第6話 医師クライヴ
森の医師、と呼ばれるクライヴは、知る人ぞ知る名医だ。15歳で町医師の助手になり、18歳で独立し、20歳で王宮医師に召し上げられることになったが、それを彼は断って逃げた。彼が救いたい者は、金に糸目をつけない貴族ではなく、その辺で苦しんでいる「どこにでもいる者」たちだったからだ。
放浪をした彼は、23歳で森に家を建てた。町に住めば、それがどんな僻地であろうと、王城の者たちに見つかると思ったからだ。王城から離れた場所、そこから更に離れた森の中。人々を救うにはあまりよろしくない場所だが、実際、それぐらいの場所で静かに暮らすことが、彼にはあっていた。
しかし、そこに来て8年。近くのギフェの町ににテレージアが療養にやってきてから数ケ月。ついに、彼は「見つけられ」てしまったのだ。
「テレージア様の主治医になっていただけませんか」
「だからね。僕は、ここで患者たちを見なければいけないんだ。誰かのところに連れていかれて、四六時中面倒を見るなんて無理だよ」
「そこをなんとか……代わりの医師をこちらに派遣をしますから……」
「他人に自分の家で仕事をしろって? それこそ、無理だよ! ああ、とにかく帰っておくれ。そして、僕のことは忘れてくれまいか」
そう言って、クライヴは使者を追い出した。それを、三回繰り返す。
「クライヴ」
「カミル、ああ、悪いね」
「大丈夫でしょうか……」
「……ううん、よろしくないね……」
クライヴは苦々しい表情をカミルに見せる。カミルは悲しそうに眉間に皺を寄せて彼をじっとみつめた。
「ああ、ああ、そんな顔をしないでくれよ」
「ごめんなさい……だって、あなたが……」
「ん?」
「本当は、テレージア様のことも助けたいと思っていらっしゃること、わたしは知っていますから……」
「……」
クライヴは困惑の表情で、椅子に座って足を組み直す。それはそうだ。カミルの言葉は間違っていない。テレージアは療養に来たと言っているが、どうにも肺の調子が悪いだとか、すぐに疲れて眠ってしまうだとか、色んな噂が飛び交っている。使者の話を聞けば、多くの王宮医師に見せても原因がわからず、どうやら仕方なく「空気が良いところを」とかなんとか言って、王城から離したらしい。
(病床の姫。あまり、国王から愛されていない……か)
そのことを使者はぼかしたが、それを言わずにはいられないほどのことなのだろう、と思う。テレージアは天使のようと言われ、病床に伏せていても笑顔を絶やさず、誰も憎まず、ただ病を受け入れている。周囲の人々に恨み言も何も言わず、ただ、感謝の言葉を口にする。そういう人となりだ。そんな彼女は、あれこれと何人もの王宮医師たちに見せても治らず、そのうち国王に「面倒な姫だな……」と疎まれるようになってしまったのだと言う。
「いいよ、カミル。僕は君とここでのんびりと過ごせればさ。そんな、知らないお姫様のことまで面倒は見ていられない」
そうクライヴは口にしたが、それが本音ではないとカミルは知っている。だが、それには触れず、カミルは「お茶を淹れますね」と微笑んだ。
それは、ユリアーナにとって何回目のことだったのか。今となってはわからない。クライヴの元に、ラファエルが久方ぶりにやって来た。
「お久しぶりです、先生、カミルさん」
「やあ、ラファエルじゃないか! 久しぶりだねぇ、よかった、元気そうで!」
「はい。おかげさまで。御礼を申し上げるのが遅れまして……」
ラファエルは笑って、町で買ってきたというタルトをカミルに渡した。
「やあやあ、どうしたんだい? 今はどこで何をしているんだ?」
「テレージア様の、護衛騎士をしておりまして」
「……」
タルトを袋から出すカミルの手が止まる。クライヴも驚いたように目を見開いて、言葉が出ない。
「そ、そうなのか……」
「はい。それで、先生にお願いがあっ……」
「行かないよ!」
ラファエルの言葉に、クライヴは被せた。
「行かない。行かないって言っている!」
「そこを、どうにか」
「ええ~? 行かないけど、えっと、タルトはもらうよ? それはいいよね?」
どうしようか、と手を止めていたカミルを気にして、クライヴはそう続けた。その言葉がおかしかったようで、ラファエルは「ふはっ」と笑って
「はい。タルトは、是非食べてください。それと、わたしの話は別なので」
と、言った。それから、困った表情のカミルにも笑いかけて
「カミルさん、申し訳ない。わたしの話は別にして、タルトはぜひ食べていただけますか。それとこれは別のものなので」
そう言うと、クライヴも
「そうだよ。別だよ! カミル、とりあえずタルトと、あとお茶を出してくれるかい?」
と、少し怒りながら言う。その2人の様子がおかしかったようで、カミルはようやく「わかりました」と笑った。
「やあやあ、このタルトはヘンリケ亭のものだね?」
「あっ、ご存知でしたか」
「うん。あそこの坊主が去年足を挫いてねぇ。町医者に見せてもどこも悪くないって言われていたらしいんだけど、ここに来たんだ。すっかり治ってから、タルトをくれてねぇ」
