エピローグ番外編 刻血術:スキップ




~刻血術:スキップ~



 瓦礫の塔と人類が世界の命運をかけて争った“最後の戦い”から1年が経った。


 戦いに勝利した瓦礫の塔は世界全土を支配下におさめた。世界は魔界と呼ばれるようになりダンジョンマスターバアルは魔王バアルと呼び名を変えた。


 敵対勢力はすべて滅びて世界は平和になった。もう争う必要はなくなった。


 だというのに戦いを忘れられないものがいた。


 平時であっても厳しい訓練を怠らず、戦闘者としての高みを目指す。


 その者の名をリコリスといった。


 


   *




 瓦礫の塔の上層は幹部級ダンジョンモンスターの居住エリアとなっている。実績を上げたモンスターほど広く豪華な屋敷が与えられるわけだが、最強十二神将ともなれば階層を丸ごと自らの居住エリアとすることができた。


 階層を与えられた十二神将たちは、居住空間としての快適さを追求すると同時に自らの戦闘能力が最大限に発揮できるようカスタマイズを施した。地形や気候の調整するとともに、異世界の魔力を充填させ《世界召喚》のスキルを用いずとも異世界の魔法が使用できるようにしてあった。さらに好みの調度品を配置し自らの好きな音楽を流しやアートを飾り、香りまでこだわりぬいていた。


 それにより十二神将たちの居住エリアは生活の場でありながらもモンスターたちに強力なバフを与え、ダンジョン攻略者にとっても攻略困難な障害となることが予想された。そのような階層が十二層連続することから、十二神将居住エリアは『十二神将ボスラッシュ』と呼ばれていた。


 そんなボスラッシュエリアにおいて、リコリスの居住エリアは比較的簡素なものだった。


 陽光の差す広い草原が広がり遠くには雪をかぶった急峻な岩山が見える。ぽつぽつと生える広葉樹は青々とした葉を繁らせ、葉のすき間から射した日光が木の陰に点々とした模様を描いている。


 地面を覆う草丈の短い植物はところどころ色とりどりの花をつけ、緑の大地にほのかな色彩を与えていた。耳を澄ませば小鳥のさえずりと小川のせせらぎが聞こえてくる。


 のどかさを絵に描いたような環境のなかに木造二階建て家屋がポツンと建っている。それがリコリスの家だった。もちろんこれはこれでリコリスのこだわりを最大限に体現したものではある。派手さを可能な限り廃したワビサビの美しさをリコリスは好んでいた。


「リコリス様~」


 リコリスの家では、白と黒を基調としたエプロンドレスを着用したフルートが主のリコリスを探していた。「ここはお前の家でもあるのだから楽な格好をしてくれ」とリコリスには言われているが、心の底からあふれ出る忠誠心を表現するためフルートはあえてエプロンドレスを着ているのだ。


「リコリス様、どこですか~」


 フルートが何度も呼びかけているのにリコリスは返事もしない。いったいどこに隠れているのやら。五感強化のスキルを使えば探すのはたやすいけれど、今はあえて使わないでおこう。


「リコリス様~」


 やはり返事がない。


 しょうがない。奥の手を使うか。フルートは台所の戸棚を開け、そこからおやつを取り出した。


「リコリス様~、おやつですよ~」


 出窓にかかる緑色のカーテンが揺れ、そこからリコリスがひょこっと顔を出した。耳をピクピク動いしている。


 リコリスの姿にフルートは目を輝かせた。


「おやついらないんですか~」


 そう言うとリコリスは軽やかに出窓から飛び降り、たたたっ、と軽快な足取りでフルートに駆け寄ってきた。首を傾け、フルートの目を大きな瞳でまっすぐに見つめる。


「あんなところに隠れていたんですね。おやつ食べませんか?」


 リコリスの眼力の強さにとろけそうなほどの愛情を込めて話しかけると、リコリスは答えた。


「にゃ~ん」


 そしてフルートの足に頭をすりすりとこすりつけておねだりをしてくるのだった。


「か」


 かわいすぎる。


 世界召喚のスキルを使った後、リコリスはしばらくネコの姿になってしまう。美しい毛並みの黒猫だが戦闘能力は皆無。知能レベルは大きく低下し魔法の発動はおろか言葉すら話すことができなくなる。リコリス最大の弱点である。


 しかしフルートにとってはリコリスのおねだりは効果はばつぐんだ。すでに理性ゲージはレッドゾーンまで削られ頭の中にピンチBGMが流れている。


「そんなにおねだりして……まったくリコリス様はおやつに目がないんですから……!」


 フルートはしゃがみこみリコリスにおやつをみせる。リコリスは大きな瞳をらんらんとひらいてフルートの手にもつおやつを凝視している。


「欲しくてたまらないって顔してますよ? リコリス様?」


「にゃ~ん」


「もお~そんなに欲しいんですか? ちゃんとおねだりしないとあげませんよ?」


「にゃ~ん」


 おやつをねだるリコリスがあまりにもかわいくてフルートは思わず「よしよしよし」とリコリスの頭をなでてしまう。リコリスは「にゃ!」とおやつをせがみながらもまんざらでもないようで、ゴロゴロのどを鳴らしながら気持ちよさそうに目を細めている。


