第9話 正体

犠牲になり方があまりにも不名誉なので彼のことは本名ではなくDと呼ぶ。ABと来たらCが普通だが、CだとABと関係がありそうなので、彼はDだ。

不名誉な行動の割に彼のおかげで分かったことは多く、その点においては名誉ある犠牲だ。


感染者は日が昇ると表に出てくる。私たちにわかる確実なことはそれだけだ。したがって、缶詰回収は夕方から明け方にかけて行なった。


Dは何かのエンジニアで、車の部品が欲しいんだかなんだか理由をつけてハードウェアショップに行きたいんだと駄々をこねていた。夏の午前4時ごろなので夜明けまで時間がない。腐るもんじゃないし次回にしろと言った。それでも燃料の消費がもったいないなどとゴネ、部品を積載するのに邪魔だからと私の車に缶詰を全部押し付けてきた。最終的には正解だったが、ずいぶんと腹が立った。


既に空が白み始め、ハードウェアショップの前は感染者でいっぱいだった。

「感染者でいっぱい」と書くとあたかもゾンビが所狭しと思い思いの方向を向いて突っ立ってるようだが、見た目には「以前」と変わらない、平和な雑踏だ。

何かを目指して路地をまっすぐ行き交う人々はその実、同じブロックを何周もしているだけだ。目的地はない。

何かを食べている様子は全く見ないが、P国での発生時同様、雑踏の周囲だけ有機物がなくなっている。車はタイヤだけなくなり、車内のシートや菓子類はそのままなのは彼らが缶詰に興味を示さないのと同じ理由だろう。

Dの車両はハードウェアショップに接近するが減速する気配がない。無線で引き返すよう伝えるが、無線から応答はない。目の前に人がいるというのに加速している。Dは本当はハードウェアショップに行く気はなく、恐らくこの不気味な人混みに車で突っ込んでみたくなったのだ。感染者は異常行動を繰り返すだけで見た目はただの人間だ。時速60km以上加速し続ける車と接触すれば無事では済まない。そう思っていた。


Dの車が老婆に正面から接触すると、まるで鉄柱に追突したかのように老婆を中心にして車は左右に引き裂かれて停止した。老婆の服と肉の一部は破壊された車両にへばりついているが、老婆は少々慌てた手つきで服と肉を手に取り元の位置にはめ込んでいく。私は車を止め遠巻きにその様子を見ていた。

「大変だ」

「交通事故だ」

「助け出そう」

雑踏の5人くらい(全体からしたらわずか)がDの車に歩み寄り、割れたガラスや車の部品を素手で叩き落としていく。まるでそういう蓋であったかのようにドアを引き外すと、エアバッグに突っ伏したDの体を引きずり出し地面に横たえる。「事故」に反応した人々は徐々に増えて人混みになり、Dの体が見えなくなっていく。絶叫や怒号は聞こえない。

「大変だ」

「大丈夫かな」

「助けなきゃ」

被害者を気遣う善意の声がしばらく続き、

「良かった」

「大丈夫だ」

「助かった」

という慰めに変わったころに人々はまた何かを目指して歩き出す。

人集りが無くなると後にはDの車の残骸だけが残されたが、残骸も道行く人々が少しずつ部品を外しては持ち去って行くので3日後に再訪した時には残骸はなくなっていた。雑踏の中には以前見せなかった朗らかな顔で歩くDの姿もあった。

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