そう言ってクライヴはタルトにフォークを突き刺した。
「ところで、テレージア様の護衛騎士って? 君、王城の騎士だったのかい」
「はい。あの、こちらに厄介になった時は休暇をとっていて、各地に足を伸ばしていたんですが……もともと騎士団に所属をしていました」
「へえ。それで、今日は僕を説得に来たというわけかい」
「そうですね。挨拶をとは思っていたのですが、後に後にとなっているうちに、テレージア様の主治医を探しているという話になりまして」
そこはラファエルもあっさりと認める。
「先生に是非とも来ていただいて、一度だけでも見ていただきたいのですが」
「そっちが来ればいいだろ」
「残念ながら、姫様はここに来られるほど体が強くなく」
「……馬車に乗るのも? 馬車に乗って長旅でやってきたと聞いたけれど」
「それが……今は大層体が弱くなられて……」
クライヴは瞬きをしてラファエルを見る。ラファエルは少し俯いて「残念ながら本当なのです。本当に調子がよろしくないのです」と呟いた。
「このままでは、王城に戻ることも出来ないでしょう……かかりつけの主治医は、一体どうしてこんなに弱ったのかがわからないと言って……色々と薬は処方をするのですが、一向によくならず。そもそも神殿の治療術師でも、何も手がつけられず」
「どんな状態なんだい」
「数日発熱をして、ようやく下がった、と思うと二日後にはまた発熱をして……熱があがっている間は食事もままならないので、体がやせていき……ここ最近少し落ち着きましたが、それもどれだけ続くのか」
「発熱。それから?」
「よく、咳き込みます。それから、起き上がって歩こうとすると、たまに眩暈を起こされます。ですが、歩かなければ体の筋肉が落ちてしまいますので、人に掴まってでも歩いていただくのですが、それもなかなか難しく……それから、湯浴みが苦しいとおっしゃって、時間を短くしています」
「苦しい、とは」
「水に体が圧迫される感じがすると」
「ああ、なるほど」
クライヴとラファエルの問答は続いた。クライヴはフォークを持つ手を止めて、真剣にラファエルから話を聞く。ラファエルは素直に言われるがまま答えた。
「それにしても、君、だいぶ詳しいね。ただの護衛騎士だとは思えないほどだ」
「……わたしは、その……」
「うん」
「……眠れなくなると、テレージア様はわたしをお呼びになります。わたしは、手を握って、テレージア様が眠りに入るまで、あれこれと話をしていまして……」
ラファエルのその言葉に、クライヴは「なんだい……付き合ってるの?」とぽかんとした表情で尋ねた。が、ラファエルは首を振る。
「そういうことは……」
ない、と断言を出来ないラファエルの様子をじっとクライヴは見る。
「もともと、テレージア様には幼馴染でもあるヘルムートという騎士がついていまして」
「うん」
「今も、ヘルムートはおりますが……その……」
「ああ、いいよいいよ、そういう話は。要するに『そう』いうことなんだろう? 君とテレージア様は、好き合っているっていう」
「……」
だが、それもラファエルは頷かない。話はわかった、とクライヴは溜息をつく。
「そうか。まあそうだよね。護衛騎士ともあろう者が、姫様を、って話だし、幼馴染の護衛騎士が別にいれば、そりゃあ、更に言いにくいのはわかるよ。うーん、カミル、もう一杯お茶をもらってもいいかなあ?」
「ええ」
一言も口を出さずに彼らの会話を聞いていたカミルは、ティーポットに茶葉を入れなおした。カチャカチャという音が静かに室内に響く。
「よくわかんないし、主治医にはなれないけどさ……一度ぐらいなら、まあ、往診ぐらいはしてもいいかなぁ」
「……本当ですか!?」
「うん。なんだか、思っていたよりも深刻な様子だったからさ。一度だけならね」
ラファエルは頭を下げた。
「ありがとうございます……ありがとうございます!」
「クライヴ」
カミルが声をかける。
「うん。君も、一緒に来てくれるかい?」
「はい。勿論です」
「ありがとう」
ティーカップに茶を注いだカミルに、クライヴは腰を浮かせて口付けた。案外とクライヴの愛情表現ははっきりとしている。
「そういえば、ユリアーナにも会って行くのかい?」
「いえ、ここからユリアーナの家までは結構かかりますし、またの機会にします」
「そうか。まあ確かにユリアーナは飛べるから簡単に来るけど、僕らの足でも結構かかるもんなぁ」
「元気にしていますか」
「うーん、最近あまり会っていないというか、そんなにはね。ユリアーナ、元気だしさ。数か月会ってないかもしれない」
「そうなんですね」
「彼女も、ヘンリケ亭のタルトは好きだと思うよ」
クライヴがそう笑えば、ラファエルも小さく笑って「わかりました」と答えた。
だが、そのラファエルが、ヘンリケ亭のタルトを持ってユリアーナを尋ねることはなかった。彼に悪気はなかった。ただ、本当に彼は忙しく、心の中では「また今度」とずっと思ってはいたのだ。
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