第7話
「先日は話ができませんでしたね。今日もようこそいらっしゃいました」
森野、一輪と別れた後、マーリンと二人きりで例の大聖堂の部屋にて話を始める。
「ええ、昨日騒いだことについては一応謝っとくわ」
「いやいや、よくあることですから。気にされなくて大丈夫ですよ」
朗らかな笑みを讃えてそう語るマーリン。少しは怒られるかと思ったが、まるで些事というように扱われ、森野から聞いていた以上の懐の深さを感じる。というか、あんな状況がよくあるってのもどうなのよ。
「それで?どんな相談でも乗ってくれるんだっけ?」
腕を組み椅子に背をもたれさせ、挑発するような目で相手を睨む。
「はい。とはいえ、私には話を聞いてあげることしか出来ませんが」
「あら、聞くだけなの?」
少し意地悪な返事も、彼は髭をさすりながら微笑んで聞き入れる。
「そうですねぇ、こんな身なりと名前をしてはいますが、生憎私は魔法が使えるわけでもありませんからなぁ。ほっほっほっ」
そんな茶目っ気のある返事をどう受け取ったものか。仕草なんかも見てみたところで私なんかには何かわかるわけでもなし。そもそもこういう探り方は森野向きのものであって、自分はその後に生じる物理的ゴタゴタを処理する役が向いているのに。
「魔法は使えない、か。……そうね、薬は魔法じゃないもんね」
ハンッと一笑を添えてそう返す。端から見れば幼稚な挑発でしかないが、他に打つ手も思いつかない。
「そうですなぁ……。やはり、お話を聞いて差し上げるだけ、祈りをするだけでは救われないものもおりますので」
憂いの表情を浮かべながら少し辛そうにぼやくマーリン。真に迫ったその表情を見ていると、これから腹を探り合おうという相手にも関わらず、同情の気持ちが湧きかける。おそらく、森野から聞いていた“心に取り入ってくる”というのはこういうことなのだろう。このまま飲み込まれれば、この真摯な神父へくだらない挑発を投げることだってできなくなるだろう。
「祈りなんてただの自己満足。薬だろうがなんだろうが解決に必要なら使うべきだってのは私も思うわ」
彼の今までの所業への同意を示しながら片手をひらひらと振る。これはあくまで持論のつもりで答えたつもりだ。だが、今見せられた彼の曇った表情に、同情でも誘われてしまったから同意したのではないかと、そう問われたとして果たして完璧に否定できるだろうか。今は出来たとして、会話を続けていく中で、いつまでそう考えていられるだろうか。
「はい、私も同じように思います」
「…………薬でどうこう出来るとは思わないけど、少し聞いてもらえるかしら」
視線を彼ではなく天井へと向けたまま話を切り出す。彼の目を見ながらこんな事を話してしまえば、本当に心からこの施設に通うことになるかもしれない。ほんの少しでもそう思ってしまった不安が、私の視界から彼を押しのけた。いや、私の視界を彼から押しのけたのだ。
「はい、私でよければ」
「じ、実はあたし……」
今度は床に視線を落としながら、震えた声でぽつぽつと告げる。
「彼との結婚、かなり迷ってんの!」
意を決して彼の方に向け、言葉を吐き出す。私なりに考えてきた嘘の言葉を。
「ほほぅ……」
立派な髭を指でなでながら、値踏みするようにこちらをじっくりと見据えてくるマーリン。
「だって聞いて?八歳差よ!?八歳!あたしら成人してるからいいように思えるけど八歳差なんて犯罪みたいなもんよ!?」
嘘だと見抜かれないようにわたわたと動き散らかしながら話を続ける。この行為こそがもはや嘘をついている証明なのではと見破られるかもしれないが、その時はその時だ。
「しかもあいつったら、昼寝中の彼女にわけわからんオタク用の目覚まし時計をもってきて無理やり起こしておきながらその時計が私への『手土産』ですって!なによそのセンス!?ほんっっっっっと頭湧いてんのかと思ったわ!!」
このくだりについては本心で話せたのでとても楽だった。
「なるほど……それは確かに、なんというか……大変ですなぁ……」
苦笑しながら同意を示すマーリン。こちらが荒ぶりすぎていたのか若干引いているように見える。うーむ、やりすぎたかしら。
椅子に深く座り直し、一旦体と心を落ち着けてから、話を戻す。
「でもさぁ、あたしももう25歳じゃん?このままぼけっとしてたらアラサーじゃん?今の仕事や生活で他に出会いがあるわけでもなし、あいつ逃したらそろそろまずいかも知れないわけじゃない?かといってアレと残りの半生生きるかって言われたらちょーーーーーっと踏み切れないわけよ」
