第2話 地球はダンジョンだらけ

 シルキスはいつものようにベッドから身を起こす。

 ぐっと背伸びをしてから、寝間着から普段着に着替え、鏡の前で寝癖を整える。

 そして服の上から鉄の胸当てを装備し、腰のベルトには剣の鞘を固定する。

 どちらも耐久力強化のエンチャントを施した、魔法の品だ。

 カーテンを開け放つと、東京結界エリアの町並みが朝日に照らされていた。


 シルキスは人間の少女だ。

 髪も肌も、雪のように白い。

 年齢は十三歳くらい。断言できないのは、シルキスが拾われた子だからだ。


 一階に降りて、住居用の玄関から外に出る。今日は気持ちのいい晴れ。春の香りがしてくる。もうすぐ桜が咲く頃合いだ。

 建物の反対側に回ると、そこは店舗用の入口。

 家と店をかねた二階建て。それがシルキスが暮らしている場所だ。




 三年ほど前。しんしんと雪が降るあの日。記憶がない状態で歩き、疲れ、座り込み、人相の悪い男たちに囲まれ、強姦されそうになった。

 通りかかった黒髪の女性が、男たちを魔法で鏖殺してくれた。彼女は首をはねると同時に切断面を凍らせ、血しぶきが飛び散るのを防ぐという芸当を見せてくれた。

 唖然と見つめていると、彼女は抱きしめてくれた。

 そして泣きそうな声で呟く。


「……シルキス様……ようやく受肉なさったのですね。あなたの魂を追いかけ続け、この日を百年待ち望みました」


 意味が分からなかった。三年経った今でも分からない。

 とにかく自分の名前はシルキスであるらしいと知る。真偽は不明だが、そう呼んだ彼女の声が優しかったから、シルキスでいいと思った。

 黒髪の女性はセリューナ・エンケラドゥスと名乗り、シルキスを自分の家に連れて行ってくれた。

 温かい食事と、風呂と、着替えを与えてくれた。

 それどころかシルキスに部屋までくれた。


「どうして? どうして私にこんなに優しくしてくれるの?」


「今は思い出せないでしょう。けれどシルキス様は、ずっと昔、わたくしを助けてくださったんですよ。わたくしはただ恩返しをしているだけです」


「……分からない」


「いいんです。いつか思い出しますから。そして力を取り戻しますから。ずっとここにいてください」


「ここに住んでもいいの?」


「いいもなにも、逃がしませんよ。うふふ」




 こうしてシルキスは、セリューナと一緒に暮らすようになり、シルキス・エンケラドゥスと名乗るようになった。

 拾ってもらったとき十歳くらいだったから、今は十三歳くらいだろうという大雑把な計算。

 身長はおでこ一つ分ほど伸びたし、体もやや丸みを帯びてきた。けれど三年も経ったのだから、もうちょっと成長してもいいのに、と思わなくはない。


 この三年間。

 セリューナの店を手伝ったり、魔法を教わったりした。

 学校には行っていない。

 シルキスの住民登録はセリューナがしてくれたから、学校に通おうと思えば通える。

 しかし治安の悪化によって、登校という行為に危険が伴うようになり、オンライン授業が一気に普及した。

 いまや登校という行為は、護衛を連れ歩ける金持ちの特権になりつつある。

 そういったわけでシルキスも、勉学は家で済ませている。

 好きな時間に授業動画を見て、課題を提出すればいいだけなので、とても楽だ。


 それと矛盾するような話だが、子供のうちから戦闘用の魔法を学び、ダンジョンに潜る者が増えているらしい。

 シルキスもその一人だ。何度もダンジョンに行ってモンスターを倒し、アイテムを持ち帰った。

 三年前のように悪漢に襲われても、今なら返り討ちにできると自負している。




 地球全土にダンジョンが出現したのは、二十世紀の終わり頃。

 すでに半世紀ほどが経過した。


 とはいえ実のところ、それ以前からダンジョンもモンスターもあったらしい。

 精霊たちのイタズラが異常気象を引き起こし、大型モンスターが暴れて土砂崩れを誘発する。魔法結社は密かに各国と情報共有し、事象を隠匿してきた。

 世界は太古から神秘で満ちていた。


 しかし、それらの数が爆発的に増加し、一般人の目に触れ、町が踏み潰され、地図の書き換えが必要な状況になってしまった。

 隠すか公表するか悩むという、そういうレベルは一瞬で過ぎ去った。

 人類が絶滅する危険性さえあった。


 ゆえに世界最大の魔法結社だったイルミナティは、世界中の人々に魔法の知識を与え、武器を渡した。都市を結界で守り、地上にあふれたモンスターを駆除し、群れをダンジョン内部まで押し返した。

 ようやく人類は、とりあえずの平穏を取り戻す。


 だが無論、ダンジョン内部ではモンスターが日々生まれており、それを放置すれば、溢れかえって再び都市に襲い掛かるだろう。

 ダンジョンは厄災として残り続けた。

 が、それを歓迎する者もいた。ダンジョンはモンスターだけでなく、人類では作り出せないアイテムも生み出すからだ。


 ダンジョンに潜ってモンスターの数を減らし、アイテムを入手する。

 それを生業とする者は、いつしか冒険者と呼ばれるようになった。 

 イルミナティと各国政府は連携し、冒険者ギルドを設立して、その者たちの活動を支援。

 いまやモンスターとの戦闘は、経済活動の一環と化した。


 命を懸けて戦う英雄は、物語の中だけにいるのではなく、身近な存在となった。

 同時に、身近な人たちが戦いで命を落とすのも、日常の風景となった。


 かつて魔法の知識は、極一部の魔法師だけの特権だった。それが世界中に広まり、人類はモンスターと戦う力を得た。

 そのせいで魔法を犯罪に使う者も当然、現れる。

 犯罪者を捕縛、あるいはその場で殺すために、警察も魔法を行使する。

 それだけでは追いつかないので民間にも治安維持を委託し、犯罪者はそれに対抗するため更に力を求める。

 結界のおかげで都市にモンスターが侵入するのは極めて稀だが、そんなことが起きなくても、人間の手によって治安は悪化する。


 冒険者としての成功を夢見て高価な装備を買ったはいいが、惨めに敗走し、借金だけが残った者たちが橋の下に住んでいる。

 両親ともに冒険者で、両親が同時にモンスターに殺され、路頭に迷う子供は数知れない。そんな子供を救うための制度はあるが、数の把握さえ追いついていないのが実情だ。


 シルキスもそんな子供の一人だ。

 親がいないし、家がない。ついでに記憶もなかった。


 ある雪が降る日。東京の住宅街に立っていた。自分が誰で、どうしてそこにいるのか、まるで分からない。そこが東京だというのも、あとになってから知った。


 拾ってもらえたのは、本当に運がよかった。

 セリューナいわく、それは幸運ではなく必然らしいが、三年経っても真意が分からない。

 いずれ全て思い出す、としか言ってくれない。

 そしてシルキスは、思い出せなくてもいいと考えている。

 彼女と過ごす日々は、とても幸せだったから。

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