第4話




案内された部屋は先程までの部屋と同じような机に同じような椅子、そして机の上には同じような給湯器。扉をくぐったようでくぐれてなかったのかと勘ぐりたくなるような状況だと思ったものの、決定的な違いというものも確かにあることに気づいた。

壁に、無数の穴が開いていて、いわゆる防音加工が施されているのが見て取れた。学舎の音楽用教室の壁を思い浮かべてくれればそれが正解だ。四方の壁には窓枠などもなく、この部屋で発生する音源が極力よそへ伝わることがないようにされているようだ。

表向きの話で考えれば、悩みの告解に際して、その内容が部屋の外の誰かに聞かれてしまわないためのことなのだろう。しかし、これほどの防音環境、悪用できないということはないだろう。極端な例で言えば、今この部屋でぼくらがどんな悲惨な目にあって、どんなに大声で助けを求めたとしても、建物の外はおろか、先程の部屋の前の廊下にさえ声が届くとは限らないわけなのである。そう思えばどうしても緊張はほどききれず、誘われるがままに座った椅子にも背中をゆったりとは預けられない。

「どうぞ、ゆっくりお話しましょう」

部屋に入ってから流れるような所作で二人分の紅茶をスイスイと淹れていた彼女は、これまた慣れたようにぼくらの前にその紅茶を差し出して人当たりの良い笑顔を向けてくれたのだ。

芸能界という仮面舞踏会で日々を過ごしていたぼくの目からしても、彼女の笑顔には悪意や害意があるようには見えなかった。しかし、ことはそう単純に捉えないほうがいい。たとえ『彼女自身の倫理観としては』悪意も害意も無かったとしても、一般的な倫理観にそれが当てはまるとは限らない。信仰や宗教にはそういう事態が少なくない。

特に飲食物などの類はそういう事例に事欠かない。コーヒーを常飲している人が、カフェインに慣れてしまうように、その団体の中で日常的に摂取されているものなどであれば、そこに何かが混ぜられていたとしても信徒たちはその違和感に気づけなくなる。五十音さんもぼくと同様の考えなのだろう、出された紅茶を口元に運んだものの、コップの中身が溢れないようにしながら、わずかに口元へ傾けただけで、口に含まないようにしている。

「それで、本日はどのようなお悩みですか?」

ぼくもあんな風に飲んだふりでもしておくべきなのだろうか、いやでもあんなキレイに飲んだふりができるだろうか。などと紅茶に思いを巡らしていたぼくのもとへ、受付さんの口から立派な助け舟が来航した。これはもう乗るしかないとウキウキで彼女へ言葉を返そうと口を開いたのだが、横の五十音さんのほうがぼくよりわずかに早く口を開いて

「彼がインポで」

とんでもない黒船を出航させてしまった。

いや、言いたいこと、というかやりたいことはわからないではない。五十音さんとしては、およそ向こうが想定していないであろう内容の悩みをぶつけ、その反応を見ようというのだろう。エセ占い師や催眠術師なんかを相手どるときの一手なのだろうが、あの、なんというか、こう、手心というか、羞恥心というか……。

絶句、という表現しかできない状態の受付さんとそれを見て少し得意げにしている五十音さん。うん、そうだね、突拍子のない回答で相手さんが怯んだね。でもね、五十音さん。それはね、人として当然の反応なんだよ。

「すいません、彼女、情緒がちょっとアレなもので」

ここまで来てこんなしょうもない返答が原因で潜入失敗などになってはたまったものではないので、慌ててフォローを入れる。

「こんな突拍子もない話を始めるのもその一環で、悩みといえばそれが悩みみたいなものです」

そう繋げてなんとかお茶を濁すというか空気を変える。ぼくとしては急ぎにしてはうまくやれたほうだと思っていたのだが、五十音さんとしてはこの対応が気に入らなかったのか、殺気の迸った表情でぼくのほうを睨んできた。

「いえ、大丈夫です。ここはどのような悩みでも受け入れますよ」

そう言ってはにかむ受付さんだったが、声色からしてそういう悩みをしても大丈夫なようには聞こえなかった。本当にそういう悩みがあるならここより先に病院に行くべきで、そんな内容を躊躇なくぶつけてのけた五十音さん自身も一度病院に行くことを薦める。

「あの、やはり別々にされたほうが……」

失礼なことをいっぱい考えていた事を察せられてしまったのか、五十音さんがものすごくこわいかおでコチラを睨みつけていた。調査を依頼された化け物かな?

