第4話 運命の分岐点

 一週間後。森で「ラファエルが倒れている」場所にユリアーナは向かった。まず、そこだ。毎回彼女が繰り返している、最初の分岐点と言える。


 デニスの家族が行商に出てから一週間後。騎士ラファエルが深手を負って森で倒れているのをユリアーナは発見をしてしまう。


 それを防ごうと試みても、どこからラファエルがやってくるのかはユリアーナにはわからない。結局「そこ」は避けられないのだとリューディガーは言う。だから、その一週間でユリアーナが出来ることは決まっていた。


(ラファエルと会わないか、会って自分の家に運ぶか。あるいは、医者であるクライヴ先生とその前に知り合いになってラファエルを運ぶか、あるいは、クライヴ先生とは知り合いにならずに先生の家の前にラファエルを運んで置いていくか、それとも……)


 クライヴは、この森に住んでいる医師だ。以前からデニスに話は聞いていたが、ユリアーナの家からは少し離れた場所に住んでいることと、ユリアーナの身体が健康なため、会いに行ったことはない。


 だが、過去の生き返りでは当然ユリア―ナはクライヴに会っている。いや、会っているだけでなく、どうやら大きなキーパーソンだと彼女は思うのだが……。


(多分、わたしが過去に一番長く生きられたのは、先生のところにラファエルを連れて行った時だったから……)


 だから、今回の生でもラファエルを連れて、クライヴのところに行こうと決めた。決めたらもう迷わない、と己に言い聞かせる。この初手が間違っていたら、もうおしまいだ……そんな風にも思うが、だからといってラファエルの命にも関わることだい、悩んでいる暇はもうないのだ。


「うう……本当に倒れている……」


 森の川近くの大木の根元に、一人の男性が倒れている。全身が濡れているが、何より腹部が切れて出血が多い。


(お休みの日に、川上の崖から落ちて流れて来たはず)


 そして、流されている間に、川にある岩に身体をぶつけてしまった。そういう話だったと思う。なんとか川からあがったものの、移動をしてこの大木まで来て力が尽きたのだろう。


(確かに、まあ、かっこいいわね……)


 年齢は23,4才ぐらいだろうか。茶色い髪に長いまつ毛、整った目鼻だち。身体もしっかりとしているが、それらの魅力を感じる以前に、正直なところ運ぶのが難儀だとため息が出た。


(でも、とりあえずは……)


 大丈夫だ。恋に落ちない。今のところは。顔はいいと思う。が、それだけだ……そう自分に言い聞かせた。しかし。


「うっ」


 ユリアーナは胸を押さえた。何故か胸の奥が痛む。悲しみと喜びがないまぜになり、心が揺れているのがわかる。一体どうしたのだ、とユリアーナは眉を寄せた。


(嘘でしょ……この体が「ユリアーナ」のものだから? そんなの、勘弁して欲しいんだけど……)


 ラファエルとの恋に落ちないけれど、過去の9回は恋に落ちている。見捨てて、殺した時でさえも。そのことを思い出して、じわりと両目に涙が上がって来る。嫌だ。違う。それらは、自分であって自分ではない。自分ではないのだ。何度も何度もそう心に言い聞かせる。


「いや、大丈夫、大丈夫……」


 そう言って、とんとん、と胸を叩いてから、黒い翼を広げる。それから、ラファエルの身体を両手で抱き上げた。重いため、彼の足は土についたままだ。抱えて運べるほどの腕力は、いくら翼があっても足りない。


「うう、これ、本当に運んでいくの……? 重たいんだけど……」


 と、ぶつぶついいながら翼を動かして進む。ずるずると地面に引きずった跡を残しながら、ユリアーナはラファエルを運んだ。ああ、本当に自分はユリアーナなのだ、だって翼を当たり前に広げて、当たり前に宙に浮いている……そんなことを思いながら。




「そこで、待っていてくれるかな?」


「はい」


 ラファエルを連れて行った先は、クライヴの家だ。この森は大きく広がっているが、クライヴの家は比較的町に近い場所にある。ちなみに、そちらの町――ギフェの町という――にはギルドがないためユリアーナは行ったことがない。


