第8話




マーリンと話し合いをした後、戻ってきた一輪さんが頭を下げる。話し合いの結果、やはりまだ宿泊施設については案内をしてもらえないということらしい。代わりといってはなんだが、施設内の他の場所を目一杯案内します!とのことだ。前回は五十音さんだけが施設内を案内されていて、その時ぼくはマーリンと大聖堂の部屋で対談していたため、ぼくが案内されることで五十音さんでは気づけなかった何かに気づける可能性はあるし、そう考えれば案内される価値はある。が、結局は前回五十音さんが見てきた部分の調査の焼き直しと言えばそれまでなわけで。それだけでは十分な収穫とは言えないだろう。そして、五十音さんが体を張ってマーリンから情報を引きずり出そうとしている間、大した収穫がなかったとあっては、翌日にはぼく自身が五十音さんの手で行方不明にされてもおかしくはない。……いや、そこまではさすがに……いや、おかしくはない。

どうしたものか、と考えてみるが、悩むほどの選択肢はない。そしてそんな中で選ぶのは

「(なんとか一輪さんを撒いて、一人で施設を見て回るしかない)」

選択肢、というよりも希望のようなものだ。とはいっても、この施設の外観がそこいらの雑居ビルと変わらない以上、内部構造もビルの内装を少しいじってあるのが限界だろう。別段複雑な構造を内包していることはないと考えると、どこかの曲がり角で撒くなども困難だろう。それでも他に良い手も思いつかないのが現状だ。

スーツの裏ポケットに潜ませているスタンガンを服の上からそっとなぞって確認する。出来ることなら使いたくないが、どうしても撒く機会がなければ、これに頼る可能性もある。体に影響が残るほどの電圧ではないが、常人ならしばらくは意識が飛ばせる。どこかでこれを不意打ち出来れば晴れて自由の身だ。調査に際して他の教団員に会ったところで、信徒用の衣装やシンボルがあるわけでもなさそうなので、ぼくのこともこの教団の信徒もしくは相談にやってきた信徒希望者と思って見逃してくれるだろう。

そんな算段を立てながら、一輪さんに施設を案内されていく。ぼくらが既に利用している談話室から相談室、大聖堂、受付窓口にトイレの場所など。一輪さんはそれぞれの場所の利用方法からその場所であった思い出話や最近あった小話などを交えて丁寧に説明をしてくれているが、概要としては五十音さんから聞いていた内容と変わりのないものであり、改めて直接見てみたところで新たに気づけるものもなかった。これはこれで彼女の施設案内の公正さの証明にはなったが、そこはもとより疑ってもなかったから収穫と言うには物足りない。身振り手振りを交えながら懸命に施設の案内を続けていく一輪さんだったが、大聖堂奥の部屋まで来たところで足を止める。部屋のほうへ目を向けた自分もすぐにその理由に気づいた。

前回その部屋を使った自分だから知っていたことだが、部屋の扉には、使用中か否かを示す札が外側に掛けられているのだ。おそらくは、こういう部屋で内鍵をつけることを避けるための仕様だろう。鍵がかけられては困るが、中に人がいるかどうかもわからないと困る場所に対して正しい仕様だ。そして前回自分が利用する際にはもちろんそれは使われていた。

しかし今、マーリンと五十音さんがいる場所のそこに使用中の札が掛かっていないのだ。

「おかしいですね~?この時間ならここに居なければおかしいはずなのですが……ちょっと探してきますね~」

対談の部屋を変えでもしたのだろうか、と呑気に構えていたぼくに比べて、先程までの意気揚々とした様子から一変し、真剣な表情でその場を後にしていった一輪さんの様子に面食らう。発言の内容にしても、『居なければ』という言い方をしていたのが引っかかる。

五十音さんのことは信頼している、多少のことでは平気でいることだろう。しかし、この奇妙な状況にあってなお全幅の信頼を置き続けられるかというと難しい。不信を抱くほどではないが、無事を祈るには十分な事態だ。

そして今なら、その祈りを届けるために出来ることがあるはずだ。

幸い、一輪さんが自らどこかへ行った今、施設のどこかへ移動しているマーリン、そして五十音さんを探しに向かうための枷はない。

そうだ、そもそも部屋でも移動したのだろうなどと考えていたが、ならいったいどこへ移動したって言うんだ。この施設は複雑な構造でもない、雑居ビルの内装をややアレンジしただけのような施設だ。だったら、さっきまで他の部屋を順番に見て回っていたぼくと一輪さんとどこかで鉢合わせている方が自然なはずだ。なのに、鉢合わせもしなければ、どこかへ移っている様子を見かけもしていない。

……なら、一輪さんは今どこへマーリンたちを探しに向かったんだ?ここまで見てきた部屋にいる可能性は低い。であれば、まだ案内していない場所に向かうべきだ。それなのに、案内の途中であるぼくをわざわざここに置き去りにしてまで急いで向かう場所……それはつまり、ぼくに来られては困る場所へ探しに向かったのではないだろうか?それこそ、案内を断られた宿泊施設に、いや、もしかしたらそれ以上に重要な場所に……!?