「ははは、大丈夫です。いつものことですので」

そう笑って流しながら五十音さんにだけ見えるように後ろ手で指を三本立てる。その指の意味するところを理解して渋々といった具合に僕に向けた漆黒の殺意を引き下げる五十音さん。三万か、痛い出費だが五十音さんにつなぐ首輪の代金としては仕方ない。

「(一本十万ね……)」

囁かれた五十音さんの冗談は聞こえなかったことにします。

「はぁ、そうですか。ところで、最初にお尋ねするべきだったのですが、その、入信されるのはお二人とも、ということでよろしいですか?」

「はいそうです」

笑顔のまま速攻で答えを返す。こんな五十音さんを一人で行かせられるか!俺は施設に残る!

「わか、りました。ここのことは詳しくお聞きになられてますか?」

あまりに食い気味で答えたので少し驚きながらも質問を続ける受付さん。まぁ、こういうところの受付ということなら、多少変な人の相手も慣れてるってことなのだろうか。……ん?もしかしてぼく今変な人だと思われてます?

いや、そんなことよりもどう回答するか……。さすがに依頼人のことをここで話すわけにはいかない。となると、ここについてはあまり知らないふりをして、向こうからこの施設についての説明を聞きたいところ。そこに依頼人からの情報を照らし合わせて怪しい部分が見つかれば調査の起点とできるだろう。

「いえ、そこまで詳しくは……」

困ったような声色でそう答える。横の五十音さんも目をつむり頷いている。

「そうですか、ではそこからご説明しますね」

受付さんは笑顔でそう答え、一拍置いてから施設の説明を始める。

「ここは祈りを捧げる場所です。ですが、他の場所と違って特定の神様などは居ないのです。」

「特定の神様はいない……ですか?」

その説明に疑問を抱く。先程の待受室で見かけたあの蛇と人のあわさったあの像……あれは、この施設で崇拝している神の像ではないのだろうか?

「先程、女神像を見ていただいたと思いますが、あれは司祭様の偶像なだけで、こういってはなんですが特に信仰において意味はないのです」

こちらの疑問を察して応えてくれる有能な受付さん。あれは女神像だったのか……言われてみれば人間の部分が女性だったような……いや、蛇のインパクトが強すぎて覚えてないな。にしても、偶像があんな形の像になる司祭というのもどうなのか。五十音さんも、見ると怪訝な表情をして話を聞いていた。おそらく、ぼくと近いことを考えているのだろう。

「司祭様は普段は施設の奥におられます。彼女に悩みを相談される方も入れば、ただ明日が良い日になるように祈る方もいます。この施設をどのように利用されるかは利用者の自由なのです」

そう言ってニッコリと微笑む受付さん。その微笑みにやはり悪意や憎悪は見られない、あまりにも純真な笑顔だった。

「たとえば、彼女の妄言が収まるように祈るのも?」

「はい。祈るのであれば、勿論すべてを受け入れます」

こちらからの冗談めかした回答にも笑顔で返してくれる。狂信的な崇拝ともまた違うような、この施設の理念そのものへの尊敬のようなものを彼女の笑顔から汲み取れた。隣に座る五十音さんからぼくへの怒りも表情を確認せずとも汲み取れた。いや、そんなに怒る権利があるほどまともな発言をしてないでしょうあなたは。

「また、司祭様は薬学に精通しておりますので、祈るだけでは難しいようであれば、ご希望の方には、その相談内容に沿った薬を作ってくださります」

と、思わぬところで大きな重要情報が出てきた。宗教施設のトップがお手製の薬を用意して与えるだなんて、もうそれしか考えられないほどのクロである。

「お薬だけでなく、このお紅茶も司祭様がおつくりになられてて、とっても美味しいんですよ!」

受付さんは、そう言いながら笑顔で紅茶を飲んでみせる。飲まなくて本当によかった。そう思っておもわずつきそうになる安堵の息をグッと抑えるものの、あまりに重要な情報を提示されてしまい、ほんの一瞬のこととはいえ緊張からか受付さんへの返答に窮してしまった。受付さんからの言葉に対して、不自然な間が空き、キョトンとする受付さん。

すると横から楽しそうに両手をブリブリとふりまくる変な人が出現した。五十音さんもとい松田聖子(偽名)ちゃんである

「え~~~?聖子、お薬こわ~~い」

昭和の少女漫画のブリっ子も引くようなブリっ子を披露しながら、思い出したようにぼくのほうへ距離を詰め、胸板を指でいじいじといじってくる聖ぴょんもとい五十音さん。

「こらこら、聖ぴょん。もういい大人なんだからお薬くらい飲めるようになろ~な~?」

ぼくもぼくでまた思い出したようにおのろけバカップル(推定IQ2)っぷりを披露する。何だこれ辛いなちくしょう。受付さんからのなんとも言えないものを見る目が本当に辛い。なんでも、なんでも受け入れてくれるって言ったじゃないですか……!!