 その姿にフルートは思わずはあはあと吐息を荒げた。ぎゅってしたい。いやいやこれはリコリス様……ご主人さまを抱っこするなんてダメなんだから……リコリスを抱きしめたい衝動を必死こらえながら、フルートはおやつをリコリスに差し出した。ネコの大好きな細長いパッケージからチュルっとでるタイプのおやつである。


 リコリスは、がっがっがっがっ、と音をたてながらガツガツおやつを平らげる。それからしばらく口の回りを舌でペロペロと掃除すると「世話になった。さらばだ」と言わんばかりにふいっと背中を向けた。


「ええ……もう行っちゃうんですか……」


 先ほどまでの甘えた様子がウソだったかのようなクールな後ろ姿に、フルートは胸を締め付けられるような淋しさを覚えた。


「リコリス様~! 見てくださいほら~」


 フルートは細い棒の先端に起毛した布の飾りを取り付けたネコ用の玩具──その名を“ネコじゃらし”と言う──を左右に振ってみせた。


 リコリスは「しょうがないな」といった感じで振り返り、フルートのネコじゃらしをちらりと見た。しかしそこまで興味をそそられなかったようで再びふいっと背中を向けた。


「ああ~ん、なんてクールなの……」


 愛想のない姿さえも愛おしい。フルートは自分の肩を両腕で抱きながらもじもじと腰をくねらせ悶えていた。




   *




 暗黒の夜空には満天の星と赤い月が浮かんでいる。咲き乱れた紫色の花々が地面を飾っている。


 ≪世界召喚:夜想曲ノクトルナ≫のスキルによって夜想曲世界の環境が再現されているのだ。


 静止した時の中でリコリスは呪文を唱えていた。≪世界召喚:夜想曲ノクトルナ≫を用いた刻血術の訓練は3か月おきに行われる。今日は刻血術の中でもとりわけ習得難度の高い刻血術≪スキップ≫の練習を行っていた。


 黒いドレスを身に纏った貴婦人──リコリスは凜としたたたずまいで堂々と呪文を紡いでいく。


「時の流れは……記憶の流れ……流れて忘れるあの頃を……流れて失う思い出を……過ぎ去れ──刻血術≪スキップ≫」


 リコリスが魔法を発動させる。しかしなんの変化も起こらない。魔法は確実に発動したはずなのにどういうことだろう。フルートが首を傾げると、リコリスは言った。


「≪スキップ≫は一瞬で時を経過させる魔法だ。何も感じなかったかもしれないが魔法発動の直後、刹那にも満たない一瞬で30秒の時間が経過している」


「へえ~すごいアギャ!」


 と感心しながらもフルートは内心では疑問に思っていた。

 

「フルート世辞はいい。思ったことを言ってみろ」


 フルートは「はい、恐れながら」と返事をすると内心の疑問を口にした。


「世界召喚使用下での≪スキップ≫の使用はスキルの制限時間を削るだけで、あまりメリットがないように思うのですが……アギャ」


 リコリスはしかりと頷き「そのとおりだ。≪スキップ≫は戦闘ではほとんど役に立たない」と続けた。


「だがメリットはある」


「え?」


 それは何だろう? 敵に与えた毒や病などのステータス異常を進行させることはできそうだが、世界召喚が切れ弱体化するデメリットと比べたら取るに足らないメリットだ。


「どんなメリットがあるのですかアギャ?」


 フルートが答えを出せずに降参すると、リコリスは「わからないか?」といたずらっぽい笑顔を浮かべた。


「ではヒントをやろう……ヒント『私もたまには甘えたい』」


 瞬間、フルートの脳裏で今の凛々しいリコリスの姿と黒猫になったリコリスの姿が重なり合った。


 そうか。


 ≪スキップ≫を使えばリコリス様がネコになるまでの時間を破壊的なまでに短縮できるではないか。


 フルートは胸の前でパンと両手を合わせると、リコリスに満面の笑みを向けた。


「ピンときたようだな。では≪スキップ≫の演習といこう。呪文は覚えているか?」


 フルートは「もちろんアギャ!」と元気に返事をすると、


「時の流れは……記憶の流れ……流れて忘れるあの頃を……流れて失う思い出を……過ぎ去れ──刻血術≪スキップ≫」


 と先ほどリコリスがやってみせた呪文の詠唱を完璧に再現してみせた。≪刻血術適正:S≫のなせる天才的な魔法習得速度であった。フルートの≪スキップ≫が発動し、刹那にも満たない一瞬で2分間が経過する。


 空間にパリンと亀裂が入り世界召喚が解除される。崩れゆく世界召喚の合間から見慣れたリコリスの一軒家がみえた。


「にゃ~ん!」


 ネコになったリコリスをフルートは大切に抱き上げると、顔をリコリスのもふもふした体にうずめた。はあはあくんかくんかと顔全体で全身でリコリスを感じながら歩き、ふたりの住居である一軒家を目指した。


 胸いっぱいの幸せを感じながら。






*************

  

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