第9話 聖女テレージアと騎士ヘルムート
さて、それから1年が経過をして、ついに第三王女テレージアが王城からギフェの町に来ることが決まった。
「テレージア様のご容態は」
テレージアの護衛騎士であるヘルムートは、女中に尋ねる。彼は、精悍な顔立ちの護衛騎士だ。灰色の髪に黒い瞳。前髪を後ろにラフにあげており、目つきが少しだけ悪い。悪いと言うか、眉根を寄せてしかめっ面をしているのが「普通」のようだ。
「はい。本日は少し落ち着いていらっしゃって、体を起こしても問題がないかと」
「そうか」
体を起こしても問題がない。それのどこが「落ち着いて」いるのだと言うのか。ヘルムートは苛立ちを心の中に隠し、テレージアの元に訪れた。
「テレージア様。失礼いたします」
「ああ、ヘルムート。こんにちは」
女中が言っていた通り、ベッドの上で上半身を起こして、テレージアは微笑んだ。
波打つ金髪、透き通る白い肌、珍しい紫の瞳は優しい。体は少し細すぎるが、見るからにはかなげで、そして美しい。17歳だが、もう少し幼くも見える。
「今日は少し調子が良いのよ」
「そうですか。それは、良かったです」
「移動をするには、少し心許ないけれど……もう少し元気になれば、動けると思います」
その言葉に、ヘルムートは既に彼女が「知っている」のだと理解をした。
「テレージア様」
「ギフェの町の別荘に移るのだと、そう聞きました」
「力足りず、申し訳ありません」
「いいえ、いいえ、そんなことはありません。あなたは何も悪くないわ」
そう言ってテレージアは微笑む。
「お父様は、わたしが邪魔なのですものね。仕方がないわ」
「そんなことは……」
「いいのよ、ヘルムート。わたし、知っているから。お父様のお気持ちもわかるもの。だから、移動を出来るぐらいまで元気にならないとね」
「そうですね。何より、お元気になっていただくことが一番です」
ヘルムートは苦々しく相槌を打つ。彼女は決して、自分の父親を悪く言わない。周囲の人間にも「申し訳ない」と思って、静かに生きている。元気な日は窓の外を眺めたり、書物を読んだり、そして女中やヘルムートと会話をして過ごしている。
その言葉の端々から、本当は元気になったら外の世界を見たい……そういう意思があることをみなは知っている。
だが、彼女は8歳の頃から体調を崩しだして、9歳の頃には生死を彷徨う高熱を出し、それから今日までずっと、体調が整わないままだ。8歳までは、王宮の庭園を楽しんだりもしていたが、王宮の外には出たことがなかった。
そして、9歳の高熱と共に、彼女は胸元に「聖女の証」の痣が浮き上がった。人々は、それを「天からの思し召し」と言って敬わっていたが、彼女は一向に「聖女らしい」ことは出来なかった。それは、きっと体調のせいだろうと人々は考えた。
体を患っても、第三王女としての教育は行わなければいけず、起きている時はすべてが教育に費やされた。当然、遅れてしまった教育を取り戻すことは難しかったが、それでも彼女は必死にそれに時間を使った。結局、それもままならず、外の世界のことも知らぬまま、病床に臥せることになってしまったのだが。
「しかし、ギフェの町の別荘ならば、王城のあれこれ煩わしいこともなく、気楽に過ごせるでしょうし。良いとは思いますよ」
「ふふ、そうね。ヘルムートはそういうことをはっきり言ってくれるものね。ええ、だから、わたしもね、楽しみではあるの」
「はい」
「あなたもついていってくれるんでしょう?」
「勿論です」
「よかったわ」
そう言って微笑むテレージアを見て、ヘルムートは口端をあげた。
「それから、ラファエルもおります」
「まあ。ラファエルが?」
ラファエルの名前を聞いて、テレージアはほのかに頬を赤く染める。その様子を見てヘルムートは「おやおや」と思いながら言葉を続けた。
「今月末の異動で、ラファエルはテレージア様付きの護衛騎士になると思います」
「えっ……本当に?」
「はい」
「そう、なのですね……」
はにかんだ笑みを見せるテレージア。ヘルムートは表情には出さなかったが、彼女のその微笑みを「なんと可愛らしい。きっと、嬉しいのだな」と思う。
彼女とラファエルが出会ったのは、先月の頭だ。テレージアの護衛騎士のうち1人が、家庭の事情で護衛騎士をやめなければいけなくなった時、仮ではあったがラファエルがやって来た。
護衛騎士とはいえ、彼女は出掛けるわけでもないため、ただの屋敷警護の騎士とそう変わらない。だが、彼女は夜中に体調を崩すことも多かったため、24時間護衛騎士と女中は朝だろうが夜だろうが変わらず、いつでも動けるように控えていた。
彼女は、ちょっとした我儘を言って「眠るまでお話をしてちょうだい」と女中を呼ぶことがあった。彼女は体が弱くて睡眠を必要としていたが、それでも体調が悪くて逆に眠れないことも多かったからだ。
ラファエルがやって来たのは、その話も少し底をつきかけた頃だった。女中が困っているところ、ラファエルが「もし、よければ自分が」と言い出して、寝物語を語らせれば、テレージアはすっかり彼を気に入った。最初は「王女の寝室に男性が入るなど」ということで、女中が同伴していたが、最後にはすっかりラファエルは1人でテレージアの傍にいることを許された。
ラファエルは王城騎士ではあったが、多くの遠征を行ない、各地のことに詳しかった。そのおかげで王城とはほぼ関係がない話を山ほど持っており、それがテレージアには楽しくて仕方がなかったらしい。
「また、ラファエルの話を聞けますよ」
「ええ。とても楽しみだわ」
そう言って微笑むテレージアを見て、ヘルムートもまた微笑む。
(ラファエルの話を聞くテレージア様は、とても楽しそうだ)
それを、若干羨ましいとは思わないわけでもないが、それよりもヘルムートにとっては「テレージア様が幸せそうであればそれが一番」だ。それに、ラファエルはガーディス侯爵の次男で、侯爵家は継がないものの、彼自身それなりの財力を父親から分けられている。テレージアが政略結婚で妙な国に嫁がされるよりは、余程ラファエルの方が良い……とまで、ヘルムートは考えていた。
(それにしても)
と、ヘルムートは思う。
(結局、別荘に行くことは回避が出来なかった。あれこれと手を尽くしたが……こればかりは、どうにもならないことなんだな。まあ、別荘に行ったら、クライヴ先生をどうにか連れてきて……)
彼は「王城から離れなければどうにかなるのではないか」と思い、テレージアをギフェの町に移さないようにと、あれこれと手を尽くした。神官に口添えを頼んだり、王宮医師にテレージアが良くなったという噂を流させたりと、正直なところ「そこまでするか?」という程度には動いていた。
だが、それは叶わなかった。
(こればかりは『今回も』回避が出来なかった)
だから、この先なのだ。きっと。
(すべてを思い出すことは難しいが、どうにかテレージア様を殺さないために、俺は……)
彼女の病を解き明かすために、ギフェの町に行って。それから、主治医を「クライヴ先生にすべき」なのだと思う。けれども。
(今回が最後だ。今回が5回目。俺は、世界を救うためではなく、テレージア様を救うために生きる。あのラーレンを間違いなく時期を合わせて今回も……)
「どうしたの? ヘルムート」
細く、柔らかな声で尋ねるテレージアに、ヘルムートは「いえ、何も」と答えた。
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