「うん!」

ものっそい笑顔でご機嫌そうに返す五十音さん。だが、その指先がぼくの胸板に指文字を伝えてくる。皮膚を抉るかのような指圧で伝えられてきた指文字の内容は『あとでころす』だった。危ない事態を救ってもらった相手にあらためてころされるのは本末が転倒してませんか?

「ところでぇ、お薬とお祈りってぇ、そんなに関係があるんですかぁ?もう薬があるならお祈りなんかじゃなくてその薬で全部解決すればよくね……え、です、かぁ~~~?」

こちらのフォローだけでなく、こちらが聞きたいところも聞いてみてくれる優秀さは認めざるを得ないんですが、今度から潜入するキャラはもっと、こう、生身に則しましょうね。

「そうですね、基本的にお薬は皆様にはオススメしません。祈りがなかなか通じず、心を苦しんでいる方に対してだけ、お譲りしています」

そう説明を返す受付さん。なるほど、祈りを続けられるようにするための薬、というわけか。祈りたいことそのものの成功に直接結びつくような効果の薬をもらえるわけではないのか。

「勿論祈りは必ず通じます!ですが、それがいつになるかわからなくて不安になる方もいますから……気休めのようなもの、と司祭様は仰っていました」

表情を少し曇らせる受付さん。おそらく過去に祈りがなかなか通じない人の様子を見たことがあるのだろう、そしてそれがおそらくよくない様子であったのだということも、今の彼女の表情が十分に物語っていた。

「例えばぁ、どんなお薬があるんですかぁ~~~?」

きゅるるんと擬音がつきそうな顔つきで質問を投げる聖ぴょん。

「そうですね、不安を強く感じている方に対して落ち着いて眠りやすくなるお薬だとか、やる気を出しやすくなるお薬とか……?私は薬の知識が乏しいので、詳しくはわかりませんが」

「(薬局で良くね?)」

「(あるいはそのものを買ってきてるのかもしれません)」

わりと思った通りの回答に対して、辛辣に評価する五十音さんとぼく。いやしかし、薬の知識があるとはいえ、むしろ薬の知識があればこそ、こんな凡庸な施設で薬を作るというのもなかなか困難を極めることはわかるはず。であれば、薬局で市販されている薬を別の袋なりなんなりに移して渡すのが手早くそして安全だと判断してもおかしくない。

「ですが、お薬をいただいた方々はすぐに元気になっていますので、私はもっと皆さまに強く勧めてもいいと思うんですよね!」

むんっ!と気合を入れて声高に主張する受付さん。この言いぶりだと、彼女もそのお薬を服用したことがあるのかもしれない。

「そのお薬というのは、やはりいただくには、お金とかが……?」

出来ることならそのお薬とやらの現物をいただいて持ち帰ってみたいところなので、その際の条件などがないかは確認しておくべきでしょう。変な儀式や生贄なんかを求められたらたまらないですが、お金で解決できるのであれば……まぁ、値段にもよりますが。

「そうですね、多少は……」

得意満面だった彼女の表情が急転直下に曇る。お金がかかることを伝えると、さっきまでの自分の主張がまるでセールスマンのように感じられてしまうかも、とでも思ったのだろうか。

「いや、失礼な質問をしました。なにぶん、ツレが無職なものですので、そういうのも気にかかってしまって」

「いえ、お金は大事ですから!ないと生きていけませんから!」

苦笑気味に返した言葉に彼女はまた語気を強めて言葉を返してきた。あまりそうは見えないけれど、お金で苦労した過去でもあるのだろうか。それとも、もはやそれが彼女が今ここに通う原因だったりするのだろうか。