「(一輪さんを追うしかに。その先に、何かある……ぼくの探偵としての勘が、そう言っている!!)」

腹を括り、先程走り去った一輪さんの後を追うようにして、大聖堂を後にした。


逡巡はあったものの、視界から見失う前になんとかその後ろ姿を追い始めることが出来た。廊下の先を曲がり、階段のある踊り場に出ると上の階へ急いで向かう一輪さんの姿が確認できた。足早に階段を上っていく姿にはかなりの焦りが見える。これなら後ろから来ているぼくに気づくこともなさそうだ。このまま二階へ向かおう、と階段を上っていったぼくの前に現れたのは、階段の途中、踊り場に着いたその先に唐突にそそり立つ無地の壁だった。もちろんそこに一輪さんの姿はない。

「(!?なんだ、これは……壁?なぜこんなところに……?)」

見た限りではなんともないただの壁だ。だが、ここに一輪さんの姿がないということは、この壁になにか仕掛けがあるのだろう。

「(一輪さんはどこへ……まさか、この壁の向こう……?)」

いわゆる隠し扉のようなものでもついているのだろうか、そう考えて壁に触れようと手を伸ばす。すると、そこにあるはずの壁の感触はなく、触れようとした指先はなににたどり着くこともないまま壁の向こうへすり抜けていく。

「(なんだこれは……幻覚か……?)」

およそ日常生活で馴染みのない単語が頭に浮かぶ。しかし、そうとしか言いようがない目の前の現象に息を呑む。

「(すり抜けられる、となると……行くしかない!)」

ここで引き返して他を漁るという手もあるにはあるが、それで時間を浪費してしまえば今目の前にあるこの謎の空間に、今後手を出せるという保証もない。そもそも、この施設の中を自由に見て回れる今の状況が既に奇跡的なことだ。なのにこんな怪しい場所の捜索を次に回す余裕はない。

そう決意して、いざ壁の向こうへと踏み出す。すると、本来あるべき場所に上ろうとした階段はなく、あるべき位置よりも下の方に階段の続きが、なぜか下り階段として存在していた。さっき上ってきていたはずの階段が、この壁と踊り場を境にして下りへと変わっているという状況だ。

当然、本来あるべき階段を踏みしめようとした足先が宙を踏むことでバランスを失う。ともすればこのまま階段を転げ落ちてもおかしくはない事態だったが、物音一つ立てることのない静かな差し足で下り階段へと着地することが出来た。元アイドル時代に鍛えさせられた体幹とバランス感覚の賜物だ。

そのまま忍び足で階段を下りていく。先程までに上ってきた階段よりも今下りている階段のほうが明らかに長いので、こうして下り終えたこの場所は地下なのだろう。窓からの光もなく、灯りの設置も少ないせいで空間全体がどうにも薄暗い。

そして、その先の廊下をそっと覗くと、そこにはマーリンと五十音さんの姿が確認できた。だが

「(五十音さんは……あれは、意識があるのか……?)」

光の消えた目で中空を眺め、心ここにあらずという様子のままマーリンのあとをついて歩く五十音さん。明らかにまともな状態ではない。そして、そんな状態の五十音さんを平然と連れ歩いているマーリン。誰が五十音さんをあのようにしているかは明白だった。

しかしここで、彼女を返せ!と突っ込んでいったところで同じ状態にされておしまいという可能性も十分にある。なんせあの五十音さんがそうなっているのだから。

それに、胸を張って言えることではないが、ぼくは五十音さんに比べれば明らかに戦闘能力は劣る。もしあの状態の五十音さんがマーリンの味方になるような催眠を受けていたとしたら、真正面から勝てる可能性はゼロに近い。このままうまくマーリンを追跡して不意をついてみるにしても、果たしてそれで五十音さんがもとに戻るのかもわからない。まだ、焦ってはいけない。今はまだ、慎重に彼らの後をつけていくのが賢明だろう。

