第39話 慣性

燃料の節約や、エンジンが損傷すると直す術がないこともあり、ハチマンには最高速度の20%程度しか出させてない。それが今や危機脱出のためとはいえ、フルスロットルを出させている。上手く行った後が大変だが、やらなければ悩ましい明日さえ来ない。

完全に最高速度に達したのを見計らい、エンジンの緊急停止と錨の降下をセットして、操作盤の陰に身を隠す。

チェーンの巻き上げ機が爆音を立て、錨を中心にして船が急旋回を始める。ハチマンのフルスイングに私も部屋中の物品も飛ばされて壁に叩きつけられる。

被害はエンジンだけで済みそうにない。

這い上がって甲板をみると、レインコートの姿はない。レインコートが押さえていたワイヤーもない。どんなに怪力があっても、踏み締める地面自体が動いてしまっては踏み締めようがない。

最初はオイルやグリスにより滑落させることも考えたが、足の裏から吸収されて潤滑を失う可能性があった。

レインコートの真面目さに感謝しよう。


さてハチマンはどれぐらいダメージを受けたかな。安堵の次は苦悩の時間だ。

そう思ったとき、甲板に何かが落ちてきた。魚のようだ。


1匹、2匹と落ちてきては破裂音を立てて甲板に体液を撒き散らす。魚の雨にまじってレインコートが1人。2人。3人。レインコート達は魚と違って死んだり変形したりせずただ驚いているだけだ。


最初のレインコートがなぜ甲板にいたのか。

ハチマン決死のフルスイングでできるなら、はるかに強力な竜巻が、漂流し踏ん張りようのない感染者を巻き上げるくらいわけがなかったのだ。

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