 広い森の内側は野生の獣が多く、更にその内側は魔獣と呼ばれる、魔力を持つ生物が生息しているため、ほとんど誰も近寄らない。一番外側の居住エリアにぽつぽつと住んでいる者たちはいるが、それぞれの家は遠い。ユリアーナが知っているのは、デニスとクライヴ、その二軒だけだ。他にも家があるかもしれないが、わからない。そして、クライヴの家はユリアーナの家からは案外離れていたため、今日が初めての来訪だ。


 この世界には魔法というものが「あるけれど、ほとんどない」らしい。治癒を行うような治療術師は国の神殿に一人いるかいないかといったところで、わざわざ足を延ばして巡礼をした者しか、その治療術師の魔法を施せない。しかも、その術自体も万能ではないため、せっかく神殿に行っても治らなかった、という話も多いと言う。


 そういうわけで、要するに魔法がある世界であっても、医者はくいっぱぐれなさそうだということだ。


 ラファエルを連れて行くと、クライヴは驚きつつも迎え入れてベッドに横たわらせた。濡れている衣類を脱がして、体温を確認し、それから、腹部の治療を開始した。


 ユリアーナはクライヴに言われた通り、隣室の椅子に座って静かに待つ。すると、クライヴの助手であり、恋人であるカミルが茶を出してくれた。カミルは、まっすぐな銀髪を胸元まで伸ばしており、見るからに穏やかで優しそうな女性だ。年のころは20代後半ぐらいだろう。


(今の時点で、わたしが『ラーレン』だってバレないよね……? 今は黒い翼だし……でも、どこかにわたしが知らないラーレンの特徴とかがあるかもしれないし……ええーーっと、過去、バレた時ってあったっけ……?)


 記憶が少し曖昧だ。クライヴに自分がラーレンだと、バレていたかどうかがわからない。時間が経てば思い出せるのかどうかも定かではない。


 現在、彼女の背の翼は黒い。黒い翼の種族は「コーカ」と呼ばれて数多くいるが、白い翼の「ラーレン」は絶滅種の民族だ。ユリアーナの母親は純血のラーレンだったが、ユリアーナは違う。コーカとラーレンの間に生まれた子供は、ラーレンになるのかどうかを確認するために「研究所」でユリアーナの母親オリエはコーカの男性との間に子供をもうけた。


 そして、生まれたユリアーナは黒い翼を持っていた。経過を見守るためにと10才までは研究所にユリアーナは囚われていた。そして「もう用がなくなった」と判断された日、母親であるオリエがユリアーナを連れて研究所から脱走をしたのだ。


 コーカのままでいれば自由に生きられたというのに、彼女は18才を過ぎたぐらいから翼が抜け替わったり退色をして、気付けばその翼を支えている骨を覆っている部分までも色が抜けて、19才の頃には白くなる。白い翼を持つ種族はラーレンしかいない。「白いコーカ」は存在しないのだ。


 結果、彼女は9回のうちの何度か「ラーレン狩り」にあった。ラーレンの翼を構成する骨の部分。そこに「ラーレン病」の特効薬の素があるからだ。ラーレンが絶滅種なのは、その「ラーレン狩り」が背景にある。


 100年ほど前に、大陸全土に突然現れた流行病。種族の中でも最も人口が多い――大陸の7割と言われている――ヒューム族のみに流行した。かかった者の8割は死んでしまう致死率のもの。研究に研究を重ねた結果、海でとれる限られた貝から抽出されるものが有効成分だと発見された。だが、その貝がとれる海岸は決まっており、また、うまく繁殖をさせることも出来ず、あっという間に絶滅してしまった。


 それから20年。死んだラーレンの翼から、似た成分が発見された。ちょうど一度は貝のおかげで防げていた疫病が、再度猛威をふるっていた頃だった。ヒューム族は、数にものを言わせて「ラーレン狩り」を行った。そして、病は「ラーレン病」という俗称で呼ばれることになり、あっという間にラーレンは絶滅種になってしまった。


(今は、ラーレン病にかかる人も少なくなったし……致死率も下がったけれど……)