しかし、ただこうして見ているだけで終わってしまっては元も子もない。よって、あとで不意をついてみるために、その一助となるものを先んじて仕掛けておこう。そう考えて、ポケットにしまっていたあの目覚まし時計を取り出す。そして目覚ましを10分後に設定して下り階段のそばに潜ませておく。これで、10分後にはあの独特な目覚まし音が鳴り響くことになり、その音に気を取られたマーリンの不意をつこうという計画だ。ただ何もせずに自然と隙が出来るのを伺うよりはマシな作戦と言えるだろう。そうこうしている内に件の二人は廊下をカツカツと進んでいく。彼らを見失わないように追跡に戻る。


歩いていく彼らの尾行を続けていると五十音さんの様子に変化が見られた。先程までの茫然自失な状態から意識を取り戻したのか、いつもの鋭い目を取り戻した彼女は咄嗟に周囲を確認し始めた。先んじて彼女の変化に気づいたおかげでうまく身を隠せてよかった。ひとしきり確認した後、目の前のマーリンを睨むように見入っている。そんな彼女の様子に振り向かずとも気づいていたのか、五十音さんへの一瞥もないまま声をかけ始めるマーリン。他に物音もないおかげか、彼らの会話の内容が澱みなく耳に届く。

「さて、百音さん。ここでしか話せないことでしたので、いきなりのことで申し訳なかったのですがここまで来ていただきました」

「ここでしか話せないこと……他の信徒には聞かせられない話ってわけ?」

挑むような声色で言葉を返す五十音さん。普段の彼女とのやり取りからは考えられないほどに余裕がないことが声色から十分に伝わってくる。先ほどまで意識を奪われていた相手が目の前にいるのだ、無理もない。

「はい、そういうことですね。まずはそう、ここが……この地下が、あなたの来たがっていた場所です」

「……どういうこと?」

「つまり、あなたが見たいと仰っていた宿舎、それがこの地下にあるのです」

そう答えながら再び歩を進め始めるマーリンに、警戒しながらもついていく五十音さん。そのさらに後ろをバレないように尾行していく。

しかし、ここが宿泊施設だというのにはぼくも驚きだ。てっきりカーテンで閉じきっていたあの二階こそがそういう場所だと思っていた。

「(そういえば五十音さん、ふつうに本名で呼ばれているな。やはりあの司祭には変な偽名は通じなかったのか……?)」

聞き取った会話で感じた妙な違和感に納得した。まぁ、あれはさすがに……というかあれを許容してくれるひとが果たして一輪さん以外にいるのかも怪しいくらいだから、仕方ないか。

少し歩いた後、とある部屋の前でマーリンが足を止める。曲がり角の影からその様子を覗き込んでいると、部屋の扉を開け、その中を五十音さんに見せているようだ。見せられた五十音さんは目を見開くような反応を見せたが、中はいったい……?

「宿舎……というよりは、独房みたいね」

「なにぶん、建築は得意ではなくて……しかし、部屋数を確保するためにも、やむを得なかったのです」

歯がゆそうな表情でそうこぼすマーリン。

「そう……部屋の数はどうしても必要だったのね。でも、確か宿泊施設の利用者っていうのは、あなたの方から然るべき人物に声をかけて選んだって話を聞いたけど?」

そうだ、それならばもっとちゃんとした施設が整ってから声をかければいいのでは?と思うのは自然だろう。なにも宿泊施設に多くが押しかけてきてその全てに対応しなければならないわけではないのだから。それともその然るべき人物というのは何に置いてもいち早くこの宿泊施設に連れてくる必要のあるものだというのだろうか?

埋まっていく情報の肝心な部分のピースが足りずにもどかしく思っているところで、マーリンたちに駆け寄ってくる一人の女性が確認できた。一輪さんだ。どうやら彼女もこの地下に先に来ていたようだ。ぼくより先を行っていた彼女をこの地下で見かけていなかったことは正直不安だったので、この登場には安心した。

「こちらにいらしたのですね。ふぅ……司祭様がご無事でよかったですが、お気をつけてくださいね」

「心配してくれたのですね、ありがとう一輪」

「いえいえ、どういたしまして。では、私はここに居ても仕方ないので一度上に戻りますね」

そう言って司祭に別れを告げた一輪さんが踵を返しこちらに向かって歩いてくる。

「(この地下で見つかるのはマズいな……五十音さんには悪いけど、一度戻らないと)」

五十音さんたちのやり取りの続きは気になるが、ここで見つかって揉め事を起こしては元も子もない。一輪さんに見つからないように急いで来た道を戻る。

今は引き返すとしても、五十音さんをあのままにしておくわけには……なにか策を講じなければ……。

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