第2話 10回目が始まる

 目覚めれば、朝。

 ユリアーナはベッドでむくりと起きて、しばしぼんやりとする。何か、とても長い夢を見ていたような気がする。だが、内容をまったく覚えていない。


「あれ? ここは……どこ……?」


 部屋を見ても、ベッドを見ても、なんだか見慣れない場所。見慣れないが、どこかで「自分の部屋だ」とも思う。しっくりと来ない感覚に顔をしかめて、まずはベッドから降りた。


「ううーーーーーん!」


 伸びをする。背に生えている黒い翼がばさりと広がって、それから再び折りたたまれる。


「なんだろ? 何か、変な夢を見ていた? ううーん……」


 そう言って、古ぼけた姿見を覗き込む。そこには、明らかに「自分」が立っていた。すらりとした体つき、若々しい肌、少しぼさぼさの茶色い髪に、琥珀色の瞳。うん、今日もまあそこそこ可愛い……そんなことを思いながら、胸下まで伸ばした髪を手櫛で整えつつ、ふわあ、とあくびをする。


 寝間着を脱ぎ捨て、椅子の上に雑に置いていた衣類を手にとる。服の背中は翼がある場所を避けるため腰近くまで開いており、首の後ろと腰の少し上でリボンを結ぶ形になっている。服を着たら、家を出る。


 緑が茂る森の中。日差しはまだ弱い時刻だ。家の裏には水を貯めてある大きな樽が2つ並んでいて、そのうちの片方から水を汲んだ。それから、ばしゃばしゃと顔を洗って、水しぶきを飛ばす。


「はぁ~、さっぱりした」


 裏口から厨房に行く。昨晩残しておいたスープを温める横で、茶を飲むために湯を沸かす。その間に、少し硬くなったパンを出して、茶葉を出して、それから……。


「どうして?」


 一瞬、そう呟いて動きを止める。何故、自分はここにいるんだろう。何故、自分は当たり前のように「他人の家で」食事の用意をしているんだろう。何故……。


 今、自分は何を考えた? ユリアーナはぱちぱちと瞬きをしてから、温まったスープを皿に移した。と、誰かがドアをノックする音が聞こえたので、慌てて入口へ駆けていく。


「はーい!」


「おーい、ユリアーナ!」


 ドアを開ければ、同じく森に住んでいる青年デニスが立っていた。


「おはよう、デニス」


「おはよ。これ、今朝採ってきたんだけどちょっと量が多くて。母ちゃんが、ユリアーナにも分けてやれって言ってたからさ」


「わあ、ありがとう! 量が多いって、どうして? ジャムにすれば良いのに」


 木苺が大量に入った籠を受け取って、ユリアーナは嬉しそうに笑う。


「明日からうちの家族、行商に出るからさ。またひとつき帰ってこなくなるんだ」


「あっ、明日からなのね」


「ああ。お前が作った銀線細工、きっちり売ってくるからな」


「うん! お願い。気を付けて行って来てね」


 デニスはあっさりと手を振って去っていく。ドアを閉めて籠をテーブルの上に置いてから、厨房に戻るユリアーナ。


「そっかぁ、明日からまた行商に行くのか……じゃあ……」


(ラファエルが森で倒れているのは、一週間後ね。どうしよう。今回は拾おうか、それとも……)


 ふわりと脳内でそんなことを思う。ラファエルが。森で倒れているのは。一週間後。突然脳裏に浮かんだ情報に疑問を持つ。


「え?」


 一体、それは何のことだろう。ユリアーナは「今、わたし何を考えたかしら……?」と不思議そうに首を傾げ、いや、気のせいか……と思うのだった。




 食事を終えたユリアーナは、さて、今日は……と考える。先ほどまでぼんやりとしていたのは、食事をしていなからだと思っていた。だが、食べても、食器を片付けても、体を動かしても、どうにもすっきりしない。


(今日って、何をする日だったんだっけ……)


 脳内に霞がかかっているようで、はっきりとしない。そもそも暦。そうだ。暦がピンとこない。


(ギルドに……? それとも……食料を買いに行くんだっけ……?)


 それとも。


(ラファエルを助けに行くんだっけ……? いや、違う、それは一週間後……)


 ずきん、と走る頭痛に顔をしかめる。ラファエル? それは誰のことだろうと一瞬思っては、思考が鈍って何を考えていたのかがわからなくなる。


「うう……何? 頭が痛い……寝すぎかなぁ?」


 頭痛薬。そうそう。いつも飲んでいるやつを飲もう。先週、ドラッグストアで購入したばかりのいつもの。食後に2錠、糖衣錠じゃないやつ。そう考えてから、ユリアーナは


「とういじょう? 何それ?」


 とポカンとした。


「違う。えっと……」


(そうだ。ラファエル……?)


 痛む頭を押さえながら、ユリアーナは思う。そうだった。ラファエルを「今回は」どうするかを早急に考えなければいけない。


 いつも、ラファエルが森で倒れている一週間前に巻き戻る。悩む時間はいつも一週間だ。


 脳内に残っている記憶はバラバラで、全て一貫して覚えているわけではない。切れ切れで、曖昧なことが多い。だが、ラファエルを見捨てた時は、罪悪感に苛まされ、そのまま死亡した遺体を放置するしかなかったことは覚えている。そして、ラファエルを助けようと自分の家に連れてきてもうまくいかなかったことを覚えている。


(覚えている? 何を? わたし、何を考えているの?)


 切れ切れの記憶のピースがふわりと脳内に湧き上がって来る。それらは、関係がないようで関係がある。そして、考えなければいけないけれど、考えられるほどきちんと紐づいていない。ユリアーナは混乱をした。一体何を考えているのかわからないのに、その反面「それが何なのかわかる」のだ。


(ああ……クライヴ先生も……)


 そうだ。この一週間で、クライヴとカミルに会うかどうかも決めなければいけない。彼らと知り合いになってからラファエルを拾って、クライヴたちに見せるか。それとも、一切クライヴたちとは知り合いにならずに、ラファエルを単体でクライヴの家の前に放置をするか、それとも……。


「何……何を……言ってるの……ラファエル……? クライヴ先生……?」


 頭を両手で押さえて俯くユリアーナ。自分であって自分ではない者の記憶が脳内にある。ちらちらと思い出すものは、既に見たものであり、だが、まだ見ていないものだ。時系列がおかしい。同じようなシーンで、選択肢を複数選んだ、そんな気がする。それは、自分が重ねた「回数」だ、と彼女はまだ気づかない。


「うう、う……う……」


 どんどん頭痛は激しくなっていく。彼女の脳に湧き上がりだした多くの記憶は、整理が出来ない。一つ一つを理解する前に、次の記憶が映像として、音として、ごちゃごちゃになりながら再生される。その映像と音は、それぞれが別のものだ。


「あ、あ、あ」


 どうにもならないほど、頭が痛い。それだけではなく、息苦しい。はっ、はっ、はっ、と荒い呼吸を繰り返し、ユリアーナは突然、何故かわからないが「文言」を叫んだ。


「ああ、ああ、ああ……あっ……お願い……『白き光の神よ、助けてください』……!」


 その叫びに、どこからか『助けましょう。これは、今生の一回めです』と声が聞こえたが、彼女はそれを聞いている余裕すらなかった。


 突然、ぱあっと彼女の視界は光に溢れて、何も見えなくなる。


「なに……?」


 目を閉じて、その光の眩しさに耐えるユリアーナ。やがて、目蓋を通過するほどの光は徐々に弱まり、ゆっくりと彼女は瞳を開けた。


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