「なるほど……。しかし、私にはお二人はお似合いに見えますぞ?一輪もあなたたちのことは楽しそうに話してくれました。まぁ、聞いていたのとはいささか話が違うようですが」
朗らかな笑みをたたえてそんな感想を述べてくる。そういえば一輪とかいう子の前ではイタいカップルの演技で通してたわね。今日はもうやんなかったけど。あんなの連日でやってたら別の施設で胃の穴を診てもらうことになると痛感したもの。
「そりゃ、外からはそーだろーけどさ~~~。なんとかなんないかしら~~~?」
椅子をギコギコと前後に揺らしながらぶーたれる。なにかあるならなんとかしてみろ、と。我ながらとんでもない無茶振りよねこれ。某猫型ロボットにすがる小学生の気分だ。
私の馬鹿馬鹿しい無茶振りを聞き届けたマーリンは、用意されていた紅茶をゆっくりと一口すすり終えた後、神妙に呟く。
「神に、自らの出会いを願うのも有りだと思いますぞ」
こちらの耳に聞かせるのではなく、まるで心臓にでも直接語りかけてくるかのようなその一言に、思わず息を呑む。
「神に、ねぇ……。そうは言っても、何の神様に?ここには神なんていないって聞いたわよ」
「それは特定の神を定めていないということで、むしろここは全ての神を受け入れています。私にも信仰する神がいますし、あなたにも信じている神様はいるのではないですかな?」
説明とともにこちらに手の平を差し出すマーリン。それは野生で言えば降伏のサイン、さながらあなたの考えも信仰もすべて受け入れますよというジェスチャーなのだろうか。
「なるほど、八百万ってやつかしら。洋風なわりに随分と日本的な考え方をするのね、ここは。……でも、あまり聞いたことないわね、そんな思想の宗教団体ってのは」
そもそも宗教団体における崇拝対象となる神様というのは、その団体の思想を束ねるのに利用されるのが常だ。それを自由に設定して自由に信仰していいなどとすれば、宗教団体としての体裁を維持できなくなって然るべきだろう。
「そうですなぁ、私のこの考えもまた、なにかの神にしたがってということではないのです。ただ、信徒の方が抱く神の存在を否定したくないゆえのものでして」
「それでどんな神様でも、どんなものを神様とすることでも受け入れるってことね。それなら、言ってしまえばこの宗教の事実上の神様はアンタってことになるのかしら」
先日の一輪の言動からしても、この男はまさにこの団体の信徒へ教えを説き、導く、まさに神といえる存在だろう。そしてこの宗教団体のシンボルマークとしても問題ない立場と実績の持ち主のようだ。たとえ彼以外にすがるものを抱く信徒がいても、複数の神の共存が許されるというのであれば、並行して彼を崇拝するというものもあり得ることだろう。
「ほほっ、私はそのような高尚なものではありませんよ」
照れるように小さく微笑みながら否定してくるその笑顔で、いったいどれだけの信徒を信徒せしめたのか。
「ハッ、どうかしら」
鼻で笑って返す。とんだ神様がいたものだ、と。
「たしか、一輪って言ったかしら。あの子の話を聞いた感じ、随分と信用されているご様子だけど」
「そうですな……一輪、あの子は特に私のことを信じてくれています。ですが、私のこの考えは必ずしも理解を得られているわけではないのです。それでも、賛同してくれている方々が確かにいる……ありがたい、話ですな……」
まるで愛おしい家族のことを思うような表情で語るマーリン。どうも一輪という子の話は、彼女のマーリンへの信頼でやや誇張表現があったのだろう。さすがにまだまだ新興の宗教団体ゆえに、うまく馴染めていない、信頼を得られていない相手というのもいるようだ。それこそ、私や森野みたいな様子の信徒が他にいるのかもしれない。
「……そういえば、この活動はいつから」
基本的な部分について確実な情報を出せていなかったことに気づき、聞いてみる。
「私個人では、数年前から活動しています。こうして団体の体裁を取りはじめたのはここ数ヶ月でのことになります」
「ふーん……本当に宗教団体としては新しいほうなのね」
「私個人の思いとしては、宗教というつもりはなかったのですが、より多くの人を受け入れていっている内に、いつの間にかそういうことになってましたなぁ……」
「あらそうなの?」
「先程も申しましたが、信仰する神にも縛りはなく、団体としてのちゃんとした規約などがあるわけでもないですからなぁ」
