第5話 叶わなかった9回の恋

 断片しか残っていないが、ユリアーナの「中」には間違いなく「それ」は存在した。それとは、騎士ラファエルへの恋心のようなもの。それが、自分に語り掛けるように、胸の痛みになって現れるようだ。


 ラファエルの無事を知らせなくて良いとクライヴに言った時の胸の痛み。あれは「今回の生で最後なのに、ラファエルとの縁を切る」ことを、自分自身の心が拒んでいたからだ。体と魂は別々であって別々ではない。自分はこのユリアーナとして生まれているけれど、過去の9回は「本物のユリアーナ」の生で、今回だけは違う。


 だからなのだろうか。ラファエルを生かして、そして自分との縁を切ったことで、胸の奥が痛いと思う。このまま、彼は自分を知らずに生きていくのかと思えば、再び胸の奥がじわじわと痛む。いや、痛みとは違う。それは明らかな悲しみだ。


 ユリアーナはベッドの上でぼんやりと考え「好きでもなんでもないのになぁ」と呟いた。だが、この体は「そうではない」と言っている。9回の生を生きた彼女の魂が、体にどう影響をしているのかはわからない。ただ、悲しい。彼が自分を見ないこと、彼に名乗れないこと、彼と……


「大体さぁ、見て、別に恋に落ちなかったんだから、そこで終わりでいいじゃない?」


 そう声に出して、その気持ちを打ち消そうとする。実際、彼を見てもどうとも思わなかった。助けても、どうとも思わない。なのに、心のどこかで悲しみを感じている。


「わたしは、自分が生きるのに必死なの! 色恋のことなんて、どうでもいいんだから!」


 ベッドで横になって声をあげる。そうだ。まずはラファエルを救った。きっと彼は治ったら森を出ていくだろう。森を出て……。


(そうだ。彼は、お姫様の騎士になるんだった)


 そこまでは知っている。彼は、この先2年で何がどうなったのかはよくわからないが、この国の第三王女であるテレージアに付き添う護衛騎士というのだろうか、何かそういうものになるのだとユリアーナは知っていた。


「テレージア様か……」


 思い出そうと、必死に脳内から譲歩をかき集める。相変わらずそれが何度目のことなのかはよくわからないが、映像がぼんやりと浮かんできた。




 病弱である第三王女テレージアは、森近くのギフェの町の郊外にある、王族の別荘にやって来た。テレージアは白い肌に細い体つき、美しい金髪を持つ、儚げな美少女だった。肺の調子が悪いということで、森が近い別荘に引きこもり、日々を過ごすこととなる。


 ギフェの町の人々は彼女を歓迎して、彼女を乗せた馬車はさながらパレードのように町の人々に囲まれていた。珍しいものが見られると聞いて、滅多にいかないそちらの町にユリア―ナも向かった。


「わあ、すごい……」


 ただの療養でも、人々がテレージアを歓迎したのには理由があった。彼女を守るために別荘には多くの人間が入り、食糧やらなにやらが大量に発注をされる。彼女が別荘にいる間、普段は儲からない町の食糧品屋や雑貨屋やら、多くの店がその恩恵に預かれる。また、彼女が馬車で街中を練り歩いている間、露店の売り上げはなかなかのもので、ただ療養に来ただけだというのに、町の経済を彼女はそれなりに動かした。きっと、そんなつもりは当人にはなかっただろうが。


「!」


 その馬車の横に、立派な馬に乗って護衛騎士が2人。前にも後ろにも騎士がついていたが、横にいる騎士に見覚えがあった。パレードとはいえ、長旅のため軽装なのか、甲冑は身に着けていない。


「ラファエル……!」


 そこには、なんとラファエルの姿が。ユリアーナの胸は高鳴った。何故なら、ユリア―ナはラファエルを好きだったし、もしかしたらこれを機に、ラファエルが再び森に来てくれるのでは、と思ったからだ。



 過去、怪我をしたラファエルが回復をするまで、ユリア―ナはクライヴの元に毎日のように通った。クライヴの家には町から人々がやってきて、それなりに忙しい。動けないクライヴの世話をカミルがしていたが、それでも手が足りないようだったし、何よりユリアーナはラファエルに会いたかったからだ。


 体が動かないラファエルは、ユリアーナに感謝をした。そして、森の外の話を色々と教えてくれた。それを聞くのが好きだった。


 日々、ラファエルとユリアーナの仲は深まっていった……と、ユリアーナは勝手に思い込んでいた。少なくとも、今の「10回目」のユリアーナはそう思う。こんなことは「9回目」までのユリアーナには言えないが、正直なところ、ユリアーナのラファエルに対する気持ちは独りよがりだったのではないかと思う。