「でもぉ~~~、福ぴょんがぜ~~~~~んぶ払ってくれるんだよねぇ~~~?」

そう言ってこちらに身を傾けながら笑顔で宣言する松田聖子(偽)。

「聖ぴょんのためだから、(払わなくて)当たり前じゃないかー!」

こちらも身を傾け返すようにしながら貼り付けた笑顔で返す。だってぼくらはラブラブカップル(仮死)だからね。

「あの、それで、先程から聞きあぐねているのですが、お二人はここへどのようなお気持ちで来られたのですか?」

おどけ続けるぼくらに痺れを切らしたのか、受付さんから控えめな物言いながら、単刀直入に本題を聞かれる。いや、ほんとこんなに引っ張るつもりじゃなかったんです、すいません。

「そうですねぇ、まぁこの彼女のことでも悩んではいるのですが、最近ついていないことが多いもので……たとえば、これとか……」

そう言って、五十音さんの神社で引いたおみくじを取り出して見せる。書かれている運勢は『凶』である。かなしいなぁ。

「で、彼女は」

「あたしはぁ~~~、福ぴょんとの愛を誓いたくてぇ~~~~……ッッ」

またしてもとんでもない話を勝手に言い出す五十音さんだったが、許容量を越えたのか、言い終えるか否かというところで自分の発言に耐えかねて受付さんのほうから顔を背ける。背けた顔面には満面の苦悶が刻まれていた。今にも吐き出しそうだ。というかなんか頬が膨らんできてないですかちょっとダメですよ五十音さんそれ以上いけない。

「なるほど!でしたら、森野さんはここで祈られたほうがいいでしょうね!または司祭様に相談してみるとか」

先程までの少し気後れした様子から打って変わって明るく爽やかな声色で案内を始める受付さん。そしてその眼をさらに爛々と輝かせながら五十音さんの方へ向き直り

「松田さんはぜひ私に詳しくお話を!任せてください!」

両手を机にバンッとつきながら五十音さんの方へ熱すぎる視線を向ける受付さん。笑顔のままその視線に向き合う五十音さんだが、これは同意の笑みではなく、相手の予想外の勢いに表情が固まっているだけのようですね。笑顔の下で「あ、ヤベ」と思っていることでしょうことは、こめかみを伝う冷や汗からもお察しです。

「……わかりました。では一度司祭様に相談をさせていただければと思うのですが」

「あ、あたしもぉ~~~、ここの司祭様にお会いしたいですぅ~~~」

ここぞとばかりに乗っかろうとする五十音さん。まぁ、乗せるつもりで切り出した話ではありますが、こうも食いつきがよいとあぁもうホントに焦ってるんだなぁ、って。

「わかりました。では、どちらがお先にお話されますか?流石に私と話すときのように、二人で同時というのは」

「えぇ~~~~~??私は福ぴょんとニコイチなのにぃ~~~~~~!」

「えーっと……ぼくからも、出来れば今回のように二人で向かいたいのですが。彼女から目を離すのは不安なので……」

同伴を望む五十音さん。実際、彼女の相談内容に関わらず司祭様と会うにあたって単独で向かうのは避けたいところなのでその提案にぼくも乗ることに。

「あの、その……司祭様は、お一人ずつゆっくりお話を聞かれる方ですので……」

そんなぼくの自称ファインプレイも、相談室での常識の前では無力だった。うぅ、向こうが正しくてつらい。

どうしたものかと五十音さんに向けてアイコンタクトをとばしてみる。しょうがないわね、と言った具合の目配せをくれる五十音さんだったが、それと同時に拳をそれはそれは強く、とても強く握りしめていたのも視認できたので、ぼくは次善の策として考えていた自前のPHSをズボンのポケットから五十音さんに見えるように取り出す。とりあえずこれがあれば各々が地下や電波の届かない場所へ連れて行かれてもお互いにいざという時の連絡は確保できるはず。なのだが、問題はこれをいまどうやってこっそり渡すのかということ。先に渡しておけよという五十音さんの叱責が声にはなっていなくても聞こえてくるようだった。いや、受付で持ち物検査とかあるかもしれなかったですし、その時にお互いで持ってたら言い訳が立たないからせめて施設内に入ってから、と思ったのが災いしましたね。

困ったなぁという目で五十音さんのほうを見てみると、先ほどまで拳の中にブラックホールでもしまっているのかというくらいにぎゅうぎゅうに握りしめていた拳を開き、その手を机上の紅茶へと伸ばしている。受付さんの視線が向いていないのを確認したうえで、ニヤリと笑ってみせる五十音さん。この人、まさか……と思った時に行動は既に終わっていた。

