第7話 ユリアーナを殺す男

「はあっ!?」


 ユリア―ナは慌てて飛び起きる。時刻は真夜中。まだ夜の鳥たちがホウ、ホウ、と鳴き続ける時刻だ。


「はっ……はっ……はっ……」


 全身汗だくで目覚めて、息切れもしている。彼女は「ラーレン狩り」に追いかけられる夢を見ていた。いや、それは夢ではなく、過去の記憶なのかもしれない。


「ああ、あ……」


 体が震える。いけない、水を飲もうと思う。ベッドから降りて厨房に向かう。汲み置きをしている水を飲んで、ようやく一息つく。


「ああ、やっと収まってきた……」


 深呼吸を数回。少しずつ落ち着いてきて、冷静になる。その頃には夢で見ていた内容の半分は既に忘れてしまっていたが、心に与えられたダメージは消えない。


「本当に、どうやってラーレン狩りから逃げればいいんだろう……」


 実際のところ、そのラーレン狩りも今では稀なはずだった。けれども、過去に何度も彼女はその「稀なはずのラーレン狩り」に出くわしている。何人もの男たちに追いかけまわされて、最後には捕まってしまうのだ。


 少しでもそれに対抗をしよう、と彼女は考えた。今、彼女は町の外れに住んでいる傭兵のグリースに稽古をつけてもらっている。ラーレン、あるいはコーカは、ヒュームよりも身体能力がだいぶ高い。彼女はラファエルをクライヴの元に運んだ足で町に行き、ギルドで依頼を出した。その依頼をグリースが受けた、というわけだ。


 グリースは40代前半のヒュームの男性で、魔法剣士だ。魔法を使える者は、1000人に1人程度と言われているため、貴重な存在だ。おかげで、魔法についても詳しくなれるし、ユリアーナにとっては一石二鳥の相手だった。とはいえ、悲しいことにユリアーナには魔法の習得は難しく、グリースが言うには「徹底的に向いていない」とのことだったが。


 また、どうやら転生前の自分は何かしらの武芸をたしなんでいたようだ。体はユリアーナのものだったが、なんだか「覚えて」いるような気がする。なので、グリースは余計に「こりゃいい弟子が出来たもんだ」と力を入れてくれている。


(ここから、わたしの翼が白くなるまで、1年半ぐらい……? 出来ることは全部やらなくちゃ)


 森から出て、ラーレン狩りに会う。森に住んでいて、やがてラーレン狩りに会う。それから。


(他にも。他にも、わたしの命を奪う者たちがいる……)


 それに抗うために、出来ることをしなければ、とユリアーナは思った。


(もう、はっきり言っちゃうと世界がどうとか関係ない。わたしは、わたしが生きるためのことをするし、その結果、よくわからないけど世界が滅んでも仕方がない。その日までは生きたい)


 出した結論がそれだ。そのために、体を鍛える。勉強もする。世間のことも少しは知る。時間がない、と思えばそれらにのめり込むことが出来た。


 自宅には、まだデニスに渡していない銀線細工がいくつも途中まで作られていたけれど、一旦銀線細工を作ることはやめた。時々ギルドの依頼を受けて小金を稼ぎつつ、日々グリースと鍛錬に打ち込んだ。


 鍛錬もギルドの依頼も受けない日は、森の中で自給自足の生活を行う。獣を狩り、茸や草木を収穫し、木の実を蓄える。干し肉を作ったり、乾パンを焼いたりもする。獣を狩ることは、9回目までやったことがなかった。言ってはなんだが「一体ユリアーナは何をしていたんだ?」と思う。完全な色ボケではないか。ともあれ、9回も生きて死んでを繰り返したことを考えれば、それはそれで可哀相だと思って責めることが出来ない。


(それにしても、不安がぬぐえないな。もう選んだことを後悔しても仕方ないけど)


 部屋に戻って、ベッドにあがる。毛布にくるまって膝を曲げる。大丈夫だ、今はまだ。今日はまだ生きられる。そう念じて瞳を閉じた。ゆっくりと息を整えながら集中をすると、脳内に、整理がまだしっかりついていない、何回目の生の時の話なのかもわからない映像が浮かんで来る。


(あれは、何度目だったか……クライヴ先生を、テレージアのもとに行かせないようにして……そうだ……テレージア様が死んで……逆恨みで、クライヴ先生を……)


 ラファエルに頼まれても、テレージアの元にはいかないで欲しいと、クライヴに対してユリアーナは頭を下げた。何故かと聞かれたら、それはまだ言えない、と伝えたような気がする。


(何が「まだ言えない」だよ……)


 苦笑い1つ。それならば、いつ、どう伝えるつもりだったのだろう、と思ったからだ。


 結果的にテレージアは病に侵され命を奪われてしまう。そして、彼女の信奉者であった護衛騎士が「お前がいれば助かったのに」と、クライヴを何故か逆恨みをして殺しに来る。それを止めようとして、ユリアーナは命を落とした。


(ラーレン狩り以外、それから、森を出た時以外で死んだのはあの時だけ……?)


 9回の死因すべてを思い出すことがうまく出来ず、6回ぐらいしか紙に書きだしていない。だが、毛布にくるまってとりとめのないことを考えていたら、他のパターンがふわりと思い浮かぶ。


(あれ?)


