穴」を開けて、自分の逃亡ルートを確保しようとする。


 だが、木が高すぎれば空に飛びあがっても森を抜けられない。木がほどほどの高さにいなっている場所。そして、そこを抜けたら森を越えられる、あるいはそれなりに移動を出来る場所。さすがに、それらは完璧ではなかったが、それでもやっておくに越したことはない、と思う。


「後は……」


 家に来られた時のことを考えて、夜のトラップは厳重にしている。あの、自分を殺す男がやってきた時だけ、ユリアーナは家の中で殺された。それを回避しなければならない。


(とはいえ、複数人で来られたら、家では困るな……でも、大丈夫だろうか。ラーレン狩りのタイミングはよくわからないけれど、いつもそれにやられていた時は外だったし……)


 ラーレン狩りとはいえ、その首謀者は盗賊あがりか何かのようにユリアーナの目には見えていたことを覚えている。


『おおっ、本当に森にラーレンがいやがった!』


『こりゃ、いい金になるぜ!』


 そんな会話を聞いた。一体誰が、森にラーレンがいると密告したのだと思ったが、それは定かではない。もしかしたら、迂闊に外で飛んだ時に、誰かに見られていたのかもしれない。


(でも、ラーレン病はもう下火になっているし、そんなにすぐ金になるのかな)


 とはいえ、おかげでラーレンは今や絶滅種だ。そう考えれば、いい値がつくのも仕方がない。少なくとも、彼らはラーレンの「翼」を売ろうとしていた。ならば、自分の母親が逃げて来た「研究所の人間」ではないのだと思う。その辺の夜盗に狩られるなんて、まっぴらごめんだ、と思いながらユリアーナは家に帰った。

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