「あっ」

呟くとともに体を前へとよろめかせ、用意されていたティーカップをさも握ろうとしていたように差し出していた彼女の左手は、そのカップの持ち手に滑るように触れ、必要最低限の衝撃をもってカップの中身を机にぶちまけたのであった。あまりにも自然な動き、まるで絹細工にでも触れるようにカップを撫でた彼女の手にはこぼれた液体が一滴もかかっていないところまで完璧な動作だった。直前の含みのあるあの笑みを見てなければぼく自身、これがわざとであることに気づくことはまず無かっただろう。百音五十音、おそるべし。

さらにどこまでが狙い通りだったのか、こぼした液体はまっすぐ机上を伝って受付さんのほうへ向かい、その先端を越えて彼女の衣服に垂れかかっていた。座卓程度の大きさの机であるため、向かい端まで液体がこぼれかかるというのはそう不自然なことではないが、溢れ方によってはそうならないことも十分ありうる。むしろその可能性のほうが高いだろう。

「ごめんなさぁ~~~~~い!」

両手をあわせてさも申し訳無さそうに謝ってみせる五十音さん。いやぁ、女性って怖いですね。

「大丈夫ですか!?いま台拭きを……っとこの部屋にはないので、ちょっと取ってきます。服も、すぐに着替えてきますので!」

そう言って受付さんはバタバタと部屋をあとにした。

受付さんが出ていったのを確認して、どっかと椅子に腰を預ける五十音さん。

「つかれた……」

先ほどまでのきゃぴきゃぴさの欠片もない声でそうこぼす。ポーズも相まって真っ白になったボクシング選手さながらの様子である。とりあえずは目的のPHSの片割れ渡しておくとダルそうに巫女服の裾にそれをしまった。そこ、ポケット有ったんですね。

お疲れの五十音さんは椅子で休ませておくとして、気がかりな点についての検証を進めていくとしよう。時間の猶予が未知数ならばなおのことだ。というわけでまずは胸ポケットから取り出したフィルムケースに紅茶の中身をこぼさないように少量うつす。なぜポケットにフィルムケースがあるのか、それはぼくが探偵だから。いや、調査の時にね、細かい拾遺物とかを保管するのに便利なんですよ。幸い、液体を保管したフィルムケースそのものが変色や変形するようなことはなかったのでそのまま持ち帰れそうだ。

「しっかし、どうもこの先はさすがに一緒に行動させて貰えそうにないわね……いざってときは頼むわね」

髪をガシガシと掻きながら疲れた様子でそうぼやく五十音さん。いざってときに頼みたいためにあなたを呼んだはずなんですがね。

「まぁ、なにかあったらどのみち呼びますので、その時はまたさっきみたいに頭弱いふりでもなんでもしてコチラに来ていただければ助かります」

「呼んでもらえれば強行突破でも向かってあげるから、連絡だけちゃんとしなさいよね」

「頼もしい限りです」

グイーッと背もたれの向こうにまでだらしなく背中を伸ばしながら椅子にもたれかかる五十音さん。物騒なことを言ってるようだが、怪しい新興宗教施設への潜入捜査中という今、多少の物騒は難なくこなすような精神と体力をあわせもつ彼女は本当に頼もしく思える。ただ、あんまり頼りすぎると返礼が大変になるのが困りものですが。返礼というか、謝礼金と言うか。

「おまたせしました!」

そうこう言っているところで、着替えを済ませたのだろう受付さんが部屋に戻ってきたので、グッダグダになっていた態勢を慌ててただす五十音さん。ぼくもそれとない素振りでケースをポケットにしまう。戻ってきた受付さんの外観は部屋を出ていく前とそう変わらなく見える。似たような服をいくつか持っておくタイプなのだろうか、あるいはこの施設内ではあの服装に決めているのかなど思うことはあるが今は言及はしない。あまりなにもかも聞いてみていてはこちらが怪しまれかねない。次回訪問時も同じような服装であればその点について聞いてみることにしよう。

「それで、司祭様との相談の件なんですけれど、やはりお一人ずつで向かっていくしかないのですが、よろしいでしょうか?」

「そうですね、それこそ今日入信したてのぼくたちがいきなり規則に背くというのも悪いですもんね」

これ以上、同伴を希望して相談そのものすら受けられなくなっては元も子もない、今回の妥協点はここでしょうと踏んで、各自での対話に同意を示す。さきほどPHSを渡せているのでいざとなった時の連絡も取れるならば、ということもあっての同意だ。

「ありがとうございます。では、お先に森野さんをご案内しますので、松田さんはそこでお待ちになっていてください」

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