 なんといったって、それまで森からほとんど出ることなく過ごしてきたのだ。そこに、森の外にいる男性が――しかも顔がよい――現れて、自分と仲良く話をしてくれる。ならば、勘違いをしてもおかしくはないのだろう。


 そして、別れの日に、ラファエルは彼女に「また来るよ」と言ってくれた。それが一種の社交辞令だったとは、残念ながらユリアーナにはわからなかった。いや、もしかしたら本当に彼は「また来る」とは思っていたのかもしれない。


 だが、テレージアの護衛騎士として遣わされた彼が、森に来ることはなかった。もしかしたら、クライヴ先生のところには行ったのだろうか? そう思ってクライヴに尋ねたが、それもない様子だった。


 もしかしたら、ラファエルは忘れてしまったのだろうか。それとも、この森ではないとでも思っているのだろうか? そんなことばかりを考えてしまい、ユリアーナが疑心暗鬼になってもおかしくはなかった。


(それとも、何か理由があってここに来ないのかしら……)


 悩んで、悩んで、悩んで。ユリアーナは、自分からラファエルに会いに行こうと思い至った。だが、いざ会いに行こうと思っても、彼に会ったら何をするというのか、という当たり前のことに彼女はつまずいてしまう。


(会っても……)


 何も、話すことはない。元気そうでよかった、と挨拶をするだけだ。それから? 何もありやしない。自分と彼の間には、互いの過去を話したり、彼が知らないこの森のことを話してあげるだけで、それ以外に何か共通で話が出来ることがない。


ああ、ラファエルのことが好きだというのに、自分はあまりに無力ではないか。あんなにクライヴのところでは仲良くしていても、今の自分とラファエルとの間には何もないように思う。共に過ごしたあの僅かな時間を思い出して、思い出を語り合えばいいのか。それで? それでどうするのだ? あなたが好きだと、伝えれば良いのだろうか……。


(それに……わたしは……ラーレンなのに……?)


 もうすぐ、白くなってしまうだろう翼。そのことを思って、ユリアーナは悲しみに暮れた。白い翼を見せて外を歩けば、あれはラーレンだとすぐにばれてしまう。今はラーレン病は流行っていないが、それでも「ラーレン狩り」をしている者たちが未だにいるという噂もあった。


(このまま翼が白くなったら、わたしはもう、森から出られなくなるんだ)


 ならば、まだ翼が黒いうちに、最後にラファエルに会いたい。だって、彼は「また来るよ」と言ってくれたのだ。その約束を交わすのは、自分の方からだって良いのではないだろうか?


 それから再び、何度も何度も悩んだ。何日もかけて悩み、朝が来て「今日こそラファエルは来てくれるだろうか」と思い、夜になり「今日も来てくれなかった」と思い、泣きながら眠った。いつの間にか、いなくても大丈夫だったラファエルの存在が、ユリアーナの中で大きくなっていく。これはよくない。わかっていても、それを止めることがユリアーナには出来なかった。勘違いから始まった片恋は、どんどん思いだけが膨れ上がって彼女の行動を止めることが出来なくなる。


 そしてようやく。そうだ。明日、会いに行こう。話がうまく出来なくてもいいから、ラファエルに会って。ただ、あなたが好きだったと伝えよう。ほかに何も話すことがなくたってそれでいいではないか……とユリアーナは決めた。それで、彼から拒絶をされたら。ああ、考えるだけで恐ろしいが、その可能性は高い。それでも、彼に会いたい。


 その翌日。ユリアーナの翼は白く変化をした。いや、もしかしたら、少しずつ退色をして、抜け替わっていたのかもしれない。それを、彼女は見て見ぬふりをしていたのかもしれない。だが、朝起きて、姿見に自分の翼を映した彼女は明らかに絶望をした。


 白い翼。ユリアーナは静かにため息をついた。ああ、もうこれでは、彼のところに行けない。彼に会って、あなたが好きだったと伝えることが出来ない。なんということだろうか。もう自分は彼に会えないまま、ここで一生を終えるのだろうかと悲しくなる。


(会いに、来て。お願い……)


 泣きながら床にへたりこんだ。彼女は祈ったけれども、結局ラファエルが彼女に会いに来ることはなかった。


 彼女の片恋は、ただの片恋で、誰に知られるわけでもなく始まり、誰に知られるわけでもなく終わってしまう恋だった。その執着が何度も重なって、10回目のユリアーナの心を痛めることになったのだが、10回目のユリアーナはラファエルと恋に落ちない。それが、良いことなのかどうかはわからないが。


 少なくとも、ラファエルに会いに行きたい、などと悩んでいる時間は10回目のユリアーナにはなかった。その時間を、彼女は「生きる」ために使おうと心に決めた。


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