 もう一人。ラファエルではなく、その、テレージアの信奉者ではなく。いや、ある意味では信奉者だったのだろうが、そういった逆恨みではなく。


「……うっ……!」


 ユリアーナは背中に激痛を感じて、びくん、と体を強張らせ、呼吸を止めた。やがて、ぶわっと息を吐きだす。


「はっ……! は、はぁっ……はぁっ……」


 その痛みが「過去の」痛みだと気づき、自分の体はその「殺された」痛みを覚えているのか……と愕然とした。記憶は残っているが、体は「新しい」と思っていた。けれども、体もまた何かを蓄積されているのだろうか。


 いや、それは「気のせい」だ。気のせいであっても、痛烈に彼女は痛みを感じて、一瞬ではあったが苦しんだ。その気持ち悪さに荒く呼吸をする。


「う、うう、う……」


 ラーレン狩りではないが、あれはラーレン狩りだ。確実にユリアーナを探しに来た男がいた。ようやく、その「最期」を思い出す。


「お、思い、出し、た……」


 その男の姿がふわりと脳内に浮かんで来る。髪の色、瞳の色は暗くてわからなかった。顔もほとんど覚えていない。がっしりとした体格で、手には剣を持っていた。


(……あれは、誰……?)


「ううっ……頭が、痛い……!」


 体と同期がとれたはずなのに、こうやってまた過去のことを一気に思い出すことがある。頭痛はそれのシグナルだ。


 ユリアーナは「うう、うう」と呻きながら頭を抱え、半刻、一時間、と頭痛に苛まされた。そして、明け方ようやく深い眠りに入ったのだった。




 思い出す映像は、途切れ途切れのもの。


 その男は、突然家に入ってきた。家の周辺のトラップを音もなく掻い潜っての真夜中。夜目が効くのか、明かりも持たずに。


「何!?」


 眠っていたユリアーナは、一瞬で目覚め、毛布を跳ねのけた。ドアを開けて入って来た男は、退路を断とうとしてか、後ろ手でドアを閉めた。


「お前はラーレンだな」


「あなたは……」


 正気ではない目つきでユリアーナにずかずかと近付いて来る。ラーレンは夜目がそこそこ利くが、ユリアーナは慌てていて彼の顔をしっかりとは見ていない。彼女の全身はぶわっと粟立った。


(この男は、わたしを殺す気だ)


 何故なのか。理由も聞けず、ユリアーナは逃げようとした。ドアからは出られない。大きな窓から。だが、それは時すでに遅く、男はユリアーナの腕を掴んで引き留める。外へと飛び立とうと、広げ始めた翼を抑え込む。


「飛ばせない」


「うわっ!」


 ばたん、と床の上に俯けに倒されるユリアーナ。その腰に、彼の足が乗せられた。そして、片腕をぐいと後ろに引っ張られた、と思ったら、妙な音が響く。


「うわああああああああああ!」


 折れた。ユリアーナは涙を浮かべて暴れようとしたが、腕の痛みと、腰を踏まれているせいでうまく体をよじれない。もう片方の腕で暴れようとしたが、それは空を掴むだけだ。男は、翼を握るとぐいと強く後ろに引いた。おかげで、ユリアーナは上半身を少し反らすようになる。


「ううっ……」


「恨んでもいい。ああ、そうだ。いくらでも恨め。それで気が済むなら安いものだ」


 そう言うと、男は翼を引っ張りながら、背からそれを剣で絶とうとした。それまでの人生で与えられたことがないほどの痛み。矢を射られようが、体を切られようが、それほどではなかった、と言えてしまうほどの激痛に、ユリアーナは叫ぶ。


「ぐわあああああああああ!」


 一度では翼を体から絶てなかったのか、二度、三度と振り下ろされる剣。暗闇の中、ユリアーナは泣きながら叫び声をあげ続け、男は黙って何度も剣を……。




(それから……覚えていない……)


 多分、その後に自分は死んだのだ。あの男に殺されて。


「うう、最悪の夢見だ……二度も、続けてみるなんて……」


 夢見、と口にしたが、夢ではない。やはり、それは記憶だ。ユリアーナは翌日の昼近くに目覚め、ベッドの上でぼうっとした。きっとこれも「記憶の同期」なのだろうと思う。それが一晩に一気に進んだことは、ある意味で喜ぶべきことでもあったが、こんなに具合が悪くなるなら、出来れば小出しにして欲しい。


「忘れないうちに書いとかなくちゃ……」


 真夜中の頭痛で思い出した過去のこと。それをかき止めるために、チェストから筆記用具を取り出すユリアーナ。


 少しだけ思い出す。ああ、その時は。どうしてもラファエルの近くを離れたくなくて、どうしようどうしようと思いながら日々を消費していたのだ。なんて、どうしようもない。そう思ったが、それこそが「ラファエルを愛してしまう」ことによって発生した弊害と言えるだろう。


「その男に殺されたのと……それから……」


 ただ、それが何回目のどのルートで起こったことなのかがぼんやりとしている。繰り返した9回の記憶は、呼び起こされるには芋づる式で絡みついているが、それを解きほぐして一つ一つに分類をすることはなかなか難しい。


(夜、仕掛けておくトラップを強化しなくちゃいけない……)


「あっ、グリースさんの修行に遅刻しちゃう!」


 ユリアーナは考えることを止め、まずは食事をとった。頭痛と共に思い出したのならば、もう忘れないだろうし、夜でもいいか……そう思いながら。

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