 だが、無くなってはいない。だからこその「ラーレン狩り」だ。ラーレン一人の翼から、ラーレン病が治るための薬は一人分しか作れない。一人を救うために一人を殺す。本来、まかり通らない話だ。そうは言っても、残念ながらこの世界の各国、ほとんどのトップがヒューム族。彼らは、自分たちの保身のために、ラーレンを狩ることを選んだ。


「うえーーーー……平和に生きられないのかなぁ~……今のうちに大陸を渡って……」


 そんなことが出来るわけがない、渡れたとしてもその先でもラーレン狩りはあるのだ、とユリアーナは溜息をつく。そもそも、彼女が住んでいる森は、大陸のほぼ中央にあるわけで、その大陸を離れることは相当時間がかかる。


 それに、実に過去3回。森から出て旅をした。旅をして、すぐに死んでしまっている。それぞれの死に方は違っていたが、まるで何かの力で「森」にいなければいけないようにあっさりと、あっという間に。そのこともユリアーナには気がかりだ。


「ユリアーナ。お待たせしたね。処置が終わったよ」


「あっ」


 クライヴは、年齢30歳ほど、ぼさぼさのプラチナブロンドでうだつが上がらなそうな雰囲気がある。だが、穏やかな物言いで、優しくユリアーナに語り掛ける。


「あとは今日明日と様子を見て、というところかなぁ。熱が出ていて、それがどうなるかというところでね。熱冷ましは飲ませているんだが、傷由来の発熱なのでそれを抑えすぎるのもよろしくない。かといって、熱が出すぎるのもよろしくない」


「そうなんですね……」


「彼とは知り合い?」


「いいえ、ただの通りがかりです」


「そうか。いや、でも連れてきてくれてよかった。あのままでは死んでいただろうからね」


 知っている、とユリアーナは思う。あれは何度めだっただろうか。心を鬼にして彼を放置して。結果、彼は死んでしまった。腐敗した死体をどうしたらいいのかと途方に暮れて、怖くなってそのまま放置をした。二度は見ない、とそれきりだったことを覚えている。ずっと心の中で「彼を自分が殺してしまった」と後悔が残り、苦しい生だったと思う。思うだけで、本当にそうだったのかは、なんだかピンとこないけれど。


「それじゃあ、このまま彼はこちらでお預かりするよ。元気になったら、知らせようか?」


「えーっと……」


 どうしよう、と思うユリアーナ。確かに、ラファエルとの接点を最低限にとどめておくには知らせはいらないと思う。いや、そもそもクライヴに見せた時点で、ラファエルは救われて、怪我が治ったらこの森を出ていく。それは決まっているのだ。


 ならば、これ以上の接点はいらない、と思う。だが、「いりません」と口に出そうとすると、胸の奥が痛む。じんわりと悲しい気持ちが広がって、涙が溢れそうになる。ユリア―ナはそれにハッとなり、胸と胸の間を指先でトントンと叩いた。


「ユリアーナ?」


「あ、いえ、いりません。大丈夫です。特に関係はありませんから」


「そうかい? もし、彼が命の恩人に礼を……なんて言い出したら……」


 ずきん、ずきん、と胸の奥が強く痛みだした。が、ユリアーナはそれを我慢をして「いいです。いらないです」と答えた。クライヴはそれへ「わかった」と頷く。


「じゃあ、わたしはこれで」


「ああ。ありがとう。森に住んでいるのかな?」


「はい。西の区画にいます」


「そうか。何かあれば、気楽に声をかけて」


「わかりました。ありがとうございます」


 そう言ってユリアーナはクライヴにぺこりと頭を下げた。すると


「あっ、ユリアーナさん、良かったらこれを持って行ってください」


 と声をかけて、カミルが小さな袋をユリアーナに手渡す。


「お茶です。昨日、町で購入してきたんですけど、とても美味しかったので」


 微笑むカミル。森に棲んでいる者同士は助け合う。そういう約束になっている。なかなか互いに会うことは出来ないが。カミルが茶を持たせようとしたのは、そういうことだ。森に暮らしているだけで、互いに「身内」意識が出来るのだ。不思議なものだとユリアーナは思う。


「ありがたくいただきますね」


 そう言って受け取り、ユリアーナはクライヴの家をあとにした。

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