第48話 時限爆弾

「聞きたいことがある」などとあまりよく知らない、魚臭い毛むくじゃらの中年男に突然聞かれても良い感情は普通わかない。

だが日々、PZよりも人間性の乏しい患者予備軍と生活しているこの船医には、「向こうから質問される」程度の交流にさえ飢えていたようだ。

リグの食堂は配給時以外に人間はいない。配給食糧は缶詰製造機を流用したもので食堂にはなく、調理場に人がいることは滅多にない。当然、専属の料理人などいない。

原潜は1日停泊するそうで、船医は午後から暇なのだという。テーブルに乾パンと何かの錠剤、そしてスキットルを並べる。

「君が悪いんじゃないんだが、君の話題はいつも酷い苦痛を伴う。そこでこの鎮痛セットというわけだ。これがあれば大抵のことは大丈夫」

白髪の浅黒い顔を微笑ませ、乾パンをかじる。

向こう何年も手に入らないような植物性食糧を、破滅以前のように、手軽に。

私の方は樹脂臭い水で口を潤す。

「日本にいた時、医療従事者が真っ先に同化された痕跡を見た。あなたは破滅の時、どうやってPZと接触せずに今まで済んだのか」

乾パンの咀嚼をやめて錠剤を口に含み、スキットルの液体で身体の奥へ流し込む。今の情勢からすればずいぶんと思い切った消費の仕方だ。

「元々、私はサンフランシスコ近郊の病院で働いていた。船医なんかじゃない。まして原潜なんてな。人々のために必要なことを優先し、家庭も、自分の身体も、顧みなかった。娘が学校で何かの賞をとったらしい。その賞がなんなのか今でもわからない。そんな立場だけで父親ヅラすらろくにしない男に愛想を尽かして、妻は娘を連れて出ていった」

思ったほど彼も、家族とはいえ他者との交流を大事にする方ではないらしいが、結婚し子供を授かっている時点で私や他の生存者よりずっと上等といっていい。

スキットルの中身は劣化していたようで、若干酸っぱい臭いが漂っている。

「家族に捨てられたショックが思ったより身体にきているなと思ったよ。顧みなかったくせに。鈍痛が止まなくて、ふと自分自身を診断したらああこれはまずいなと気がついた。検査の結果、ステージ4の膵臓癌だった。あっちこっち転移してるので抗がん剤を使うことにした。とてもじゃないが医者を続けられる状態じゃなくなったので、無期限の休職になった。破滅の時は自宅でずっと横になってたのさ」

「さっきの錠剤は抗がん剤かい」

「抗がん剤は点滴が基本でね。あれは痛み止めだ。思ったより長く生きてる」

グロスマンは他の船医も似たり寄ったりだと説明してくれた。


築いた家族関係が破綻し、なんらかの難病を抱え、孤独だったので偶然生存した。


それが必要条件であって十分条件じゃないのは、社交性のある生き残りがほとんどいないことからも明らかだった。

あと1年もしないうちに、彼らが抱えている難病によって死に絶えると、既に息絶えるも首の皮一枚で繋がっていた文明が、いよいよ首桶の中に落下して生きているような振りすらできなくなるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る