それこそ昨日の私達のような変人を団体の一員に誘おうとしたくらいだ、入団に限らず信徒としての活動に対しての厳しい規約などもないのだろう。その寛容さを活かした成功ということなのか。
「宿泊施設なんてあるくらいだから元々大人数を受け入れるつもりだったのかと思ったわ。でもいまのくちぶりだと、人が増えすぎたので、宿泊施設にもなる団体としての施設を作らざるを得なくなったってことかしら」
「……そういえば、宿泊施設があると、よくご存知でしたなぁ。ですが、あれは事情のある方のためなので、それ以外の方には原則案内をすることもないのですが」
「宿泊施設については昨日、その一輪っていう子から聞いたのよ。それよりも、事情って?」
でっちあげの嘘で宿泊施設の情報元については煙に巻く。まぁ、これで本来はあの一輪って子が今までの私達との会話を一言一句違わず司祭へ報告するようにつとめていたりすればおじゃんだが、他に誤魔化しようもない。
「なるほどそうでしたか。ですが、それ以上の詮索は、申し訳ないがどうか諦めて欲しい。あなた達がしかるべき方々であればこちらから声をかけさせていただいているので、どうしても事情が気になるのであればその時に」
申し訳無さそうに頭を下げ、話を打ち切るマーリン。ここまで言われてしまったうえでさらに問い詰めてしまうのは怪しまれるうえに、情報も得られない可能性も高いだろう。宿泊施設の利用条件については、また機会を見て伺うことにして今は諦めよう。
「ふーん……まぁいいわ」
今はまだこの施設のどこになにがあるのかも、他の信徒やらが何人いるのかもわからない状況だ。ここで暴力などに訴えて情報を吐かせようというのは悪手だろう。
「ただ、その代わりにといっては何ですが、利用できる事情については伏せたままになりますが、宿泊施設そのものについては案内して差し上げましょう」
「あら、本当?」
正直、そこまでしてもらえると思っていなかったのでこれはラッキー。
「えぇ、本当です。どうぞ、こちらへ」
まるで悪意を見せない笑顔で案内を続けるマーリン。急にどうしたものかと思ったが、ここに来て引き返せば今度は自分が相手に疑われてしまいかねない。そうなれば、ここをまた同じように調べにこれるかは怪しい。
「(……このチャンスを逃す手はない、か)」
案内されるがまま、マーリンの後についていく。廊下を進み、上階へ向かう階段を上る彼に続こうとしてギョッとする。
「……これは?」
確かに自分とマーリンは今、階段を上っている。にも関わらず、目の前には突如として無地の壁があるのだ。いったいどうしてなのか、上っていこうとしているその階段、その踊場まで来てさらに上階へ向かおうという場所にまるで行き止まりのように壁がそびえているのだ。
不思議な光景に目と意識を奪われながらも、耳だけはマーリンが微かに言葉を紡いでいる事実に気づいた。まるで呪文のようにいくつかの言葉をつなげて紡いでいるようなその言葉をよく聞き取ろうと耳を傾けたところで、自分の意識が明滅するような感覚を受けたかと思うと、そのまま意識を落としてしまった。
どのぐらい経ったのだろう。失っていた意識をようやく取り戻し、周囲を確認する。
そうしてすぐに気づく、先程まで自分が居た場所とは明らかに違う場所に自分がいること、そしてそこに先程までと同じようにマーリンがいることに。記憶が確かなら、最後にいたのは上り階段の途中、踊り場からさらに上へ向かおうとしたところに妙な壁があったのを覚えている。
そして今、自分は薄暗い廊下の只中に立っている。建物の内装等を確認するにおそらく同じ建物であるのだろう。しかし、意識を失いなおかつ別のところへ連れて行かれたという事実は、驚愕と恐怖を人の心の芯の部分からなで上げてくる。
何をされたのかはわからない。だが、確実に何かをされたのだという結果だけで、背筋を冷たいものがつたい、肚に落ちる。
警戒はしていた。油断という油断もなかった。だというのに、こんなにもあっさりと意識を奪われ、あまつさえその間に壁の裏側に移動までさせられていたということに一時撤退も考える。しかしもう後ろは壁に阻まれている状況だ。進むしかない、そう言い聞かせ自らの意思で階段を下る。
このままいけば自分は無事では済まないかも知れない。そう強く実感した時に脳裏によぎった相手だけは、せめて無事でいてくれることを祈りながら。
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